little things
異世界ですよ魔王さま
「おーい、ごはんだぞ」
某都内にある、2DKのアパート。風呂・トイレは別。電車の線路沿いにあるので、昼間は音がうるさいが、「窓から見える川がきれい」との妻の一言で借りることになったアパートである。今どき珍しくエアコンはついていないがそこは彼女の「冷却魔術」により、快適な夏を過ごせていた。
「うーん、あと、五分」
寝室から聞こえる妻レイラリアの苦しそうな声。いかに凶悪無比な魔王様とはいえ、低血圧な彼女はエンジンがかかるまでに時間がかかる。それとも魔族だから朝とか日光に弱いのだろうか。
「おかあしゃん、ごはん! ごはん!」
寝坊助な母を起こそうと、我が娘のアイリが布団を揺さぶる。その振動につれて「うう」と苦しそうなうめき声が聞こえてくる。
6畳の部屋が2つ。
それから3歳になる娘。
……職は無し。
それが今、「勇者 ルーク・アスタリア」に残された全てだった。
○
結婚を言い出したのは彼女からだった。
……昔のことを少し思い出す。
俺(勇者)とレイラリア(魔王)は互いの全力を出し合い、巨大な光に包まれて――異世界にワープしてしまったようだった。
こっちの世界にきた当初は苦労をした。なんせ着ている服も違う。文化も違う。食べるために獣を狩る必要もなければ、国王も居ないし、魔法を使う必要もないし、……なにせ「戦うべき相手」が居なくなった。レイラリア(魔王)はこっちの世界にきてから毒気を抜かれたのだろう。胸元をはだけた服装をやめ、二本生えてた角を魔法で隠した。そして自称の「妾」を「私」に変えたり、やたらめったら偉そうなしゃべり方を修正したり。彼女なりに努力を繰り返した結果。
俺らの間に絆(愛)が産まれた。
俺には2人の嫁が居たが、元の世界に戻れるアテもない現状では操を立ててもしょうがないだろう。快く彼女の申し出を受け入れた。
彼女は何か負い目があったようで「1035歳だけど……いいか?」と俺に聞いてきた。
それのどこが問題なのか、彼女は(見た目的には)若々しいし、1035年も生きて初めてとはかわいらしい。それを言うと彼女は「魔族的には結婚適齢期なんだ!」と暴れだした。
愛とは過ごした時間じゃなく、密度なのだと俺はどこかで読んだ台詞を彼女の耳元で囁いた。彼女の顔は真っ赤に染まり、俺も久しぶりだから何やら我慢できなくなり、その10か月後、めでたく我が娘が生まれた。
娘が生まれた瞬間、俺は泣いた。ま、自分の子供を見たのは初めてじゃない。勇者と魔王の子供。おそらく世界最強になるだろう。その運命の妙に感動していたのだ。
一方、レイラも泣いていた。初めての自分の娘が無事に生まれたからだろう。もしくは、娘を見て泣いた俺をみて涙ぐんだのかもしれない。
「頼みがある」
レイラは、妊娠してから大分穏やかになった表情を緩ませて、俺に話しかけてきた。
「私より、長生きをしてくれ」
そりゃ無理だぜ魔王さま。あと50年ぐらいすりゃこの世界の平均年齢で、俺は死ぬぜ。
「私はどうすればいい?」
うーん。
そんな顔するなよ。
できるだけ長生きするからさ。
そういって俺と彼女は笑って。
彼女の髪――紅いとも朱いとも緋いとも言える、複雑な色合いと同じ色の、俺が唯一持ってきた魔石で作った結婚指輪を、彼女に渡したのだった。
○
結婚後、3年経ち。
レイラはいっぱしのサラリーマン……否、サラリーウーマンになっていた。俺のもと居た世界とは違い女性進出が叫ばれているらしく、レイラは仕事をするたびに出世していった。
入社当初こそ、分からないことだらけで苦戦をしていたようだが、もとは魔族の王、政治から経済、軍略から内政、人心掌握まで一手に引き受けていた彼女である。基礎的なデータを叩き込んでしまえば、どんな仕事も赤子の手をひねるようなものだった。
営業ということで入社したものの、彼女の相手を立てるような絶妙なトーク、それから前の世界から変わることのない美貌、そしてたまに見せるうっかりミスとその慌てた表情というギャップに、並み居る金持ちは軒並み大口の客となった。
年数を経るごとに業務、原料調達部と出世街道に乗る彼女だが、今だ営業時代にかかわった人とのつながりは切れないらしい。「アイラちゃん愛好会」なる名前で結成された団体があるのだと、とある夕食の時に言っていたなぁ。
「じゃあ、言ってくる」
いつものスーツにヒールのついた靴を履いて。
我らが魔王さまは決戦に向かう時のように、好戦的な笑みを浮かべて。
意気揚々と戦場(仕事場)に向かっていった。
○
一方俺はと言えば。
無職である。
いや、違うよ? 魔王ってのは「魔族の王」って意味で、厳密に言えば職業ではなく種族名みたいなもので、キングドラゴンのキングみたいなものじゃん? 一方俺は「勇者」という「職業」なわけで、当時だって金を……ちゃんと金を……嫁ナーナ・アスタリアからもらっていたわけだから、仕事をしていたことになるはずだ。
断じてヒモではない。
それが俺の見解だった。
けれど、世界は違うらしい。
つい先日の面接の記憶が思い出される。
「君、何歳?」
「25です」
「ふーん……。大学は?」
「行ってません」
「何してたの?」
「えっと世界を……」
「世界旅行? すごいねえ、親が金持ちなのかな」
「世界をちょっと。すくってました」
「え?」
「え?」
「……まあいいや。学校には行ってた?」
「ちょっと、家庭の都合で、行けなくて……」
「そうみたいだね。施設暮らし? なのかな。
ま、それを理由に落とすことはないけどさ―」
そういって、髪を撫でつけた店長は溜息をついて。
「それじゃあ、また連絡します。
入れるようなら、来週からシフト入ってもらうから――」
その後、俺に連絡はない。
「ぱぱああ、泣いてるの?」
アイリは俺の顔が曇ったのを敏感に察して、やさしく涙を拭いてくれた。
「泣いてないよ。これは目にゴミが入っただけなんだ」
「そうなのー?
いたいのいたいの、とんでけ!」
それはこの世界に伝わるおまじないだった。
痛いものを、遠くに飛ばす。
……治癒魔法ではなく、「おまじない」。
正直、合理的ではないと思ったが、俺はその娘のやさしさに感謝して。
今日も今日とて夕食の準備を始めた。
○
「うーーーお、ただいまああああああ」
レイラが帰ってきたのは、夜の八時。
俺はアイリに夕食を食べさせ、風呂に入れ、寝る準備をしていたころだった。
「お疲れ様」
「疲れたよおおお。ちょっと聞いてくれよおお」
レイラはよたよたと部屋の中に入ってくる。
……どこかで怪我をしたようだった。
「ヒール」
俺は彼女の足にふれて、治癒魔法を唱える。白く淡い光が彼女を包み――「サンキュ」と彼女は短く言った。
「大変だった?」
「そりゃあもうよ。
だいたい部長のやろうが、根性がなくて――」
「ごはん食べよう」
「うん」
「今日はお前の好きなショウガ焼きにしたから」
「やったぞ!」
喜びの舞を踊る妻を見て。
ああ、この世界もまんざらでもないなあ、と俺はひとりごちた。
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