第1話 物語は納豆入りシューズから始まる④

「やっぱりさ、私には関わらないでよ」


 髪の毛から指をスルッとはなして眉を下げて言うと、影井さんは


「嫌だけど?」


 って今度ははっきり言い返してきた。


「なんでそんなに私にこだわるの? 影井さんなら他にも……」

「祇園精舎の鐘の声」

「へ?」

「続きは?」


 唐突に言われて私は目を白黒させる。


「しょ、しょぎょうむじょうのひびきあり!」

「沙羅双樹の花の色?」

「ぎょ、ぎょ……ぎょー……行商のおじさんが今日売ってるのは大根……」


 全然わからなくて途中から適当に言ってみたけど恥ずかしくて尻すぼみになる。

 するとまた影井さんはくくっと笑いを堪えて言った。


「ぎょ、しかあってないよ」

「悪かったわね、馬鹿で!!」


 ムッとして言い返すと、影井さんはふと切なげな視線で私を見た。

 その視線があまりに切なくて、私はぐっと息を詰まらせてしまった。


「盛者必衰のことわりをあらはす。奢れる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ……」


 ぽんっと影井さんは私の頭に手を乗せた。

 普段なら、他人に触れさせることなんて絶対許さないのに。

 なのに、避けることも振り払うことも出来なかった。


 それは、偏に影井さんに隙がなかったのか。

 あるいは、私が避けたくなかったのか……


「よそ者の俺に最初によくしてくれた唯一の人が清村さんだったから、俺は嬉しかったよ」


 頭から手を離した影井さんはふっと微笑んだ。

 やっぱり、作り物っぽくてもやっとする。

 と、同時に影井さんの本当の顔を見てみたいなんて馬鹿な欲求も湧き出てくる。


「それは……高校生なのに一人でこんな偏狭の地での生活って大変だろうなって……」

「それはみんなが安易に予想のつくことだろ? でも、そう思って手を差し伸べてくれたのは君だけだよ」


 影井さんは、私がしたちょっとしたお節介を喜んでくれていたのだろう。

 確かに、今となっては彼はイケメンで優しくて理想の王子様像だからモテモテだ。

 でも入学当初はおかっぱ頭のよそ者の変わり者として遠巻きにされてた。


 なんか、嫌な田舎根性だなって思ってたまに、うざったくならないように声をかけていた。

 あの頃は席が目の前だったのもあったし。


「だから、今君が大変なら俺は清村さんに手を差し伸べたい」

「………」


 私が胸の前でぎゅっと手を握ったときだった。


『……して……こ……して……』

「!?」


 声が聞こえた。

 地の底から這い出てきたゾンビみたいな、恨めしい声だ。

 かすれていて、消え入りそうだったけど、確かに聞こえた。


「誰!?」


 私が小さく叫ぶと、目の前の地面が揺れた。

 そして黒い歪が現れたと思うと、そこから手がにゅっと伸びてきた。


「な……!?」


 思わぬ事態に私は体が凍りついた。

 変な空気、それこそ殺気が渦巻きすぎて全身切り裂かれてしまいそうなほどだった。


「清村!!」

「え!?」


 突然体を抱かれたと思ったら、ばたりと地面に倒れたのがわかった。

 混乱した頭で見れば、影井さんが私をぎゅっと抱きしめて地面に伏せている。

 その腕からは血が流れていた。


「か、影井さん!? 腕!! 血!!」

「大丈夫だ……かすっただけだよ」


 ほら、嘘だ。

 笑ってるけど、額に脂汗かいてる。

 血だってだくだくに出てるじゃん。


 私はそれを見て、影井さんの腕から離れた。

 影井さんに怪我を負わせたであろう相手は、腕をだらんとした状態で俯いている。

 でもその頭の形が完全におかしい。

 べっこり潰れて半分ない状態だ。


 ああ、これが幽霊高校たる由縁か。

 校長先生、何が無闇に怖がるなよ。

 あれ、完全にこっちを殺す気満々じゃない。


「影井さん」

「……?」

「庇ってくれてありがとね。後は任せて」

「何言って……!」


 だらりと頭を垂れる相手に対峙した。

 やっばい、すごい怖い。

 人生初の心霊体験は人を殺す気満々の頭が潰れた幽霊だ。


 普通の心霊番組とかならここで「いやぁぁぁぁぁ!」って叫び入ってブラックアウト。

 その後のことはうやむやっていうのが割りとオーソドックスな流れなんだけど。

 現実は私と影井さんの人生がブラックアウトされても困るから、ここは何とかするしかない。


 それにしたって放たれる殺気が半端じゃない。

 私の神経までピリピリするのがよくわかる。


「清村さん! 駄目だ、そいつは悪霊どころの話じゃない、怨霊になりかけて……」

「黙ってて」


 私はピリピリした空気の中我慢が出来なくなって思わず影井さんの言葉をさえぎった。

 一瞬影井さんを睨むように見下ろして腹に溜まった言葉を吐き出す。


「その全部作り物みたいなしゃべりやしぐさ、気持ち悪いからさ。やめなくていいから今だけ口閉じて開かないでくれるかな……集中できない」

「………」


 私の言葉に影井さんは素直に黙ってくれた。

 お陰様で、相手としっかり対峙できそうだ。


「さて、あんた。何が目的?」

『……して……ころ、して……』

「殺して? もうとっくに死んでるのに何言ってんの?」

『殺してやる!!!!!!!!!!』

「そっちかい!!!!!!!!!!」


 くわっと血だらけの頭を上げた幽霊に私は思わず突っ込んでしまった。

 いや、待ってそうじゃない。

 とりあえず何か、何か武器!!!!!


 私は飛び掛ってきた幽霊をひらっとかわしてきょろきょろと周囲を見回した。


 っていうか幽霊爪長。かろうじて残ってる髪の毛見た限り金髪だし、ネイル気合入ってるしギャルか?

 ちょっと待って、校長先生。

 この人確実に近年亡くなってます、五十年前に海に沈んだ人じゃない!!!


「くっそ、竹刀持ってればなぁ……」


 私はたまたま廃材がまとめてあった場所に目を付けた。

 細い長い鉄パイプの棒がある。これならなんとか……


 急いでそれを拾って私は棒を構えた。

 棒術はあんまり自信ないけど、素手で殴るよりかはいい、と思う。


『うわぁぁぁぁあぁあああ!! 殺してやる!! 殺してやるぅぅぅ!!』

「うるっさいわね!! いきなり沸いて出てきて喚いてんじゃないわよ!!」


 長い棒をぶんっとフルスイングすると、相手は『ぎゃっ』と小さな声を上げて吹っ飛ぶ。


「喧嘩売る相手を間違わないでよね。私は強者なんだから」


 そう言い私は再び棒を構える。


「って、あれ。幽霊って物理攻撃効くんだ?」


 ふとそんな独り言を言っていると、幽霊もまたふらりと立ち上がる。

 元から血だらけだったけど、吹っ飛んだら余計に出血しだしてえらいことになってた。


『くぞぉぉぉぉ……お前らを殺して、私は、成仏、するんだぁぁぁ……』

「はぁ……?」


 わけのわからないことを言う幽霊に私は吐き捨てるように言った。


「自分が成仏したいがために他人の命を犠牲にするなんて、ろくでもないわね」


 その言葉と共に私は地面を蹴り相手の正面にスッと体勢を低くして着地したまま、激しい突きを繰り出した。

 幽霊は元々崩れかけた体が、激しい突きによって更に崩れていく。

 影井さんを切り裂いたであろう爪もボロッと地面に落ち、腕や足がもげたり折れたりした。

 トドメに腹に蹴りをいれると、吹っ飛びながらその体はあっさり崩れた。


『ぎゃあああああああ!! くそぉ!! くそぉぉぉ!!』


 それでもまだ消えやしないし、肉片みたいになってもずり這いでこっちに寄ってこようとする。

 流石に荒めのミンチにしても動いてる幽霊の対処方法は思い浮かばない。


「清村!! 伏せろ!!!」

「!?」


 声と同時に私は反射的に伏せた。

 視線を上にやれば、黒いもやのようなものがとぐろを巻いている。

 肌がビリビリする。なんだか触れただけでどうにかなりそうな恐ろしい気配だ。


「な、何これ!!!」

「まさかこんなにも簡単に霊態になってくれるとはのう」

「へ?」


 声のほうを見ればそこには腕から血を流した影井さんが立っていた。


「影井さん、何やってるの!!! 危ないって!!」

「清村、ようここまで相手を伸してくれた。後は俺に任せろ」

「え……影井……さん?」


 私の戸惑いなど意に介さないように、彼はポケットからお札を取り出した。

 それを顔の前に持ってくると、フッと息を吹きかけて黒いもやのほうに飛ばす。

 まるでお札は意思が宿ったように黒いもやの中に吸い込まれていった。


「朱・玄・白・勾・帝・文・三・玉・青!!!!!」


 影井さんは二本の指で空を切って何かを唱えている。

 それに同調するように、九つの光がお札に吸い込まれていった、ような気がした。

 もうありえないことが続きすぎて何がなんだか全くわからない。


「急急如律令!!」


 強い光を放ったお札が、充満するもやを吸い込んでいく。

 そしてあっという間にあの気持ちの悪い空気を放っていたもやは消えて、最後にぱさっと地面にお札が落ちた。


「思いのほか早く終わったのう。清村が屍鎧(しがい)をさっさと破壊してくれたお陰だが」


 そのお札を拾い上げて、影井さんはふぅっと息をついた。

 私はただただ呆けているしかできなくて、馬鹿みたいに影井さんを見上げていた。


「……なんだ?」


 眉間に皺を寄せて私を見る影井さんを、ゆっくり指をさして馬鹿みたいに問う。


「それが、素?」

「……そうだ。悪かったな、騙していて」


 ズギュン。


 なんかわからない。

 胸の奥で、何かがはじける……ううん、大爆発する音がした。


「このような話し方では変に思われるだろうと思っておったが、まさか演技しておった方を気持ち悪いといわれるとはのう」


 はぁっとどこか呆れたように腕を組んで言う影井さんの言葉なんか耳に入らない。

 だって、何だろうこの感じ。

 口調はどっかのえらそうな将軍様とか昔の殿様みたいな感じだけど雰囲気がとても自然で。

 今までの気持ち悪さが一気に消えてなくなった。


 もし、今までもこの態度で、この空気で接してもらっていたら……

 そう考えただけで何故か顔が熱くなってくる。


 ああ、胸がドキドキいってて目が離せない。

 もっと言葉を交わしたい。

 素の影井さんと関わっていきたい。


 胸の奥で何かが爆発した後は、堰を切って感情が止まらなくなってしまった。


 ただ、これが影井さんへの”恋心”だったって気づくのはもう少し後のことで……

 つくづく鈍感だと私は死ぬほど恥ずかしい思いをすることになる。


 こうして、私の恋は思わぬところから始まったのだった。

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