第2話:虎の人

街の外型の城壁を歩きながら、メイファは耳にした事件を思い返していた。


(あんなの、でっちあげの噂に決まってるわ)


もし―――同じようにここが襲われたら? と考えると身震いがした。

黒鯨団は、いつもこの街の平和を守っていた。

その中では確かに危険なこともあった。

怪物が街の外に現れて大騒動になったり、夕暮れに街の外に避難が遅れた人を迎えに出て行ったり、街中に入ってくる魔獣を外へと追い返したりもした。

ここはそんな、勇気ある人たちが働いているところだ。もしここが襲撃されたら……なんて考えたくはない。

それにどんな危険も困難も、みんなで力を合わせて乗り切っていた。

そこが壊れるなんて想像できなかった。


「今日も、夜の明かりが綺麗」


見回りの最後の場所である、北の城壁の上を歩きながらメイファがつぶやいた。

ここは担当している夜間の見回り任務の最後の場所だ。

メイファはここから見る外の光景が好きだった。

黒いヴェールに包まれた闇の世界は、一見すると恐ろしいものに見えた。

真っ黒な森の中に入れば、生きて出る事は不可能そうだし、腰ほどの高さの草むらは、いつ人を襲う魔獣が出てくるかわからない。

けど―――空を見上げれば、ほのかに光を放つ星々が見える。

山の向こう側の空には遠くにある都会の光が、僅かに反射している。

そんな夜の光景に、メイファはとてもロマンを感じるのだった。


―――外には、どんな素晴らしいの世界が待っているんだろう?


一歩、街を囲っている城壁の向こう側へと出れば、とてつもなく危険な世界が広がっている。

でもまだ見知らぬ世界に、メイファは何物にも変えがたい憧れを感じていた。


「ねぇ、メイちゃん」


「え、あっ、何?」


街の外を見ていると、ミーネが話しかけてきた。

考え事をしていてボーっとしていたメイファは慌てて「何?」と応えた。


「メイちゃんは……竜とか、獣人って見たことある?」


「ん~、無いかなぁ。あたしはこの街生まれのこの街育ちで、外に出たことって殆どないから……外に行く採集係とかになった事もないし。ミーネはあるの?」


「私、一度だけ……竹の子を取りに行った時に、虎人に会った事があるよ」


「虎人ってトラの獣人の?」


「うん。大きくて、見かけは虎なんだけど服を着てて、二本の足で立ってたから間違いないと思う」


獣人。それは獣が二本足で立って歩いている獣と人間が混ざったような生き物だ。

有名なものは狼人や虎人などで、獣人には謎が多い。

彼らは深い森の中だとか、人の中々立ち入らない辺境の世界に住んでいるといわれている。

虎人は樂草では特に有名な獣人であり、赤色の華やかだが角ばった服を好んで身につけている事が多いらしく、噂では普段は街道で人間のフリをして商売をしていて、時たま本性を現して人間を喰らう、とか言われている。


「ええっ!? 襲われなかったの!? 怖いなぁ」


「その時は……襲っては来なかったよ。隠れてて見つかったんだけど、腕組みしてこっちを見てるだけだった」


ミーネはその後、詳しくその時の様子を話してくれた。

巳秦の外れにある広大な竹林の中で、会ったその虎人は噂で聞いたとおり赤色の服を身に纏っていたという。

濃い橙色の縞模様がある白い身体に、がっしりとした体躯をしていたが、白く長いひげを生やしていたらしい。

だから年老いた虎人だったのでは、と。


「獣人ってお年寄りとか居るのかな? どこかに村とか作って住んでたりする……のかなぁ?」


「わからない。でも……そうだったらいいな。話し合えば、わかりあえそうだから」


ミーネはこういう話をするのが好きだった。外の世界の話を。

優しいファンタジーというか、ファンシーな話が好きなのだ。

でもメイファは現実がそんな何もかもが平和で、優しい出来事だけであるはずはないとわかっていた。

勿論ミーネも知っているのだろうけど、こういう想像力を掻き立てられる話は面白いから男子も女子も好きなのだ。


(ホント、そうだといいんだけどな)


メイファはここしばらく、外に出ていなかった。

城壁の外には戦う技術を修めた人間と一緒でないと出る事はできない。

そうでないと危険すぎるからだ。

退屈さは日に日に増していき、最近は外に出たいというのが口癖のようになっていた。


「外に……出たいなぁ。最近出てないから」


「あたしも。向こうの竹林にまた行ってみたい」


ミーネと愚痴を交わしながら見回りをしていると

夜の街の外、森林が鬱蒼と茂る中に赤色の何かが見えた。


「あ……あれ?」


「ねえ、あれ……」


ミーネが遠くのほうを指差し、メイファもそちらを見た。

すると立っている人影が見えた。

ただ、普通の人間の姿ではなかった。


「あれ、虎人なんじゃ……!?」


「ほんとだ……間違いないよ!」


ミーネの指差した方向には、まさに話していた赤く角ばった服を着た虎が立っていた。

足元が隠れてはいるが、どう見ても立ち上がっている。

虎人は城壁の上に見えるメイファとミーネの姿を静かに見つめ返していた。


「あの時のなのかな」


ミーネが今しがた話していた虎人の特徴の通り、確かに顎元から白く長いヒゲが見えた。「年老いた」というのはぴったりな表現だ。

そして一つ、妙なものを付けているのが見えた。


(ん……? あれ、なんだろ……?)


森の方が暗いなので確認しづらかったが、メイファには虎人がどうも眼鏡を掛けているように見えた。

服は単純に毛皮が服のように見えるだけなのかもしれないが、眼鏡まで書けているものなのだろうか?


「ね、ねぇ。ミーネ。あの虎人、眼鏡かけてない?」


漢方薬の店で調剤をやる時に、店の人間によっては目盛りをちゃんと確認する為に、片目用の眼鏡をかけている。

虎人の右目の部分には、どうもそれが掛けられているように見えた。

ただ、ミーネには見えないようだった。


「うーん……ちょっと遠すぎてよくわからない。掛けてるみたいにも見えるけど……」


「なんか、不気味……今日はもう戻ろ?」


「そうだね。あたしも報告出して、早く帰りたいし」


ミーネが怖がりながら言うと、メイファは仕方なく頷いた。

そして夜の見回り作業は終わった。

そんな様子を、虎人はずっと見ていた。


「……」


二人が壁の上から姿を消すと、虎人は視線を城壁から街中の方へと移した。

何かを探しているかのようなその眼差しは、どうも黒鯨団の集会所の方向を見ているようだった。



夜の見回りの仕事を終え、メイファとミーネは集会所へと帰ってきた。

そしてホッと一息を付いた。

今日この時間は、黒鯨団の戦闘要員である「強威」と呼ばれるエース級の隊員が集まっている時間である。

だからある意味、ここもっともこの街で安全な場所であると言ってもよかった。

メイファとミーネは、壁の見回りのときに見たことを受付のスゥに報告していた。

スゥに獣人の事を報告すると、興奮した様子で言った。


「虎の獣人だと~? マジなのか?」


「嘘じゃないわよ! 今すぐ見てくればいいわ。今なら、まだ居るかもしれないわよ」


見回りの時に異変があったら、夜警団の術師や戦士たちが後でチェックに行って、問題が無いかどうかを念入りに調べるのが決まりだ。これから誰かが確認しに行ってビックリするのだろう。

とはいえ壁の外に獣人の姿を見るのは珍しい事であるが、たまにある事で、際立っておかしい事でもない。

後でチェックに行って、別に何かする風でも無いならしばらく様子見だけやっておしまいだろう。


「う~む……なら俺ももうすぐ上がりだから、終わったらすぐ行ってみるか」


「早く行った方がいいわよ~? 獣人って警戒心強いって聞くから」


今日も、特に変な事はない。

報告を上げたので、深夜の夜警担当の人間が着たらそれで交代すれば終わりである。メイファは待機用の部屋に向かいながら、明日の学校に備えて早めに寝ないといけないな、とか考えていた。

そんな時、ふと思い出した。


「あっ……!」


「え? どうしたのメイ」


「課題まだ残ってたの忘れてた……ああ―――嘘でしょ~~~もう~~~!!」


「あらら……今週の初めに出されたアレでしょ? 物凄く時間掛かるやつだったのに」


「徹夜してなんとか間に合わせないと……あーあ……」


メイファは学校で出されていた課題を忘れていた自分にうんざりした。

かなり重要な課題で、1週間も前に出されていたものだ。

やって行かないと、今度は倍の量を倍の期間でやってこい、と言われてしまう。

自分のクラスを担当しているのはそういう先生である。


「ねぇねぇ、ちょっとだけ……手伝ってくれない。ミーネ」


「ダメだよ。自分でやらないと。それに作文もあったから私が手伝ったらバレちゃう」


「あ~ん……もう……~~~っ!」


忘れていたものが重く圧し掛かってくるのを感じて、メイファは心が重くなった。

これから帰ってどれだけ苦労しなければならないのか……などと考えると、気分が重くなるばかりだった。


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