第4話 お前とは、潜った修羅場の数が違う①

 生ゴミかぁ。


 私は自分の机をマジマジと見つめた。

 どこから持ってきたかわからないけど、しなびた野菜や魚の頭、諸諸々。

 悪臭が私の机から漂ってくる。

 周囲のクラスメイトもヒソヒソしながら眉を潜めていた。


 つーか、明らかにこれはないだろって思ってるのに何も言えないって顔だ。

 この弱者どもめ、何もできない、言えないなら黙っとけ。


 私は自分のバッグに入れていたビニール袋を広げてその中に生ゴミを素手で突っ込み始めた。


「げぇ、清村の奴生ゴミ素手で掴んでやがる」

「やだやだ、あんな汚いものよく素手で触れるわね。ねー深散さん!」

「………」


 賀茂のお嬢様は取り巻き二人をはべらせて今日も私をひたすらに睨んでいる。

 何も言ってこない相手の存在は私も無視するし、取り巻き二人も別に相手にするほどの奴じゃない。

 どの道私は今この現状をどうにかしなきゃならないわけだし。


「どっちが考えるんだか。ホント毎回クソ陰険よね」


 小さく呟きながらも生ゴミの処理を終えると、私はその場からゴミ箱に生ゴミを投げ入れた。

 結構な距離があったけれど、ストンっと吸い込まれるように生ゴミの袋はゴミ箱に入る。

 その光景に「おお」と小さい声はあがるけど、お前ら少し黙ってろ。


「さーて、拭いておかないとね。どうしたものか」


 そう思った瞬間だった。

 すっとかわいらしい花柄のハンカチが目の前に差し出される。

 おかしいな、と思って顔を上げるとにっこり笑顔の影井さんが立っている。


 胡散臭せぇ。


「茅場さんがこれを貸してくれるって。ふふ、よかったね、綺麗なハンカチだし雑巾で拭くよりいいと思うよ」

「はぁ?」


 私は思わず顔をしかめた。

 奥にいる茅場は「え、そんなつもりじゃ、え?」って困惑した顔で言ってる。


 ああ、なるほど、影井さんの胡散臭い笑顔にだまされたのか。

 素的な笑顔で「ねぇ、ハンカチかしてくれない?」って言われて「ア、ハイ」ってね。

 わかりやすいけど、この影井さんの行動には呆れてしまった。


 私がハンカチを受け取ると後ろの茅場は「ちょ、やめてよ!!」って叫んでる。

 ため息しか出てこない、何でこんな茶番に付き合わなきゃいけないの。


 手に持ったハンカチを茅場のほうに投げてやると、茅場は「え?」って顔でそれを受け取る。


「影井さん、性格悪いよ」

「なんで? 悪いのは生ゴミを置いた彼女たちだろ?」

「でも、だからってやり返したらあいつらと同じ土俵に立っちゃうじゃない。嫌よ、そんなの」


 私はお嬢様たちのほうを一瞥する。

 なんていうかすごい悔しげにこっちを睨むお嬢様に私は何となく言葉をかけてみたくなった。


「ねぇ賀茂さん」

「……!」

「黙って睨んでないで、言いたいことがあれば言えばいいじゃん」

「なっ……」


 その言葉にお嬢様はびっくりしたように目を見開く。

 私は口角を上げて笑って言う。


「何も言わないで嫌がらせ続けられても私は何も察せないよ? その可愛いお口で私に対する不満ぶつけてくればいいじゃない」

「てめぇ! 深散さんに気安く話しかけるんじゃねぇよ!!」

「お前、うるさい」

「は?」

「私は今、あんたじゃなくて賀茂さんと話してるの」

「何生意気いって……!!」


 志藤が今にも私に掴みかかりそうになるのを、賀茂さんが制した。


「清村さん」

「なぁに?」

「あなた、もう学校に来ないでくださいまし」

「そりゃまた随分な要求だこと。私に二時間以上かけて外の学校に通えと?」

「そこの影井くんのように下宿でもなさったら?」


 ほらね、こうなるから私には関わってほしくなかったんだ。

 チラッと影井さんを一瞥すると、涼しい顔で彼もまたお嬢様を見ている。


「申し訳ないけどうちにはうちの事情ってもんがあるの。私はこの町を出て行く気はないよ」

「あなたのご実家……株式会社清村製菓。ここが桜ヶ丘だった時代からの老舗と伺っておりますわ。経済面がそんなに苦しいとは思えませんけれど」


 残念ながら、私がここから出て行く気がないのはお金の問題じゃない。

 彼女の言うとおり、お父さんが後を継ぐ予定の清村製菓はそれなりに繁盛はしてる。

 何故かうちのお店にはお弟子さんがたくさんいて、和菓子のノウハウを外から学びにくる人までいる。

 だから、私はいつだって留守番。それが私の仕事だから。


 でも知ってる。

 本当はお父さんもお母さんも極力私を外に出すまいと気を使ってくれている。

 私自身を守るために。


「お父様には言われてますのよ。何があっても清村製菓の娘にだけは手を出すな、と」


 なるほど、その忠告はごもっともだ。

 うちの製菓店はただの老舗じゃあない。

 賀茂のお嬢様に目を付けられてこの程度で済んでいるのはまさにうち実家に理由がある。


 賀茂家は緑ヶ丘の復興に貢献してはいるけれどあくまで外の人間だ。

 逆にお父さんの家系はこの地域の地主だった。

 この地域に住んでる人たちは大体がうちから土地を買って住んでいる。

 しかも貧しい人たちにも分け隔てなく格安の価格で土地を切り売りした結果できたのが桜ヶ丘。

 人がいなけりゃ町は廃れる、それを信条に大昔からうちの家系では人材は人財と呼んで大事にしてきた。


 ま、茅場や志藤はおじいちゃんがこんなに土地なんかいらんっていって町の反映のために仲介業者に格安で売りに出した土地を親の代に外から買ってこの土地に来た人間だし知らなくても仕方ない。

 そして最近はそういう人も増えてきたし、私も大声でそれを言わないから知ってる人は少ない。

 でも、近所のおばちゃんたちとかは割りと私や両親への態度が他と違うのは知ってる。


 清村のおじいちゃんとか割かし厳しい人だしね。

 賀茂のお嬢様が絡んでなかったら志藤や茅場は村八分の可能性も高い。


「そこまで言われてて私に出て行けっていえるあんたはすごいと思うわ」

「わかるでしょう? あなたがいなければ……」

「私がいようがいなかろうが、ただ見てるだけで星弥が手に入るって思ってるならそれは傲慢よ」


 その言葉にお嬢様は目を俄かに見開く。


「私はこれでも星弥を遠ざける努力はさせてもらってるわよ。ついでにいうと、星弥のことは幼馴染以上の何者とも思ってないしこの先それが変わることは絶対にない」

「なっ……そんなこと、どうして言い切れるんですの!」

「弱者だから」

「は?」


 お嬢様の言葉に私はきっぱりと答えた。

 そう、私が相手を一番異性としてみる基準はそこなのだ。


「私、いつだって自分と同等かそれ以上の男にしか興味ないの。私に殴られて気絶するような男は絶対に好きにはならないわ」

「あ、あなた……何様……」

「強者様」


 唖然とするお嬢様を見て私はため息をつく。


「もういいわ。私が言いたいことは伝えたし。これ以上続けると、そろそろ強者様の永遠にも近い仏の顔が阿修羅に変わるからいい加減にしてよね」

「ちょっと待ちなさい!!」


 私が雑巾を取りに教室の外へ出ようとすると、お嬢様が珍しく私の手を掴んだ。


「どうして……」

「……?」

「どうしてあなたは折れないんですの? 私がここまでのことをして、言ってどうして怯えないんですの! 平気なんですの!!」

「本当に怖いことは、傷つけられることじゃないからよ」

「え……」


 私は思い出していた。

 真っ赤な記憶。


 夕焼け小焼けで日が暮れて。

 山のお寺の鐘が鳴る。


 でも、お手手繋いで帰る子は、なぜか血溜りに沈んでた。

 烏がその様子を嘲笑ってた。


「一度、傷つけてしまえばそのレッテルはずっとついて回ってくる……」

「……?」

「あんたも、こんなことばっかりやってるとそのうち消えないレッテルに苦しむことになるわよ」


 そう言って私は賀茂のお嬢様の手を振り払った。

 向こうは何か言いたげだったけれど、私が聞く耳を持たない空気に気づいていたのか押し黙ったままだった。


 ふと教室のドアの前に立つと、私は目を見開く。

 そこには先ほどまで話題だった人物……星弥がいた。

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