第1話 物語は納豆入りシューズから始まる②


 この町、緑ヶ丘は校長先生の話にもあったとおり丁度五十年前までは虹ヶ丘と呼ばれていた。

 けれど、大きな災害が起こったせいで半分が水に沈んでしまったそうだ。


 虹ヶ丘の半分が土地ごと海に沈んでしまったなんて、五十年前の災害は相当すごかったんだろう。


 その災害のために、この緑ヶ丘はとてつもなく不便な地域になってしまった。

 外の町へ繋がる道路が山を越えていく一番遠回りのルート以外全て駄目になったらしい。

 山を掘って作り上げたトンネルも崩落して使えなくなってるから電車も廃線。


 言い換えれば緑ヶ丘のライフラインは山を越える道路一本。

 ここがどうにかなってしまえば私たちの生活は立ち行かなくなる。

 こんな不便な地域に好き好んで住んでるのは昔からここに住んでる人が大半だ。


 この西園寺高校はそんな緑ヶ丘にある唯一の高校だ。

 この緑ヶ丘中から幽霊高校のレッテルを貼られているくらいとにかく出る学校らしい。

 それこそ霊感なんか全然ない子ですら当たり前に見えるってくらいにはヤバイって噂だ。


 そんな恐ろしい噂の学校でも、山を越えて別の地域の高校に二時間もかけて通う選択肢を選ぶよりはみんなこっちを選んでしまう。

 通学なんて楽に越したことはないんだから。

 逆を言えば他所の地域からこの高校に来る子もほとんどいない。


 私の両親はこの緑ヶ丘が生まれ故郷ではあったけれど、一度は不便さから町をはなれていた。

 が、ある事情からこの町に戻ってきた。

 元々年老いたおじいちゃんが家業を継いでほしかったみたいだから両親は仕事には困らなかった

 私は小学生になると同時に緑ヶ丘に越してきた。

 タイミングがタイミングなだけに外の子という扱いはほとんど受けていない。


 けれど影井さんの場合はスタートラインが高校生だ。

 ざわざ緑ヶ丘に来るなんて、さすがに物好きとしか言いようがない。。


(……本当、この地域の事情を知らないのはある意味不幸なことだわ)


 教室に向かいながら私は塗れた上履き片手にぷらぷら歩いていた。


 影井さんは、こんな閉鎖的な地域の高校に下宿してまで入学していた。

 外の人間が珍しい私たちにとって彼は最初こそ警戒対象だった。

 閉鎖地域の悪い風習が身に染みてるのはわかってる、

 けれど、外とのつながりがなければ仕方のない話だ。


 ま、入学理由を聞けば親と折り合いが悪かったからあえて不便な場所に来た、だった。


 それでみんな深く納得してからは彼を自然な形で受け入れていた。

 影井さんは誰とつるむでもなく結構一人で本を読んでいる印象が強かった。

 だからって孤立してるわけでもないから、不思議な人だなって思ってた。


 ガラリと教室の扉を開ければ、こちらを一瞥したクラスメイトが示し合わせように目を逸らす。

 ここまで息がぴったりだと統率取れすぎてて気持ち悪い。


 でも、それも仕方のない話だ。


「あれぇ清村、びっしょびしょの上履きなんかもってどうしたの?」


 廊下側の席にたむろする三人の女子だけがこちらに視線を向けてクスクスと笑っている。

 出来れば納豆入りの上履きがヒットするのはこいつらであって欲しかった。


「………」


 三人組の中央ですました顔をしてこちらを睨んでいるのがお山の大将。

 人形みたいにくりっとした目、ウェーブのかかった長い髪の美少女だ、

 典型的なお嬢様で、名前は賀茂深散(かもみちる)。


 要するにこの緑ヶ丘の有力者の娘なのだ。

 地域の半分が海に沈んでにっちもさっちも行かなかったこの虹ヶ丘にどっかの機関から派遣されてきて、復興に大いに尽力した家の娘だから周囲の人たちへの影響力はとてつもなく大きい。


 私はどうやらこのお嬢様に嫌われてしまったようだ。


 彼女自身は何もしてなくても、彼女は功労者の娘だ。

 だから、みんな彼女や彼女の家族には頭が上がらない。


 私は三人を無視して机に座った。

 ちょっと頭に来たから塗れたままの上履きを地面においてそれを履いた。


 冷たい。


「だっせ、濡れた上履きとか清村にはマジお似合いだけど」


 そんな私を見て三人は笑う。

 周囲は見て見ぬふりだ。

 別になんてことはない。


 でも、時々胸の奥に黒い炎が灯ったような変な気持ちになる。

 こんな境遇になったのは実に理不尽な事情がある。

 別に私は何もしてないし、何も悪くない。


 だとしても、手を出したらこっちが悪になってしまう。

 学校で暴れて両親を悲しませるなんてことは二度としたくない。

 だから私はうつむいてジッと耐えてるしかなかった。


********************


 昼休み、唯一肩の力が抜ける時間。

 私は鞄ごとお弁当を持ってさっさと教室を出た。

 面倒くさいから、お嬢様の三人組には捕まりたくなかった。


「つーばーき!」

「………」


 歩いていると後ろからがばっと抱きついてくる人物がいた。

 私はその腕を取って、すかさずぶん投げる。


「ぐえ!!」


 カエルをつぶしたときよりひどい声が廊下にこだまする。


「抱きつかないで、鬱陶しい」

「んだよ! いいじゃねぇか!! 幼馴染だろー!」

「そこに幼馴染はまったく関係がないと思うけど?」


 倒れる相手に冷ややかな視線を送るとその相手はがばっと起き上がる。


「連れねぇこというなよなぁ。減るもんでもねぇだろ?」

「神経が磨り減る、めちゃくちゃに磨耗する」


 こいつは藤原星弥(ふじわらせいや)。

 前述のとおり、私の家の隣に住んでる幼馴染だ。

 彼の両親は星弥が幼稚園の頃に仕事の都合で緑ヶ丘に越してきたらしい。

 まぁ私とほぼほぼ似たような境遇ってことだ。


「なぁ椿、飯食うなら一緒にどうだ?」

「お断り。私は自分の時間を邪魔されるのが一番嫌いなの」

「んだよ、中学の頃まではよく食ってたのに」


 こいつとお昼を一緒になんか食べたら私の机が消し飛ぶかもしれないわね。

 何しろ、賀茂のお嬢様は星弥にぞっこんなのだ。

 そのせいで、幼馴染であるが故に親しいく接する私にしわ寄せがきたのだ。


 クラスが変わって顔を合わせることは減ったけれど、それでも星弥の過多なスキンシップは目に余る。

 子どもの頃からノリが変わっていないせいでものすごい迷惑だ。


「星弥。あんた、高校生になったんだし少し大人になったら?」


 少し冷めた口調でいうと、星弥は眉間にしわを寄せる。


「んだよそれ」

「いつまでも子どもみたいにベタベタされると、すっごい迷惑」

「はぁ……? なんだよ急に……ははーん、さてはお前俺のこと男として……」

「絶対ない」


 言い終わる前に私はピシャリと言い放った。

 星弥のことは幼馴染として、友達としては見られる。

 けど、どう逆立ちしても男としては見られない。


「またまたそんな……っておい!?」


 笑って誤魔化す星弥をおいて私はすたすたと廊下を歩き去った。

 背後でまだ星弥は何か言ってたけど、無視して階段を昇った。


 ガチャリ。


 思い鉄の扉を開けて私は屋上に出た。

 本来ここは生徒の立ち入りは禁止で施錠されてる。

 けれど、私が居場所を探して初めてここに来たときには既に鍵が壊れていたのか開閉自由になっていた。

 でも、そのことを知ってる人は今のところいないみたいだった。


「はーーーーーーーーーー……」


 深く息を吐いて私は地面に座った。

 なんていうか、色々としんどい。


 この半日の行動でわかってもらえたように、私は学校に嫌がらせを受けに通ってる。

 勉強は、ぐちゃぐちゃにされた教科書のせいでほぼ何もできないに等しい。

 ノートはどうやら焼却処分されたらしい。


「祇園精舎の鐘の声~……えーっと……」


 今日習った平家物語の最初の部分ですら、ノートを取ってないせいでうろ覚えだ。


「しょ……しょ……しょ~うじょうじの狸はぽんぽこぽん……!」

「ぶっ」


 私がそういって手をぽんっと打つと、扉のほうから噴出す声が聞こえた。

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