第8話:「術士」対「道士」
爆発が起きた後、メイファには炎の輪は届いていなかった。
代わりに少年の声が聞こえてきた。
「全く、本当に手間のかかる奴だ」
「え……?」
目の前にリュウォンが立っており、代わりに攻撃を防いでいたようだった。
だが強力な炎の術が命中したというのに、傷一つなく、服がこげている様子すらない。
「誰だ……貴様」
盤安は突然現れたリュウォンへと訊ねる。
どうもメイファを守る為に飛び込んできたようだが、あの火珠輪の術を正面から喰らっているのに、全くダメージを受けた様子が無く、相当な手練であるのが、すぐにわかる雰囲気を纏っていた。
盤安が警戒するのも当然だった。
しかし彼が鋭い目つきで訊ねているのにも関わらず、当のリュウォンは全く意に介さない様子で、無視して背を向けた。
「立てるか?」
「え、ええ……」
強力な術師が敵としてそこに居るのに、リュウォンは全く気にも留めていないようで、メイファは一瞬、こいつが本当の馬鹿なのかと思った。
しかし―――それは彼の事を何も知らない場合だ。
僵尸と一対一で戦えるほどの道士なのだから、この余裕も恐らくは実力に裏付けされているものなのだろう。
「貴様~~~!! 俺を愚弄するかッ!!」
「気にするな。自分は面倒に首を突っ込む気はない。勝手に略奪だろうがなんだろうがやるがいい」
冷徹に言い放つリュウォンに、メイファは段々と腹が立ってきた。
こいつには、この場を何とかできる力があるはずなのに、どうして何もしないんだろうか。このままだと街の人々が略奪の災禍に見舞われてしまうというのに、どうしてこう平然としているのか。
「アンタ……最低よっ!!」
広場に乾いた音が響いた。
メイファが、声を張り上げてリュウォンの頬を叩いたのだ。
リュウォンは僅かに首をよじり、目を閉じたが、何も言わなかった。
メイファは、茫然としているリュウォンに向かって言った。
「アンタには、人の心ってものがないの!? あたしよりも遥かに力があるくせに、茅宋局とか何か知らないけど、強い人間のくせに、何でそんなに冷めてるのよっ!!」
リュウォンは、それでも何も言い返しはしなかった。
ただ淡々とした眼差しでメイファを見つめるだけで、まるで全てが事実であると認めて、弁解をしていないような感じにも見えた。
メイファはそんな彼が、本当に血の通っていない人形か何かなのではないのか、と思った。
メイファが言うだけ言った後の静寂を破ったのは、盤安の一言だった。
「茅宋局だと……?」
盤安が言うと、梅珍が近付いて訊ねる。
「盤安さん、それって何の事なんですかね?」
「いくつかの都にある、術師の集まる協会だ。それもそんじょそこらの人間ではない。選び抜かれた強力な術師で、一人で一国の一個中隊規模の戦闘力を持つとか言う。だから術師ではなく、その力を極めたもの。”道士”と呼ばれる奴らだ」
「あの小僧にそんな力が……?」
「あくまでも噂だ。表立って動かないので、本物を見た奴は余り居ない。くくく、しかし……そうか。茅宋局の人間か」
茅宋局と聞くと、盤安は不適な笑みを浮かべて言った。
「おい、道士よ。俺と術比べをしろ。勝てたなら、大人しくここから手を引いてやろう」
「……悪いが、やる気はない」
「おいおい、俺が手を引くんだぞ? 少しでも戦力が減れば、街の守護隊だけでもどうにかなるかもしれんぞ?」
「その言い方だと……退くのはお前だけということか?」
「その通りだ。他の奴らの事まで、どうにかする事はできんし、やらんがな」
つまり他の野盗たちを引かせるつもりまではない、仮に勝てたとしても野盗たちが疲れ果てたリュウォンを襲うだろう、と言うことだ。
どう見ても不利なだけの勝負であるからか、やる気が無いからかわからないが、リュウォンはその勝負の申し出を受ける様子は無かった。
「やらんのかな? まぁ、茅宋局などという名前だけの組織に属して道士とかのたまっているだけなのだから、やりたくない気持ちもわからんがな。お前の師も、詐欺師の面か何かを被って働いているだけなのだろう」
盤安がそう言うと、全く顔色一つ変えなかったリュウォンの眉がぴくり、と少しだけ持ち上がった。
どうも「お前の師も」という言葉に反応したようだった。
「なっ、何よそれ!? そんな不利な勝負……」
「気が変わった。いいだろう、受けよう。別に自分はいくらバカにされようが気にはしないが―――老師を愚弄するのは許さん」
思わぬ答えが聞こえ、メイファは思わずリュウォンの方を見た。
相変わらず茫然としたままで表情は変わっていないが、声調には今までなかった怒りの色が、僅かに混じっているように聞こえた。
「ほう……口だけの術師が、我が力に挑むというか」
「受けてやるが……忠告しておいてやろう。やらない方が、お前の為だ」
「何?」
リュウォンは指をくるくると回しながら言う。
「お前が今からやろうとしている勝負は―――」と。
そして指を盤安へと向けて言った。
「そこらの子犬相手に威勢を張っている駄犬が、人食いの狼に生死をかけた勝負を遊び半分に挑むようなものだ。お前では―――自分には遠く及ばん。負けて辛酸を舐めるだけなのがオチだ」
「なっ、何だと……!?」
「ハッキリと言ってやろう。この勝負は大人と子供が試合をする以前のレベルだ。やる前から、結果が馬鹿でも判るほどに力の差がある。やった所で10割方、お前の負けだ」
リュウォンが淡々と言ったその言葉で、盤安は完全に頭に血が上ったようだった。
表情は怒りのものへと変わり、すぐさま呪文を唱え始めた。
恐らくは、白珠へと使った「玉火林」を使おうとしているのだろう。
逃げるか、対抗する為の呪文を使わなければならないが、リュウォンは全く呪文を使う素振りを見せなかった。
それどころか、後ろへと振り返って、メイファへ液体の入ったビンを投げ渡した。
「それを使え」
「これ……は?」
「老師(せんせい)より貰っている緊急時用の命薬だ。その程度の火傷なら、すぐに回復できるだろう」
「あ、ありがとう……」
「ビンの4分の1をお前に残りはそいつにかけろ。そうすれば応急処置にはなるだろう。そしたら邪魔だからすっこんでいろ」
リュウォンは白珠を指差した。
恐らくは火傷をさっさと治せ、と言うことなのだろう。
メイファは彼の言葉遣いに一瞬、ムッとなったが今はそんな場合ではない。
すぐに白珠へと駆け寄り、薬剤を振り掛けた。
「この街の夜警団のリーダー。白珠といったな。傷が治ったら、メイファをしばらく守っていてくれないか」
「あ、ああ……し、しかし」
「あ、あんた一体何をするつもりなの?」
メイファが訊ねると、リュウォンは盤安のほうへと向き直って言った。
「ゴミ掃除だ。出し忘れの生ゴミのな」
そう言うとリュウォンは肩に付いていた大きな金具を外し、両手につけた。
大きなメリケンサックのような、鋼鉄のグローブのようなものになったそれを付けてリュウォンはその場を動かずに、敵の攻撃を待った。
「ハッ! どうした? 口だけは立派なようだが、迎撃の術も使えんのか」
リュウォンは応えない。ただただ、盤安を見据えているだけだ。
激しく動き回るような素振りも、何か口元を動かす気配も見せない。
腕組みをしたままで、彼の攻撃を待ち構えている。
(フン、どうやら本当にただの阿呆のようだな……)
盤安は呪文の合間に、挑発をしながらリュウォンの様子を伺った。
もし近付いて攻撃をかけようとしてくるのなら、呪文の詠唱を一旦停止させ、距離を取る。
何らかの迎撃用の攻術を使うならば、それに対応した策を取る。
それが術師同士の戦いであるのだ。
しかし、目の前の少年はそのどちらもせず、ただただ突っ立っているだけだ。
もしかすると、足がすくんでいるのかもしれない。
盤安はにやりと口元を吊り上げて、詠唱を終了させていく。
そして、発射の為に手を前へと突き出し、掌を広げた。
(だ、大丈夫なの……!?)
メイファはリュウォンから渡された薬を自分にかけた後、残りを白珠に薬を振りかけながら、その様子を緊張して見ていた。
これから負けてしまえば、自分はどうなるのだろうか。
そしてリュウォンは、あの攻撃をどうにかできるのだろうか。
緊張していたが、余りにも堂々としているリュウォンに、不思議と不安と負ける気は感じなかった。
「骨も残らず―――灰と化すがいいっ!!」
呪文の詠唱が完了すると、盤安の術が発動させた。
火炎の輪が発射されると、リュウォンへと向かって巨大化しながら一直線に向かっていく。
リュウォンは回避もせずに、正面から盤安の全力の攻撃を受けた。
炎の輪は命中すると、一瞬で縮小と膨張を繰り返し、そして大爆発を起こした。
「リュウォン!」
まともに命中したのを見届けると、盤安はかかか、と高笑いを撒き散らした。
メイファと違い、真正面から受けてしまった以上、良くて半死半生。
いや、今までに見たものよりも遥かに強力な炎の術だった。
もしかしたら本当に骨すら残っていないかもしれなかった。
「ハッハッハ……自信満々にしてはあっけない最後だったなぁー!」
盤安は勝利の確信し、哄笑を辺りに撒き散らした。
まるで爆弾が炸裂したような衝撃が周囲に響き渡ったため、リュウォンが無事だと思うものは誰も居なかった。
だが―――重々しい声が黒煙の中から哄笑を切り裂くように響いた。
「こんなものか?」
「ッ!!」
笑っていた盤安が、一瞬身体を跳ねさせた。
そして慟哭の声を漏らしながら黒煙の上がる場所を見た。
煙が晴れていくと、その中からはリュウォンの姿が現れた。
「な、なっ……!?」
リュウォンは傷一つ負っていなかった。
それどころか平然としており、何事も無かったかのようにしていた。
ただ、目の前に青白いカーテンのようなものが張られているのが見えた。
薄い水の膜が張っているかのような、不思議な光景だった。
「自分は攻術の専門では無いが……これ位は流石に防げるぞ」
「な、な、ななな、何故、術が効かん……!?」
「壁術の結界(バリア)と言う奴だ。この位も知らんのか」
「結界(バリア)……!?」
「さて……では、今度はこちらから行くぞ」
リュウォンはそう言うと、素早く呪文を唱え、更に両手を目の前でいくつかの形へと組み、印を結んでいく。
的確に素早く動くそのさまは手品師が、何かのパフォーマンスをしているかのようにも見えた。
「くっ……や、やらせるなッ!! 全員で掛かれェーッ!!」
盤安が手を上げると、それに呼応するかのように野盗の人間達が一斉にリュウォンへと襲い掛かった。
てっきり梅珍がリーダーだとリュウォンは思っていたが、どうやら戦闘の指揮は彼にも出せるようだ。
「数頼みか……面白いッ!!」
野盗達が接近し、持っていた武器で斬りつけてくるとリュウォンは構えていた拳で相手の武器を叩き落としていく。
そして次々に相手を叩き伏せていった。
軽やかな動きとは裏腹に拳の一撃はかなり重く、命中すると野盗たちの骨や筋肉が直接変形させられていくのが遠目でもわかった。
一撃ごとに、肉弾戦特有の鈍い音が響き渡っていく。
「か……カンフー、か……!?」
盤安は、加勢を頼んだ事により余裕の表情を見せていたが次々に野盗たちを叩きのめしていくリュウォンの姿を見て見る見る顔面が蒼白になっていった。
野盗たちは、全くリュウォンの相手になっていなかったからだ。
誰かが武器を振りかぶり振り下ろして切りつける、という3動作の内に、彼は10回近くの攻撃を放っているように見えた。
まるで、リュウォンだけが2倍か3倍のスピードで動いているかのようにすら見えた。
「く……クソッ!!」
慌てて盤安は呪文を唱え直し、指で印を結ぶと叫んだ。
「どけっ! 者共ッ!! そいつを塵にしてくれるッ!!」
盤安が叫ぶと、指の印が深紅の光を放ち始め、攻術の発動が開始された。
慌ててリュウォンの周囲に居た野盗たちは、彼から離れて散っていく。
リュウォンは周りに誰も居なくなると、盤安を向かい撃つべく、同じように先程まで行っていた呪文の詠唱の続きを行った。
「死ねぇいッ!! 河紅灼(ウェイライオ・ゼイベン)!!」
盤安が言い放つと、深紅の風が彼の手の部分から巻き起こった。
それは、ただ赤い色をした風ではない。
周囲にあった木材の破片に火がつき、燃え上がっていく。
盤安が放ったのは、”炎の竜巻”ともいえる攻撃だった。
まるで全てを燃やして破壊する火炎の渦が、蛇のようにうねり、リュウォンへと向かっていく。
「リュウォン!! 危ないっ!!」
メイファが叫ぶと、リュウォンも呪文を詠唱し終わったのか印を結び、手を前に突き出した。そして、言った。
「業火弾(イラー・スラー・バクラ)!」
リュウォンが呪文を叫ぶと、真っ赤な赤銅色に輝く拳大の弾丸が盤安へと向かって放たれた。
盤安が放った炎の竜巻に比べれば、遥かに小さい。
しかしそれは、竜巻に命中すると、それをまるで食べていくかのように、吸収してどんどん巨大になりながら盤安へと飛来していった。
「うっ、うおおおおおおっ!!」
飛来した巨大な炎の弾丸は、盤安へと命中すると爆発した。
そして周囲に強風が吹き荒れ、埃やら草木の破片やらが撒き散らされた。
やがて、それが収まると服が丸焦げになった盤安の姿がそこにはあった。
「が、あ……」
盤安はふらりとよろけながら、膝を折って地面へと座り込む。
喰らった攻撃により、全身に火傷を負ってしまった為に、もはやこれ以上戦う事は出来なかった。
「ぐっ、く、くそ……ッ! こんなはずでは……!!」
「一応これでも手加減している。本気でやると後の掃除が大変だからな」
「くっ……ぐうっ……!!」
圧倒的な力の差を見せ付けられ、盤安は思わずうめき声を上げた。
確かに、爆発の割には盤安はダメージを受けていないように思えた。
もし本気ならば、これに威力が更に加わり、本当に身体が爆裂四散して木っ端微塵だったのだろう。
誰がどう見ても、完全にリュウォンの勝利だった。
(す、すごい……あいつ、本当に強いんだ……)
無愛想なだけの少年だと思っていたが、実際に実力も伴っていたのだとわかるとメイファは、急にリュウォンが見違えるように見えてきた。
冷静で的確。そして容赦なく相手を叩きのめす姿は、物凄くかっこよく見えた。
しかし―――それは盤安には憎らしく映った様だった。
「み、み……認めぬ……認めんぞッ!!」
所々、身体が焦げた状態だが、それでも盤安は起き上がり、ふらふらになりながら罵った。
「お前などが来なければ……いや、僵尸がこの街の役にも立たない夜警団どもを壊滅させていれば、こんな事にはならなかったのだ……」
リュウォンには敵わぬと見たのか、捨て台詞を吐くように盤安は言う。
「な、何よ! あんた、僵尸がどういう奴かわかってて言ってるの!? 団のみんなを馬鹿にするのは、絶対に許さない!!」
「ふん、何が街を守る夜警団だ。我々には手も足も出ず、僵尸の一人も倒せなかったではないか」
メイファは、その言葉を言われて、思わず泣きそうになってしまった。
僵尸に敵わなかったのは事実だ。襲撃を受けて、主要な人たちが大怪我をしてしまったり、死んでしまったのも事実だ。
そして、それが原因で彼らを招き入れてしまったのも……。
でも―――夜警団のみんなは、僵尸が現れても立派に戦った。
決して強力な敵に臆することなく、街のために命をかけて戦った。
馬鹿にされる謂れなんて、全く無い。
「あんたなんかに……!!」
「そうか。そんなに僵尸と戦ってみたいか。ならば……戦わせてやろう」
「……えっ?」
リュウォンが言うと、僅かにその場の時間が停止したように思えた。
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