第11話
「荷物、これで全部かぁ?」
玄関で、ミツルが叫ぶ。
「うん!後は、ムーと僕!」
「よっしゃ!待ってろ!」
ミツルは、アパートの前に停めたレンタカーに、最後の荷物を積みに行った。ユウタは、ムーを抱き、
「いよいよだね。」
と、ムーの鼻先にキスをした。
「よし!行くか!」
ミツルが戻ってきて、ムーを受け取る。
「うん!行こう!」
ついに、アジリティ大会に参加する時がやってきた。ユウタの体調は、暖かくなってくるにつれ、少し良くなっていた。とは言え、悪い事には変わりなかったが、ムーの特訓は続けた。それが、ユウタの元気の源でもあったからだ。
「ムーも僕も、絶好調だよ。」
助手席のユウタは、笑って言った。
「そりゃ、何よりだ。」
ミツルも、サングラスをずらして笑ってみせる。季節は春を迎えようとしていた。暖かい海辺の街へと、車を走らせる。大会は、そこで行われる。
「あー、もう緊張してる。」
ユウタが、胸を押さえて言った。
「うそだろ。早すぎだろ。」
「だよねぇ。どうしよう。」
「知らねぇよ。」
「本田くん、緊張してないの。」
「してねぇな。」
「すごいね。でも、よく考えたら、あんなすごいステージで堂々と歩けるんだから、今さら緊張なんてしないよね。」
「単に図太いんだよ。」
「あはは、言えてる。」
「同意すんなよ。こら。」
陽射しが入り込む車内は暖かく明るかった。車は、快調に走る。カーオーディオから流れてきた曲に、二人は耳をかたむけた。高校時代、ホームルームで聞かされた洋楽だ。印刷された歌詞には、日本語訳も書いてあった。゛悩んだ時には思ったとおりに生きるんだ。後は神様がなんとかしてくれる゛というような歌詞だったと思う。赤信号で、車が止まる。静かな車内にオーディオからの歌声が溢れ、あの頃の教室が近く感じられる。
「…どうして、あんなことしちまったのかな…。」
ミツルは、ハンドルを握りしめて呟いた。
「そうだよ…どうしようもねぇガキだったんだよ…。何もわかってなくて…くだらねぇ理由でお前イジメてよ…。」
信号が、青になった。ミツルは、車を走らせる。景色は、南の海の街へと少しずつ近づいていた。
「俺…お前に謝りたかったんだ…ずっと。今まで適当に生きてきたけど、お前の事はずっと心の中にあってよ。俺さ…。俺…その…俺は…お前と友達になりたかったんだ。大人になって気がついたよ。今さら、遅いけどな。俺がこんなバカじゃなけりゃ、お前ともっと長く友達やってられたんだよな…。ま、お前はどうだったか知らねぇけどよ。」
ミツルは、溜め込んでいた気持ちを一気に吐き出し、ユウタからの言葉を待った。
「……。」
ユウタからの返事は、ない。
「ユウタ?」
信号が赤になり、停車する。ミツルは、助手席を見た。ユウタは、窓に顔を向けたまま、寝息をたてていた。
「なんだよ、寝てんのかよ。」
ホッとしたような残念なような気持ちで、ミツルはひとり頭を掻いた。ユウタが起きていたら、何と答えただろう。いつか、もう一度、話すチャンスがあるだろうか。いつか…どんな時に…?ミツルは、唇を噛み締め、車をスタートさせた。陽射しはすっかり南の海の輝きだ。
「お、海だ。」
ミツルは、呟いた。春の海が穏やかに、二人と一匹を歓迎していた。
ホテルに着くと、ユウタは少し休むと言って、ベッドに横になった。体を休める為で、心配は無さそうなので、ミツルはムーを連れて散策へ出かけることにした。観光地なだけあって、ホテルの周辺は賑やかだ。週末の昼食時で、最高の天気の中、たくさんの観光客が行き来している。犬連れも多い。明日の出場者か。犬がみんな賢く見える。ミツルは、ムーを見た。ムーはミツルを見上げ、楽しそうに尻尾を振った。大丈夫。ムーだって、ユウタの特訓のお陰でバッチリだ。
「な!」
ミツルは、ムーの頭をワシワシと撫で、歩き出す。通りを歩いていると、行列のできている店があった。店頭ののぼり旗を見ると、゛地鶏の卵をたっぷり使った濃厚プリン゛と書いてある。
「プリンか…。」
最近、食の細くなったユウタも、プリンなら食べやすいだろう。しかも、濃厚だから栄養もある。
「よし。」
プリンをユウタに買っていくと決めたミツルは、行列に加わった。陽射しは暑いほどで、時折吹いてくる海風が心地よく感じられる。ムーは、おとなしくミツルの足元でお座りをしている。
「暑くないか?」
ミツルは、ムーに声をかけた。
「ユウタにみやげだ。みんなで食おうな。」
そう言ったミツルの後で、フッと笑い声が漏れた。後ろを振り向くと、若い女性が並んでいた。
「あ、ごめんなさい。」
振り向いたミツルに、ペコッと頭を下げる。
「可愛らしいから、つい…。」
ムーを可愛らしいと言われて、悪い気はしない。ミツルも、ペコリと頭を下げた。ショートカットの快活そうな女は、ミツルの顔をジッと見つめ、アッ!と小さく叫んだ。
「モデルのミツルさんですか?」
「は?」
ショーに出たり雑誌に載ったりしていても、他人から声をかけられた事は無かったミツルは、思いもよらないことに戸惑った。
「そ、そう、だけど。」
「やっぱり!」
女は、感激した様子で胸の前で指を組んだ。
「よく知ってんね。俺の事なんか。」
「一応、報道の世界で生きておりますので。」
わざとすました顔で女が答えた。
「私、フリーの記者をやっております。」
怪訝そうな顔のミツルに、女はバッグから取り出した名刺を差し出した。
「羽鳥と申します。明日のアジリティ大会の取材に来ました。」
「へえ。」
列が動いた。
「ミツルさんも、出場なさるんですか?」
羽鳥は、ムーを見て尋ねた。
「え?ああ、まぁ。」
羽鳥は、目を見張った。
「こんなに綺麗なワンちゃんとミツルさんが出場したら、すごく目立っちゃうんじゃないですか?」
羽鳥は、腰を屈め、ムーに微笑みかけた。
「お利口そうでしゅねぇー。」
ムーは、迷惑そうに羽鳥から目を逸らし、ミツルを見上げた。ミツルは、プッと吹き出すと、
「出場すんのは、俺じゃなくて、こいつを訓練したヤツ。」
「あ、この子のパートナーは、別の方なんですか?」
短い髪を耳にかけながら、羽鳥が尋ねる。
「そうだよ。」
「どういう関係の方なんですか?」
「友達。」
羽鳥の記者魂が膨らんできたと感じたミツルは、列が動いたのをきっかけに、前を向いてしまった。羽鳥も察して、口をきかなくなった。
ミツルは、プリンを三個買った。羽鳥に軽く頭を下げ、ユウタの待つホテルへ向かう。
「ユウタ、起きたかな?」
ムーに話しかけながら歩いていると、後ろから声をかけられた。振り向くと、羽鳥が手を振って走ってくる。
「何?」
面倒なヤツに捕まったかな…と、ミツルは眉間にシワをよせた。
「すみません。どうしてもお願いしたいことがあって。」
軽く息を弾ませ、羽鳥が言った。
「写真を一枚、お願いできませんか?」
「はぁ?」
ミツルの眉間のシワが、更に深くなる。
「無理を承知でお願いします!」
羽鳥が深々と頭を下げる。
「仕事で使うとか、ブログにのせるとか、そういうことじゃないんです!ただもう個人的に…まぁ、結局は…記者としてって事になりますけど…どーしても撮りたいんですッ!」
羽鳥が、勢いよく頭を下げた。
「春の海辺の街に、白い犬を連れたミツルさん!」
羽鳥は、買ったプリンの箱を地べたに置き、バッグからカメラを引っ張り出した。
「こんな素敵なもの、撮らないでどーするかって!」
羽鳥の頬は紅潮し、瞳はキラキラと輝いている。ミツルは、そんな羽鳥の一連の行動を目の前にし、呆気に取られていたが、ついにブッと吹き出した。そして、
「いいぜ。な、ムー。」
と、笑顔でオーケーを出した。
「んー、おいしい!」
ミツルの買ってきたプリンを、ユウタは美味しそうに頬張った。
「今まで食べた中で、一番美味しい!」
幸せそうに、ニッコリ笑う。ミツルは、嬉しくなった。
「そりゃ、並んだ甲斐があったな。」
「人、たくさんいた?」
「おう。天気もいいし、週末だしな。犬連れも結構いたぞ。」
「へえ。楽しそうだね。」
「ちょっと、そこらまで行ってみるか?まだ暖かいし。」
「うん。」
ミツルは、ユウタを連れて再び街へ出かけた。二人と一匹は、土産物を物色したりして、ちょっとした観光気分を味わった。
「まさか旅行ができるなんて、思いもしなかったなぁ。」
海辺のカフェで、ユウタは、ホットミルクのカップを両手で包み込んだ。
「男二人と犬一匹でか?」
ミツルは、茶化すと、アイスコーヒーをズズッと飲んだ。
「最高の旅の相棒だよ!」
そう言って、ホットミルクに口をつけるユウタ。傾きかけた陽をうけた海からの乱反射と重なるユウタの笑顔に、ミツルは目を細めた。
「お前の笑った顔。」
「え?」
ユウタが、聞き返す。
「お前の笑った顔。高校の時は見たこと無かったよな。…まぁ、当たり前だけどよ…。俺…お前んち行かなかったら、一生見られなかったんだな。」
ユウタは、苦笑いになる。
「急に、何言ってるの?」
「お前、知ってるか?俺とかムーに笑いかけるお前の顔。すんげー優しい顔してんだぞ?」
「な、何?どうしたの?本田くん?」
「俺は、お前が笑ってくれて…。」
「もお!行くよ!」
いつになく真面目なミツルの様子が照れ臭くて、ユウタは席を立った。
「あ、おい!」
ミツルが、慌てて追いかける。ユウタは、カフェの前の砂浜へ降りていった。ミツルも、ムーと後に続く。海風がひんやりし始めている。
「寒くないか?」
ミツルが、心配する。
「うん。大丈夫。」
追い付いたミツルに、ユウタは、口を尖らせた。
「本田くん、変なこと言うから焦っちゃった。」
「気持ち悪いよな。」
ミツルは、恥ずかしそうに頭を掻いた。
「でも、嬉しかった。」
「ん?」
「優しい顔、って言ってくれて。」
「ホントのことだからな。」
「僕…優しい顔で笑えてたんだね。」
海を見つめて、ユウタは呟くように言った。
「本田くんのお陰で、楽しかったなぁ。」
「何言ってんだよ。」
ミツルは、戸惑った。ユウタは、相変わらずの様子で、
「今言っておこうと思って。」
と、ミツルに、笑いかけた。
「んなことは、後でいいんだよ。」
ミツルは、あたふたとムーを波打ち際へ連れていく。ムーは、よせる波に果敢に立ち向かう。ユウタは、その姿を笑って見ていたが、やがて、その笑顔のまま、ミツルの背中に叫んだ。
「僕、本田くんの事、大ッ嫌いだったー!」
ユウタの叫び声が背中に届いても、ミツルは、振り向かなかった。
「何不自由ない生活してるのに、僕の事イジメて、努力もしないで大学にいくのかって、すごく頭にきてたー!」
ミツルの背中が、ユウタの叫びを受け止める。
「だから、僕の家に来た時は呆れたよ。」
暖かかった陽は、ゆっくりと海に沈み始め、真っ青だった空は、橙色に変わっていく。
「でも…僕、思い出したんだ。本田くん、僕の事イジメてた時、笑ってなかったなって。他のみんなは笑ってたけど、本田くんは、みんなの後ろにいて、笑ってなかったんだ。」
ミツルの肩が、ピクッと動いた。冷たくなってきた風に吹かれ、ユウタはフウッと息を吐いた。
「本田くん…淋しかったんだよね。」
ミツルは、ただ波打ち際に突っ立っている。
「本田くんを泊める事にしたのは…うまく言えないんだけど、なんか…守ってあげなきゃ、って思ったからなんだ。」
そう言ってから、ユウタはハハッと声をあげた。
「そんなこと言って、実際は本田くんに守ってもらってばっかりだけどね。」
ミツルの足に波がかかる。
「本田くん!波!」
「どうして…。」
ミツルは、拳を握りしめた。
「どうして死ぬのが俺じゃないんだよ!」
ムーが、驚いて動きを止める。
「死ぬなら俺だろ!俺みたいなヤツが死ねばいいんだよ!」
「ダメだよ、そんな事言っちゃ。」
ユウタが、ミツルのそばに歩み寄る。
「だってそうだろうが!」
振り向いたミツルは、半べそをかいている。ユウタは、微笑んだ。
「ごめんね、本田くんを巻き込んで。」
「俺は自分から巻き込まれたんだよ!」
「言い方、おかしいよー。」
ユウタは、笑った。
「本田くんがいてくれて、よかった。」
「俺だって、お前と暮らしてなかったら、チャランポランなまんまだったよ。」
「すごく楽しかったよ。」
「だからッ!」
ミツルは、鼻をすすった。
「そういう言い方すんなって!もう、すぐ死ぬみてえじゃん…。」
「ごめん。」
ユウタは笑って、水平線に視線を移した。
「なんか、不思議だなぁ。本田くんと、こんな風に話せるなんて。あの頃の僕らに教えてあげたいよ。」
「俺が、バカだったんだよ!」
涙で滲んだ目で、ミツルが投げやりに言った。ユウタは、首を振った。
「僕も、バカだった。諦めてたんだ。あの時の僕は。」
海を見つめていたユウタが、ミツルの方を向いて言った。
「高校の時から仲良くしてたら、僕ら、もっと長く友達でいられたのにね。」
ミツルは、もう涙を堪えきれなかった。
「うーッ…。」
小さな子供のように泣き出すミツル。ユウタが、困った様子で笑う。そして、ミツルを抱きしめた。細い腕を懸命に伸ばして、ミツルの大きな体を包み込むように。
「ありがとう。僕の家に来てくれて。僕、本田くんを嫌いなまま死なずにすむよ。」
ユウタは、腕に力を込める。
「本田くんが、毎日を楽しくしてくれたから、死ぬのが嫌になっちゃった。」
それを聞いて、ミツルが更に泣き声をあげる。
「でもね。僕、死にたくないって思えることがうれしいんだ。」
強い風が吹いてきた。けれど、ミツルが盾になり、ユウタがよろけることはなかった。ユウタは、ミツルの背中をポンポンと叩いた。
「ありがとう。僕は、ミツルが大好きだよ。」
ミツル…今、ユウタは、ミツルと呼んだ。ミツルは、ハッとしてユウタの肩から顔を離した。涙と鼻水まみれだ。子供だって、もう少し綺麗に泣く。ユウタは、思わず吹き出した。
「んもー。ミツルが、こんなに泣くなんて思わなかったよ。」
「だって…俺…。」
ミツルの目から、また涙が溢れ出す。ユウタは、ミツルのおでこに手をあてた。意外にも、その手は温かい。
「僕の全部が無くなる訳じゃないでしょ。」
ユウタは、ミツルのおでこにあてた手に力を込めて、微笑む。
「ね?」
ユウタの手の温かさに、ミツルの気持ちが落ち着いていく。ミツルは、しゃくりあげながら頷いた。ユウタが、ミツルの腕をパンと叩く。
「明日は、大会だよ!元気出して!」
「お前…ホント、強えよな…。」
「え?」
キョトンとして、首を傾げるユウタ。なんだか、ムーに似ている。
「なんでもねぇ…。」
ミツルの口角が、少しだけ上がった。手の甲で頬の涙をグイと拭き去る。
「寒くないか?」
そして、いつものミツルに戻る。
「風邪ひいたら大変だぞ。帰ろう。」
ユウタの肩に手をまわし、海風から守るように砂浜を歩き出そうとして、ふと足元を見ると、ずぶ濡れのムーがハァハァと息も荒く二人を見上げていた。
「うわ!忘れてたコイツ!」
ミツルは、ムーから一歩後ずさる。
「ビショビショじゃねえかよ…。」
「ワン!」
波との戦いに満足したムーは、ミツルに抱っこをせがみ、海水と砂まみれの体で飛びかかった。
「こら!やめろ!あーッ!」
太陽は海の向こうに沈み、橙色の空は濃い紫色へと変わりつつある。誰もいなくなった砂浜に、ムーの鳴き声とユウタの笑い声、そして、ミツルの悲鳴が響いていた。
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