第9話

 ユウタは嬉しそうに、たった今見終わったばかりの雑誌を、再び開いた。この間、ミツルが参加したショーの記事が載ったファッション雑誌だ。ミツルに招待され、ユウタも初めてファッションショーを見た。きらびやかなステージにいるミツルは、誰よりも輝いていた。

「よし。」

ユウタはカッターナイフを手に取り、ミツルが載っているページを慎重に切り離し始めた。

「お前、それ、今日買ったばっかりだろ。」

キッチンから台ふきんを持って、ミツルがユウタの手元を覗き込んだ。

「だって、本田くん以外はいらないもん。」

「ひでえ。俺なんかより有名なモデルだって載ってんのに。」

そう言うミツルの顔は、嬉しそうににやけている。

「ほら。こんなにたまった。」

たった今切り取ったページを丁寧に差し込んだファイルを、自慢気に見せるユウタ。ファイルには、ミツルが載っている雑誌の切り抜きがたくさん入っていた。

「おう、結構あるな。」

大量の自分の切り抜きに、驚くミツル。真剣に仕事と向き合うようになったミツルへの、仕事のオファーは増えていた。例のブランドの仕事に関わった事も、大きかった。けれど、本気になったミツルの、モデルとしての魅力が目を引いているというのが一番だろう。ちょっと前までは暇つぶしに寄る程度だった事務所も、今はほぼ毎日通っている。以前とは比べものにならない程の仕事量になったが、一日以上家を空ける仕事はしないようにしていた。ユウタが心配だからだ。それを理由に断った仕事も、いくつかあった。

「またファイル買ってこないと。」

ユウタが、楽しそうに言った。その時、ミツルのスマホが鳴った。

「へいへい。」

発信元を見て、ミツルは舌打ちをした。

「事務所からだ。」

ミツルは、慌てて廊下へ出た。部屋のドアを閉めて電話にでる。仕事の電話だった。

「それ、断ってください。…一泊でも無理です。…家を空けたくないんです。…申し訳ないですけど。…すみません…失礼します。」

電話を切り、フウと息を吐いてドアを開けると、ユウタが立っていた。

「うわッ!ビックリしたッ!」

ミツルは、大袈裟に驚いてみせた。ユウタは、それに構わず、怒った顔で尋ねてきた。

「仕事、断ったの?」

「ん?ああ。」

素っ気なく答え、ユウタの横をすり抜けて、ミツルは部屋へ戻った。

「なんで断ったの?」

ユウタが、追いかけてくる。

「え?…まぁ、俺に合わない仕事だったんでさ。」

ミツルは、ソファにふんぞり返った。

「嘘でしょ。」

ユウタの声が、いつになく低い。ミツルは、すました顔でファイルを手に取り、

「なんだよ、嘘って。」

と、ページをめくる。ユウタは、ミツルに歩み寄ると、ミツルの手からファイルを奪い取った。

「お、おい、何すんだよ。」

ミツルは、ユウタを見上げた。ユウタの顔は、険しい。

「僕のせいでしょ?」

「は?」

「僕がいるから、仕事断ったんでしょ?今までもそうだったの?」

「いや…。」

ユウタの剣幕に、戸惑うミツル。ムーも落ち着きなく、ソワソワと部屋を動き回っている。

「違うって。ただ仕事選んでるだけだよ。」

笑顔で答えるミツル。ユウタは、拳を握りしめた。

「…本田くん…出ていってよ。」

「はあ?」

「もう、住む所見つけられるでしょ。」

「おい、何言ってんだよ。落ち着け。」

「いいから、出ていってよ!」

ユウタは、持っていたファイルを壁に投げつけた。ファイルが開いたまま、グシャッと床に落ちた。ムーが驚いて飛び上がり、ミツルに駆け寄ると、ピッタリくっついた。これにはミツルも切れた。

「なんだよ!何が気に入らねぇんだよ!」

立ち上り、初めてユウタに本気で怒鳴った。しかし、ユウタは怯まない。

「仕事を断る本田くんだよ!」

「そんなの、俺の勝手だろうが!」

「調子に乗ってるんじゃないの?」

「はあッ?」

「仕事が増えてきたからって、調子に乗ってるって言ってるんだよ!」

「家を空けたくねぇから断ってんだよ!今の電話なんて、京都に一週間だぞ?そんなにお前を一人にできっかよ!」

この言葉に、ユウタの顔から怒りが消えた。

「やっぱり、僕のせいなんだ。」

ミツルは、ハッとした。まんまとユウタの挑発に乗ってしまったのだ。

「いや…その…。」

口ごもるミツルに、ユウタは微笑んだ。

「もう…僕と一緒にいない方がいいよ。」

うつむき、言葉を繋げるユウタ。

「僕は…これからもっと本田くんに迷惑かけることになると思うから…。」

「いやだね。」

速攻で帰ってきたミツルの返事に、ユウタは顔を上げた。ニッと笑うミツルに、ユウタは眉を上げる。

「本田くん、ふざけないでよ。」

「ふざけてなんかいねぇよ。」

ミツルは、真っ直ぐにユウタを見つめた。

「俺は、ずっとここにいるって決めたんだ。」

ユウタは、またうつむいた。そして、震える声で言った。

「ずっといていいなんて…僕は…言ってない…。」

こう言われたら、ミツルには返す言葉がなかった。ただ、悲しげにユウタを見つめるだけしかできずにいた。

「…ごめん…違う…僕が嫌なんだ…。本田くんが、僕のせいでチャンスを失うのが嫌なんだ…。」

床に落ちたファイルを見つめながら、ユウタが言う。

「せっかく、認めてもらえるようになったのに…。」

突然、ミツルが鼻をフン!と鳴らした。

「俺を誰だと思ってんだよ。」

ユウタが、顔を上げた。ミツルは、ニヤリと笑って、

「お前、知ってんだろ、俺の仕事ぶり。」

そう言って、床のファイルを拾うと、ユウタにポンと手渡した。そして、ソファに再び腰をおろす。

「仕事少し減らしたくらいで、ダメになるようなモデルじゃないつもりだぜ?」

長い足をスマートに組み、顎に手をあててニッコリ笑う。ただのスウェットとTシャツなのに、ハイブランドのように見えてくる。

「俺は今、本気で仕事してんだ。絶対にダメになんかならねぇ。」

本気の目だ。なんの迷いもない目だ。ユウタは、息をのんだ。その途端、ミツルはフニャッと笑った。

「なんて、偉そうな事言ってっけど、俺がこんな風になれたのは、お前のお陰だからな。」

「え?」

「お前と会わなかったら、俺は今でもちゃらんぽらんなまんまだったよ。お前がいたから、俺は変われたんだ。」

「本田くん…。」

「お前がいてくれるから、どんな事でもやってやるって思えるんだ。」

ミツルは、立ち上がった。

「だからさ。出ていけなんて、言わないでくれよ。」

さっきはあんなに大きく見えたミツルが、今は小さな子犬のようだ。

「ずっと…ユウタの側にいさせてくれ…。」

そっとユウタの手を取るミツル。ユウタは、微かに震えるその手を握り返した。

「いいの?僕…足手まといになっちゃうよ?」

「足手まといなんかじゃねぇよ。お前のその存在が、お前と暮らす毎日が、俺に仕事をさせてくれてんだ。ありがとな。」

ユウタの瞳に、涙が溢れだす。ミツルは、手を放した。

「最期まで、側にいさせてくれ。頼む。」

ユウタは、泣き笑いになった。

「ありがとう…。」

そう言って鼻をすすると、クーンと悲しそうな声がした。ソファの一番隅っこで、耳をペタンと倒したムーが、二人を見ていた。

「ああ!ごめんね!ビックリしたね?」

ユウタが、優しく抱き上げた。ムーが尻尾を振って、ユウタの顔を舐める。ユウタが、満面の笑みで笑う。ミツルも笑いながら、ムーの頭を撫でた。

「悪かったな。安心しろ。俺達は、大丈夫だから。」

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