魔王さまの 冷たい恋人

 夏である。――と認識するのは、彼女が着ている薄紅色のシャツから、素肌から見えるからで、窓の外から甘いような香りが入ってくるせいでもあり、途切れ途切れの笑い声がテレビから外から再現なく聞こえてくるせいであるかもしれない。

 とにかく、夏だった。レイラは「省エネ派」ということで、うちの部屋でエアコン(電気式空調機)を使うことはめったにない。透明な羽根がまわる「扇風機」と、それから彼女の好きな「竜」が描かれたうちわでもって涼を取っていた。

 外から入る風、少し室内より冷えた夜の風が風鈴を「ちりん」と鳴らす。この風が一晩中吹けば快眠が保証されるのに、という俺の微かな希望は、そう長くは続かない。まだまだ夜は長く、夏も終わりそうにない。


 目があった。

 魔王さま(レイラ)は赤くて紅い激情のともった髪の毛を「暑いから」という理由でこの夏ばっさりと切り捨てて、微かに残った髪の毛もくるくると束ねてピンで留めている。そうするとキリリとした顔立ちがより浮き足だってしまうから、俺としてはあまり歓迎できない、いや二人きりのときは嬉しいけれど、そんな複雑な心情だった。どんな髪型でも似合う彼女だけれど髪を短くした彼女の唯一の弱点といえば「表情がすぐ分かる」ことだろうか。

 今、明らかに彼女は欲していた。


「アイス食べたい」


 アイスを。



「好きなだけ、削ればいいじゃないですか。

 デスフロストドラゴン(氷壁竜)の鱗を」

 デスフロストドラゴン(氷壁竜)というのは魔界の「死海凍土」に生息するごくまれなドラゴン種で、普通のドラゴンは炎(ブレス)を吐くのにたいし、このドラゴンはそれができなかった。ブレスを吐くための「ドラゴン袋」が体内に存在しないためだと魔王さまは説明してくれたが、そんなアンコウの肝みたいなもの、実在するのだろうか。「まずかった」とは魔王さまの弁。どうやらドラゴンを食べたこともあるらしい。

 さてそんなかわいそうなドラゴンの、守るべき稀なデスフロストドラゴンだったが、体表を「千年凍土」とも揶揄される固くて巨大な氷の鱗に包まれているのだ。100年に一度くらい、由来不明の「デスフロストドラゴンの鱗」が市場に出回り、人間界ではえらい騒ぎになるらしいが、その理由をレイラはこう語った。周期があるのだ。暑さにも周期が。100年の一度の大熱波の時にはデスフロストドラゴンを一匹し止め、その鱗をかじって涼をとるのが魔族、ひいては魔王さまたちの「わびさび」らしい。


「何百年前の話をしているんだ。そんな竜は存在しない」

「居るんでしょ。削って食べて、果汁をかけて食べたら頬が凍って動かなくなるほどおいしかったって自慢してたじゃないですか」

「お前はまだただの氷菓子を「デスフロストドラゴンの鱗だ」と言ってからかったことを、根に持ってるのか?」

「いいえ、そんなことはありませんけども」


 さて、そんな稀少な鱗だから、当然おれが見たことあるわけもなく。

 この世界でふつうに流通している「ブロックアイス」を俺は「デスフロストドラゴンの鱗だ」とそそのかされ、からかわれたのだ。そりゃあ騙されるよ。俺の国にはあんなにきれいな形をして、透明な氷、存在しなかったもん。


「アイス、アイス」

 そう言いながら魔王さまはスキップしながらコンビニの中をうろつき歩く。そのまま浮かれて氷菓子全種類を買い占めていきそうな勢いまであるが、それは禁止している勇者(俺)である。


 彼女は店内のアイスコーナーに行くと、端から吟味を初めて行く。かき氷、モナカ、バニラ、それから1つ1つが果実の形をしていたり、変わり種のアイスが並んでいたり。彼女のトレンドはかき氷→バニラ→変わり種→かき氷、という具合にローテーションしている。今日はきっと一周してバニラを買うのだろうなぁ、と俺が眺めていると。


 彼女の指がある1つの商品の上で止まった。


「それはダメですよレイラさん」

 俺は彼女の腕を捕まえ、首をふる。

 ハーゲン○ッツと呼ばれる、他のアイスの2倍の値段もする高級アイスである。


「紅い背景に金色の文様。見覚えがありませんか? そうです、これは「魔力破邪」の封印がなされているのです。こんなものを魔力の権化であるレイラが食べたらどうなります? 次の日にトイレから出てこられなくなること請け合いです。いいですか、これは私個人の意見を言っているのではないですよ、レイラのことを思って――」

 そんな主張もどこ吹く風。当の本人は現物をもって、涼しい顔でこちらを見つめていた。気のせいか目は赤く、笑みは妖しい。

「うそだな。私には分かる。

 フォルセの魔眼を持っているからな」

「そういう後付け設定は卑怯ですよ」

「ふん」

 魔王さまの笑みはとまらない。

「反対する理由――このアイス、おそらくおいしいのだろう。

 それも私が口にすればこの店のものを全て買い占めてしまうほどに……。

 挙句の我が家の家計を心配するおまえの気持ちも分からなくない。ありがたい。

 ……正直、非常に助かる。

 だがそれとこれとは話が違う!」

 そのアイスをたかだかと掲げ、彼女は宣言した。

「欲望に理性的な魔物が居るだろうか。否。

 好物を目の前にして我慢する必要があるだろうか。否。

 旨いとあらば食らいつくし、無いと分かればゴネて作らせる。

 それが魔族。そして私は魔族の王である!」


 ……。


「ただのわがままじゃないですか」

「うるさいうるさい! お前にも一口やるから、いいだろう?」

「今日だけですよ」

 魔王さまは両手でアイスを捧げ持ち、少しだけ上目がちにこちらの様子を伺っていた。

 ……。

 

 そんな風に見つめられると弱い、人間族最強にして魔王に最弱の俺である。

 そしていつも彼女を甘やかす俺である。

 ああそうさ、レイラがわがままなのは俺が悪い。



「痛い。お腹痛いよぅ」

「はいはい、すぐによくなりますからね」

 布団の中でお腹を抑えてうんうんとうなる彼女に、「治癒魔法(ヒール)」をかけてやる俺。そとはもうすっかり静かになり……時計の針も12時をまわっている。魔王さま、明日仕事大丈夫ですか。


 その後、彼女はやりすぎたのだ。「うまい!」と家を飛び出して、家計のはいった財布を持って走り出し、コンビニにあるアイスを買い占めて帰ってきた。満面の笑みで。

「一日一個にするから。お前にもやるから」

 という言葉を信じた俺が馬鹿だった。彼女は俺が寝静まった後、一人で何個も何個も○―ゲンダッツを食べていたらしい。台所にカップがまるで夢の欠片のように散らかっている。

 そして食べ過ぎた彼女はすぐにお腹が痛くなり、トイレに篭ったがそれも焼け石に水、俺を起こして治癒魔法をねだる始末である。


「アイスの呪いだ」

「レイラが悪いんでしょ?」

「欲望を我慢しない魔物などーー」

「はいはい。居ないんでしたね。

 それでレイラは魔族の王で、今はただのぴーぴー女じゃないですか」

「ぐぐぐ。痛い。お腹痛い。超痛い」

「はいはい」



 そして夜は更けていくのである。



 唐突に我が家からアイスが消えた。

 思うに、それは魔王さまの腹痛が治る頃と、時を同じくしていたような気がする。

「アイスはもういいんですか?」

 と問いかける俺に、彼女はしばらくバツの悪そうな顔をして、

「デスフロストドラゴンの鱗をかじる」

 と答えた。

 ま、それがいいんじゃないですか魔王さま。

 しばらくドラゴンの氷をかじったつもりになって、火照った身体の熱を取る。心頭滅却すれば火もまた涼しいという言葉もあるし、魔王さまならなんとかなるでしょ?


「氷だけにこりごりってですか?」

「……」

 その目線はまさに絶対零度、彼女の視線は俺を鋭く射抜いたのだった。


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