第15話:過去
夜警団の実務の帰り、ボーファンは荒んだ心を、ゴミ箱を蹴り飛ばして発散していた。発散とは言ってもただ単に八つ当たりをしているだけで、それで心が晴れることなど絶対になかったが。
「クソッ!」
いつも見回りか、街の外へと出ても魔獣を追い払う後方支援の手伝い位しか自分には出来ない。
いくら鍛錬を積んでも、同期のメンバーには程遠い戦いの実力に、ボーファンは焦りと絶望感を感じていた。
やがてそれは行き場の無い憎悪となって、心の中を埋め尽くそうとしていた。
「どうして……どうして俺は強くなれない……」
「おんやぁ? なんだか嘆きの声がするねぇ……」
「っ!」
深夜の路地裏から、気味の悪い声が響き、その方向をボーファンは見た。
するとそこには一人の男が立っていた。
「だっ、誰だ……お前は?」
ボーファンはすぐにその人間が、街の人間では無いと気付いた。
襤褸を纏っているのだが、体つきはどう見ても乞食などではない。
極めて健康そうな肉付きに、堂々とした立ち方。
そして襤褸の裾からは捻じ曲がった奇妙な形状の腕輪が覗いていた。
なんというか位の高い人間がわざとみずぼらしい格好をしている、と言った感じだった。
「俺ィかい? 俺ェは……”仙者”さ」
「仙者……? 仙人、って事か?」
仙者と名乗った者は、面を上げて言った。
濁った瞳にボサボサの髪の毛と、どこか影のある風貌の男だ。
痩せた姿でニヤニヤと薄笑いを浮かべる彼の口元には尖った歯が見えていて、まるでそれは一種の猛獣の犬歯だけが並んでいるかのようにギラギラと光っていた。
「ハッ、何を言ってるんだ。仙人なんて……馬鹿馬鹿しい」
仙人や道士は、作り物の物語の中の産物でしかない。
そんなものをこの時世に名乗るなんて、ハッタリにも程がある。
しかし仙者と名乗った男が、ボーファンへと人差し指を向けて言った。
正確には彼が持っていた”槍”に向かってだ。
「おい、お前は炭のはずだぜ? 何故槍の姿をしているんだ?」
男が指をさして言うと―――ボーファンが持っていた槍が突如、煙を吐き始めた。
「……えっ?」
やがて持てない程に熱くなった槍を慌てて手放すと、吐き出される煙が黒くなり、同時に真っ赤に燃え上がっていった。
やがて槍は、金属の穂先もろとも灰になってしまった。
「なっ……!? こ、これは……!」
「これで信じたかァ……? そこら辺の術者にはできねぇ芸当だと思うが、もっと見たいなら見せてやるぜ? 家だろうが人だろうが、燃やしたい奴を言ってみろ」
ボーファンは黒鯨団で優れた術士という者を見てきた。
自分が決してかなわない力を持った強い人間。しかしそれらと目の前の男は、次元が違う力を持っているのが一瞬でわかった。
嘲笑う気持ちはその光景であっという間に消え失せ、震えすら身体の奥底から湧き上がってきたが、意を決してボーファンは訊ねた。
「い、いやもういい。それより……ほっ、本当に仙人なのか……?」
「そう。俺ェは……さるお方に仕える”冥天君”と言う」
「さるお方……とは誰だ?」
「まァ、仙人の中でも特別偉い人さァ。俺ィはその弟子の一人だ。で、モノは相談なんだが……まずはこいつをお前にやろう」
そう言うと冥天君は、ボーファンの足元へと紫色の符を投げ渡した。
拾うとそれは表面が金属のような加工を施されており、特別な符であるのが一目でわかるつくりになっているのがわかった。
「な、なんだこれは? 術符にしては変な……」
「それはな……お前ィを僵尸にする術が刻み込まれている符だ」
「僵尸……!? 僵尸って、あの伝説の怪物の……か!?」
「そうだァ……しかし、ただの僵尸になるンじゃない。普通の奴等は何年も人を食いながら力を蓄えて行かなきゃなンねぇが、それは”神仙”が直接作った特別強力な術が起動するようになっているから、すぐに成長した状態になれるようになるスグレモノさ」
「成長……とは一体どういう事だ?」
ボーファンが訊ねると、名天君は僵尸についての事をボーファンへと教えた。
僵尸にはレベルが存在し、強くなると人知を超えた凄まじい力を手に入れることが出来る、と。そしてこの符は強力な術が込められており、すぐにレベルがある程度まで上がった状態となれるようになっている、と。
「力が……そんなにすぐに手に入るのか?」
「そうだ。その術の力の源は”憎悪”だ。お前ェの憎しみが強ければ、そして深ければ深いほど、強力な闇の煉を身体へと集める事ができる。すぐに道士のような力をも、手に入れる事ができるだろうぜェェェ……」
ボーファンは手の中の術符を握り締め、ごくりと唾を飲み込んだ。
そして、冥天君へと訊ねた。
「み、見返りは一体なんだ? お、俺は……従者の身だ。金なんて殆ど持っていないぞ」
「金……? く、く、く……俺ィはよォ、そんなものを求めてはいないんだ。お前が力をつけたならば、いつか俺ェの主の下へと来るがいい。”あの方”は、優れた”黒き道士”を求めておられる。俺ィは、その勧誘の端役を頂いているに過ぎないんだぜェェ……」
(優れた道士……か)
「しかし、ま、気をつける事だ。僵尸になってしまえば、元に戻る事はできねぇ。それは即ち、お前ィが人間である事自体を辞めるって事だ。全てを捨てる覚悟が、お前ィにはあるかァ……?」
「全てを捨てる……覚悟……」
「よくよく考えてから、それは使う事だ。とても貴重なものだからなァ」
そう言うと冥天君は去って行った。
夜の闇に溶け込むように、影へと消えると
ボーファンは彼の姿を追ったが、霧のように冥天君の姿は見えなくなっていた。
代わりに彼の居た場所には、足元に赤色の棒のような道具と、それに巻物が巻かれていた。
後から知った事だが、この道具こそが宝貝だった。
「もし、やる気があるのならそいつを読んでおけ。少しは役に立つだろうぜぇ……」
姿は見えないのに、心の中に冥天君の声がこだました時、ボーファンは彼が本当に本物の仙人であったと確信した。
そして、胸が高鳴った。
力が―――手の中にあったのだから。
■
全てを話し、吐き出すとボーファンは続けて言った。
「俺は……貰ったそいつを使って僵尸……いや”黒の道士”となった。そして力を得たんだ。誰にももう束縛されない力を……!! 俺は”成った”後、芝原の街で力の”試し斬り”をやった。その後に……今まで俺の上に君臨していた奴らの掃除と、力試しを兼ねて、あの日の集会所に行った。それがあの日の真相ってわけだ」
「そんな、そんな事、って……!!」
(さる、お方……か)
操者のメイファが動揺したのが、リュウォンにはすぐにわかった。
操者の送力の術は体調や気持ちの変化を強く反映するからだ。
リュウォンは静かにメイファに言った。
(動揺するな。お前は今、自分の操者なのだ。動揺して煉の”送り”に支障が出れば、それだけ危険になる)
「……ええ。わかってるわ。でも、一つだけ聞かせて」
「ん?」
「ボーファン。どうして、人間である事を、辞めたって言うの……? どうして!? 未練とか、躊躇したりだとか……あなたには無かったの?」
「未練? 躊躇だと!?」
メイファの問いかけを聞くと、ボーファンは笑い始めた。
ひどく面白い冗談でも聞いたように、腹の底から面白くて仕方ない、と言う風に笑った。
そして突然、怒りの表情へと変わり、吐き捨てるように言った。
「そんなものが……そんなものがあると思うのか!? 俺にとっての巳秦の街は、牢屋の中と一緒だった。俺にとっての”人間”なんてものはあの巳秦の中で満足しているだけの、家畜と似た何かでしかない」
「家畜……」
「いや。むしろお前達は家畜を使う側だ。俺という街に縛られた奴らに支えられているのに、俺が絶対に得られない自由を得ていた、いわば家畜を食う側だ」
「違う……違うわ! そんなんじゃない……!」
「違わない!! 俺は……奴隷で終わるのは絶対に御免だ!! 俺にとって人間である事が……生きると言う事が、家畜や奴隷のそれと同じであるというのなら―――人間である必要なんて、どこにもない!!」
「……!」
メイファは言葉が出なかった。
今見ているのは、夜警団で見ていたボーファンの真実の姿だ。
笑顔を絶やさず、縁の下の力持ちを自分から買って出ていた殊勝な少年。
その、心の底の感情だ。
憎悪に塗れているそれは、心という器が絶望で埋められた末に、心を動かすために無理矢理に上塗りされたものだった。
「さて……そろそろお喋りは終わりだ」
リュウォンはボーファンから急激に濃くなっていく殺意を敏感に感じ取っていた。
それは、もう殺し合いの再開が迫ってきた事を意味していた。
(戻れメイファ! 危険だ!)
メイファが再び距離を取ると同時に、リュウォンは再度ボーファンへと突っ込んでいった。
転瞬、重い金属音が響き渡った。
「ちっ……死に損ないがッ!!」
「貴様に言われる筋合いはない!!」
リュウォンはそれから、ボーファンと激しく打ち合いを演じた。
片腕がないながらも、その分を足での攻撃でカバーし、ボーファンの先程クリティカル・ヒットした部分を集中して攻撃していく。
やがてダメージが累積すると、ボーファンの肩にも同じように大きくヒビが入った。
「ぐぅっ!?」
「トドメだッ!!」
更に首元へと攻撃を放とうとした時―――ボーファンは持っていた宝貝を、メイファの方へと向けて振った。
その瞬間、リュウォンは息を呑んだ。
火の光線がメイファへと向かって飛ばされていく。
教果と違い、護術の心得の全く無い無防備の彼女へと。
「くそぉっ!!」
気が付くとリュウォンは動いていた。
地面を力の限り蹴り、光線が彼女へと辿り着くよりも早く、眼前へと出ていた。
「えっ……?」
メイファは自分の前方へと現れたリュウォンの身体に亀裂が入り、そこから赤色の光が覗くのを見ていた。
そして爆発が周囲を包んだ。
■
爆煙が周囲を包む中、メイファは起き上がり、頭を抱えた。
とてつもない衝撃を間近で受けてしまったからだ。
「いった……」
メイファは少しの間、頭がくらくらしていた。
爆風の威力がそれだけ強かったということなのだろう。
正気に戻ると同時に、戦闘中であったことを思い出して、慌てて周囲の気配を探った。
(リュウォンは!?)
最後、自分の目の前に光線が飛んでくるのが見えた。
そして自分をかばうように目の前に出てきたリュウォンの姿も。
あの攻撃をまともに受けてしまったのだろうか?
「ぐ、ぐ……う……」
「リュウォン!」
煙が晴れてきて、すぐ前で倒れこんでいるリュウォンの姿が目に入った。
まともにあの宝貝の攻撃を受けてしまったらしく、胴体に高温のエネルギーで袈裟切りに斬り付けられた後が、まだ赤く燃え上がって残っていた。
「なんて傷……」
とてつもなく熱い刃で鋼を斬りつけた後のように身体に付けられた跡は、断面が僅かに溶けているように思えた。
メイファが近寄るとリュウォンが手で遮って言う。
「来るな……お前、は……早く……逃げろ」
「な、何言ってんのよ! 操者のあたしが居なくなったら……」
「もう無駄だ。これだけ喰らっては、もう……助からん。最後の攻撃を仕掛けるのみだ」
「なんで……なんでそんなに、自分を大切にしないの?」
「……自分は、一人でも多くの僵尸を滅する為だけに戦っている。出来るならば……李璃を倒したかったが、こうなっては仕方ない」
メイファは以前、教果が言っていたことを思い出した。
彼の家族は李璃という仙人に殺され、それから彼を倒す事だけを考えて生きてきたのだ、と。
孤独と戦うその心の糧は、もしかすると憎悪だけだったのかもしれない。
リュウォンの瞳に燃える強い意思の光を見て、そう感じた。
そして同時に、その思いが自分のせいでここで潰えてしまうのか、と無念に感じた。
「あたしを庇わなければ……」
「まだ、まともに戦えていたかもしれないな。だが……お前の親友を助けたい姿は、立派だった」
「!」
「忘れていた感情だ。この身体の内側から湧き上がってくる気持ちは。もし自分がお前の立場だったなら……きっと同じよう何もかもを捨てて友を探しに出ていただろう」
リュウォンが微かに笑ったような気がした。
冷徹な機械のような彼のこんな表情を見たのは初めてだった。
「……」
「早く行け。お前が生きて帰らなければ、あの親友が心配するだろう。自分の方は気にするな。奴自体は自分がこれから命懸けで必ず倒す。例え……この身が砕け散ろうともな」
メイファは迷った。逃げようか、という事ではない。
リュウォンに”ある術”を試してみようかと、である。
それは園牛車の中で、送力術をある程度マスターした時のことだ。
教果が自分に向けて、果物を持って言ったのだ。
「さて……お主に最後に、おまけの術を授けてしんぜよう」
「おまけの術?」
「よいか。送力術とは、遠隔にある存在に対して煉魄を送る術じゃ。これはな……こういう風に使うことも出来る」
教果が持っていたリンゴに力を送ると、リンゴから青々としたツタが伸び始め、やがて空へと向かって伸びた大きな芽から花が咲いた。
「花が……咲いた!? どうやったんですか?」
「なに、八卦鏡を介さずに直接力を送り込んだのじゃ。これを”命転換の術”と呼ぶ」
「命転換……」
「遠隔から送るのと違い、直接肉体を介してから行うこの術は、単純な送力術よりも遥か多いエネルギーを送り込む事ができる。しかし、送り込み過ぎて術者の体力を危険な水域まで減らしてしまうなどのデメリットもある」
「どうやるんですか?」
「簡単なことじゃ。送力術をなるべく肉体を密着させて使うだけじゃ。なるべく身体の多くの部分が触れ合うようにすると一気に力を送れる。じゃがそれは流れる水の量を一気に増やすようなもんじゃから、かなりの危険を伴う。やる時はせいぜい手を握る程度に抑えておくんじゃな」
教果が言った「命転換の術」の言葉を思い出した時、メイファは覚悟を決めた。
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