第3話

 「お前、いつもこんな朝メシ食ってんの?」

ミツルが目を見張ってテーブルを見渡した。ムーは味噌汁かけご飯を食べ終え、ミツルのあぐらの中でおこぼれを狙っている。

「え?うん、まぁ。」

味噌汁の入った椀をミツルに渡し、ユウタはそのむかいに座る。

「すげーちゃんとしてんのな。」

そう言ってミツルは味噌汁をすする。ゴクッと呑み込み、目をギュッとつむって幸せそうにプハーッと息を吐いた。

「うんッめー!味噌汁!超久しぶりなんだけど!」

感極まった様子で一人頷く。ご飯茶碗に持ちかえ、だし巻き玉子にかぶりつく。目をカッと見開き、

「玉子もうまッ!お前の手作りだろ?これ。」

と、鼻息も荒く尋ねる。

「う、うん。」

というユウタの返事も聞いているのかいないのか、豪快にご飯をかきこむとひじきの煮物の小鉢を手に取り、ご飯を詰め込んだ口に更にかきこむ。

「俺…煮物って…好きじゃなかった…けど…」

口の中が一杯で話しづらいのか、ここまで言うと咀嚼に専念し、口の中を空にして再び話し出す。

「煮物って、うめえんだな。」

そう言ってニッと笑うと、残りのご飯をかきこみ、空の茶碗を差し出した。

「おかわり。」

昨夜に続き、すごい食べっぷりだ。

「わかったから、静かに食べなよ。」

ユウタは、苦笑いで茶碗を受け取る。炊飯器には、いつもより多くご飯が炊いてある。

「だって、なに食ってもうめえんだもん。」

山盛りご飯を受け取り、満面の笑みのミツル。ユウタは腰かけると言った。

「中学生の頃から作ってれば、誰でもこれくらいはできるようになるでしょ。」

「ん?」

ご飯をかきこみながら、ミツルはユウタを見た。

「母親が小学生の時に死んで、父親と二人暮らしだったから自然と、ね。」

ユウタはつぶやくように言って、だし巻き玉子をパクッと食べた。ミツルの箸が止まる。ユウタは、だし巻き玉子の皿を見つめたままポツリと言う。

「で、一昨年父親が死んだから、僕は今、一人きり。」

ゴクッとご飯を呑み込み、ミツルは口元にあった茶碗を下ろした。

「お前…母ちゃんいなかったのか…。」

そう言ったきり、ミツルは考え込んでしまった。箸と茶碗を持ったまま、動かない。

「本田くん?」

ユウタに声をかけられ、ミツルは我に返った。

「…あ?あ…うん…。」

ミツルはご飯をかきこみ、味噌汁を飲み干した。

「お前、仕事行くんだよな?」

「あ、うん。」

「何やってんの?」

「本屋で働いてる。」

「へぇ。お前、よく本読んでたもんな。」

「うん。」

そして、その本を本田くんの友達に窓から投げ捨てられたね。と、ユウタは思った。が、言っても気まずくなるだけなので、食べ終えた食器を持ってキッチンへ向かい、食器を洗い始めた。ミツルは浅漬けをまとめて箸で持ち上げ、大口でバクッと食べる。全ての食器を空にし、お茶をグイッと飲み干し、

「ごちそーさま!あー、うまかったぁ!」

と、両手を合わせた。それから、フーッと長めに息を吐くと、食器を洗うユウタを見つめた。ユウタは、テキパキと食器を洗っている。ミツルは、クシャッと頭を掻くと、

「さーて、俺もそろそろ…。」

とわざとらしく言い、立ち上がった。もう少しユウタと話がしたい…そう思っていた。けれど、もう一泊するのはさすがのミツルですら気が引けた。仕方なく食器をキッチンへ運ぶ。ユウタは食器を洗い終えたところだ。

「あのさぁ、ユウタ…。」

「自分の食器は自分で洗っておいてくれる?」

ユウタが手を拭きながら言った。

「あ、おう。それくらいは、な。していかねぇと。」

昨日の図々しさはどこへいったのか、素直に従うミツル。ユウタは出掛ける準備を整えると、馴れない手つきで食器を洗うミツルに声をかけた。

「冷凍庫にピザとパスタがあるから、よかったらお昼に食べて。鍵は置いていくけど、ムーだけにして出掛けないでね。オシッコは絶対、あそこにさせて!」

昨夜決めた新聞紙の敷いてあるムーのトイレ場所を、ユウタがピシッと指差す。

「お、おう。」

泡のついたスポンジをあげて答えるミツル。

「じゃあ、仕事に行ってくるね。六時頃には帰れるから。そしたら、これからの事、話そう。」

「お、おう。」

昨夜のミツルとは思えないほどの従順さだ。ユウタは、ニッコリ笑って、

「行ってきます。」

と言い、出ていった。ムーが「行ってらっしゃい」とでもいうように、

「ワン!」

と鳴いた。

 ミツルは食器を洗い終え、ソファにドスッと腰かけた。ムーもソファに飛び乗り、ミツルの隣にチョコンと座る。ミツルは、ムーの背中を優しく撫でた。部屋をゆっくりと見渡す。白い部屋、だ。余計な物は置いていない。パソコンデスクと壁にかかったシンプルな四角い時計。白くて小さなテーブル。色味のある物といったら、このソファくらいか。ミツルは、ムーを撫でていた手をソファの背に移した。ムーが、もっと撫でろと前足で催促をする。

「はいはい。」

ソファから再びムーの背中に手を移す。ムーは、満足げに目を細める。ふと耳をすますと、幼稚園へ向かう子供達の笑い声がする。その母親達が挨拶を交わす声も聞こえる。窓からは朝の光が差し込んでいる。ミツルに背中を撫でさせていたムーは、コロンと横になり、眠り始めた。朝から落ち着かない気分のミツルだったが、今までの生活にはなかった静けさと暖かさに安らいだ気分になった。ミツルは、ムーを抱き寄せた。眠りを邪魔され、小さな唸り声をあげたムーだったが、ミツルの膝に乗せられると、またすぐに眠りについた。ミツルは、ムーを優しく撫でると、窓から見える青い空を見上げて微笑んだ。


 ユウタは、朝言っていた通り、六時過ぎに帰ってきた。玄関へムーがダッシュし、ピョンピョン跳び跳ねてユウタを迎える。

「わぁ、ムー、ただいま。」

嬉しそうにムーを抱き上げるユウタ。もうずっと前からそうやっていたかのように、ムーはユウタの顔を舐める。ユウタは、笑い声をあげた。

「おう、おつかれ。」

出迎えたミツルに、ユウタは玄関に置いたスーパーの袋を指差した。

「これ、キッチンに持っていってくれる?今夜は鍋にしたから。あと、ムーのおしっこシーツとドッグフードも買ってきた。」

「へいへい。」

袋とおしっこシーツを持って、キッチンへ向かうミツル。まるで、嫁にこきつかわれるダメ夫といった感じだ。ミツルは、キッチンに袋を置くと中身を取り出した。白菜に長ネギ、カニ、エビなど鍋の具材がたくさん出てくる。

「鍋かぁ。いいよな、鍋。」

ミツルは嬉しそうに呟くと、鼻唄を歌いながら、空になった袋を丁寧にたたみだした。


 テーブルの真ん中で鍋がグツグツと音をたてている。ホワホワと上がる湯気を、ムーが不思議そうに見上げている。今朝のように二人は向かい合って座り、鍋をつついた。

「本田くんは、仕事何してるの?」

「モデル。」

つくねを取ったミツルは、フウフウと軽く冷まして口に入れた。

「え、モデル?すごいね。」

「すごくねぇよ。」

ミツルは口を尖らせ、鍋を覗いてホタテを取った。

「俺みてえのは、いつでも仕事がある訳じゃねぇし。」

そう言って、カニを取る。続いてユウタが白菜を取った。

「へぇ、大変なんだ。」

「まぁな。あー、カニめんどくせえ。」

ミツルは箸を置き、カニをむき始めた。

「うん。面倒臭いよね。」

ユウタは、カニをむくミツルを見た。いつ以来だろう。鍋を誰かと食べたのは。

「ちょっと、待て!これ、熱いから!」

ミツルのカニ目がけて、ムーがグイグイとおねだりをしてくる。

「危なッ!おい!待てっつーの!」

目の前で繰り広げられるちょっとした戦いを、ユウタは楽しそうに眺めた。

「いいなぁ、賑やかで。」

「いいもんかよ!うまいもんみんな取られちまうよ!」

ムーは、ついにミツルからカニの足の殻を奪い取り、口にくわえて振り回し、勝利の舞を踊っている。

「あーあー、おもちゃになっちまってるよ。」

「しつけないからでしょ。でも、かわいいね。」

ユウタは、肩を揺らして笑った。それを見たミツルは、急に神妙な顔つきになり、ゴホンと咳払いをした。

「悪かったな。俺…お前に母ちゃんいないなんて知らなくてよ。」

「え?」

急に謝られ、ユウタはキョトンとした。ミツルは、もう一度咳をして続けた。

「授業参観の時、お前んちオヤジが来たろ?」

予期せぬあの頃の話に、ユウタの眉間に無意識に皺が寄った。

「お前、休み時間にオヤジとすげえ仲良くしゃべってただろ?」

「え?そう?」

「そうだよ。母親が来られないから、オヤジが来てんのかよ、何張り切ってんの。って、ムカついてたんだよ、俺。」

「えー!そうなの?」

「高校生の男子なのに親にベッタリかよ、ってな。」

「だって、みんな来てたでしょ?まぁ、父親は珍しかったかもしれないけど…本田くんちは?」

ユウタの問いに、ミツルはふいに箸を持ち、鍋に手を伸ばした。

「来ねぇよ。授業参観があるって言わなかったし。ウチは、誰も俺に興味ねぇし。」

そう言うミツルは、拗ねたような顔をしていた。ユウタは、まさかと思いつつ言った。

「…それって、僕にやきもち妬いてたの?」

一瞬、ミツルの箸が止まる。口を尖らせ、

「はあ?ちげーよ。」

と、ぶっきらぼうに答えると、つくねを口に放り込んだ。

「えー…。」

それで僕の事イジメてたの?という問いが脳裏に浮かんだが、言うのはやめた。

「お、ここ煮えてんぞ。もうちょっと白菜足すかな。」

話をはぐらかすかのように、ミツルが鍋に具材を足す。ユウタがため息まじりに箸を持つと、ムーがユウタの横にピッタリとくっついてきた。キラキラした目でユウタを見上げる。

「何か食べたいの?」

ユウタが優しく聞くと、ムーは真っ黒な瞳を更に輝かせ、尻尾を振った。

「すごくキレイな目だね。」

ユウタは、うっとりと言った。

「ああ。かわいいよなぁ。」

ミツルの頬も緩む。ムーは、ユウタには飛びかかろうとはせず、お座りをして尻尾を振っている。

「ほら、つくね煮えてんぞ。」

ミツルが、ユウタの取り皿につくねを入れた。

「あ、まだ入ってるよ。」

「なんだよ、お前、食わねぇなぁ。」

ミツルがエビにかぶりつきながら、不満げにユウタを見る。

「うん…。」

「だから、そんな弱っちそうなんだよ。肉を食え、肉を!」

モグモグと口を動かしながら、ビシッとユウタを指差す。

「うん…。」

ユウタは、うつむいてそっと箸を置いた。

「え?どした?」

ミツルが、ギョッとして動きを止める。

「何だよ、怒ったのか?」

おどおどと尋ねる。ユウタは、静かに首を横に振る。

「ううん。」

「…じゃ、どうしたんだよ?」

ユウタは答えず、ムーの頭を撫で始めた。

「なぁ、おい…。」

ミツルが、不安そうにユウタを見つめる。それでも、ユウタは答えなかったが、少しするとムーの頭を撫でながら、かすれた声を絞り出した。

「僕、ガンなんだ。」

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