冬 ~winter events~
バレンタインですよ、魔王さま ~恋人編~
バレンタインだよ、魔王さま。
恋人編。
○
「バレンタインというものがあるらしい」
「へえ」
切り出したのは彼女レイラからだった。この頃すっかり俗世に染まった彼女は腰ほど伸ばしていた髪ばっさりを肩で切りそろえ、そのまま店員に勧められるままにパーマをかけたらしい。元がよいので何をしても似合うのだが、それを口にするのはちょっと……何か負けたようで恥ずかしい。
「それで、どうしたんです。食べたいんですか、チョコ」
「……そうじゃなくって。食べたいけど」
ならばどうだというのだ。俺が彼女の真意を問いただす前に、彼女はぐっと唇を噛んで押し黙ってしまう。言いたいことがあるなら言えばいいのに。とても「常勝魔王」と恐れられていた女と同一人物だとは思えない。
もっとも、バレンタインに関しては知っていた。彼女が働いているあいだ、スーパ―で「バレンタイン」と書かれた一画が合ったからだ。流れでなじみの店員さんに質問すると、「女の子が好きな子にチョコをあげるイベントよ」と教えてくれた。なるほど。好きな相手に供物をささげる文化は、俺が前居た世界にも存在した。その時は希少なものを要求されたものだ。火山口に住むマッドドラゴンの鱗だとか、海の奥深くに潜む巨大なイカ、スクロウテイルの嘴だとか。ほうほうの体で手に入れて、まあほとんどが命を落としていたが、贈り物をしていたなあ。
などと昔を思い出し。
俺はふと思い当る。
彼女も、同じことを要求しているのでは?
俺に「魔界に潜む、100年に1度しか現れない金属スライムの目玉」や「地を覆いつくすほどの大きさもある巨大翼竜のしっぽ」とかを要求しているのではないか?
無理だそんなの。前者はまず俺が生きているうちに出会うことはできないし、後者は一人では退治できない。パーティを組もうにも「恋人にその……あげたくて……てへ」という理由で命を懸けてくれる馬鹿がどこに居るだろう? 居るとしたら、ありがたい話だが頭を疑ってしまう。……実に申し訳ない話だが。
無理難題を言いつけられるのだ。
俺は戦慄した――。
頼るべき相棒「流星剣」も今ではただの物干しざおになっている。伸縮自在であるという彼の特技はこの世界でも生きているが―-すっかり汚れと水気で錆ついてしまった。もっともそれは俺自身の腕も他ならない。もし断ったり、失敗すれば――俺と魔王(彼女)との戦いの火ぶたは再び切って落とされるに違いない……。
「そう。知らないならいいや――」
そういって彼女は意外にも。
あっさりと踵を返し、会社へと向かったのだった。
その背中はどこか寂しそうでもあった。
○
彼女が甘党である、と知ったのはこの世界にきてからだった。……無論、前の世界では互いが互いを憎しみ合う関係だったわけで、食事の席を同じくしたことなどなかったが。
聞けば彼女をはじめ、魔族の食事はずいぶんとひどいらしい。彼女たちはもちろん人の憎悪などというファンタジックなものを食べているわけではなく、「魔力のこもった食事が必要」という多少ファジーな領域で固定されているが。彼女の住んでいた魔界の土地には基本的な栄養がなかったとみえ、草とか木、果実なんてものは存在しないらしい。だから彼女たちはいつも「魔力を大気から直接取り込む 幻視クラゲ」とか、そんなものばかりを口にしていた。ま、人間界でいえば植物だな。自然から直接エネルギーを取り入れることができる存在ばかりを食べてたってことだ。味のほうは推して知るべし、生臭さと歯ごたえのなさ、それから人々の怨嗟(これは彼女の弁だが)が口いっぱいに広がるようだと言っていた。
そんな彼女だから、ケーキを食べたときの感動もひとしおだった。スプーンで一口。それほど甘味が凝集されたものを口にしたことがなかったのだろう。口からよだれが洪水のごとくあふれ出ると、それを一心不乱にケーキをかきこみ、そして最後に、泣いた。
「お前らはずるい」、と。
「こんなにおいしいものがあるのを何故教えなかった」
「自分たちばかり独占して」
「……とにかく、ずるい」
「作れ」
別に俺が独占したわけでも専売特許なわけでもなかったからその理屈は少しずれているけれど――、まあ彼女が喜んでくれるならなんだっていい。俺も不器用なほうではないから、と彼女のリクエストに合わせて種々さまざまなケーキを自作した。
「モンブラ!? これは栗の味が……広がる! 口に!」
「ティラミス! 黒くて茶色くて! 甘味が……苦味も甘い!」
「お前のつくる生クリームがうまい!」
と、一喜一憂する彼女を見ているのが楽しくて。
俺は今朝の気落ちした彼女を思い出す。
何か嫌なことがあったのだろうか? ここの家賃も食費も――生活費すべてをまかなっているのは、彼女だった。世話になっている彼女に礼をしたい。それは勇者とかではなく――人として当然のことだと思うから。
だから。
「よし!」
俺は自分自身に声をかけて気合を入れると、いそいそと台所に向かった。
目指すは――。
そしてしばらくして。
俺は出来上がったケーキに一人笑みを浮かべ、
「あ、夕食の材料ないんだった」
と、スーパーへと向かうことにした。
○
卵が安かった。
……牛乳はいつも通りだ。レイラの指定で常に低脂肪乳を買わされているが、正直味の違いがよく分からない。ほっそりとして、出るところは出ているレイラのスタイルで、何を気にしているのかも分からない。「お前ら人間は……細いほうが好みなのだろう」と、彼女は言っていた。おそらく昨今見ているテレビの影響だろう。人には好みってのがあって、それに本人にもちょうどいい体重ってのがあるんです、と俺は反論したが「お前はいつもそうやって嘘をつく! 世辞を言っているのが見え見えだ」とにべもない。
まあ、無理しなければいいけれど。
そう思いながら俺がアパートの扉を開けると。
そこには珍しく彼女が居た。慌てて時計を見ると、まだ六時。。
彼女は赤い髪を束ね、ピンク色のエプロンを着て(似合わないからやめろと俺は言ったのだが、本人が気に入ったので)、一心不乱に鍋を見つめていた。その手元にちらばっている茶色い――。
「だ、ダメだ!」
レイラは俺が帰ってきたのに気付いて、扉の前に立ちふさがる。
「ま、まだだ」
「何がです」
「察しろ!」
「……無理っす」
「そうだ、卵が切れてたから! 卵を買ってきてくれ!」
「ちょうど今買ってきたところです」
「牛乳が! 低脂肪じゃないとイヤだぞ!」
「そういうと思って、買ってきました」
「……うぐぐ、お前ほど気が利きすぎる馬鹿は居ない!」
それは褒めているのか、それともけなしているのか。
「深海に住むスクロウテイルの嘴を持ってきてくれ!」
最後に彼女はそんなことを言い出した。
嘴を持ってくるか、もしくは二時間したら帰ってきてくれ、と言われ。
俺は久しぶりに流星剣を持ち出して外へ出る。
素振りでもするか?
……。
けれど時刻は夕方。公園には子連れの家族が多い。
一度通報されたことがあったので、それは辞めておく。
なので一人ブランコに座り、きいきいと漕いでやる。
……。
さ、さびしくなんて。
さびしくなんてない。
俺の生きがいであり、仕事でもある料理を奪われて。
いや、強がるのはよそう。
俺に何も言わず、言えず、隠し事をする彼女が。
少しだけ寂しい。
○
定刻になり、帰路へとつく。
扉を開けると、エプロン姿の彼女が出迎えてくれた。
「お帰り。遅かったな」
自分で言い出したのに、遅かったとはこれいかに――。
「……素振りをしてました」
「通報されなかったか?」
「子供と一緒にやったので、大丈夫です」
「なら安心だな。
……ほら、これをみろ!」
ばーん!
という形で俺の目の前に出された茶色く――茶色く? 黒く? 、角が取れてスライム状態になり、皿に盛りつけられた物体を見る。
「チョコだ」
「……チョコですか」
チョコと言われて、初めて合点がいく。そうか、彼女はバレンタインだから、チョコを自作してくれたのだ。見てみれば台所はところどころ失敗のあとが残っているし(誰が掃除すると思っているのだろう)、彼女の顔にも、手にも、茶色い渕がついていた。
「なんだ、嬉しくないか? 嫌いだったか?」
不安げになる彼女を見て。
「いや、嬉しいです。すっごく。
いただきます」
俺はそのチョコを頬張った。
○
後日談。
実は俺も作ったんです、と自作したチョコレートケーキを彼女に見せた。
彼女は顔を真っ赤にして、
「私よりも上手につくるな!」
と叫んだ。
「んじゃ捨てます」
俺は特に自分の作ったものに愛着もないし、それが彼女の気分を害するならと、速攻でゴミ箱に持っていたのだが――。
「いや、それは惜しい」
と彼女は俺の袖をひっぱる。
「うまい! うまい! こんなもの作るな馬鹿! 私がみじめだ!
腹いっぱいケーキが食べれる! うれしい! また太る!
カロリーに気をつけろ馬鹿! 」
と喜びの罵倒をしながら食べる彼女を見て。
俺は彼女の赤い髪を撫でつけた。
バレンタインでしたよ、魔王さま。
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