第3話:襲撃

やがて深夜の22時となり、交代の術士がやってきた。

これで今日の分の二人の仕事は終わりだ。


「あ~……頭重いなぁ……」


メイファとミーネは今日の分の仕事を終えて、帰ろうと集会所を出た。

集会所の入り口を通り抜けようとした、その時だった。

ゆらり、と一人の男とすれ違った。


「……ろ……い……」


「あれ? ボーファン?」


振り返って見ると、戦士の鎧を着た青年の姿が見えた。

知り合いの大柄な同級生「ボーファン」だった。

黒鯨団で見習い隊員たちの中では屈指の武の力を誇る期待の星で、もうすぐ正規隊員たちの中に入るだろうと言われている。

見回りに出る前に見たので、彼も仕事を終えて帰ってきたのだろうか。

いつも明るくて、とにかく周囲に元気を振りまいているのが特徴的な男子だったが、何故かボーファンは俯いたまま、ぶつぶつと何かを言っていた。

その様子を見て、変だなと思った。


(?……変なの)


きっと夜風に当たって体調でも崩したのだろう。

そう思って、メイファとミーネは集会所の入り口から出ていこうとした。

その時、丁度、ボーファンは受付の位置に居た。

様子が変である彼を心配して、受付係をしていたスゥが訊ねる。


「どうしたんだ? ボーファ……」


スゥが訊ねたが、言葉は最後まで続かなかった。

面を上げたボーファンの表情を見て、スゥが息を呑んだからだ。

彼の顔色は―――真っ青になっていたからだ。

生気をまったく感じさせない、青白い色。

目玉はギョロギョロと血走っており、明らかに正気ではなかった。

スゥは大声を上げようとしたが、ボーファンが腕を振り上げると、すぐに声はかき消された。


「が―――ッ!!」


メイファは、異様な雰囲気を感じ取って集会所から足を踏み出した時にボーファンが居る受付の辺りを見た。そして言葉を失った。

そこには―――胸元から上が消えてなくなったスゥの姿があったからだ。


(なっ、なに、あれ……っ!?)


スゥが数歩よろけると、勢い良く血しぶきが集会所の中に舞った。

完全に胴が両断されてから、まるで胴体が切られた事を慌てて思い出したように。

今まで一度たりとも見た事がない光景だった。


「カハァァ……」


面を上げたボーファンは、湯気を立てながら牙を剥いた。

そして、倒れそうになるスゥの身体に爪を立てて引き寄せると液体を啜る音を立てて、スゥだったものが噴き上げている血を啜った。

とてつもなく下品な音を上げ、耳を塞ぎたくなるような音が響いた。

集会所の中には何十人も居たが、一瞬で起こった凄惨な光景に、誰も反応できなかった。


「ぜっ……―――」


血塗れの顔がスゥの胴体部分から上がった時、周囲に怒号か叫び声がわからない声が響いた。

声の主は3階から受付の方を見ていた夜警団の団長「白殊」の声だった。


「全員!! 戦闘態勢!! 僵尸だッ!!」


声が響き渡った時、メイファはボーファンの顔を見た。

僵尸と化してしまっている彼は、歯並びが外側へと広がったものになっていて、見たことのない歯並びとなっていた。

表情は生気を完全に失い、もはやそれはボーファンではなかった。

血走っているのに光沢の全くない瞳はまるで作り物の人形のようで、視線を向けられただけで体温を吸い取られそうな気がした。


(あれが……僵尸……!?)


じろり、と一瞬だけボーファンがメイファの方を向いた。

その瞬間、メイファは背筋が冷えるようなものを感じて戦慄した。

身体に突き刺さるような意思を感じたからだ。

向けられたものは、きっと色がついているのならそれは真っ赤な色をしているだろうもの。

殺意としか呼べないような、そんなものだった。


「メイファ!!」


それを感じた瞬間、メイファは腕を凄い勢いで引っ張られていた。

恐怖からミーネが手を引っ張って逃げようとしていたのだ。

自分達は、戦闘の技能に秀でた正規隊員ではない。

この場は戦える人間に任せて、非戦闘員である自分達が逃げるのが普通である。

しかし戦おうとしている人たちがいるのに、自分達だけ逃げてしまっていいのか?

メイファはそう考えて、踏み止まってしまった。


「で、でも……」


メイファが躊躇していると集会所の奥から鎧で武装し、巨大な青竜刀を持った青年が現れた。


「貴様……!! よくもスゥをッ!」


「ライ戦闘隊長!!」


出てきたのは、巳秦で最も強い戦士である「ライ」だった。

魔獣とも幾度となく戦った腕利きの戦士であり、噂では大人が十人近く手を繋げてやっと囲めるような大木を、両断できるほどの剣技の使い手だといわれている。

黒鯨団の戦闘部隊のリーダー的存在であり、この街の平和を守っていると言ってもいい一人だった。


(ライ隊長だ……! 隊長が来てくれたなら……)


これで、惨劇は終わる。そう思っていた。

次の隊長の一振りで、僵尸は倒されるはずだ。

しかし、その思いは鈍い音と共に終わった。


―――ガンッッ!!


「なッ……!?」


巨大な青竜刀が目にも止まらぬ速さで袈裟切りに振られ、僵尸となったボーファンの首に振り下ろされた。

しかし、ボーファンは片手でそれを掴んで止めてしまった。

同時に集会所全体が僅かに震え、まるで金属を殴りつけたかのような音が響いた。


(ばっ、馬鹿な……!? かっ、片手で……!?)


ライが急いで二回目の攻撃に移ろうとするが、武器を引く事が出来ない。

ボーファンに凄まじい力で刀を掴まれている為、動かす事が全く出来なかったのだ。


(動かせん……信じられん、なんという力……!)


剣のほうに意識が向いていた。

だからライはボーファンからの攻撃に気が付かなかった。

ハッ、と気付いた時には、半歩踏み込んでいたボーファンの拳が胸元へと食い込んでしまっていた。


「ぐッ!? う、あッ……!?」


黒鯨団の戦士のつける鎧は、とある魔獣から取れる黒曜殻という真っ黒な甲殻類の殻で出来た鎧である。

鉄よりも固く、普通の刃物や銃弾では傷付けることが難しい特注品である。

魔狼の牙や、竜の火の息吹にも数度なら耐えるという堅牢な鎧だ。

その鎧が―――ボーファンの一撃であっけなく破壊されていた。

胸に喰らった拳は鎧を砕き、突き抜けて肉体まで突き刺さっている。


「馬鹿……なっ……」


たった一撃で、勝負は決まってしまっていた。

口元から血を溢れさせ、ライは崩れ落ちるようにして倒れた。

邪魔者を倒したのを確認すると、ボーファンは次なる獲物を探し、顔を見上げた。


「シャアアアア!!」


「たっ、隊長ッ!!」


ライが倒されたのを見て、数人の戦士と術師が集会所の奥から、そして二階、三階からボーファンへと飛び掛っていく。

その隙に、メイファはある事をする為に集会所の中へと戻っていった。


「メイファ! 何をするつもりなの!」


「ミーネ! あなたは先に逃げてて! 他の人たちに知らせないと!」


夜警団の集会所は、住居や診療院としても機能しているため、寝ているままの人間もいる。

その人間を起こさずに出ていってしまうと、多くの犠牲が出てしまうかもしれない。

メイファは集会所の奥にある緊急事態を知らせる警報機のスイッチを入れるために、中へと戻ったのだった。


「やああぁぁっ!!」


メイファは、ボーファンと隊員たちが戦っているすぐ脇を抜けて集会所の奥にあった警報装置を押した。

すると、天上の灯りの色が赤色に変化し、けたたましくサイレンの音が鳴り響いた。音は火災を知らせる装置にも同じものが組み込まれているので、恐ろしく周囲に響き渡る高音だった。


(これで……ひとまずみんなに、危機は報せられたはず)


この警報が鳴り響くと、集会所の中に居る人間は建物の外へと出ることになっている。そして町中に居る人たちにも、緊急事態である事が伝わるようになっていた。


「―――えっ!?」


警報機を押され、周囲にサイレンが鳴り響く中。

集会所の外へと出ようとしたメイファは、ロビーで信じられない光景を目にした。

ボーファンを倒すために出てきた集会所の人間が―――皆、地に伏してしまっていたからだ。


(う、嘘でしょ……!?)


この時間、夜警団の集会所の中に居たのはリーダーのライをはじめ、黒鯨団の中でも特に優れた戦闘要員の人々だ。

それがほぼ全員、あっけなく倒されてしまっていた。

死んでいるか、それとも気絶しているのか皆倒れ込んでいて、立っているのはボーファンのみ。

その上、ボーファンの方は服が多少切れている程度で、まるでダメージを受けている様子が無かった。


「ハァァァァ……」


ボーファンは大口を開けて呼気を放ってから、ゆらりと身体を捻り、今度はメイファの方を見た。

その瞬間、ボーファンの口元が僅かに吊りあがったような気がした。


(た、確か、僵尸は……)


僵尸は人を喰らう。

それは精気を得るために命あるものから血を吸ったり、人肉を喰らう為だとか言うが、それには優先順位があるとされる。

多くの精気を得られる存在ほど、彼らにとっては美味しそうに見えるためだ。

若い人間、特に子どもや女子は精気にあふれているため、犠牲になりやすいという。だから、一番ターゲットになりやすいのは思春期の娘である、と聞いたことがあった。


(つ、次はもしかして……あたし!?)


周囲には、もはや抵抗する事が出来ない隊員達が大勢居た。

しかし彼らには目もくれず、ボーファンはメイファに向かって歩き出した。

メイファは背筋に氷が差し込まれたようになり、慌てて非常口から外へと逃げ出した。


「ガアアアアアァァ!!」


メイファが非常口から矢のように駆け出していくと、閉められた厚い鉄の扉を紙でも破るように裂いて、ボーファンはメイファの後を追いかけた。



メイファは集会所を出てから、真夜中の巳秦を力の限り走った。

自分の家の方向へと、ボーファンから逃げる為に。

しかし仮に自分の家へと逃げ込めたとしても、ボーファンが侵入してくるのを防ぐのは無理だ。

追跡を撒いて、夜を無事に過ごせる保障も無かった。


「はぁっ……はぁ……」


メイファは、既に家族を亡くしていた。

両親は彼女が子供の頃に、家の中へと侵入してきた魔獣に皆殺しにされてしまったからだ。

メイファは、気絶した状態で荷物の中に隠されていた為に奇跡的に無事だったという。だから家へ帰っても家族に迷惑がかかることはない。

しかし近所には親戚もいるし、友達だっている。

このまま帰ってしまったら、そんな人たちに迷惑がかかってしまうかもしれない。

そう考えると、とても自分の家には帰れなかった。


(どこかに逃げないと……)


ひとまずメイファは公園の近くにあった公園の遊具へと逃げ込んでいた。

石で出来ている小山のような、小さなトンネルが出来ている遊具だ。


(どうすれば……どうすればいいの……?)


このまま逃げ切れるだろうか? と考えた時それはとても難しいと感じた。

少しだけしか見なかったが、僵尸となったボーファンは、以前よりも動きがかなり素早くなっていた。

あのスピードのボーファンから、簡単には逃げ切れると思えない。


(まさか……本当にあんな事ができるなんて)


青竜刀を受け止めていた姿を見て、昔聞いた僵尸の能力を思い出した。

僵尸の特徴は、飛び跳ねて移動する事が有名だが、それには続きがあるのだ。

僵尸となった彼等は、死の直後は死後硬直した身体を上手く動かせず、飛び跳ねながら移動するのだが、やがてある程度の年を経ると身体を自由自在に動かせるようになる、と言われている。

その”死した肉体”は、硬直を極めて更に強靭なものとなり、鉄の皮膚、鉄の筋肉となり、刃物や銃弾も簡単に通さないものへと変わる。

筋肉の密度が上がったその肉体は見かけよりもずっと重いものとなり、動かす僵尸自体のパワーも相まって、超人的な力を手に入れてしまうのだ、と。


(戦うしかない……? いいえ、絶対に無理)


更に僵尸は、年を経るごとに爪が伸びて鋭くなる。

この爪は肉体同様、恐ろしく固く、そして鋭く折れる事はまず無い。

これを使えば鉄筋が入った建物すらも、たやすく切断する事ができるという。

そして、体内に特殊な毒を含むようになる。

引っかかれた者は激痛に苦しみ、のた打ち回った挙句、最後には死に至る。

非常に苦しんで死ぬ為、この毒で殺害された者も高い確率で僵尸となると言う。

最後に、爪ならず牙に至っても鉄を噛み砕くほどの強靭さを持ち合わせるようになる。

そんな僵尸は、まさに夜の世界において最強の怪物であると言ってもよかった。

人間ではとても歯が立たない化け物。

創作物語の主人公や歴史の中の傑物、もしくは―――「道士」でなければ、とても戦う事はできない。

メイファは、そんな風に聞いていた。

そしてその噂を、嘘だと思っていた。


(ライ隊長や、強威の人たちでも全然歯が立たなかった……)


だが目の前であの能力を披露された以上、本当であったのだと認めるほか無い。

そしてあのような恐ろしく強力な化け物とまだ見習いの自分が戦うなど、不可能だった。


(あたしなんかじゃ、絶対勝てるはず無い)


メイファは、全く戦えないわけではない。

彼女も術士となるべく、多少の訓練は積んでいた。

しかし正規の戦闘隊員となれるほどの力は持っていなかったのだ。


「ハァァァァ……」


「ッ!」


特徴的な吐息の音が聞こえてくると、メイファは遊具の中から顔を半分覗かせて、外の様子を伺った。

すると、自分を追いかけてきていたボーファンの姿が見えた。


(いけない……!)


僵尸は生命ある者の気配を敏感に感じ取る能力を持っているとも言われていて、

簡単には隠れることが出来ないと耳にした事があった。

このまま隠れていては、じきに見つかって食われてしまうだろう。

メイファはボーファンの姿が見えると、即座に街の外れへと走った。

人が余りおらず、空き家の多い地区へと。

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