第4話:死体色の少年

「はぁ……はぁっ……」


僵尸の弱点は、太陽の光だといわれている。

死者である彼らは、光の中では生きていく事が出来ない為、太陽光を浴びてしまうとその肉体を維持する事ができず、灰となって消えるという。

自分に残されている手は、夜明けが来るまで逃げられるだけ逃げることしかない。


(ミーネは逃げ切れたかな……)


人気が全く無い街中へと入るとふと、途中で別れたミーネのことを考えた。

彼女も年で言えば自分と同じで、思春期の少女である。

条件が同じで、僵尸から狙われる度合いも同じ程度の筈だ。

しかし、こうやって自分を追いかけてきていると言う事は、ミーネの方は大丈夫なのだろう。

自分が逃げた時には姿が無かった上、襲いに行く時間があったとも思ええない。


(少なくとも、あたしが引き付けてる間は大丈夫)


街中は歩き回っているから、地理には自信がある。

しかし、追いかけてきているボーファンの動きはかなり素早い。

恐らくは―――逃げ切れないだろう。

だがここであっさりと殺されてしまったら、今度はミーネが狙われるかもしれない。


(あたしが……何とか時間を稼がなきゃ……!)


メイファは例え最終的に自分が死ぬこととなっても、これ以上、生まれ育った街の人たちを犠牲にしないために。

力の限り逃げ回ることを心の中で固く決心した。

そんな時だった―――


「えっ!?」


ふと逃げ込んだ路地の先を見て、メイファは思わず足が止まった。

そこはいつも学校へと近道をする為に使っている裏道だったが、何故かうず高く何かが積まれて塞がっていたからだ。

今まで見たことが無い、壁のようなものが出来上がってしまっていた。


「なっ、何これ!? 何なのよ!? こんなの、朝無かったのに!」


駆け寄って登ろうとするが、手を引っ掛けられるような場所が余り無い。

すぐに登る事は出来なさそうだった。

そして、路地の入り口にはボーファンがいる。もう戻る事も出来ない。

追い込まれてしまった―――!


「ビン……? これ、お酒のケースだわ」


中身を見て、メイファはこの酒類用のケースの持ち主が誰かわかった。

この裏道を抜けた所に、開店を控えた何かしらの建物がある。

そこは飲食店になるという話を数日前に聞いていたのだ。

恐らく、これはそこで使うものを一時的に置いているのだろう。


(どうしよう……登ってる時間はないわ)


登って越えるだけなら、時間があれば出来るだろうが、それではボーファンに追いつかれてしまう。

もう、とてもそんな暇は無い。

どうしようかと考えていてメイファはふと、一つの案を思いついた。


(そういえば……僵尸って火にも弱かった筈だわ。確か……)


メイファは、とある事を思いつくと周辺のビールケースの中身をさらった。

見た感じだと単一の銘柄ではなく、店で使うもので常温で保存しておけるものを適当に置いているのがわかる。

ならば、もしかすると自分の思いついたモノがあるかもしれない、と考えたからだ。


「あった……”桃源酒”!」


メイファは、淡いピンク色の液体が入ったビンを手に取った。

片手で持つとボトルが手からはみ出すぐらいの、やや小ぶりのビンだ。

これは桃源酒と呼ばれるお酒が入ったものである。

名前の由来は原料に桃を使っている事と、桃源郷でしか産出されない伝説のお酒、というイメージから

名づけられた物であるといわれている。


(これなら……)


メイファはビンを三つほどポケットに入れて持つと今度は懐から、短冊状の紙を手に取った。

これは術を使うための魔道具である。

中央に赤色で火を起こす為の文字が描かれている「術符」だ。

そして、ボーファンが来るのを待った。


「ハァァァァ……」


メイファが身構えて待っていると、ボーファンはゆっくりとやってきた。

もう逃げられないのを遠くからでも確認できたからなのだろう。

両手の伸びた爪を、親指を使って研ぎながら、メイファが立ち往生している場所までやってきた。


(なんて姿なの……)


ぐるる、と猛獣を思わせるように喉を鳴らすボーファンの姿を見てメイファは改めて戦慄を覚えた。

もはや完全に人ではないばかりか、狂気すらその表情には孕んでいるように見えたからだ。ボーファンはメイファが脇から逃げないよう、確実に距離をつめてくる。

メイファはどんどん早くなる胸の鼓動を抑えながら、心の中で言った。


(落ちつかないと……効きさえすれば、逃げられるはずなんだから……!)


やがて、じわり距離を詰めてきていたボーファンの足が止まった。

そして、少しずつ身を低くしていく。

飛びかかるタイミングを伺っているのだろう。

メイファはそれを見ると、右手の人差し指と中指に先程用意した短冊状の紙片を挟んで持ち、左手に桃源酒のビンを持った。

そして―――


「やぁっ!」


メイファは持っていた桃源酒のビンをボーファンに向かって投げつけた。

最初のひとつはボーファンに空中で切り裂かれたが、中身が酒であると知ると二度目は避けず、そのまま酒をモロに被った。

メイファが持っていたビンがなくなると、それを見計らったかのように、ボーファンは雄たけびを上げて飛びかかってきた。


「ガアアアアアッ!!」


メイファは飛び掛ってきたボーファンへと向かって、符を構え、左掌を合わせて呪文を唱えた。

その瞬間、火の腕がボーファンへと伸びるように彼へと放たれた。


「発火掌!」


火の腕がボーファンを薙ぐと、一瞬のうちに彼の身体は燃え上がった。


「グアアアアッ!!」


(やった、効いた……!)


メイファが使ったのは発火を起こす術「発火掌」だ。

余り大きなダメージを与えられるものではないが、今投げつけた桃源酒のお陰で、火は一気にボーファンの身体を包んでいた。

桃源酒は、アルコール度数が極めて高いお酒であり、発火性が非常に高いのだ。

メイファは料理で火力を高める際に、この酒を使っているのを見た事があったのだった。


「ガ、ガガ……」


僵尸は死体であるので水分が余り体に無く、その為に火に弱いと言われている。

ボーファンもそれは同じようで、上半身をあっという間に火に包まれた彼はもがき苦しみ、その場に膝を着いた。

メイファはその隙を狙って脇をすり抜けていった。

これだけで倒す事は恐らく出来ないが、しばらく動きを止めるぐらいなら何とかなる。そしてその隙に脇を抜ける程度ならば可能なはずだ。


(今のうちに……!)


そう思って脇を抜けようとした時、下半身に鋭い痛みを感じた。


「痛ッ!」


痛みを感じた瞬間、足がもつれて転んでしまい、仰向けの状態にメイファは倒れ込んでしまった。

すぐさま立ち上がろうとしたが、体に力が入らない。


(な、何……? 何かに引っ掛けちゃった……?)


上半身を起こし、自分の痛みを感じた箇所を見ると太ももの辺りに、赤く横線が引かれたかのような傷があった。

そして、血が流れ出していた。

すれ違う際に、ボーファンに爪で引っかかれてしまったようだった。


(そ、そん、な……)


毒素が全身へと回り、熱い感覚が身体中を支配していく。

痺れるような感覚は、すぐに突き刺すような痛みへと変わり、吐き気と悪寒の感覚が頭に満ちていく。

同時に、恐怖も心の奥底からゆっくりと鎌首をもたげてきていた。

火を完全に振り払ったボーファンの姿が、メイファのすぐ前へと立っていたからだ。


「い、いや……」


メイファは歯の音が合わなくなっていた。

これから食い殺されると思うと、恐ろしくてたまらなかった。

舌なめずりをするボーファンの姿を、生まれて今まで見てきたどんな猛獣よりも恐ろしいと感じた。

大粒の涙が両目に溜まり、目の前がぼやけていく中、メイファの目に、何かが映った。ビールケースの山の上に何か、赤色と橙色の混ざったものが見える。


(えっ……?)


目を一旦閉じて、涙を落とすとメイファは改めて相貌を見開いた。

そこには―――見回りのときに見た「虎人」が居たからだ。

虎人は来ていた服のポケットから水晶の玉を取り出した。

そして、言い放った。


「火焔鳥の息吹!」


虎人がしゃがれた声で呪文を放つと、炎の風が巻き起こり再度ボーファンへと襲い掛かった。

それは攻撃用の火の術だった。

ただメイファが放った術よりも、遥かに強力な火炎の術である。

ボーファンは今度は全身が真っ赤に燃え上がり、火達磨となって悲鳴を上げながら地面を転げ回った。

それを確認すると虎人は高く飛び、メイファの元へとやってきた。


「どれ……」


虎人はメイファの傷の具合を確認すると、

胸元から緑色の札を取り出し、ぺたりとメイファの腿にある傷口に貼った。

札はつい先程まで水に漬けられていたかのように湿っており、

まるでシールが貼り付けられたかのように、メイファの傷口にぴったりと張り付いた。

同時に、メイファの全身の熱が引いていく。


「ひとまず、これで毒は良いじゃろう」


てっきり、獣人が獲物を横取りにでも来たのだろうか、と思っていたが

どうもそういうわけではないらしい。

虎人の目は、噂で聞いていた濁りきった知性の無い獣人のものではなく、澄み渡った仙人のような深みを備えている気がした。


「ハァァァァ~……」


虎人の背後から、嫌な呼吸音が聞こえると、背後にはボーファンが再び立ち上がっているのが見えた。

服が焼け焦げているが、いつの間にか炎は消えており、焼け爛れた顔が先程よりも人外さを引き立てていた。

もはや元々人間であった、などと言っても信じてもらえるか怪しい。

その姿を見ると虎人は小さく溜息を漏らして、言った。


「この術にも耐えるか。思いのほか丈夫じゃのう」


虎人はかなり術に精通しているように見えた。

しかし、相手は僵尸である。

この虎人でも勝てるかどうかわからない。

虎人はボーファンが僵尸であることを確認すると、右手を挙げて言う。


「リュウォンよ!」


路地裏全体に響く声が放たれると、酒類ケースの後ろ側から小さな人影が上空へと飛び出し、虎人の前に姿を現した。


(だ、れ……?)


人影が地面へと着地すると、わずかに地面が揺れたような気がした。


「老師(せんせい)。参りました」


「あの者の相手を頼む。ワシはこの者の治療を続ける」


虎人が言うと、現れた人影は短く返事をした。

虎人の前に立ったのは、少年だった。


「さて……ではどうしたものか」


「リュウォン」と呼ばれた少年は、身体全体を覆うように角ばった服装に身を包んでいた。

だが虎人からの命令を受けると、それを脱ぎ捨てた。

するとその下からは身体を大袈裟に包んでいた布切れとは違い、今度は体に密着した服装となった姿が現れた。格闘家のつけるような道着だ。

しかし、それにメイファは驚いた。


(え……!?)


胴体部分だけがある程度、布に包まれているが手足などが露出しており非常に動きやすそうに見える。

恐らくは武術などを使うのだろう、とそれ自体は別に変には見えなかった。

異様だったのは、少年の肌の色だ。

彼の肌は、普通の人間のものではなく暗い青色に染まっている。

ボーファンほど青黒くはないものの、海のような深い青色だった。

彼は、僵尸と同じ肌の色をしていたのだ。


「な、なん……で……?」


「これ、話すでない。毒が回っているのじゃ。黙って回復を待て」


虎人が言うと、僅かだけ少年がこちらの様子を気にしたのか、振り向いた。

その額には、何故か巨大な呪符が貼られていた。


「僵、尸……?」


「ガアアアアアァアッァア!!」


「ぬんっ!!」


ボーファンが殴りかかると、少年は彼の拳を同じく腕を持って止める。

すると、まるで重い鉄の塊同士がぶつかり合ったような鈍い轟音が、軽い地震と共に響き渡った。


「成立(なりたて)の割りに……重いな」


攻撃を受け止められると、ボーファンは続けて何度も拳での攻撃を繰り出していく。その度に金属が衝突しあうような振動と音が響き渡り、周囲を揺らす。

やがて、単純な徒手空拳では効果が無いと悟ったのか、ボーファンは爪を立て、少年を切り裂くように攻撃し始めた。

この攻撃は簡単には受け止められず、少年は袈裟切りの軌道で引っ掛かれ、大きく服が切り裂かれた。

少年は、僅かに苦悶の声を漏らす。


「むぅ……」


しかし血は吹き出ない。

ボーファンの金属を裂く爪でも両断は出来ないのだ。

浅い傷でもないようだが何事も無かったかのようにしていられるのは、少年もまた死体の身体である為だろうか。

ボーファンは更に切りつけ、完全に身体を両断しようとする。

だが少年はボーファンの動きを見切ると、手刀を受け止め、逆に裏拳と掌底の攻撃で胸と頭部に素早く攻撃を叩き込んだ。


「グアッッ!!」


連打の後、更に素早く握り拳を胸へと押し当てる。

そして腰を落とす動きで、全体重を僅かな動きに乗せて放った。

功夫の技の一つである「寸勁」だ。


「甘いッ!!」


押し当てられたまま、全体重が一瞬にしてボーファンの身体を突き抜け、勢い良く彼を吹き飛ばしていった。

まるで小さな爆弾が押し当てられ、爆発させられたかのような威力だ。

ボーファンは、酒瓶のケースの山に突っ込み、そのまま倒れ込んだ。


(……)


メイファは、目の前で起こっている事に対して、急に現実味が薄れたかのように感じた。

僵尸が現れて、黒鯨団の集会所が破壊されて、スゥが目の前で胴体を両断されて殺された。それだけでも悪夢としか言いようが無かったのに、獣人が街中に現れて、更に別の僵尸が現れて戦い始めたのだ。

大怪我を負ったこともあったが現実感のない事の連続で、彼女は急に意識を失い始めていたのだった。


(眠い、な……)


やがて体力が低下していた事もあってか、メイファは瞼を開けていることができずに、闇の中へと落ちていった。

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