5話目

研究所に作ってもらった私の部屋に届いた、人の背を超えるような大きな荷物を見て、オオムラサキは目を丸くした。

「博士、これ何?」

私は答えた。

「黄色粘着板の試作品。アザミウマモチーフとかコナジラミモチーフの害蟲が、引き寄せられてくっついてくれるかと思って」

コナジラミも、アザミウマとそう大きさが変わらない小さな昆虫だ。やはり、植物の汁を吸って植物を弱らせる。幼虫は葉にくっついてあまり動かないが、成虫は大きな羽をはためかせてずいぶん長く飛ぶ。

そしてコナジラミの成虫とアザミウマに特徴的なのが、黄色い色に引き寄せられるということだ。つまり、黄色いネバネバする板を置いておけば、勝手にくっついてくれるというわけである。

「この間のアザミウマモチーフの害蟲相手では、数で押されてインセクトガールだけじゃ無理だったじゃない? もちろんこの板だけでも全滅させるのは無理なんだけど、インセクトガールを投入する前にこれを置いといて、少しでも成虫の数を減らせればと思って」

インセクタイセン内で、いずれ益虫キャラの補助アイテムとして登場させようと思っていたものだ。その考えは、インセクタイセン終了で儚く散ったけれど。

「教授にお礼言っとかなきゃ。こんな大きいのたくさん作ってもらうのに、ずいぶん骨折ってもらったから」

私がそうつぶやくと、オオムラサキは私の腕をとった。

「やっぱり博士はすごいね! ニセモノとは大違いだよ!!」

「ニセモノ?」

私は首を傾げた。

「なに? ニセモノって。ひょっとして、私を騙った人がいるって事?」

「うん、そうだよ、俺が『博士』だーって騒いだ人が、前にいたんだ。私達は、博士じゃないってすぐにわかったけど、教授とか、偉い人たちはすぐわからなくて大変だったみたい」

俺が、ということは男性だろうか。私はオオムラサキに聞いてみた。

「どんな人だったの?」

「うーんとね、博士と同じで、研究所の裏の丘の上にいきなり現れたの。だから博士かと思って近付いたんだけど、私たちには博士じゃないってすぐ分かったし、いばる割に博士ほど私達や害蟲のことに詳しくないし、偉い人たちも『この人は違う』ってそのうちわかったみたい」

「いや、どんな容姿の人かってことを聞きたかったんだけど……まあいいや」

あの丘の上にいきなり現れたということは、やはり現実世界からやってきた人だろうか? 博士を名乗ったということは、インセクタイセンかインセクトガールズをゲームとして知っていた可能性が高いけれど。

首を傾げていると、ノックの音がして、教授が顔を出した。

「御白さん、農協から依頼が来た。コナジラミモチーフらしい害蟲が大量にいるインゲン苗のハウスがあるので、早速、黄色粘着板とインセクトガールの相乗効果をためしてほしいということだ」

「大量にいるんですね。飛ぶ成虫は粘着板で数を減らして、幼虫はインセクトガールで一網打尽にしたいですね」

「なるほど。インセクトガールは誰がいい?」

「そうですね……寄生バチのサバクツヤコバチにオンシツツヤコバチ、捕食性のクロヒョウタンカスミカメにタバコカスミカメ、あとこないだ来てもらったスワルスキーカブリダニにも来てほしいところですね、やっぱり数勝負だと思うんで」

「粘着板があってもそうかい?」

教授は不思議そうに聞いた。

「害蟲の成虫が多いってことは、葉にくっついてる害蟲の卵や幼虫はもっといると思うので……それは粘着板じゃ防除しきれませんし。それと、卵は今言ったインセクトガールでも対処できませんから、卵が孵化する頃を見計らってもう一回インセクトガールをぶつける必要があると思います」

ゲームの設定と、現実にいるコナジラミの生態を思い出しつつ私が言うと、教授は得心したように頷いた。

「なるほど。では、そのように手配してくるよ」

「よろしくお願いします」


黄色粘着板をどのタイミングで使おうか私が試行錯誤していると、オオムラサキが私を呼んだ。

「博士ー、みんな揃ったよー、早く来てー!」

対コナジラミモチーフ害蟲のインセクトガールが揃ったということだろう。

「今行くよ」

私は席を立った。

私を先導するように歩いていくオオムラサキについて、階段を降りて会議室に行くと、まず見覚えのある顔が目に入った。

「二度目まして、スワルスキーカブリダニだよ。博士なら大丈夫だと思うけどスワロフスキーと間違えたらかぶりついてやるよ」

彼女は、よほど名前を間違えられるのがいやらしい。

「なんでスワロフスキーと間違えられたの?」

私が聞くと、スワルスキーはむくれた。

「博士の偽物が間違えたんだよ。それ以来、私の名前をスワロフスキーと間違える奴は信用しないことにしてるんだよ」

「あんまりスワロフスキースワロフスキーって言ってると知ってる人でも間違えそうな気がするけど……まあいいや」

オンシツツヤコバチとサバクツヤコバチは姉妹のようにそっくりな少女二人だったけれど、オンシツツヤコバチのほうは何故かモジモジしていた。

「あの、博士、博士なら知ってると思いますけど、私、シルバーリーフコナジラミの害蟲は少し苦手です……オンシツコナジラミなら大丈夫なんですけど」

コナジラミの主な種はオンシツコナジラミとシルバーリーフコナジラミだ。オンシツツヤコバチは両方に産卵し寄生できるけれど、オンシツコナジラミに対してのほうが寄生効率がよい。インセクタイセンではそういう設定にしたので、彼女はそのことを言っているのだろう。

私は元気づけるように言った。

「大丈夫、苦手って言ってもオンシツコナジラミモチーフの害蟲に比べてってだけで、十分攻撃できるでしょ? それに、今回の害蟲はコナジラミ類ってだけしかわかってなくて、シルバーリーフコナジラミモチーフとは限らないし」

そう言うと、オンシツツヤコバチはホッとした顔をした。

「そ、そうですよね! 私でも十分活躍できますよね!」

サバクツヤコバチがムッとした顔をした。

「私ならどっちが相手でも同じくらい活躍できるんですけどー? 博士、わかってますよね?」

どうもこの二人はライバルらしい。

「もちろん知ってるってば、今回の害蟲相手は数勝負だから相手できる子はどんな子でも集めたの、あ、いや、カスミカメの二人がコナジラミモチーフの害蟲に強いってことは十分わかってるけど」

私がそう言うと、クロヒョウタンカスミカメは、文字通り瓢箪のようなきつく締まったウエストに手を当てて胸を張った。

「ご理解いただけてて何よりですわ」

タバコカスミカメも言った。

「私たち、コナジラミ相手だけでもなく、アザミウマ相手でも活躍できるんですのよ?」

タバコカスミカメはクロヒョウタンとは対象的なスレンダー美人だったけれど、自己顕示欲は同じくらいだと見てよさそうだ。私は頭を掻いた。

「重々承知しております……こないだのアザミウマモチーフの害蟲のときには呼ばなくて悪かったよ」

「分かっていただけてるならよろしくてよ、博士」

「えー、それじゃ顔合わせも済んだので、さっそくインゲン苗作ってる問題のハウスに向かいます。みんな、車乗って」

私の横でずっと話を聞いていたオオムラサキが口を開いた。

「ね、博士、今回も私ついて行っていいよね?」

私はため息をついた。はっきり言ってこの男の娘は秘書的キャラクターで、コナジラミモチーフの害蟲が出るような進んだステージになると、対戦要員としてはお役御免なのだが、常に私にひっついているところからして、止めても止まらないだろう。

「あー……まあ、黄色粘着板にくっつかないようにだけ気をつけてね。体はともかく、その大きな羽がくっついたら、引き剥がすとき千切れちゃってもおかしくないから」

オオムラサキは目をまん丸くした。

「そんなによくくっつくの!?」

「そうでなきゃ害蟲をくっつけようなんてできません」

オオムラサキは怖気づいたような顔をした。

「き、気をつける、気をつけるね……」

私は車のキーを取り出した。

「じゃ、みんな行きましょう。教授が大きい車用意してくれたからね」


コナジラミと言うのは植物の葉の裏に生息するので、コナジラミがついている植物とそうでない植物は一見では見分けにくい。けれど、葉をちょっと触ってやると、驚いた成虫が飛び出すので、すぐにわかる。

といっても、インセクタイセンおよびインセクトガールズに出て来る害蟲はモチーフにしたものより大きいので、コナジラミモチーフの害蟲が付いた葉は、害蟲の重みで垂れ下がっていたが。

私は、まずインセクトガールたちに手伝ってもらって、コナジラミモチーフの害蟲を刺激しないように、そっと黄色粘着版をハウスの出入り口と、ハウス内のあちこちに立てかけた。

「準備はこれでよし! じゃあみんな、葉っぱを傷つけないように、それでいて害蟲の成虫を脅かすように葉っぱに触りつつ害虫の幼虫を探して攻撃してください!」

けっこう複雑な指示だった気がするけれど、ラジャー! と声が響いてインセクトガールたちはハウス中に並んだインゲンの苗に突入した。

現実のコナジラミは白い羽を持っているので、成虫が一斉に飛び立つと視界が真っ白になるけれど、害蟲は例外なく黒色なので、インセクトガールが突入すると視界が真っ黒になった。けれどそれは長く続かず、害蟲の成虫たちは目論見通り黄色粘着板に次々とくっつき、もがくだけになった。

私はガッツポーズをとった。

「よし! いける! 幼虫にかぶりついちゃってください!」

スワルスキーカブリダニが口の周りを黒緑の害蟲の体液で汚しながら答えた。

「もう食べてるよ。三度の食事がおかずなら害蟲は私達の主食だよ」

オンシツツヤコバチもサバクツヤコバチも奮戦しているようだ。クロヒョウタンカスミカメとタバコカスミカメの追い上げもすごい。

害蟲の卵には十分攻撃できないけれど、これは卵が孵化したあと、もう一度同じメンバーを投入すれば大丈夫だろう。私は安心した。

私は安心してしまっていた。黄色粘着板を怖がって、珍しく私にくっつかずハウスの外で待っていたオオムラサキのことをすっかり忘れていた。

だから、ハウスの横の農道に、大きなライトバンがとまって、そこから大きな男が降りてきたのに気付かなかった。

「博士! 博士! 助けて!!」

オオムラサキの悲鳴で、私はやっと気づいた。大きな男が、オオムラサキを羽交い締めにして、車の中に連れ込もうとしている。

「何してる! あんた、やめろ!」

私は叫んでハウスの外に飛び出したけれど、時すでに遅く、オオムラサキは車の中に放り込まれ、車のドアは閉まってエンジンの音高く発車していった。

……誘拐された。

私はそう思った。すぐ警察に連絡しなければと。

けれど、それはとんでもない間違いだった。


「盗難扱いって……誘拐じゃないって、どういうことですか!?」

携帯に向かって私は叫んだ。携帯の向こうの警察は、困り果てた声で言った。

「いえ、ですからね、インセクトガールのオオムラサキはそちらの研究所の所有物なので、まず盗難届を」

「人一人誘拐されてるんですよ!? 盗難届ってどういうことですか!?」

「あの。そのですね……」

警察は言いよどんだ。

「インセクトガールは今、ペットなどの動物と同じ扱いなんです。で、動物は器物と同じ扱いなんですよ。なのでまず盗難届を」

私は自分の顔から血の気が引くのを感じた。インセクタイセンは昆虫をもとにしたキャラクターだった。インセクトガールズはそれに美少女の革を被せただけのものだった。インセクタイセンでは、昆虫キャラたちは頼りになる相棒扱いだったけれど、当然人間と同じ扱いではなかった。そこに美少女の皮をかぶせただけのゲームじゃ、それじゃ……。

私は聞いた。

「モノ扱いって事は、オオムラサキに何かあっても、何かした相手は器物破損しただけの扱いですか」

「……そうなります。心情的な意味で非常に抵抗があるのは分かりますが」

「……わかりました。盗難届はすぐ出します。警察の捜査能力を期待しています」

私は、できるだけ嫌味に聞こえるように言った。


研究所の教授に連絡し、警察で盗難届を出し、状況の聴取が終わり、私は研究所の自分の部屋に戻って頭を抱えた。

私を心配してついてきてくれた教授が言った。

「すまない、御白さん。きちんと説明しておけばよかった。インセクトガールたちは、まだ人としての扱いを受けていないんだ。オオムラサキはうちの研究所の所有で……私自身はあの子に教育を与えて、人間の中でやっていけるようにしたいと思っていたんだが」

それはわかる。窓から出入りするなとオオムラサキに言っていたのも、人としてのマナーを身に着けさせたかったからなのだろう。

私はうめいた。

「でも、でもどうすればいいんですか? あの子見た目はまだ子供で、あんな大きな男相手じゃ何されたって抵抗できな……」

その時、研究所の固定電話が鳴った。私は電話を取った

「はい、もしもし……」

聞こえてきたのは、オオムラサキの声だった。

「博士! 博士! 助けて! 今八本足のちっちゃい害蟲がいる果物畑に……むぐっ」

オオムラサキの口が無理やり抑え込まれたような気配がして、次に野太い男の声がした。

「お前、御白まゆ、だな」

「ちょっと! どうしてオオムラサキをさらったの!オオムラサキを返して!」

騒ぐ私に、野太い声が告げた。

「このガキの羽をもがれたくなければ、『博士』を返上しろ。俺をインセクトガールズの『博士』として認めさせろ」

「ど、どういうこと?」

私の脳裏にひらめくものがあった。私の前に『博士』を名乗っていたという男。インセクトガールたちが言うに、私の偽物。

「あんた、まさか……」

私が何か言おうとする前に電話は切れた。

教授が慌てた声で聞いた。

「犯人からの連絡か!?何だって!?」

「私が、『博士』を名乗るのをやめさせたいみたいです。で、代わりに自分が『博士』だと認めさせろと」

「大事な手がかりだ。すぐ警察に連絡しよう」

私は考えていた。八本足の小さな害蟲。果物畑。

……ハダニだ。

私は言った。

「教授。警察にも連絡しますが、手配してほしいインセクトガールがいます」

「え?」

「ケシハネカクシ。自分の体長の一万倍以上の距離から、ハダニに加害された植物の匂いが感知できるインセクトガールです」

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