第4話 お前とは、潜った修羅場の数が違う②

「よ、よう! ちょっと、教科書忘れちまって……科学、もってねぇ?」


 目が泳ぎまくってる。

 さっきの話、聞いてたんだろうな……


「悪いけど、私教科書基本ないから。借りたいなら賀茂さんに借りてくれる? 彼女とっても親切だから」


 私がそう言って星弥の横をすり抜けると、星弥は「ちょ、ちょっと待てよ」と私の手を掴もうとした。


「触らないで」


 少し、いやな記憶を引っ張り出されたせいか不機嫌だった私は冷たくそういった。

 星弥の手がピタリと止まる。


「聞いてたなら……やめてくれないかな、そういうの」

「で、でも……だけど!」

「誤解されてこれ以上学校生活の邪魔をされたくないの」

「じゃあ、俺の気持ちはどうなるんだよ!!」


 星弥が荒っぽくそういうと、どこかで何かが「ブツッ」とキレる音がした。


 ―――――――ガンッ!! ドカン!!!


 思い切りロッカーを殴ると、ロッカーの扉が、ガコッという音を立てて外れ地面に落ちた。

 その様子を周囲の廊下を歩いていた子たちも、星弥も唖然として見ていた。


「知らないわよ、そんなの!!!!!!」


 その叫び声に、星弥はビクッとして二、三歩後ろに下がった。


「もういい、とにかくそういうことだから。じゃーね」


 私はそのまま教室に戻る気をすっかりなくしてしまった。

 どうしたものかと、こっそり学内を回ってみたけれど情報の授業が立て込んでて、情報教室を通らないと入ることができない情報準備室にはとても入っていけるような空気ではなかった。

 私は一箇所居場所を奪われた気分だった。

 仕方なく屋上に入って大きなため息をついた。


「はぁ……何イライラしてるんだろ」


 別に、あの子たちが何をしてきたって私には関係ないはずだった。

 なのに、なんだろうかこの酷いイラつきは。


「だから言ったであろう。強者であってもストレスは溜まる、と」

「影井さん……」


 ふと目をやると、入り口がある建物の影に彼は立っていた。

 多分、入ってきた音が聞こえなかったから先に来ていたんだろう。

 不覚、気がつかなかったなんて。


「どんなに強者であろうと、自分の生命活動に著しく害を与えるならば対象を排除しようとするのは当然のことだと思うがのう」

「………」

「弱者も、束になればときに強者となる。あまり見下さんことだ」


 わかってる。

 影井さんのいうことはもっともだ。

 どんなに強い者でも、学校や会社……いや、地域だって、国だって、ひとつの箱庭となりうる場所に放り込まれれば群れになった弱者に殺される可能性は大いにある。


 それでも、私は負けられない。

 負けてしまえば、ここまで苦労をした両親の努力を無駄にしてしまう。

 何とかどんな結果でも学校だけは卒業しないと。


 小さな焦燥感が私を余計にイライラさせた。


「清村、お前は俺のものになったのだから、ひとつ聞いておこう」

「え……?」

「お前はどうしたい。そしてこの先どうなりたい?」

「……!」


 とても困ることを聞かれた。

 私は……今を生きることで精一杯だ。

 未来なんて考えてもいなかった。


「わかんない……」

「どうなりたい、というのすらないのか?」


 どうなりたい、ときかれると案外大層な希望が自分にないことを思い知る。


「普通に生活がしたい」

「ほう、お前の言う普通とはどんなものだ?」

「………」


 私はぎゅっと目をつぶった。

 影井さんの顔が近い。ドキドキしているのはきっとそのせい。


「……教科書に落書きされなくて、上履きに納豆入れられなくて、机にカエルや生ごみが乗ってない学校生活を送りながら、影井さんの刃として戦いたい」


 頭にスッと手が乗せられて、思わず顔を上げると影井さんは珍しく眉を下げていた。

 同情とは違う。でも、なんだかどこかもの悲しげで、それでいて優しい顔だ。


「そうだな。でもそれだけか?」

「……友だちが、ほしい」


 影井さんはそのかすかな声を聞き逃さなかったのだろう。

 その瞬間私をぎゅっと抱きしめて、背中をなだめるように撫でてくれた。


「お前がそれを望むなら、俺がお前にそれを必ず与えてやる」

「え……? 普通の生活と、友だちを?」

「友の方は、お前の努力次第だが、きっかけくらいはくれてやれる」

「でも、普通の生活なんて……賀茂のお嬢様相手にはきっと無理だよ」

「俺を誰だと思っておる。自分の懐刀を幸せに導くのも勤めのひとつだ」


 抱きしめられるぬくもりに、私は思わず相手の肩に顔をうずめる。

 一人で平気だって思うようにしていた。

 私は強いから一人で大丈夫。

 誰がいなくてもがんばれるし、弱いやつのすることなんて気にしないって。


 でも、無理だった。


 徐々に徐々に心が黒く染まることに気づいてた。

 私にとってそれが一番のストレスだった。

 この黒い淀みが私の心を包んで支配したら……


 私の視界はまた赤に染まるのだろう。


「私……強いから平気なんだよ……? 普通にしてるのが、一番お父さんとお母さんのためだから……」


 よしよし、と背中を撫でられると、びっくりするくらい言葉がするする出てくる。


「だから嫌なことがあっても我慢できるの。我慢しなきゃいけないの、私は強いから……」


 自分は強いんだ、そう自分に言い聞かせることで私は必死に何もかもに耐えてきた。

 昔、石を投げられたときだって我慢できた。私は強かったから。

 今、どんな嫌がらせを受けても我慢できてる。だって私は強いから。


「お前の強さはまるで鎧だのう」

「鎧……?」

「そうだ。屈強な鎧だ。どんな攻撃も通さぬ鎧……だが、その屈強さ故に身動きが取れなくなっておる」

「………」


 だって仕方がないじゃない。

 周囲が攻撃を仕掛けてくるならば、私はそれを防がなきゃいけない。

 でも、守りを固めれば固めるほど、私は身動きが取れなくなる。

 重い鎧に手もあがらなければ、足も前に踏み出せない。

 まるで生きた屍だ。


「清村、その鎧を脱ぎ捨てろ。お前の強さは鎧であるべきではない」

「なに……言って……」

「お前のことは俺が守る。だから、お前の強さは俺の刃として生かせといっているのだ」

「刃……」

「お前がこの間、俺の力を使ってまでバーベキューの串しか召喚できなかったことを考えておった」


 それは先日の体育倉庫での話しだ。

 野球部員の怨霊を倒したとき、私が影井さんの懐刀として召喚した武器はバーベキューの串。

 それでも敵が倒せたのはいいけれど、流石にあれは懐刀としての本質ではないのだろう。


「本来ならばお前が扱うに最もふさわしい武器が出るはずなのだ。だが、お前の心が全力を出すことを拒んでおる……」

「それは……」

「お前がどれだけの力を持っておるか、計り知れんが……俺の武器となった今、その力を抑える必要はない」


 そういわれても、やっぱり怖いものは怖い。

 強い力を扱いきれるだけの器量が私にあるかはわからない。


「殴るのは得意だよ。でも、加減ができない……だから、拳を振り上げることを我慢する以外に私は手段をしらないの」

「清村」


 影井さんは私を離して立たせた。

 そしてスッと身構える。


「え……?」

「本当の刃の強さを見せてやる。かかってこい」

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