第17話 凱虞
この街には放置された車が多い。
主に渋滞に巻き込まれて乗り捨てせざるを得なかった物。怪獣か災害の影響により、転覆して走行出来ない物。そして何らかの理由で綺麗な状態で放置されている物。
それらを探し、安全に走行にしてガソリンもある車を発見するのはそう難しくはなかった。傷一つのない白い車。一馬達──皇軌は瞬間移動の類いがあるので付いて来てない──は、それで駅まで行く事に決めるのだった。
運転はもちろん辻森。この一帯は比較的瓦礫がなく、舗装もしっかりしていたので、止まる事はなく突き進む事が出来る。
車の中で、一馬は外の風景を見つめていた。そこから見えるのは、黒煙に包まれた街並み。異界から出現した怪獣達による、破壊と混沌の傷跡。
何の目的もなしに戦い、周りの存在を否定するかのように暴れ回る。身勝手とは違う――いわゆる悪意なき暴力が街を、人々を絶望へと追いやったのだ。
どれ程の人間が死んだのか、一馬には分からない。しかしあの暴力が自分達の日常を破壊し、灯に消えない傷を与えたのは間違いない。
最後の一体を倒す事で、暴力の連鎖が終わるはず。何としてでもこの街を脱出し、灯達を……灯を安心させたい。
「……先生、なるべく駅から遠く離れた方に止めてもらえないでしょうか?」
「……えっ?」
辻森の目が、バックミラー越しに一馬を見る。
灯も政宏もまた一馬へと振り向いた。全員の目が「何故そんな事を?」と言わんばかりにしており、そして一馬にとっては想定内である。
ちゃんと理由があり、それを今から彼女達に伝える。
「さっきみたいに怪獣達の戦いに巻き込まれる可能性があるし、もしかしたら自衛隊の攻撃があるのかもしれない。だから今回、全員で行くのは危険だと思う。
……僕一人だけ、行かせて下さい」
――被害はなるべく最小限に。その被害は自分自身で十分。
一人で赴き、皇軌と共に最後の一体を倒すつもりでいる。灯達は遠く離れた場所で待ってもらい、一馬自身がそこに帰るという考えだ。
もちろん、それだけではない。
「……もし、皇軌も餓蛇もやられて、敵の怪獣だけがいたら……そのまま灯達を連れて逃げて下さい。なるべく怪獣の攻撃が当たらない、安全な場所に……」
「……一馬……お前……」
「…………」
政宏へと、その目を向ける一馬。
長い間付き合っていた腐れ縁が今、一馬を懸念の瞳で見つめている。それは彼が一人で敵の場所に行くだけではなく、無事帰ってくるのかと思っている故なのかもしれない。
それを分かっていて、一馬は何も言わなかった。ただその意志を伝えた後、ただ真っすぐ前方を見つめる。
その奥にはあるのは、全ての始まりの場所。そして災厄をもたらす最後の怪獣。それさえ倒せば……終わるのだ、何もかも。
「……黒木さん」
「……はい?」
そんな時、一馬に話しかける辻森。
その内容は、一馬にとっても役に立つ物であった……。
===
やがて駅周辺の街へと到達する、一馬達の車。
怪獣達の戦いが繰り広げていた故か、先程以上に瓦礫が道路に散乱している。車はジグザグに走行せざるを得なくなり、やがて目の前には塞ぐように倒れているビル。
ここで辻森が停止をした。もう走行が出来ないと察し、ハンドルから両手を離す。
「……ここまでですね……後は歩くしか……」
「……ありがとうございます……後、銃の使い方も……。前々から思ってましたけど、よく知ってましたね……」
「いえ……私ミリオタなもんで……」
ここに来る途中、辻森から銃の使い方を教えてもらっている。もちろん運転している辻森だけでは全部は教えられないので、隣にいる政宏もサポートしてあるのだ。
それだけでも十分で、ありがたい思いだった。心細さがなくなるような感じも思える。
すぐに彼は、
それらを背負った後、彼の瞳が向く先は隣にいる灯。灯もまた彼を見つめ、そして唇を噛み締めている。
それを知って、努めて優しく微笑む一馬。
「行ってくるな。必ず戻ってくる」
「……うん、生きて帰ってきてね」
突然、灯が目を閉じる。その顔が徐々に近付き、可憐な唇が頬に触れる。
想像以上に柔らかかった。いい香りもしてきて、気持ちよかった。何より心の準備が出来なかったので、一馬の目が白黒になってしまう。
しかし何とか平常心を取り戻し、微笑みを見せる。
「ああ……。では……行ってきます」
「……はい……必ず、帰ってきてくださいね……」
辻森の枯れた言葉。一馬はゆっくりと、無言で頷く。
車から降り、目の前のビルを一瞥。とてもではないが動かせる代物ではなく、なおかつ跨いで行く事も出来ない。
対して一馬はちゃんと策は練っている。その策がやっと向かってきたのが手に取るように分かり、それがいる背後へと振り向く。
災厄の場所から脱する事が出来る唯一の方法――餓蛇。意思なき怪獣が頭部尻尾を振り下ろし、倒れているビルへと一刀両断。
大小の瓦礫を飛び散らせ、ビルから引き抜かれる尻尾。するとビルの中に一本道が出来上がり、人間が通れる程の幅となる。
これで、始まりの場所へと進む事が出来る。
「急ぎましょう……今度こそ終わらせてやるの」
そう言ってきた人物へと振り向くと、そこにはいつの間にか立っている皇軌の姿が。
彼女の瞳が穏やかながらも、鋭く力強い物となっている。彼女もまた、この飽く事なき暴力に終止符を打ちたいと思っているのか。
最もそれは一馬が思っている、戦いを終わらすという意志とは全く異なっているかもしれないが、そんな事を考えている暇はない。
「行くぞ、皇軌」
車へと一礼をし、瓦礫の道を突き進む。
いや、茨の道と言うべきか。ここから先は、一体何が起こるのか分からない未知の戦場。
いつしか小銃を握っている手から、少なくない汗が滲み出していく……。それでも引く事は出来ない身――夢中で突き進み、遂にたどり着く駅。
最初逃げた時と変わらず、表面には無数の亀裂。壁面には巨大な穴があるのが見え、その地面にも穴がもう一つ。
あの壁面は最初の昆虫型怪獣が通った後。何らかの理由で地面を掘り出したのが下の穴。結局そこに餓蛇が現れ、最後まで掘る事は叶わなかったらしいのだが。
「……この中に、本当にいるんだな」
獣の唸り声が聞こえず、静寂に満ちたこの空間。
本当に怪獣がいるのかと皇軌に尋ねるも、彼女は駅を見つめたまま振り向かない。
「……うん、間違いない。ここにいる。ただ……」
「ただ?」
「何だか違和感が感じる……。私の気配を感じているはずなのに、まるで何かに夢中になっているみたい」
「……何だよそれ」
怪獣に夢中になる事でもあるのだろうか。
呆れを思いつつも、一馬は皇軌と共に駅の中に入る。出迎えてくれたのは、大量の改札口と今にも崩れそうな天井。二人は天井に気を付けながらも、怪獣がいるとされている奥へと進む。
それまでに会話などなかった。特に話したい事はなかったし、異種同士が弾み合う会話などある訳がない。
ただ一馬は、一つ気になる事があった。
「皇軌……もし最後の怪獣を倒した時、君はどうするんだ……?」
人間の一馬達とは違い、皇軌は怪獣。
人間として生活出来るとは思えないし、そもそも彼女自体がそんな事を望んでいるとは思えない。一体この後どうするのか、それが気掛かりだった。
「分からない」
返ってきたのは、少し不安に思っているような口振り。
「元の世界に帰れるかどうか……しかし私は奴を倒せればそれで十分。その後に何もいらない」
「……そうか……」
何とも分かりやすく、そして虚無に満ちた返答。
一馬はそれ以上を尋ねる事はせず、目的地へと向かっていくのみ。しかしある程度歩いた時、不意に彼の足が止まってしまう。
『……向かって……ようだね……ているよ……』
「……声?」
声が、してきた。
それも女性で……声質からして一馬自身と同じ歳の少女か。ただ遠いのか、ハッキリ何を言っているのか分からない。
ただ一馬は、どこか聞き覚えをしている。
「…………」
彼が皇軌へと振り向く。皇軌もまた一馬へと振り向き、何も言わない。
今のは彼女ですら知らないという事なのかもしれない。ならばその目を確かめるまで――さらに奥へと突き進む。
進むごとに感じる、身体を撫でる風。やがて奥に進んだ時、風の原因が判明するのだった。
電車に続いていたはずの道が、途中で切れている。奥にある天井も床も何らかの力で押し潰され、繋がっていたはずの道が遠くの位置にあるのが見えた。
粉塵が舞う、ぽっかり空いた空間がそこにある。その天井から夜空と月の光が見え、崩壊という非日常な光景ながらもどこか美しくも儚い。
「うん……大丈夫……あなたは生き残る……絶対に……」
そして空間の中に、異形の黒い影がいる。その空間のせいで姿が隠れており、全貌が明らかに出来ない。
「……そんな……」
そして、手であろうそれに乗っている人間の少女を、一馬は発見する。
黒い装甲に身体を寄せ、恍惚な表情を見せる彼女。黒く艶やかな長髪を垂れ下がらせ、可憐と清楚を併せ持つその姿を、一馬は忘れている訳がない。
「何故ここにいるんだ……村雲さん……?」
――彼女の名は、村雲香澄。この渋谷に共に赴いた女子生徒であり、最初に行方不明になった少女。
そんな彼女が今、一馬達の前にいるのだ。それも異形に寄り添っているという、予想もしない姿を晒しながら。
とても正常と言えない状態は、一馬に不安を与える。行方不明になったあの時から一体何があったのか。一体何故、怪獣と一緒にいるのか。
「……ああ……誰かと思えば、同じ学年の黒木君じゃない」
装甲から一馬へと振り向く香澄。
さっきまでの恍惚とは一変し、冷笑の表情を浮かばせている。まるで一馬をつまらない存在と思っているかのように。
「何であなたがそんな所に……? それに、その女の人は……」
「……それはこっちの台詞だ。何で君が、そんな怪獣と一緒に……?」
一馬が示す怪獣は、香澄を手に乗せたまま動かない。
頭部も天井に隠れていて見えないが、それでも一馬達を警戒しているのはほぼ間違いない。
「怪獣……? いえ、この人は凱虞。私の最愛の人で……私のパートナーなの」
「パー……トナー?」
「そう、私は
「…………」
何を言っているのか、よく分からなかった。
怪獣は二日前に現れた存在である。しかし彼女が前々と言っている上に、まるで怪獣を恋人のように思っている。
一体彼女に何があったのか。疑問が一馬を襲うも……、
「……分かった。あの存在、あなたと同じような状態になっている」
「……何……?」
疑問を答えるように口にしたのは、他ならぬ皇軌だった。
彼女が香澄を見て、納得したような素振りを見せている。
「あの存在は凱虞の眷属になって、その影響であんな状態になっているのかもしれない……。そして凱虞も、あの存在を強く想っている……」
「……僕がお前と同調したような感じか……そういう事か……」
つまり皇軌にとっての一馬なら、凱虞にとっての香澄という事になるのだろうか。
ならばおかしくなったのは同調の影響と思われる。それならあんな言動するのも、怪獣を恋人と思うのも辻褄が合う。
――オ゛オオオオオオオンン……。
唸り声が強くなっていくのを、一馬の身に染みていく。
見ると怪獣が、香澄をそっと床に下ろしている。人間を繊細に扱っている様に意外に思え、そして警戒をする。
彼女をそうさせたという事は……。
「……凱虞が言っているんだ……その女の人が最後の敵だって……憎むべき怪獣だって……」
丸々とした瞳が皇軌を見据える。
その瞳が敵意を持つかのように、獣如き鋭さを作る。
「ここであなたを……………………殺ス」
小さい口から放たれる、刃物に似た殺意の言葉。
刹那、一馬の横で破壊音が発生する。咄嗟に振り向く一馬が見たのは、大きな力によって崩れていく天井。
その頭上を舞うように巨大な白い影――怪獣の姿になった皇軌が佇んでいる。金色の瞳で黒き影を見つめ、寒気する程のおぞましい唸り声を鳴らしている。
そんな時、黒い異形も天井から這い出るのだった。皇軌とほぼ同じ位置に浮遊し、一馬にその全貌を明らかにさせる。
黒い異形――凱虞は、さながら鎧を纏った獣人の姿をしている。両肩にはめられた甲羅状の肩当てが最も目に付き、次に細長い手脚。手には四本指、脚には
尻尾の類は見受けられず、それが怪獣を人間的スタイルだと錯覚させる。そして鎧と獣の頭部が融合した頭部には、緑色に光る両眼。
あれが凱虞の正体。皇軌の宿敵たる黒き獣神。その対を成すようなその姿は、まさに最後の敵と相応しいとも言えるのだった……。
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