バレンタインですよ魔王さま ~新婚編~
そうか、もうすぐバレンタインか。
いきつけのスーパーにも、チョコレートコーナーが広がっているのを見て、俺は溜息をついた。前回のことを思い出したからだ。うまいうまい、と彼女は俺のつくったケーキを食べてくれたが、最終的には怒られた。「女から男にプレゼントをする日だから、その順序を間違えるな」と。うーむ、俺はただ喜んで欲しいと思っただけなのだが、間違ってしまったらしい。
それはそれとして、今日も魔王さまは俺がつくったごはん味噌汁、焼き魚に漬物、というバランスの取れた朝食をとって、低血圧でふらつきながら職場へと向かうのである。
けれど今日はいつもと違い、扉の前で顔を上げ、きりっと俺をにらみつけると、
「いいか、去年のような過ちは二度と犯すなよ! チョコは私が準備する。
私よりおいしいチョコも、ケーキも作るなよ」
とすごんで見せた。
「夕食は?」
「それはいつも通り頼む」
というわけで、行ってらっしゃい魔王さま。
○
レイラ視点。
ふ。
部屋を出てから、ずっと私の顔はにやけっぱなしだ。去年はやつにしてやられた。「バレンタインなんて知りませんよ」などという無害な顔をしておきながら、サプライズでケーキなど作っていた。ふだん朴訥として気の利かないやつだと思っていたが、ここぞという時の勘が鋭い。天性のものなのか、それとも勇者としての経験で磨かれたのかは、知る由もないが……。
サプライズでケーキを渡されて、喜ばない私が居るだろうか? いや、居ない(反語調)。
いつから、とか、どうして、私のために、とか思い浮かんでくる言葉はいっぱいあったが、口から出てくる言葉は罵声ばかり。照れ隠し? 恥ずかしさ? ……いや、くやしさだ。してやられたのだ。私はあいつの「バレンタイン? 知らない? チョコ? くれるの? 好きなの? 俺のこと? うひょーーーー」という、馬鹿みたいに喜ぶ顔が見たかったのだ。
そして、自分なりに反省をした。
1つ目。隠し方が中途半端だったこと。前回は探るように「バレンタインって知ってる?」などという思わせぶりな表現で牽制をした。これじゃあ駄目だったのだ。脳の働きが鈍いあいつはピンとこないのだ。だから今年は言ってやった。「バレンタインだが、お前は何もするな」、と。……うむ、我ながらいい作戦だと思う。これでいささか足りない脳味噌でも、今日の夜何をすべきか理解してくれるだろう。鏡の前で「うっひょーーーーありがとう!!!」という練習をしておけばいいのだ。それ以外は特にいらない。……いや、いらないと言えば嘘になるが、……それは流れに任せよう。大人のたしなみというやつだな。一人目はもう、お腹の中に居るわけだし。
そして2つ目の反省点がある。戦略がなかったということだ。これはいかん。戦況とは刻々と常に変化し、戦略とは大局を見据えて立てねばならぬ。去年は「チョコを作る」という戦術を使ったが、その前後の戦略がうまくなかった。それもこれもバレンタインに関する情報と、経験が足りなかったためだ。いつぞや、私が300歳ころに経験したマツゾヤ大戦のことを思い出し、私は口の中が苦くなるのを感じた。
……そう、これは戦争である。私とやつの。勝つためには戦略を練らなければならず、それが少々私は苦手らしい。側近の死神ハーデスにも口をすっぱくして言われた。「魔王さまは少しばかり、直情的なところがありますからなぁ! はっはっはっは!」。
何が面白いのか分からなかったので、ハーデスのやつはすぐさま処刑した。……ま、やつも腐っても魔族、100年ぐらいしたら何食わぬ顔で私の隣に居たが。
その反省を生かし、今回は心強い味方が居る。名前を「香椎 花」と言う。しんそつ? でこの会社に入ってきた後輩である。髪の長さは肩ぐらい。けれど毛先は自然と丸みを帯びており、それが顎のラインを隠している。化粧も派手すぎず、……かと言ってしていないわけでもない。彼女本来のかわいらしさを浮き上がらせていた。何より彼女は男を立てるのがうまく、上司の前に立って歩くこともないし、ささいなことをさらりと手伝ってもらったり、飲み会の時には率先して周囲に気を配る――。こういうのをなんというのだっけ?
そう、女子力だ。
彼女は女子としての戦闘力――異性を虜にする力が高いのだ。
確かにスタイルでいえば、容姿でいえば、魔力で言えば――私が負けているところなど何一つないのだが、強いていえばただ一つ、「女子力」では彼女に勝てない。きっと朴訥としたあいつも、彼女の前に来れば鼻の下を伸ばし、「花ちゃん、花ちゃん」などと部長連中のように――。
「先輩、顔が怖くなってますけど、大丈夫ですか」
花の声で、ふと我にかえる。
……どうやら大分遠いところまで意識が飛んでいた(妄想していた)らしい。
「……問題ない」
「またまたあ、子供の名前でも考えてたんじゃないんですか?」
「うーん」
それも悩みの1つではあるが――、男だったらあいつが、女だったら私が決める取り決めになっている。候補は互いにいくつかあって、何度か話し合って――、けれどそれは今回とは関係ない。
「大丈夫。それじゃないよ」
「そうですか? 残念」
「残念?」
「だって先輩のとこ、いつも仲良さそうだから、うらやましくって。
聞いてくださいよ、私の彼氏なんかぁ――」
それから30分ばかし、彼女の話に付き合って。
「なんですよ。ひどいと思いませんか?」
「……」
……どう思うか?
と聞かれて、結論は1つだ。別れろ。次を見つけろ。
どうしてこんなにも女子力が高くて、次の異性に行かないのかが、私には分からない。
けれどきっとそれを言葉にするのが正解ではないと知っているから。
とりあえず、
「そうだね」
とごまかしておく。
「それで、先輩のところの話なんですけどぉ――」
それから更に30分後、やっと私の戦略会議が始まった。
○
ルーク視点。
俺は言いつけ通り、スーパーにいって、いつも通り夕食を作ってレイラの帰りを待っていた。
六時。
この日だけはいつも早く帰ってくる。帰ってきた彼女は顔色が悪く――どこか思いつめたような顔をしていた。
俺が問いかけるよりも先に、
「外に出ていて欲しい。……2時間くらい」
と言われてしまった。
夕方の公園に人気は多い。
俺は相変わらず物干しざおを持って公園をうろつくが――。
俺が素振りをしても、もはや通報などされない。なんせみんな顔見知りだから。俺を見つけかけよってくる子供たちとボール遊びをして、時間を過ごした。
定刻になり、俺は帰宅の途につく。
扉を開け――ようとすると、鍵が閉まっている。
……おかしい。今までにこんなことはなかった。
チャイムを鳴らし、「俺だ、帰ったぞー」と、中に居るレイラに声をかける。嫌な予感がする。誰かが来たのか? 何かがあったのか? ……不安ばかりが膨らんでいく。
「おか、おかえりなさい」
扉を開けて顔だけ出したレイラは、顔が真赤だ。……やはり尋常じゃない。この世界に適応した俺らは治癒魔法で常に健康体で居られる。風邪をひいても一瞬で治せる。そんな彼女がこんな高熱を出すなんて、これは病気ではなく呪いの類では――。
俺が扉を開け、玄関に入り、絶句した。
「お、おかえりなさい。こと、ことしのプレゼントは、その、私、その、
食べてください!」
そういって。
下着姿にエプロンドレス、全体的にリボンを結ぶ、という扇情的な格好をした彼女は俺に抱き着いてきた。
「レイラ」
「な、なに?
こ、こういうのいやだった?
会社の後輩にすすめられたんだけど……」
最高にグッドな後輩を持ったな。
俺は顔も名前も知らないそいつに、親指を立てた。
「二人目を作ろう」
「まだ一人目も生まれてないのに――って」
俺は我慢しきれなくなって彼女の身体をお姫様だっこで抱え上げ――。
ちょうどその時――。
ピンポーンとチャイムが鳴る。
最低のタイミングだ。
狸寝入りを決め込もうかと悩んだが――、外から聞こえる女性の声に、レイラは聞き覚えがあるらしい。「後輩だ。……何か急ぎかな」と、ガチャリと扉を開けた。
そこになだれこんでくる、女、女、女。彼女たちは一様に紙袋を持っていた。
「せんぱー……、きゃーーー、なんてかっこうしてるんですか!」
「きゃっ」
言われてレイラは身体を隠す。
「ってことは成功? 成功だったんですね! やりましたね!」
「ま、まあ。お前らが帰ってくれれば、言うことなしなんだけど……」
「こいつは失礼! ハッピーバレンタイン!
ってそれだけじゃなくて、私たちからもプレゼントがあります!
準備!」
連中はそろって紙袋をレイラに捧げだした。
「これ、私たちからです!
いつもお世話になってます!
先輩のこと大好きです! あこがれてます!」
「え? あ、ああ……」
「部長からも入ってます! あとでゆっくり食べてくださいね!」
そう言い残して。
彼女たちは嵐のように去っていった。
彼女の人気には少し嫉妬した。
それから今年の彼女のチョコは「おいしくて、楽だから」という理由で市販のチョコになったことに、俺は人知れず涙した。ま、確かにおいしいんだけどさ。その……ね? 愛とか手間って……その。まあ、推し量るようなものでもないんだけど。別に去年のチョコがまずかったわけでも、嫌だったわけでもないから。
それから魔王さま、目をぎらつかせて食い入るようにチョコを見てますけど、先に夕食を食べてからですよ。
さ、ごはんですよ、魔王さま。
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