第1話 物語は納豆入りシューズから始まる③
「え?」
思わず声のほうを見ると、そこには見知ったおかっぱ頭のイケメンが立っていた。
「か、影井さん!?」
「あはは、いやごめん、祇園精舎の鐘の声のあとに唐突に証城寺の狸が出てきたもんだから……」
お腹を抱えて笑っている影井さんの姿に私はかーっと赤くなって竦みあがる。
ひぇ……すっごい馬鹿だと思われてるこれ。
「あはは……いやー続きが思い出せなくて」
私が困ったように笑うと、影井さんはくくっと笑って私のほうに歩み寄ってきた。
そして私の前で膝をつくと、
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。 奢れる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。 たけき者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ……ここまでは暗記しておくといいよ」
そう言って優しげに微笑む。
うわー……頭がよくて優しいとかこりゃあすごい、絵に描いたような王子だわ、この人。
でも完璧な王子像すぎて、何か作り物っぽい。
「えーっと……ありがとう」
「どういたしまして」
そういうと彼は当たり前のように私の横に座ってカバンからコンビニの袋を出し始めた。
ちょっと待て、この人は私が今朝言ったことを聞いてなかったんだろうか?
「影井さん、私今朝言ったよね?」
「うん?」
「私には関わらないほうがいいよって」
「うん」
そう短く返事をすると影井さんはパンのビニールを破ってもぐっと菓子パンを口に運んだ。
「うんじゃなくて……こんなところ、誰かに見られたら影井さんがとばっちり受けるから!」
「別にいいよ」
「は……?」
気にしない風に影井さんは、いつもと違った表情で私をジッと見た。
まるで、別人みたいに冷たくて鋭いその視線は、今朝も一瞬だけ見た記憶がある。
「俺も、強者だから弱者の行動は気にしないかな」
「……!」
それは私が今朝彼に向かって言った言葉だ。
あまりにそれをいう表情が堂々と自信に満ちていて私は一瞬気圧されたほどだった。
だって、向けられた視線にものすごい殺気を感じた。
今朝一瞬感じた攻撃的な感覚はせいぜい猛獣だったけれど、今度のはまるで鬼。
相手を本気で殺す圧倒的な殺意……そんな感じだ。
「清村さんなら、それくらいは感じて取れるんじゃないの?」
「………」
私はお弁当を地面に置いた。
変な汗が出て、動悸がした。
人の放つ気配、殺気でここまで動揺するのは珍しい。
「影井さん、何者?」
「さぁ……少なくとも君に危害を加えるつもりはないけどね」
けらっと笑って影井さんは再びパンを口に運ぶ。
コッペパンにたっぷりマーガリンとジャムが塗ってあるやつだ。
「影井さんさ、菓子パン好きなの?」
「うん、甘いものは全般的に。特にみたらし団子が好きだけど」
「へぇ……」
「清村さんは?」
「嫌いじゃないけど、昼ごはんにはできないかな……」
そう、私はお昼はがっつりお弁当派。
米を食べないとなんか変な感じがする。
「清村さんのお弁当おいしいもんね。それじゃあ菓子パンでは満足できないと思うよ」
「え……?」
「ほら、入学式が終わった次の日。俺が弁当忘れた日、清村さんがお弁当くれたろ?」
「あー……」
すっかり忘れてた。
そういえば入学式の次の日に、一人お弁当を忘れて路頭に迷ってるメンズがいたっけ。
あの時はまだ、影井さんが外の人ってことで声をかける人もいなくて。
だから、私のお弁当をあげたんだった。
「清村さん、お腹すいてないっていってお弁当くれたけどさ。午後にお腹ぐーぐー鳴らしてるの聞こえて申し訳なかったんだよね」
「き、聞こえてたの!?」
「俺、あの時清村さんの目の前の席だったし」
「わーーーーー!! はっずかしい!!」
私は両手で顔を覆って体をぶんぶん左右に振った。
「はは、お弁当の渡し方は男前だったのに割りと反応は乙女なんだね」
影井さんは気にしない様子で食べ終わった菓子パンの袋を細長く折りたたむときゅっと結んだ。
「そのお弁当は清村さんの手作り?」
「うん。両親が仕事で忙しいから割とご飯は作ってて、その残り詰めてきてる」
「へぇ、お母さんのかと思ったら清村さんが作ったんだ。すごいね、料理上手いんだ」
影井さんは私のお弁当箱にちらっと目をやる。
「ね、その卵焼き出汁巻きだよね?」
「え? うん、そうだけど……」
「一個ほしいな、もらっていい?」
「うん」
お弁当箱をずいっと出すと、影井さんはひょいっと出汁巻き卵をつまんで口に運んだ。
「前にお弁当もらったときも、この出汁巻きは絶品だなって思ってたんだ」
「それだけは朝焼いてくるからね。ま、一応得意料理」
そう肩を竦めると、影井さんはハンカチで手を拭きながら小さく「ありがとう」と言った。
なんか料理をほめてもらえるって、割とないことだから嬉しい。
何しろ家族も、幼馴染の星弥も、なんなら親戚も慣れてしまってこれが当たり前の顔して食べてるし。
これくらい、できて当たり前って感じ。
それが悪いわけじゃないんだけどね。
ただ影井さんの反応が新鮮なだけ。
「そういえば……清村さん、なんで俺だけさん付けなの?」
「ん?」
「他の男子はくんとか呼び捨てだろ?」
「あー……」
問われてみればそういえば、私は彼のことだけさん付けで読んでいた。
なぜと問われれば無意識だ。
本能的に彼のことは呼び捨てやくん付けで呼んではならないような、そんな何かを初見で感じた。
「まぁ、なんていうか……怒らないでよ?」
「うん?」
「年上な気がして。雰囲気とかそういうのだと思うけど」
その一瞬、影井さんの目が見開かれた気がした。
すぐにいつもの表情に戻ってにこっと笑ったけれど。なんだったんだろう。
「それって大人っぽいっていってくれてるのかな? それは褒め言葉として受け取っておくよ」
「ああ、なるほど。何となく大人っぽさは感じるね……でも」
私はずっと影井さんに抱いていた違和感をぶつけた。
「なんか、態度が全部嘘臭い」
「へ?」
「たまーに変な殺気を放つ影井さんの目は本物っぽいけど、今の影井さんは嘘くさい」
「………」
そう、彼に心を開ききれないのはそこが原因なのだ。
全てが演技くさいというか、芝居がかってるというか。
確かに優しいし、居心地はいいんだけど、完璧すぎるが故に嘘くささを感じる。
人間臭さが一切ない、陶器のような感じ。
もしかしたらこの優しさは私を陥れるためのものじゃないだろうか、なんて。
今の境遇から警戒心がぐんと上がってしまっているんだろう。
「ま、何となく、だけど。誰しも、集団の中で生きてたら素なんてある程度は隠すだろうけど……ね」
お弁当箱に目を落として私は俯いた。
何を口走ってるんだろうか。
こうして一緒にすごしてくれることを嬉しく思ってないわけじゃない。
けれど、何となく本能的に嘘臭さが際立つ彼に警戒心を解くことは不可能だった。
「もし」
すると、影井さんは少しためらいがちに続ける。
「俺が素で接したら、清村さんはもっと仲良くしてくれる?」
「え? そりゃあ……もちろん、多分、きっと」
「でも、俺の素って結構独特だからさ。ドン引かれるかなぁって」
なんだろうその振り。
その道、今とはずいぶん違うってことだろうか。
でも、ふと彼の素を知ることに恐ろしさを感じてしまった。
それは本当の彼を知るのが怖いという意味じゃない。
もし素を知ることで今より親しくなったら、その後の関係は対等できゃいけなくなる。
当然、私の素も見せなきゃいけなくなるのだ。
それは嫌だった。
きっと影井さんだって本当の私を見たら離れていくんだろう。
嘘っぽいのは嫌だけど、真実を知って離れていかれるのはもっと辛い。
「……無理して見せなくてもいいよ」
「え?」
「私だって人に見せたくない部分はあるし。見せればドン引かれるのは私のほう」
私は自分の髪のもみ上げの部分を手に取ってくるっと指に巻きつけ影井さんから目を逸らした。
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