第5話:夢から覚めて
「どうしたの?」
投げかけられた声にハッとなってメイファが目を開くと、目の前にミーネの顔があった。慌ててメイファは身体を起こして周囲の様子を確認する。
自分が居る場所は、夜警団の集会所だった。
机に突っ伏して、居眠りをするような格好になっていた。
「あ、あれ、なんでここに……」
「メイファ、憶えてないの? 夜の見回りが終わって帰ってきたら、あなたすぐにそこで寝ちゃったのよ。だから今の内に、私ライ隊長とリーダーに会ってきちゃった」
「え? なんで?」
「今度さ、私……強威のメンバー選抜試験に挑戦しようと思ってるんだ」
恥ずかしそうにミーネは言った。
「ミーネが強威に? なんでまた」
黒鯨団にはいくつか位があり、正規の戦闘隊員は別名を「強威」と呼ばれている。
メイファが目指しているものも同じで、「強威級術士」というのが正式な名称だ。
「ちらっと耳に挟んだんだけど、なんかね、医療班の人たちが不足してるらしくって、その募集をやるらしいの。私は……医療の術を勉強してるから、少しでも役に立てるかな、って思って……」
「へぇー! いいじゃん! ミーネにピッタリだよ!」
「そうかなぁ?」
ミーネに伝えると、彼女は照れくさそうに微笑んだ。
メイファは少しばかり周囲を見渡して、改めて集会所の中を確認した。
集会所の風景はいつもと変わりない。周りには、何も壊れていない日常が広がっているばかりだ。
スゥもいつものように受付の席にいる。
それを確かめると、メイファは大きく息を吐いて心の底から安堵した。
(そうだよね。あんな事、ありえるはず無いわよね……)
「うーっす」
受付の方から、聞き覚えのある声が聞こえ、メイファはそちらの方をすぐさま見た。そして、カウンターの所にいつもの顔を確認すると、駆け寄って声をかけた。
「ボーファン!」
「あん? んだよメイファか。どしたんだよ。俺の彼女にでもなりたくなったのかー?」
「そんなわけないっての!!」
冗談に皮肉っぽく返してから、メイファはホッと胸を心の中で撫で下ろした。
ボーファンもいつものとおりだ。
最初に見回りに出たときと何も変わっていなかった。
(良かった……)
あれは、転寝をしていた時に見てしまった悪夢だったのだろう。
あんな風にこの日常が壊れるわけがない。
ここで戦っている強い人たちが、あんなにあっさりと負けてしまうわけがない。
メイファは小走りで突然、駆け出して改めて集会所の中を一回りした。
「ライ隊長! 今日もご苦労様です!」
「ん? ああメイファか。夜警団の仕事もいいが、君は学生なんだから、本分にまずは集中した方がいいぞ」
「はい!」
ライ隊長、白珠リーダー、戦闘隊副長の嵯氏、術研究を日夜やっている迷麗。
親友のミーネ、いつも受け付けでみんなを迎えているスゥ。
そして毎日見回りに借り出されているボーファン。
黒鯨団の集会所は、いつもと何も変わりはない。
(大丈夫、大丈夫よね……)
メイファは、受付の辺りで待っているミーネの元へと戻ろうとした。
しかし、振り返ってみるとミーネの姿がどこにもない。
「あれ? 受付の方にいるのかな?」
受付のカウンターを見ると、まだボーファンとスゥが何かの手続きで面倒事が起こったのか、書類を前にして話していた。
メイファが二人にミーネがどこへ行ったかを訪ねる。
「ねぇ二人とも、ミーネ知らない?」
「え? ……えっ?」
ボーファンの二言目は、戦慄の声だった。
メイファは悪寒を感じ、二人の視線が泳いでいる自分の背後へと振り返った。
すると―――そこにミーネが居た。
「ハァァァァ……」
青色の肌変わり果てた姿となったミーネが、牙を剥き出した姿でこちらを睨んでいた。
「あ、ああ……」
爪が僅かに伸びると、次の瞬間ミーネは獣のように飛び掛ってきた。
そしてメイファは、力の限り叫んでいた。
自分へと迫る牙と爪の前に、そんな事は無意味だと知りながら。
やがて身体が引き裂かれると、世界には闇が満ち、自分の意識は途絶えた。
■
逃げ出したい、という気持ちが最高潮に達した時、メイファは上半身を引き起こしていた。
転瞬、周囲に光が満ち、今までとは別の光景が広がっていた。
「はぁっ……はぁ……っ……」
起き上がると、見た事の無いベッドに寝かされていた。
身体中が汗でびっしょりになっていて、全力疾走した後のように息が上がっている。
どうやら、相当うなされていたようだった。
「こ、こ、ここは、どこ……?」
「起きたか」
メイファは自分に投げかけられた声に驚き、慌ててベッドの端に身を寄せた。
そして、声がした方向をじっくりと観察した。
やがて気分が落ち着いてくると、一人の少年が蛍光石のランプの光を頼りに椅子に座って本を読んでいるのが見えた。
あの僵尸と戦っていた少年だった。
「あっ、あ、あなたは……!?」
「胸ぐらい隠せ。裸だぞ」
少年はそう言うと椅子から立ち上がり、部屋の中にあった扉を開け出て行った。
メイファは自分の胸元が露になっているのを確認し、顔が真っ赤になってしまった。
どうやら、治療のために自分は服を脱がされてベッドに寝かされていたらしい。
傍にあった机を見ると、濡れタオルやら包帯やらが置かれているのが見えた。
恐らく、あの少年は自分の事を看病していたのだろう。
「嫌な夢、見ちゃったな……」
あの少年はボーファンと同じ僵尸だった。
危険な存在であるからして、逃げてしまおうか、とメイファは一瞬考えた。
だが身体中の力が抜けていて、とても立ち上がるのは難しそうだった。
それに先程の少年を見た所―――どうも、肌の色が最初に見たときと違って、普通の人間と同じ血色の良い色になっているように見えた。
(見間違い……だったのかな)
やがて毛布に包まって、また寝ようとしていると誰かが入ってきた。
今度は、ボーファンに襲われた時に目の前へと現れた虎の獣人だった。
メイファは息を呑んでじっとしていたが、やがて少年が立ち上がると虎人は先程まで少年が座っていた椅子に腰を下ろした。
代わりに少年は立って待機する格好になった。
どうやら立場的には、少年はこの虎人に従っている格好のようだ。
虎人は椅子の心地を確かめると、メイファへと言った。
「気が付いたようじゃのう。気分はどうかな?」
「え……あ……えー、と……しゃ、喋れるんですか……?」
「おっと、この姿では話しにくいかの。では……」
虎人は、なにやら呪文のようなものを呟いた。
すると、全身から煙のようなものが噴出し始めていき、虎人を覆った。
やがて―――煙が晴れると、その下には獣人ではない普通の老人の姿があった。
「これならばよいかのう」
「えっ……!? な、何をしたの……?」
「今のは仙術のひとつじゃよ」
「仙、術……? ってことは、あなたは仙人様、なんですか……?」
「左様じゃ。これから……少し話をしたいのじゃが、良いかのう。長くなると思うが」
メイファは、もしかすると自分がとんでもない事に巻き込まれているのではないか、と薄々感じつつも話をすることにした。
どちらにせよ身体がロクに動かない以上、他にする事もないのだから。
「まずそうじゃな……ワシらの事から話すとしようか。ワシは崑崙連合と呼ばれる仙界。そこに属する仙者の一人で名を”教果”と言う。人は”教果仙人”とか呼んでおるな」
「教果仙人……」
「そしてワシの本来の姿は、先ほど見た虎人の姿の方になる」
仙人とは何か?
それは永き修行の果てに不老不死を得て、森羅万象の力を操ることが出来るようになった存在の事を言う。
神話の世界に登場する人間の多くがこれであり、あらゆるを奇跡を生み出す力を使う様は、災害や神、もしくは精霊を擬人化したものであると言われていた。
メイファは、おとぎ話でこそ仙人の名前を聞いた事があったものの本物に出会うのは初めてのことだった。
「そして……後ろにおるのがリュウォンと言う。ワシの弟子であり”道士”じゃ」
リュウォンと呼ばれた少年は、教果から呼ばれるとわずかに頷いて答えた。
二人が自己紹介を終えると、メイファも続けて答えた。
「あたしは……メイファ。鈴命花(リン・メイファ)って言います。あの、仙人さま。崑崙連合って……なんなんですか?」
「崑崙連合とは、仙界のひとつじゃ。この世界……8つの大陸とそれを統治する三国があるが、それを総称して”公苑”と呼ぶ。それは知っているかの?」
「あ、はい。学校で習いました」
世界は”緑の大いなる園”と例えられて、歴史のいつ頃からか8つの大陸と3国を総称して”公苑界”と呼ぶようになった。
今では歴史の教科書などで”公苑の樂国は~”などと言う風に使われている。
「仙界とは、公苑の少しズレた場所にあるのじゃよ」
「ずれた場所……?」
「例えば誰も来ることが出来ない空中だとか、太陽の光が決して届かぬ深海。また道士としての力を持たなくば、入ることの出来ない空間の中とかじゃ。ここのようにな」
「ここは……どこなんでしょうか?」
メイファは周囲を見て、今まで見た事が無い場所であった事を訊ねた。
窓が一切無く、ベッドなども見慣れない装飾が施されていた。
「スゥの家の納屋じゃよ」
「えっ!? で、でも納屋って……」
スゥの家の納屋には、一度訪れた事があるが、黒鯨団で使う武具や雑用品やらが棚に並べられていて、倉庫のように使われていた。
こんな風にベッドなどは置かれていなかった筈だが……。
「まぁ、一度外に出てみればどのようなものかわかるじゃろうて。話を戻すが……仙人の世界には、いくつかの派閥のようなものがあっての。そのひとつが崑崙連合と呼ばれるものなのじゃ」
「三国みたいなものですか?」
「まぁ、そんな感じじゃな。ワシは……というよりは、仙人というのは、大半がどこかしらの派閥に所属しておる。派閥を通じ、または拠点として術の研究をしたり、ひたすら何かの観察をしたりなどをのう」
教果仙人は、そう言うとキセルを取り出して指を鳴らした。
すると親指の先に火か点り、それを使って仙人はタバコを吸い始めた。
部屋の中で吸うのは酷く迷惑なように思えるが、不思議と煙たい感じはしない。
むしろ、薬草か香草かのような鼻を心地よくくすぐる匂いが広がっていった。
「いい香り……」
「これは栖能蜜柑(すのうみかん)という特別な蜜柑の葉を煎じたものじゃ。ワシの滋養強壮薬じゃ。流煙にも害はないから安心せい」
「あの……一つ、お尋ねしたいんですが、その、仙人さまとその弟子の方が、どうして私を助けてくれたんですか? それに、何でこんな街に」
「ワシらがここへ来た理由はのう……この街にいた”スゥ”という道士に助けを求められたからじゃ」
その名前を聞き、メイファは思わず唾を飲み込んだ。
ボーファンに黒鯨団の集会所が襲われた時の光景が、脳裏によぎる。
あの惨劇が始まった瞬間の事を思い出し、メイファはどんどん動悸が早くなるのを感じた。
思わず胸を押さえて、落ち着こうとしていると、教果仙人が背中に手を置いて言った。
「落ち着くのじゃ。もう恐れる事はない」
「はぁっ……はぁ……」
「恐ろしかったのじゃな……余程。無理も無いじゃろう。あのクラスの僵尸と対峙して、更に戦ってまともに生き残れる人間は少ないからのう」
「スゥ……さんが、道士だったなんて」
「正確にはスゥはまだ修行中の身じゃ。しかし……崑崙の協力者じゃった。ここ巳秦は、さほど大きくない街じゃからか、まだ誰も正式な道士がやってきておらん場所でな。スゥはここに崑崙の拠点を作る為、先にここへと派遣されてきたのじゃ。そして、この街の夜警団に協力を行いつつ、拠点を完成させようとしていたのじゃが……」
教果が言葉を切り、吸っていた蜜柑のタバコを一旦外して言った。
「最近になってこの地方に僵尸が現れたという話が流れた。それを受けて、スゥから少し早いが道士を派遣してもらえないか、と要請があったのじゃ」
「スゥ、さんが……」
地下とは思えない夜空のような天井が広がる部屋を見ながら教果は言った。
眉間にしわを寄せて、悔し気な、苦々しい表情をしていた。
「もう少し早ければ、救えておったものを……」
「老師(せんせい)、仕方ありません。ここにはまだ”死切(しにきり)”と戦える者は居なかったようですから」
「死切?」
メイファがリュウォンへと訊ねると、教果が言う。
「僵尸(キョンシー)というものには、いくつか段階があるのじゃ。今の世だと”レベル”とでも言った方が、わかりやすいかもしれんの」
「レベル……?」
「メイファ。そなたを襲ったあの僵尸は……レベル2の”死切”という。死後、時をある程度経て身体を自由に動かせるようになった僵尸じゃ。まだまだ現れたての奴じゃよ」
「時間が経って……? で、でもボーファンは見回りに行く前まで普通にしてました。おかしいです」
メイファは昨晩、城壁の見回りに行く前に、確かにボーファンと会った。
いつものように気さくに言葉を交わしていたのを確かに憶えている。
その時は何の変化も無かった筈だ。
それを聞くと「何……?」と小さくリュウォンが声を漏らした。
「ふむ……少し、その話を詳しく聞かせてもらえんかな」
メイファは昨日の夜に起こった事を話した。
自分とミーネが黒鯨団の見回りに行くときのこと、その時のボーファンの様子は普段と何も変わらなかったこと。
そして、見回りから戻ってきて、帰ろうとしていたときにボーファンが集会所へと入ってきて、その時の様子が変であったこと。
その後に集会所の中で殺戮を始めたこと。
「それでは……たった2時間ほどであの姿となっていた、そういう事なんじゃな?」
メイファが力無く頷くと、教果はヒゲを弄りながら何かを考え込むような仕草をし、目を瞑った。
そして香草のタバコを一服すると、重々しい感じで口を開いた。
「どうやら……噂はどうにも、本当であったようじゃなぁ」
「老師。それでは……」
「九龍が本格的に動き始めた、という事なのじゃろう。そして……李璃も……」
「九龍、って何なんですか?」
メイファが訊ねると、二人は少しの間沈黙していた。
しかしやがてリュウォンが前へ出て何かを言おうとすると、教果が手を挙げて止めた。
代わりに自分が話す、という事なのだろう。
「それについてはワシから話そう。ちょっと込み入った話しになるからのう」
「あ、あの……その前に聞きたいんですけど、ミーネは無事でしょうか?」
メイファはミーネの事が気になり、先に訊ねてみる事にした。
一緒に帰るときに、先に逃げるように言ったっきりだったからだ。
「ミーネとは? 友達かのう」
「あたしの友達です。夜警団の見回りに行ってて、帰ろうとしてた時に襲撃に会って、先に逃げててもらってたんです」
「ああ。先程の話で帰る時に一緒だったという娘のことじゃな。それなら……」
教果が言うと突然、リュウォンの顔色が変わった。
顔をしかめ眉間に眉を寄せ、物凄く気まずそうな表情となったのだ。
それに気付いた教果は、リュウォンに訊ねた。
「リュウォン、何か知っておるのか?」
「実は……あの戦闘の後、追いかけていった先で、僵尸が一人の少女を連れ去るのを見ました。それを、取り逃がしてしまい……」
リュウォンが言うと、メイファはその事実に血の気が引いていくのを感じた。
そして、語気を強めてリュウォンへと言った。
「茶色のくせっけのある髪の子で、背丈はあたしくらいで……!」
「確か緑の、新緑色の服を着ていた。間違いないか?」
リュウォンの確認にメイファはさらわれたのがミーネであると確信した。
人食いの怪物に、一番好まれるであろう少女が連れていかれてしまった。
その事実に思わず声を上げていた。
「さ、さらわれたの……!? うそ、嘘ッ!!」
「落ち着くのじゃ。リュウォンよ、その場では少女は食われなかったのじゃな?」
リュウォンに教果が訊ねる。
「はい。気絶させられて連れて行かれただけです。手傷などは負わされていないようでした」
「フム……もし食い殺そうとするなら、その場で喉を噛み切るなりしておるはず。わざわざ生かしたまま連れて行ったという事は、それ以外の理由じゃろうな」
メイファはひとまず胸をなでおろした。
しかし、ミーネが危険な状態に陥っているという事に代わりはない。
一刻も早く、後を追いたい焦りが心に沸きあがってきていた。
「はやく、はやく……追いかけないと」
「ここからじゃと……向かう先は”燗港”かのう? 逃げ込めるような場所は、あそこしかない」
「恐らくそうでしょう。近隣の街であり港ですから、九龍の元へ行くのなら、自分もそれしかないと思います。山を経由して他の街へと行くというのは……一人ならわかりますが、人を抱え、逃げている身で、というのは考えにくいです。身を潜めるにもうってつけで、そして……どこかへと出て行くにも都合がいい」
「燗港……」
燗港というのは巳秦から最も近い港町である。
樂草の国の中では小さい港町だが、巳秦の周辺は高い山々に囲まれており、街は実質的に陸の孤島のような立地となっている。
他の樂草の街へと行くにも、他の大陸へと渡るにも、燗港は重要な街だった。
メイファは「追うんですか?」と訊ねた。
「無論じゃ。人がさらわれたならば放置しておくわけにはいかぬ。僵尸は九龍と関わりがあるかもしれぬの以上、尚更じゃ」
「その……さっきから言ってる、その”九龍”って何なんでしょうか?」
「おっと、忘れておったわい」
教果は先程言おうとしていた事を思い出すと、一度、大きく咳払いをし、話を始めた。
「九龍とはのう……かつて仙界に存在した派閥で今、我々が戦っておる組織の事じゃ」
「戦う……そ、それって一体……?」
「仙界には崑崙連合のほかに仙人達が集まる派閥がいくつかある。西灯濠(さいとうぼり)や金鰲党(こんごうとう)などが主なものじゃが……九龍は、その中でもはみ出し者が集う派閥じゃった。どこにも所属できないが力を持った者達がのう」
「はみ出し者って……?」
「例えば獣人や長い月日を生きた獣などじゃな。基本的に……ワシのような純粋な人でない存在は、仙者となる事は少ないからか、崑崙にもなかなか入れずにおった。そういう者を九龍は分け隔てなく受け入れていたのじゃ」
「いい所だったんですか?」
「元々はのう。じゃが―――ある時、九龍は突如”李璃”と呼ばれる仙人を中心として、全ての仙界へと宣戦布告を行った」
「せっ、宣戦布告……!? どうして……?」
「理由は今をもって全くわかっておらぬ。じゃが……九龍は本気で潰し合い、殺し合いをするための戦いを始めたのじゃ。九龍は、どこから集めてきたのかわからぬほど多くの道士と仙人を従えて、崑崙をはじめとした仙界全てに攻撃を仕掛け始めた」
「そんな事……始めて聞きました」
メイファが住む樂草は、翡慶、文囲という大国と反目しあっている。
昔は戦争も巻き起こっていて、魔獣たちが現れた影響で表面的には戦乱は収まってはいるが、冷戦のような状態になっているのは間違いない。
しかし、仙人たちの世界まで戦乱が巻き起こっているとは初耳だった。
「当然じゃ。人の世界にこちらの戦いは伝わらぬようになっておる。人の世界から仙界へと足を踏み入れる事が殆ど出来ぬように、な。逆の事も起こりにくいというわけじゃ」
メイファは、どうやら仙界と人の世界と言うのは、思ったよりも離れているものであって、だからこそ両者が関わる事が余り無いのだな、と教果の話を聞いて納得した。
「話を戻すが……九龍との戦いは、結果から言うと我らが勝利した。金鰲党の党首である斉奏君が九龍の李璃と戦い、これを撃破したのじゃ」
「倒したんですね……」
「そのはず、じゃった。ワシもその戦いには参加しておったからのう。ワシは確かに李璃が倒され、肉体が完全に滅ぼされたのを見た。だから倒された事は間違いない。じゃが……最近になって、こんな噂が立ち始めたのじゃ。”李璃が復活した”とな」
教果が言うと、メイファは思わず間の抜けたような声が漏らしてしまった。
そして理由を訊ねていた。
「わからぬ。我らが知ったのはつい最近……と言っても、300年ほど前となるのじゃが」
数拍置いてから教果は話し出した。
「ある時から、公苑界に煉魄を操る力が広まった」
「煉魄を……って、術の事ですか? 今夜警団とかで使われてる、攻術とかの」
「そうじゃ。全ての生きとし生けるものの中に、煉や魄は存在している。確かに術自体は使う事は可能じゃ。しかし……奇跡を操る技術など本来この世にはあってはならぬもの。仙界でも人の世界で突然、術が使われ始めたのがどうしてか、わからぬままじゃった」
「そう言えば、あたしも理由はあんまり聞いたこと無かったな……」
「ワシは長い間、その理由を調べておった。そして最近になって……道士が次々と、何者かに殺害されていくという事件が続くようになった。それも見習いや、修行中の者ばかりがな。丁度今回の、スゥのようなケースじゃ」
「! もしかして急いでいたのは……」
メイファが訪ねるとリュウォンが言った。
「そう。僵尸が関わっていると耳にしていたからじゃ。崑崙連合が道士の襲撃事件についての詳細を調べていくと……どうもいくつかの事件で僵尸が現れたらしいという事が判明してな。最初はワシも信じれなかったが、仙界にも僵尸を引き連れた道士が現れ、言ったのじゃ。”九龍は復活した。偉大なる指導者と共に”とな」
「指導者……?」
「それが、九龍をかつて率いていた”李璃”なのではないか、と噂されておるのじゃ。そして術の力を人の世界にもたらしたのも、恐らくは奴なのではないか、と」
「知らない所で、そんな戦いがあったんですね……」
メイファが感心するような声で言うと、教果は嬉しげに鼻を鳴らして言った。
「ホッホッホ、そう言う事じゃ。世界の裏側で、人知れず行われている戦いもあるという事じゃよ」
「でも……ミーネは、なんで連れて行かれたんでしょうか? も、もしかして、その……今言った李璃って人たちが作っている九龍に僵尸の材料にされる為に連れて行かれたかもしれない、って事ですか……?」
その先の可能性を考えたくは無かった。
だが、小声で訊ねた言葉に教果は答えた。
「その可能性は非常に高い。そのまま僵尸とするのか、それとも肉体の一部だけを部品にするのか、まではわからぬが」
「な、なら……急いで助けに行かないと……!」
メイファはそう言われると、いてもたってもいられなくなり、無理矢理にベッドから起き上がった。
だが身体は僵尸の毒によって体力が落ちた状態のままであり足元がおぼつかず、ふらふらと倒れそうになり、壁へと寄りかかった。
そんな様子を見て、教果が微かに笑いながら言った。
「フム……やはり、よき煉と清廉なる魂の持ち主じゃな。これならば、やはり適任じゃろう」
「老師。まさか……」
「決めたぞ。鈴命花(リン・メイファ)よ。そなたを―――リュウォンの新しい”操者”として、崑崙に迎え入れる事としよう!」
教果がそう言い放った瞬間、少年と少女は顔を思わず向け合った。
そしてその後に両者ともに訊ねるように言った。
「どういうこと?」、「それは流石に」と。
教果は怪訝に二人へ向けて訊ねた。
「どうしたのじゃ? めでたい事ではないか」
「老師、自分は反対です。こんな何も考えていなさそうな奴に道士など……ましてや自分の操者など務まるわけがありません」
冷静に「こんな奴はダメだ」とリュウォンが言った。
メイファは思わずカチンときて教果へと言った。
「なっ、何を言ってるのかわからないけど……仙人さま。あたし、こんな木偶の坊みたいなのと一緒に、何かやるつもりはありませんから!」
「お前、何を老師に言われたのかわからないのか。お前は、道士になる誘いを受けたのだぞ」
そう言うと、メイファは言う。
「えっ? ど、道士……って……」
「今老師が言われたのは弟子とならないか、と言う事だ。そして老師の弟子になると言う事は、崑崙連合所属の道士となるということだ」
「言い方を変えるならば、そうとも言えるのう」
仙人の弟子になれる、そう聞いてメイファは戸惑いの声を漏らした。
「なっ、えっ……!? ど、どういう事……なんですか?」
「まぁ理由を言うとな……ワシは戦える限界が近づいておるのじゃ」
「限界……?」
「リュウォンはある理由から、煉を操る事の出来る人間と共に戦う必要がある。今まではそれをワシがやっておったのじゃが、この老体には少々辛くなってきての。後継者を探しておったのじゃが……」
「そ、それがあたしって事ですか……!?」
「友達を追いかけたいのじゃろう? それが一番都合良いと思うんじゃがな」
自分にかけられていた思わぬ誘いに、メイファは頭が真っ白になってしまっていた。
憧れであった道士になるための道。それが開けた事に。
でも親友が連れ去られていて、一刻も早く追いかけなければならないという事実に。
頭の中が複雑な状態になっていたのだった。
リュウォンが声を僅かに張り上げて言った。
「老師! どうかご再考を……」
「まぁ待て。リュウォンよ」
リュウォンが何か言おうとするのを止めて教果は続けてメイファはへと言った。
「メイファよ。この話は今、返事を聞きはせん。少し考えてから、心して受けよ」
「……えっ? ど、どうしてですか?」
「今、仙界は公苑と同じく政情不安定の真っ只中にある。この誘いは―――道士となる道、いずれはもしかすれば仙人ともなれる道でもあるが、同時に”術使いの兵士”としての、いわば登用とも言えるものとなるからじゃ」
その言葉を聞いて、再びメイファはハッとなった。
少し浮かれていた気持ちが急にしぼんでいくような気分になった。
確かに、その通りなのだ。
魔法使いになれるような気分だったが、今、道士となるという事は仙人の世界へと入って九龍と戦う事を意味する。
それはもしかすると最終的には戦って死を迎えてしまうかもしれないと言うことだった。
「返事は明日聞くとしよう。それまで、じっくりと考えるのじゃ。決して、道士となることを軽くみてはならぬ」
教果の言葉に、メイファは力無く答えた。
「さて、この辺で話はよいじゃろう。そろそろワシはこの街を一通り見て回る事としよう。まだ着いてここ以外ロクに回っておらんかったからな」
部屋を出て行こうとする教果の後をリュウォンがついていこうとしたが、それを教果は止めた。
「これ、何をしておる。リュウォンよ。主はメイファについておくのだ」
「え、なっ……!? な、何故自分が……?」
「ここは一応は仙界じゃぞ。知っておる者が案内をやらねばならんじゃろう。それに、お主の操者となるやもしれぬ者じゃぞ。自身が世話をせずしてどうするのだ」
「そ、それは……」
「では、よろしくのう。ワシは少し気晴らしも兼ねて出てくるのでな。夜までは主もゆっくりしておくのじゃ」
そして、教果が出て行くとその場にはメイファとリュウォンが残された。
2人となると、リュウォンはまた椅子に座って本を読み始めた。
しばらく二人は黙ったままであったがメイファはベッドへと戻るとそのまま眠る事にした。
「とりあえず、もうちょっと寝よう……」
それからメイファは更に深く眠り込んだ。
泥のように眠り、今度は夢を見なかった。
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