エピローグ
渋谷にはもう、音が聞こえてこない。
人々の活気も、風の音も、車の音も、何もかも聞こえてこない。それは先程まで起こった獣同士の戦いも同様で、もはやそこだけが時間に取り残されたようになっている。
ある崩壊した駅の近くで、それらが倒れていた。道路にて半身が分かれた黒き獣、膝を付いたまま動かない首なしの武者。そして、うつぶせで倒れている白亜の神龍。
どれも動く事はなく、まさに死んでいる。またそう見えるだけかもしれないが、黒い怪獣はどこか安らかな物に、白い怪獣はどこか無念に満ちた物になっている。
その表情は、目の前の人物がよく見ていた。
「……これで終わりだな……皇軌……」
黒木一馬。彼は神の力を操り、神を抹殺した。
言わば彼は神殺しになったのである。それは自分を縛るこの存在を殺して、生きて帰る為に。それが
――これで何もかもが終わる。もう動く事はないそれを見て、そう確信する一馬。
彼は気絶している香澄を背負い、その場を去っていく。向かう先は遠くで待っているだろう灯達。別れる際の約束を、何としてでも果たす為に。
――行ってくるな。必ず戻ってくる。
――……うん、生きて帰ってきてね。
そうだ。生きて帰って、平穏な暮らしを取り戻すのだ。
平穏に学生生活を送って、平穏に灯達と馬鹿やって、平穏に年を取って……どうしても叶えたい願いを、ここで終わらす訳にはいかない。
しかし悲しいかな。そんな一馬の意志に反して、足が鈍ってしまう。徐々に力が入らなくなってしまうのが感じられる。
やがて力が消えてしまい、足はただの棒となってしまう。香澄もろとも地面に叩き付けられてしまい、歩く事すらままならない。
「……もう……駄目なのか……」
先程の激痛の影響か、それとも怪獣の力を使った代償か。いずれにしても思うように動く事が出来ず、
灯達の元にたどり着けず、このまま朽ちていくのだろうか。そう思うと、なおさら歩きたいという想いが強くなってしまう。
人間、死を間近にすると安らかになると言うが、決してそんな事感じられない。一馬が支配しているのは、生への執念と灯への想い。
どうしても彼女に触れ合いたかった。どうしても彼女に会いたかった。しかし一馬の瞼は、段々と重くなるばかり……。
意識も朦朧してきて、視界もぼやけてしまう……。
――……馬君……。
何かが聞こえてくる。ほとんど聞こえない。
ただ、薄れていく視界に何かが動いている。
――……一馬……。
自分の名前を呼んでいるのだろうか。それでも、それが何なのかがよく分からない。
次第に視界も、意識も、何もかもが、消え失せていく……。
『緊急速報です。渋谷を襲撃をした六体の未確認巨大生物が全滅。全滅しました。原因は同族同士の争いと見られ、その死体が町中に散乱しているとの事です。
災害発生時からおよそ二日。遂に巨大生物災害が終わったのです……』
===
日差しが零れる青い空。それはまるで太陽が微笑んでいるかのようで、どこか優しさが感じられる。
日差しの恩恵を受ける地上。そこに広がっているのは東京であり、そのある場所に巨大な総合病院が存在していた。
病気や負傷……いずれかを患った人々が治療、療養する場所。治療の失敗による悲劇がない事もないが、それよりも人並みの生活を送り、幸せに暮らしていける者もいるのも忘れてはならない。
病院の庭には、大勢の患者が集まっていた。お年寄り、子供、妊婦……皆、看護師と共に外の光景を謳歌し、そして笑っている。
「今日も暖かいね」
大きな木の下。日陰が作り出す涼しい場所に、二人がいる。
患者ではないと思われる、私服を着た少女。その可愛らしい顔は微笑ましいのだが、左腕には大きくケロイド状の傷跡が残っている。
「……ああ、災害の時とは大違いだな……」
彼女が引っ張っている車椅子。それには一人の少年が座っている。
患者衣を着て、身体を車椅子に預けているその姿。どこか哀愁を思わせる彼であるが、それでも少女へと振り向いて話し合う。
身体の事など、今に関係ないとばかりに。
「……もう一ヶ月だもんな。今思えば、あれが夢だったじゃないかと思うよ……」
「……うん……」
――およそ一ヶ月前、渋谷に起こった前代未聞の大災害。
はるか異界より現れ、目的のない争いを繰り広げていた巨大な獣達。彼らの蹂躙は死者二万人を生み出し、渋谷に甚大な被害を齎した。
今なお渋谷は復興の道を歩んでいる。そんな中でも、忌まわしき獣達の死骸をどうにかしようという動きがあったのだが、何故か日にちが経っていくに連れて、その姿が消失してしまったという。
まるで幻のようであり、今まで集団幻覚だったのではないかと人々が思う程だ。しかし彼らは確かに存在し、災厄を齎したのは間違いない。
自身の生存を掛けた、荒々しくも愚かな者達。あらゆる兵器が一切効かない彼らがもし一体でも残っていたら、世界は破滅へと導かれたのかもしれない。
それは人々の未来を消すと同義であり、彼らの存在はこの世界にはあってはならない物だった。故にこの世から消えさせるしか他ない。
この少年は全滅の手助けをしたに過ぎない。だがその代償だろうか、身体がまるで人形のように動かなくなり、廃人の状態に陥っている。
医者からは脳への原因不明の損傷と診断されている。となると決戦の時の激痛が原因だろうが、それを少年は一生口に出す事はしないだろう。
そもそもあの事を話しても、絵空事と一蹴されるのだから。
「…………」
それでも、生き残るには代償が大き過ぎた。
少年の目は、車椅子を押す少女の腕が見える。右腕は至って正常であるが、負傷した左腕は力が入っていないのか握り手が緩い。負傷により力が入らなくなり、好きだった竹刀ですら握る事すら出来ない。
それに災害時に一緒に助けたある少女。怪獣によって洗脳された彼女は、身体が動かなくなる所か、今までの記憶すら消失してしまったという。ただ唯一、『凱虞』という言葉を残したまま。
彼女は病室の中でその言葉を覚え、その言葉を今でもうわ言のように口にしている。誰もが困惑に思う中で、少年はその意味を知り、何とも言えない虚無感に陥ってしまう。
「……腕、気になる?」
「あ、いや……」
視線に気付かれてしまったようだ。尋ねる彼女に対して、目が泳いでしまう。
何て返せばいいのだろうか。言葉を選んでしまう少年であったが、その考えが消えてしまう。
「何とかなるよ」
少女の、ただ一言によって。
「私達、こうして生きているじゃない。一馬君だって身体が動かなくなっても、こうして外の光景を綺麗と思ってくれている。
それだけでも私は嬉しいと思う。だってこれから、私達は未来に向かって歩く事が出来るんだからさ」
「……灯……」
――生きている。そうだ、僕達は生きている。
左腕が機能しなくてもいい。身体が動かなくてもいい。今こうして少女……灯と過ごせる事が、何よりの喜びとなるのだから。
「……そうだな。これからも、灯と行けるなら……」
「……うん」
彼女の顔に浮かび上がる、明るい笑顔。
そうだ。これが生きている証。今こうして、僕達はここにいる。
災厄から立ち直ろうとしている自分達は、まだ止まらない……。
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