バレンタインでした、魔王さま 娘編

バレンタイン編 娘編


「それじゃ、行ってくる」

 魔王さまはいつものように凛々しく――朝だから弱弱しく、玄関に立っている。

「気をつけて」

「まま、っらっしゃい」


 3歳になる娘といっしょに、その姿を見送る。

「今日は2月13日だけど……気を付けて」

「任せろ」

 にっこりと笑った笑顔が頼もしい。

 ……数年前、彼女は食べきれない量のチョコを会社からもらってきたのだ。まだ子供が生まれる前だった。俺とレイラは必死の思いで平らげたのだが。

 ……もうあんな思いはしたくない。俺の無言の声が聞こえたかのように、彼女は悲痛にうなずいた。

 ま、何にせよ今年のバレンタインは休日だ。……何もないことを祈るが――。



 娘と、2人。朝から幼児番組を見る。

 いや、暇なわけじゃないよ? 無職なわけでもないよ? ただ俺に、そう、適職? 天職? ってのが見つからなかったってだけで。稼ぎは嫁のほうで十分にあるわけで、無理して働く必要はないとレイラは請け負ってくれた。少しずつでいいから自分にあった職を探して働いてくれればいいと。うん、実にできた嫁である。俺も働かないことに罪悪感がないわけではないのだが―― 「酒に酔って暴れるより、数倍マシ」とのことらしい。彼女の父は酒乱だったらしく、何やら深みのある言葉でもある。魔王の親父ってんだからおそらく先代魔王で、そんなやつが酒で暴れたとなれば……俺は戦々恐々とするばかりである。

 テレビ画面の中では赤いですぞ怪獣と緑の超人怪獣が戯れあっていた。それを見てはしゃぐ我が娘。うむ、実に平和で、実に幸せ――。


 テレビの向こうで、緑の怪獣が腰から何かを取り出した。

 それを見て。

 直感的にやばい、と感じる。

 テレビに「あれ」が出てしまう。おそらく最近成長率が半端ない我が娘も、「あれ」に気づき、ダダをこねるだろう。それだけはなんとしても避けたい。今年こそは平穏に過ごしたい、我が聖剣「物干しざお」、じゃなくって物干しざおとなった我が剣「流星剣」は、人足飛びで届く距離にはなかった。

 だから、間に合わなかった。



 緑の怪獣がチョコを取り出す。

 赤の怪獣がですぞですぞとそれを誉めそやす。

 娘は食い入るようにそれを見ていた。


 俺はそっとテレビを消した。



 ……。

 振り返った娘と目が、合う。


「さ、パパは洗濯物干さなきゃなー」

 そういって立ち上がると、娘の目に涙がうっすらと――。





 意訳である。

 チョコを作る、という番組をみて、娘はバレンタインに興味を持った。

 それから俺がたまにお菓子作りをしている姿を見せてしまったのがいけないのかもしれない。娘の中で「今日はお菓子作りをしていい日だ」とインプットされてしまった。

 泣き出した娘をなだめ、すかして。

 娘は泣き止むと、「連れていきなさい!」とのたまった。

 俺を指さし、ふんぞり返りながら。

 俺をスーパーに連れていけ、そしてチョコを買いに行こう、という提案である。

 頑として譲らない態度。人に頼むのになぜか上から目線。母が母なら子も子である。そんな態度に屈するわけには――。



「さ、ついたぞ」

 俺は自転車をいつもの場所にとめ、娘をかごからおろした。

 言ってることが違う? ま、なんとでもいえばいいさ。

 俺は今は一介の主夫であり一児の父。大事なことが、

「早く! 早く!」

 あったはずだが、父の威厳も何もない。

 子供に急かされる始末である。



「ただいまあああああ」

 今日も今日とて魔王さま……じゃなくて我が妻は、大声で叫びながら玄関を開ける。

 チョコまみれになったアイリが母を出迎える。

「ただいまーーー、なんだ泥遊びか? 楽しそうだな?」

「チョコ!」

「そうかチョコかー」


 正直に言えば。

 ……少し警戒していたのだ。

 去年は釘をさされた。「チョコもケーキも作るな」と。

 今年は先んじて作ってしまった。子供に急かされた結果ではあるが。

 もしかしたら何か準備をしていただろうか?

 また期限を損ねるのではないだろうか?

 俺が戦々恐々としていると、レイラは笑顔をパカッと咲かせると、


「よーし、それじゃ私も混じるぞ!」


 というわけで。

 今年のバレンタインは親子3人でチョコを作りましたとさ。




 2月14日。

 今年は土曜日である。

 俺らは手作りのチョコを冷蔵庫に入れ、みなで「14日当日に食べよう」と示し合わせて、布団に入ったのだった。


 そわそわ。

 いつくれるのだろう。


 娘は幼児向けのヒーロー番組を見ていた。

 ……俺は我慢しきれなくなって、娘に声をかける。

「なあ、チョコ食べていい?」

「ん!」

 いいのか。

 手渡してくれないのは、少しだけ寂しけれど。

 ……。

 ん?

 娘の様子が、どうやらおかしい。

「ん! ん!」

 娘は一心不乱にテレビの画面の中のヒーローを指さしていた。


 なんだと?


 まさかこいつにあげたいと?

 お父さんよりも?


 は、はは。はははは。

 乾いた笑いが漏れる。


「この人はね、画面の向こうに居るんだ。会えないんだよ」

「ん!」

 この人じゃなきゃダメ! という娘のジェスチャー。


 こいつが何だってんだ!

 仮に悪党を倒して、イケメンだったとしても、

 俺だって世界ぐらい何度もすくったことがあるし、当時は行列ができるほどモテたんだぞ!

 といっても始まらない。



「聞いてくれよおおおおお」

 始まらないので、俺は我が嫁に泣きつくことにした。

 久しぶりの休日だからか、レイラは朝の8時になろうというのに、布団の中でごろごろしている。ま、いいんだけどさ。起きたらその布団カバーは洗い、布団は干そう。せっかくの休日だし。

「ん……。ん?なんだ、よしよし」

 何に傷ついているかも知らず、俺の頭を撫でてレイラは慰めてくれた。

「アイリが俺にチョコをくれないんだ!

 イケメンヒーローにあげるってきかないんだ!」

「そりゃあ災難だったな。かわいそうに」

 ポンポン、と背中を叩かれる。


 ……。

 ……。

 少し待ってみたが、それ以上の反応はない。

 え?

 え?

 俺が戸惑いと失望の感情にとらわれていると、レイラはスース―と寝息を立て始めた。


「チョコは……?」

「むにゃ……冷蔵庫にあるから」


 冷蔵庫にあるから、勝手に食べろってことか。



 3年前は、あんなにかわいかった魔王さま。

 結婚前は、あんなに恥ずかしそうだった魔王さま。

 今年のバレンタインは勝手に食えってか!

 そりゃないぜ。



 俺は泣いた。



 バレンタインですよ、魔王さま。 3歳の娘編。


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