第18話 普通の平和を送らせる為に
あの時、日常は瞬く間に崩壊した。
「んん……ん? あれ……私……」
意識のまどろみから、ゆっくりと目を覚ます。
重い瞳を開かせるのは、黒い長髪をした美しい少女――村雲香澄。彼女が未だハッキリしない意識の中で、すぐに視界の状況を把握しようとする。
把握して、言葉に出来ない程に呆然とした。今、自分達がいる駅は、瓦礫と亀裂に包まれた非日常の世界になっているのだ。
見渡せど見渡せど、平常な世界などどこにもない。心臓の音が速くなっていくのを感じる少女だが、次第に背筋に悪寒が走ってしまう。
遂に見つけてしまった、自分の周りに倒れこむ人々の姿。それが死体の山を連想させ、一瞬の恐怖をさせてしまう。
「……っ。そうだ……黒木君……黒木君は……」
人が死んでいるのか気絶しているだけなのかまだ分からない。そんな事よりも、まずある人物の容態が気掛かりだった。
黒木一馬。同じ学年であり、剣道部に所属している少年であり、そして香澄が最も抱いている意中の対象。
出会いは一年の時である。偶然にも通りかかった格技場から聞こえる音。そこを覗いた所、剣道部員による素振りが行われているのが分かった。
その時に見えたのが、同じように素振りをしている黒木一馬である。汗水を垂らしながら一生懸命に竹刀を振る姿は、彼女に一目惚れにも似た衝動を与える。
あれから何度か声を掛けようとは思った。しかし生来の奥手から勇気が出せず、なおかつ隣には同じ剣道部員である少女もいる。まだ恋人同士とは断定は出来なかったが、仲睦まじく話し合っているのを見ると、とてもではないが隙に入る余地がない。
そのまま二年生もなるのだが、未だ彼に対する想いは消えていない。彼女は一馬を捜そうと、重い足を使って歩き出そうとする。
「…………? 誰?」
足が止まってしまう。思わず怪訝に思いながら、非日常の世界を見渡す。
しかし周りには何もない。あるのは香澄を愕然とさせた崩壊の場所であり、特に変わった所など見当たらない。
しかし香澄は感じ取ったのだ。自分を呼ぶようなその声を。
教師かと思えば、その人達が倒れている為に全く違う。そもそも声を掛けられたというより、まるで脳に直接語り掛けられたような……。
しかし気のせいだろう。そう判断する香澄だったが、再び立ち止まる長い足。
やはり聞こえてくる。まるで香澄を呼ぶかのような、そんな声が……。
「…………誰……なの」
いつしか、駅の出入り口へと足が動いていく。
一馬を捜すつもりだったのに、どうしてかその方向へと行ってしまう。自らが起こす無意識の行動に戸惑いつつも、それでも香澄は思う。
この声の正体は、一体何か。
瓦礫に満ちた道を突き進み、倒れている人々を踏まないように気を付け、ようやく着いた先が駅の外。
外もまた崩壊の印を刻んでいた。あれだけ賑わっていたのにも関わらず、しんと静まり返った街並み。中には倒れているビルですら存在し、その周囲を漂っている粉塵。
咳き込みながら辺りを見回す香澄。ふと、彼女の瞳が横へと振り向き、思い立ったようにその方角へと向かっていく。
その方角に、巨大な穴が存在していたのだ。不自然に形成されたそれは、まるで何かが落下したかのように。
彼女が穴へと近付き、中を慎重に確かめる。どうやら駅の地下を通過したらしく、抉られた地下街がよく把握出来るが、奥に行くに従って薄暗くなっている。
この穴をそうさせた『何か』など、発見する事はままならない。
――オオオオオオオンンン……。
「!?」
風のような何か……いや、獣の唸り声か。
それに一瞬怯え、一歩下がってしまう香澄。そこから逃げようとも思っていたが、その思考を阻むように、それは動き出す。
突如として穴から這い出る、巨大な腕。それが香澄の横へと倒れこむのを、彼女は呆気に取られるしかない。
その横にも、もう片方の腕。そして腕に引っ張られるように、穴から姿を現す巨大な本体。
まるで鎧をまとったかのような異形の獣人。この世の存在と思えない、まさに人智に及ばない超存在。
「……あ……あ……」
声が出なかった。それ程に、ただただ圧倒されるしかない香澄。
目の前に化け物がいる。逃げなければ。そうしなければ殺される。脳裏で拒絶反応が渦巻くのだが、肝心の足が震え出して動く事が出来ない。
その一方で、異形の瞳が見つめてくるの感じた。緑色に禍々しく光るそれは、香澄に恐怖を与えるのに十分だった。
もはや生の実感を感じられない。彼女に感じるのは、死の実感だけ。
……だが何故か、異形は襲ってこない。
「…………グウウ!? ア゛アア!!」
襲ってこないそれに対し、一瞬の気抜け。それと同時に起こってしまう、激しい頭痛。
今まで感じた事のない痛みは、香澄の身体を震え上がらせる。もはや立つことすらままならず、その場で膝を付いてしまう。
痛みが激しく、死ぬのかもしれない。死の実感を味わった香澄の脳裏に浮かんだのが、自身が愛する黒木一馬の姿。
しかし、その姿があやふやになってきて……。
黒木一馬という人物の姿が消えてしまって……。
脳裏ガ無ニナッテ……。
そして、
「………………凱虞……生きてくれたんだね……」
痛みも収まってきた。顔を上げれば、そこに愛しい人がすぐ立っている。
愛しい人が巨大な手を、彼女へと近付けさせていく。まるで乗ってくれと言わんばかりで、香澄は躊躇なくそれに乗り込んだ。
腕が動き、手が恋人の顔へと。香澄はこんなにも彼の顔が見れる事に、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
「ごめんね……心配掛けて……。でも大丈夫……私、絶対離れないから……」
焦点の合わない瞳のままで、顔へと抱擁する香澄。
彼女にとって異形は――凱虞は、かけがえのない存在だったのだ……。
===
空は既に、漆黒の闇に包まれていた。
闇の中には、心地よくも淡い光を放っている満月の姿。その天体が下界に存在する街へと光を注ぎ込み、そして街がそれを受け止めている。
街の名前は渋谷。人智を超えた災厄に見舞われ、深い傷を抉られた人類の英知たる場所。今まさに内部にある巨大駅で、元凶たる災厄が並び立っていた。
白亜の装甲に包まれ、優美な龍を思わせる皇軌と、漆黒の鎧をまとい、禍々しい獣人を思わせる凱虞。
――キュウウウオオオオオオオオン!!
怒りを思わせる咆哮を放ちながら、皇軌は急速に突っ込む。
迫り来る彼女に対し、凱虞は分かっていたかのように上昇――上を取った。もちろん見過ごす訳がなく、向き合うように翻しながら、背中の突起物から二本の光線を放つ皇軌。
しかしその攻撃を、あろう事か敵は腕で払ったのだ。腕によって光線が跳ね返され、近くにあったビルへと直撃。衝撃波により上部が切り裂かれ、崩れてしまう哀れな建造物。
憎々しげに見つめる皇軌だったが、しかしそんな余裕は出来なくなった。防御を取った凱虞がお返しとばかりと言わんばかりに、肩当てを開くように展開。その隙間から、突如として放たれる数十枚の物体。
光の刃を放ちながら回転する円盤である。まるでそれが意思を持つかのように皇軌へと一心に向かい、回避行動をせざるを得なくなる皇軌。
だが回避しても、Uターンして戻ってくる。さすがにかわし切れる事が出来ず、皇軌の背中へと被弾――背中の突起物を切り裂いてしまう。
――ギュアアアアアア!!
美しくも痛々しい悲鳴が、渋谷の中に響き渡る。
しかもそこに凱虞が肉薄。その右腕が何と波打ち、全く別物に変化していく。そうして出来上がったのが、扇子を思わせるような巨大な四本爪。
大きく振りかぶって殴打。大質量の攻撃と鋭い爪が皇軌を吹っ飛ばし、ビルへと叩き付けた。
ビルから漏れ出る粉塵と共に、赤いエネルギーのような物が見えるのを、ある者は驚愕し、ある者は冷笑する。
「……皇軌が……」
驚愕する者は黒木一馬である。今まで怪獣に善戦していた皇軌が押されているの見て、彼は呆然と見届けるしかない。
そして冷笑する者は村雲香澄。敵である皇軌をただ嘲笑い、凱虞には恍惚をする。
「フフフフ……やはり皇軌では凱虞に敵うはずがないか……。このまま大人しくやられればいいのに……」
凱虞が愛する人なら、さしずめ皇軌はそれに勝らない平凡な存在であると言うべきか。
彼女が一馬へと振り向く。その表情にあるのは、凱虞以外の存在を蔑むような鋭く蠱惑的な瞳。
「……それと黒木君、相手は皇軌だけじゃないよね? 凱虞が言っていたけど、意思がない怪獣がもう一体いるって……」
「…………」
「……分かっているからね、隠しても意味ないから。だからそんな訳で……」
最後の言葉を言う前に、それは起こる。
彼らの元に、地震が襲い掛かってきた。駅自体を震わし、瓦礫をさらに落としていく現象に、一馬は思わず辺りを見渡す。
その時、香澄の背後から迸る地面。
粉塵と土煙が巻き起こり、機材などが一馬の近くの元に降りかかる。彼はそれらをかわしつつ、迸る地面を背ける事なく見つめる。
その地面が下に落ち、中から巨大な物体が見える。さらに土の中から生えてきた長い物体――それが腕と分かった時、その正体がすぐに判明された。
「私と凱虞の最高傑作――
冷酷に発する香澄の背後で、それは咆哮をする。
最初に見えた頭部は、何と四足歩行の怪獣である鎌角その物だった。しかしその両肩には長い双頭――それもまた皇軌に倒された双魔の両首である。
胴体はその双魔であり、何と両腕両脚は最初の昆虫型怪獣と同じ関節肢。尻尾は鎌角の物であり、蛇のような二本をしきりに動かしている。
これまで倒してきた怪獣の特徴を、この個体は全て備えている。最高傑作という言葉からして、凱虞の手によって死体を融合でもさせられたのだろうか。
いずれにせよ香澄がその死体如き怪獣を操っている。奇しくも、餓蛇を操る一馬とほぼ同じであった。
「……くっ!」
迷っている暇などなかった。もはや戦闘は避けられない。
彼が悪態を吐いた時、練魎と呼ぶ怪獣の頭上が暗くなる。香澄と練魎が不思議に思って見上げた時、そこから落下していく餓蛇の姿。
練魎と呼ばれた怪獣へと馬乗りする餓蛇。駅の中で暴れ狂う二体の神々。そして餓蛇から脱しようとする練魎。
餓蛇はそんな個体の首を掴もうとする。しかし両肩に付いている双魔の首から黒いミサイルが放たれ、直撃してしまうその身体。
駅を抉りながら餓蛇を吹き飛ばす。今、その個体の姿は一馬達が視認出来ない場所へと追いやられてしまった。
――ウウウウウウ……
両肩の双魔の首と尻尾ををくねらせながら、ゆっくりと立ち上がる練魎。
その同時に、笑い声が聞こえてくる。外ならぬ香澄の声であり、彼女は狂っているかのように高笑いをしていた。
「アッハハハハ!! この程度なの、ねぇ!? もっとあがいてよ!! もっと戦ってよ!! あの人に相応しい舞台に仕立て上げてよ!!」
「…………」
一馬は返事をしない。しかしその代わりに、狂笑をする香澄へと向かっていくのだった。
練魎を操っているのは彼女であり、つまり彼女を気絶でもさせれば練魎は止まる。そう信じながら小銃を構え、殴ろうとする。
しかし、その横から何かが現れた。一馬が気付くよりも先に、それによって押し倒される。
「ぐっ!? こいつ……!!」
何と双魔によって姿を変えられた、元人間の怪物だった。奇声を上げながら一馬を取り押さえようとしていく。
対し一馬は、小銃で腹に乱射。甲殻と赤い血が飛び散らせる化け物へと蹴りを入れ、何とか脱出する事に成功する。
しかし一難去ってまた一難。別方向から三体が湧き出るの対し、燃えていく一馬の苛立ち。
「来るなぁ!!」
怪物へと発砲。二体は直撃したが、残り一体は鉤爪を掲げながら向かってきた。
だがその時、横から現れた白い尻尾上物体によって、その一体が潰された。尻尾から発せられた衝撃波に構えながらも、忌々しく外の風景へと振り向く香澄。
ちょうどそこに餓蛇が駆け付けていたのである。その個体のおかげで敵は消え、さらには香澄の気を引かす事も出来た。
この隙に一馬が殴打しようとしていく。だが香澄がそれに気付き、自身と一馬の間に練魎の腕を入れてしまう。
吹っ飛ばされる一馬。倒れても大した怪我がないのですぐに立ち上がるも、すでに香澄は練魎の手の上に乗ってしまったのである。
これでは彼女を攻撃する事がままならない。
「死にぞこない……さっさと死ね!! 死んじゃえ!!」
練魎の背中から生えてくる四枚の羽根。その個体が一旦後方へと下がった後、振動するように羽ばたく。
羽根から雷が放たれ、一馬へと向かう。放たれていてもなお感じる熱量を持ったそれは、人間である一馬が受ければただでは済まない。
だからこそ一馬の前に、餓蛇が立ち塞がる。砲塔如き黒い両腕で雷を受け止めた……が、何と左腕が明後日の方向へと吹っ飛んでしまう。
それはあの雷が、腕をもがせる程の威力があるという証。左腕は駅の屋根へと落下し、そして消えてしまう。
「くそっ……!!」
悪態を吐いてしまう。このままでは餓蛇がやられてしまうのかもしれない。
だが問題はそこではなく、香澄の方にある。彼女があの手にいる以上、練魎を思うように倒す事が出来ないのだ。
怪獣の力は尋常ではない。ほんの少し間違えて叩けば練魎もろとも香澄を……。しかし、そんな事を考えている暇などなかった。
「……村雲さん……僕は君を……」
元の怪獣の能力を持つ、強大な融合怪獣。
その力を手にした香澄は、今や凱虞の操り人形である。一馬はそれを受け止めて、なおも叫ぶ。
「君を助ける!!」
優しかった彼女を、普通の平和を送らせる為に。
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