お盆ですか、魔王さま

 リィン、リィンと聞こえてくる高音が耳にこそばゆい。音と一緒に吹き込んでくる風は少し冷たくて、夏の終わりを思わせる。どん、と鳴っているのは花火の音だろうか。続いて聞こえるのは子供の笑い声だろうか。うちわで顔を仰ぐ彼女はどんな表情をしているだろうか。春がきて、夏が終わる。芽吹いた草木が、冬に備えていく。心の中に去来する寂しさは、もしかしたら祭りの後を思わせる、虫の鳴き声のせいかもしれない。

 なんとなく人寂しいと感じてしまうのは何故だろうか。夏が終わるからだろうか。

 願わくば同じことを彼女も思っていて欲しい。そして一緒に儚んで欲しい。理由も事柄もなんでもよかった。「そうだね」が聞きたかった。

 外から聞こえる音が止んだ。

 風はいっそう冷たさを増したようだ。

 レイラが立ち上がり、窓を少し閉める。

 つられてリイン、と鳴ったのは風鈴だった。


 この世界には「お盆」という文化があるらしい。

 死んだ親族が魂となり、生きている人間に会いにくるらしい。

 ざっくりと風土を学んだ時に聞いた話だった。

「今日はそうめんか。……そろそろ、夏も終わりだな」

 ツルツルと、勢いよく白い麺をすすりながら、レイラが言った。

「夏が終わるの、残念ですね」

「そうか? でも私は秋も冬も好きだぞ。

 私の居た世界には無かったからな」

「秋は美味しいものがいっぱいありますしね」

「そうだな! キノコ狩り、また行こう」

 ……本当はただの山登りのはずだった。だったのに途中で道に迷い、レイラの「鼻」を頼りに下山したのだった。途中空腹に耐えきれずいくつかのキノコを食したのだが。味は悪くはない。その後の恐ろしいほどの苦痛さえなければ。レイラは悪食なのか、それとも野生に生えるキノコ程度の毒なんて魔王さまを苦しめるほどの効果がないのか、涼しい顔でバクバクと食べていた。俺はとてもマネできず、自分自身に治癒魔法をかけながらおっかなびっくり食べた。……という一連の出来事を称して、彼女は「キノコ狩り」と言ったわけだ。


「今度は食べ物持っていきましょう」

「ほうほう。それでキノコ鍋にするわけか!」

「いや、……できればキノコは入れない方向で、普通の鍋にしましょう」

「残念」

 レイラは口を「へ」の字に曲げた。

「そういえば、お盆って知ってますか?」

 俺の問いに彼女は胸をはって、

「知ってる。会社が休みになるんだろ?」

「……そりゃそうですが。

 そりゃ目的と手段が逆になってるというか」

 苦笑した俺を見て、彼女は少し不満げに、

「ただの冗談だ。

 昔お前が話してくれたじゃないか。

 死んだ人が、会いに帰ってくる日なんだろう?」

「そうです、よく覚えてましたね」

「偉いだろ」

「はいはい、偉いですよ」

 といって、俺はレイラの頭を撫でてやる。

「死んだ人間に会いたいのか?」

「いえ、そういうわけじゃなく」

 それならどうして?

 レイラは首をかしげて、俺の次の言葉を待っていた。



 そうだ、会いたい人間が居るわけじゃない。


 俺が思うこと。

 それは。


「……私は、人を殺したことがあります」

「それがどうした。私だってあるぞ」

「彼らは、そのあとどうなったのでしょう?」

「……だろうな」


 その言葉の続きが聞き取れなくて。

 モゴモゴと、何かを言いにくそうに彼女は口にした。


「悪人は地獄に送られ、妾の眷属に魂を食べられていた。

 善人は魂のプールで混ざり合い、新たな生命として生まれ変わる。

 という話を聞いたことがある」

「それじゃあ、家族に会いにこれないじゃないですか」

「ああ、そういうことか。

 ならばその話は詭弁なのだろう。

 お前は思い悩んでいるわけだ。

 『自分が殺した相手にも、家族が居たはずだ。

 悲しむ人間が居たはずだ』って。

 それは正解でもあり、けれどお門違いというものだ」


 付き合いの長い彼女は、俺の煩悶を言葉にする前に、言い当ててくれた。


「どういうことです?」

「うーんと、お前が悩んでも誰も救われない。

 お前が神様かネクロマンサーでもない限り、死んだ人間と会わせることなんてできないってことだ。

 できないことを悩むことを、無駄というんだ」

「そりゃそうですけど」


 そうですけど。

 そりゃ少しドライってものじゃないですか、魔王さま。


 彼女の目が。

 赤い髪が。

 紅い目が。

 朱い唇が。


 少しだけ怖くなる。

 もしかしたら。やはり。

 彼女は別の存在なんじゃないか。人間とは違うんじゃないか。

 いつか、俺も食われてしまうんじゃないか。



 けれどレイラは笑って。満面の笑みで笑って、こういった。


「大丈夫。お前が死んでも、私が会いに行ってやる。

 1000年経っても、2000年経っても。

 ま、そのころは少しおばあちゃんになってるかもしれないが、お前も生まれ変わってるだろうし、お互い様だ」

「……ふ、そういうことじゃないですよ」

「ん? 死んだら離れ離れになるのが嫌とか、そういう話じゃなかったのか?」

「違います」

 けれど俺も。

 笑っていた。


 そうか。

 ……そうであればいい。

 いつかきっと。

 どこかでまた。

 彼らが再び出会い、絆を紡げるように。

 俺が切った縁を、再びより合わせることができるように。


 ありがとう、魔王さま。




 外から風が吹いて、背中側の窓に流れていく。少し乾いた空風のにおい。次にくる季節を思わせる。季節は巡るのだ。きっと。

 テレビがちかちかと明滅。それをじいっ、と見入る魔王さま。

 夏が終わるのが寂しい、と同じことを思っているだろうか。

 ……その答えを聞くのは、また今度にしよう。

 長く永い、循環の中で。

 いつかまた彼女に会えた時に。


 さ、ごはんですよ魔王さま。

 今日は最後のそうめんにしましょう。

 湿っぽい気持ちも吹き飛ばすくらい、とびきりからい薬味を、たくさん入れて。


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