第4話 お前とは、潜った修羅場の数が違う③

 ゾクッと背筋が凍った。

 足がしびれるような、手先が冷たいような。

 心臓が変な音を立ててバクバク言ってる。


「本気で言ってる? 加減できないって言ってるのに……」

「お前は確かに強い。だが、慢心しておる」

「慢心できるくらい強いんですよ?」

「お前に知らしめてやろう」


 ドスン。


「かはっ……!」


 重い一撃が私の腹に綺麗に入った。

 見えなかった。

 私は無残にも吹っ飛んでフェンスに背中をぶつけた。

 多分そこで踏ん張らなければフェンスが破れて真っ逆さまに地面に落ちていただろう。


「上には上がいることを」


 スマートに足を下ろした影井さんの顔には女子を蹴飛ばしても罪悪の色はない。

 なるほど、私を女子としては扱ってないということだ……


「やってくれるじゃないですか……」


 ゆらっと体を揺らし、私は体制を整えた。

 けられた場所がずきずき痛むけれど、それでも私は影井さんをにらんで威嚇するのを忘れない。


「なまくらだな」

「なっ……」


 振り向いたときには遅かった。

 私は腕をとられ綺麗に投げられていた。

 ぐるんと体が回る感覚にあっけにとられ、背中から無様に落ちる。


「清村。俺はお前の中にある可能性を見出して懐刀にした。だが、お前はまだ刀にすらなれていない」

「なに……言って……」

「いわば今のお前は可能性を秘めただけの鋼だ。その状態では敵を殴りつけることはできても、斬ることはできんぞ」


 頭に血が上るのを感じた。

 子どもころから負けを知らなかった。

 どんな大人でも私の上を行ける人はいなくて……


 なのに、私はまったく今の二回の影井さんの動きについていけなかった。


「清村。お前は確かに強い。素質もある。だが俺もお前と同じように強く素質がある。ならばお前と俺の違いは何だと思う」

「そんなの……しらないわよ……」


 背中の痛みをこらえて、立ち上がって相手を見上げるのは何と屈辱的だろうか。

 今までこんなことになったためしは一度だってないのに。

 私が……勝てない?


「経験だ」

「経験……?」

「こう見えて俺はお前の歳の頃には何度も死ぬ思いをしてきた。その死ぬような経験が俺をより鋭い刃に変えた。その経験の差を埋めるにはお前も経験をつまねばならぬ」


 その言葉に私は絶望した。

 影井さんはいったいどんな人生を生きてきたのだろうか。

 多分、妖怪とか幽霊と戦ってきたって言うんだから危険は伴っただろう。

 けれど、彼はそれを生き延びることで強さを得たというのだ。

 ひっそりと、自分の力を隠して息を殺して生きてきた私とは違う。


 実力の差は、歴然だ。


「悔しい……」


 私はぐっと奥歯を噛んだ。

 このまま、跪いたまま終わるのは……


 絶対に嫌だ!!


 そう思ったのとほぼ同時だったと思う。

 私は地面を蹴っていた。


「はぁぁぁぁぁあ!!」


 思い切り拳を振り上げて伸ばす。

 けれどもそれはいともたやすく受け止められ、再び私は宙を舞った。


++++++++++++++


 あの後何度も、何度も、何度も殴れど蹴れど影井さんには一撃たりとも届かなかった。

 殴っては投げられ、蹴っては転ばされ。


 最後には、立ち上がることもできないほど私は完膚なきまでに負けてしまった。


「嘘でしょう……強いとは思ってたけど……ここまでって」


 震える声でそういうと目の前に手が差し出された。

 影井さんが表情なく私に手を差し伸べている。

 表情がないのは、何となく私を察してな気がする。

 ここで下手に何か感情を出せば私が激昂するとでも思ったんだろう。


「悔しいなぁ」

「……そうか」


 影井さんの手を取って起き上がると、私は自分の世界の狭さを痛感した。


「井の中の蛙かぁ……」

「井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る」

「え?」


 私の言葉に影井さんが付け足すように空を仰ぎ呟いた。


「その言葉は中国の荘子の言葉だ。が、その言葉に日本人が後に大海を知らずされど空の青さを知る……と付け足したのだ」

「えーっと……どういう意味?」

「元は狭い世界に満足せず見聞を広げろというものだが、別に無理に見聞を広げずとも狭い世界でその道を極めることもできる……ということだ」

「道を……極める」

「蛇足とも取れるが、井の中の蛙大海を知らず、されど空の蒼さを知る。花は散りこみ月は差し込む……と付け加えた者もおったのう」

「あはは、なんだか綺麗だね。何となくわかる気がする」


 私は立ち上がって空を見上げた。


「この緑ヶ丘にも春には花が沢山咲いて、晴れた夜の日は月がとっても綺麗だもの……私は、ここで影井さんの刃としての道を極める……それもいいかな」


 その言葉に影井さんは返事をしなかった。何かを思案しているようで、少し目が寂しそうに見えた。


「影井さん?」

「ん?」

「どうしたの?」

「いや……なんでもない」


 なんでもない、その言葉に私はただ首をかしげているだけだった。

 けれど、聡い影井さんはその場の、今このときのことしか考えていない私よりはるか先のことを考えていた。

 そんなことなんて露知らず、私は無邪気にもっと強くなることを考えていたのだった。


「次は絶対負けないから」

「……そうだな、お前が本気を出せばいい勝負かもしれん」

「え? 私、十分本気だけど……?」

「潜在的なもののほうだ」


 時々影井さんの言葉は難しい。

 でも、私の知らない世界を知っていて知らないことを沢山知ってる。

 だから、彼への憧れはとても強いものになっていった。


「勉強だけじゃなくて、戦い方も教えてもらわないとかなぁ」

「ほう、俺の訓練についてこれるならば、かまわんぞ?」


 あまりにドス黒い笑みを浮かべるから、私はヒクヒク頬肉を引きつらせてしまった。

 でも、あれだけ強くなるってことはそうなるだけの訓練はつんできてるはずだ。

 その世界を少し知ってみたいと思ってしまった私は馬鹿だなって思う。


「しかしのう……お前の心に変化が訪れない限りは、これから先も武器はバーベキューの串だろうな」

「ええー……あれでも戦えないわけじゃないけど、そもそも武器じゃない!!」

「そうだ、あれは武器ではない。だからこそ、お前が一番扱える武器を俺は知りたい」


 その言葉に目を見開く。

 一番扱える……武器。


「………」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る