第三章 生キル為ニ

第16話 美女と野獣

 街中に音が聞こえる。

 単なる自然音とも、人々が立たせるざわめきとは全く違う。その場に似つかわしくないと思える程の、激しくも泥臭い轟音。


 音は連続的に放たれていた。その発生源はビルの間に佇む鋼鉄の兵器――自衛隊が誇る10式戦車である。


 ――ドン! ドン!! ドン!!


 数台並んだ戦車からの、飽く事のない砲撃。砲塔からの大量の火がぜ、目に見えない程の速さで飛ぶ砲弾。その砲弾が向かう先は、戦車隊から遠く離れたある物体。

 そこにいるらしいのだが、今や砲撃の影響で黒煙に埋もれつつもある。あるのは着弾の光と黒煙、鼓膜を貫かんばかりの破裂音。

 それは絶え間なく続き、終わりが見えない思われた時、黒煙から飛ばされる何か。それが二つの物体だと認識されるよりも早く、二台の戦車が着弾されていった。


『グアアアアアアア!!』


 着弾されたとは語弊があるか。その物体はまるで丸鋸のように、戦車の装甲を削っている。 

 正体は鋭い刃が無数生えた円盤だったのだ。独りでに回転しながら戦車を削り取り、そして操縦者諸共……。


 円盤が通り過ぎた時、戦車は爆発する。かつて装甲だった破片は近くの戦車、周りのビルに飛び散り、ビルの窓ガラスを割ってしまう。


『目標健在! 繰り返す、目標健在!!』

『何だよこいつ!! 何で一斉砲撃で倒れない!!?』

『狼狽えるな!! 何としてでも未確認巨大生物を倒さなければならない!! 後退しながら砲撃せよ!!』


 自衛隊の目的は、渋谷に現れた未確認巨大生物の殲滅。例え自らの身が滅ぼされようが、国の脅威になり得る存在は排除しなければならない。

 決して逃げずに戦うのだ。だからこそ弾が尽くすまで、敵が沈黙するまでに砲弾を打ち続ける。



 それが無駄だと、彼らは知りもしないで。


 ――グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンン!!


 黒煙からの叫びは、砲撃音よりも甲高く。

 それがトリガーだっただろうか。明後日の方向に飛んで行った二つの円盤が、まるで意思を持つかのように旋回する。向かう先は後退している戦車隊。


 彼らに悲鳴を与える間もなく切り刻み、潰し、爆発させる。大半の戦車が潰され、余波でビルから裂かれて、操縦者の叫びはもはや敵にすら届く事を許されない。


『た、隊長がぁ!!』

『糞ったれええええええええ!!』

『腕がぁ!! 腕がああああああ!!』

『ウ、ウワアアアアアア!!』


 隊長を殺され、敵討ちを目論む者。四肢のいずれかが切り落とされ、断末魔を上げる者。戦おうとする気力がなくなり、戦車から降りて逃げようとする者。

 

 様々な行動する自衛隊に共通するのは、目の前の存在はただの敵ではないという事。砲弾でやられない敵など、どこにいようか。彼らは自分達が相手しているのがとんでもない者だと知り、そして畏怖する。

 

 ――ハアアアアア……。


 その畏怖すべき敵が、唸り声を上げている。

 刹那、黒煙の中から灯していく光。金色に輝いており、この状況では美しいと錯覚してしまう程。

 何が起こるのかと自衛隊は把握出来なかった。そしてその正体を模索していたが、それは実に遅かった。



 光が、向かってきたのだから。

 

 何らかのアクションを起こす前に、光に飲まれてしまう自衛隊の戦車隊。装甲が蒸発させられ、爆発させられ、そして跡形もなく消滅させられる。膨大な熱量の前では、成す術もないまま蹂躙されるしかない。


 光が終わった直後に広がっているのは、目を背けたくなる悲惨な光景だけだった。原型を留めていない戦車、炭と化した自衛隊だった者、燃え盛る炎。


 生きている人間が一瞬にして消え去った、戦場の爪痕。響き渡るのは、黒煙に隠れている者の唸り声。




「凄い……やはりあなたって強いのね」


 そして、女性らしき小さき声。


 黒煙に埋もれた者が、不意に背後へときびすを返す。戦場から遠く離れてないその場所に、何と一人の人間が不審に立っていた。


 薄汚れた洋服を身に纏い、白い肌に煤を付けた少女。彼女が自身より巨大な存在を見上げ、恍惚の表情を浮かべているのだ。


「この奥にいるのね……。じゃあ、一緒に行こう。一人で行かせるのは危険だしね」


 意味不明な言葉を垂れ流す彼女は、果たしてまともな精神状態になっているのだろうか。

 それを確かめる者はいない中、黒煙の中からそれが伸ばされる。傷一つのない漆黒の装甲に包まれ、鋭い爪を生やした異形の腕。

 少女が躊躇なく乗り込むと、腕が黒煙から這い出ようとしていく。ゆっくりとゆっくりと……その本体が黒煙から姿を現し、地響きを鳴らすのだった。

 

 戦車を踏み潰しながら前へと進む、巨大な怪獣。やがてそれと少女が、目の前にある物を見出す。


 コンクリートの地面に倒れる、もう一体の怪獣。


「……あった。これが魏雷ギライね」


 それは今生きている獣とは違い、昆虫を思わせる姿をしている。既に死んでいるのか仰向けに倒れてピクリとも動かず、身体中から稲妻を絶え間なく飛び散らせている。


 異形の死体を発見した少女が、その小さい口角を大きく上げていく。まるでそれは、面白い物を見つけたかのような仕草……。


「じゃあ始めようか……。おいで、鎌角」


 その言葉を前後に、地上に伝わる地響き。

 あるマンホールが独りでに飛んだ時、異形と少女の前で道路が崩れていった。自動車にも耐えられる程の文明象徴が、人智を超えた何らかの力に敵わず敗北する。


 発生した大穴から、その何らかの正体たる影が浮上した。二本の鎌を角のように生やし、獣の骸骨を頭部にした巨大な怪獣。


 口から吐血の如く黒い炎を吐いているそれが、ゆっくりと地上へと這い出る。黒い炎は身体中からも漏れ出ており、その姿はどこか美しさが感じられながらも痛々しい。

 しかしそんな事を気にする素振りを見せず、昆虫型の死骸へと近付く怪獣。二体のこの世ならざる存在が接触した時、何とその身体が溶け込む。


 身体が徐々に変形していき、結合し合う。二体が一体になろうとしていく様は、あたかも融合のそれである。

 おぞましき融合を、妖しい笑みで見つめる少女。彼女はしばらくそれを見ていた後、黒い怪獣へと振り向く。


「後これでもう一体融合すれば……残り二体を倒せるのね……。その時はあなたが生き残る事が出来る……」


 小柄な顔で、妖艶な恍惚を表現する。怪獣を畏怖する気持ちはなく、まるでそれを愛する人と思っているような恍惚さ。


「生き残る為なら、私はこの身がどうなってもあなたを助けるわ……。だってあなたは……私にとっての大切な人だもの……。

 だから、一緒に頑張ろうね……」


 少女が両腕を広げる。怪獣がその巨大な顔を近付けさせると、精一杯に抱擁する彼女。

『美女と野獣』という形容に相応しい姿か。異なった種族同士が愛し合い、味わっている姿は、何の偽りがないかのよう。


 そうして彼女達が互いに求めている中、目の前の融合が徐々に収まる。二体の怪獣だったそれがゆっくりと動き出すのを、一人と一体は見ていなかった……。




 ===




 互いの想いを確かめ合った後、一馬と灯は政宏達の所へと戻る。

 エントランスホールに着くと、ソファーに座っている政宏達の姿が見えた。彼らの視線がこちらへと向いていくのを、一馬はハッキリとその目で確かめる。


「……大丈夫ですか、黒木さん……?」

 

 先に声を掛けたのが辻森だった。先程までに落ち込んでいた故、心配そうに尋ねてくる。

 そしてもちろん、一馬は答えを決めていた。


「ええ、心配掛けてすいません……。でもおかげで、自分がやる事が分かりました……」

「やる事……?」

「……ああ、そうだろ皇軌?」


 政宏から横へと、かぶりを振り向かせた。

 そこに幽霊の如く立っていたのが皇軌である。金色の瞳を見つめる彼女が、コクリと小さく頷く。


「うん、敵は最後の一体だけ。それも私にとっての最大の敵で、何度も戦いを交わした存在」

「……ライバルという事か。どこにいる?」

「あっち」


 彼女が指さす方角は、西辺りか。

 しかもその方角にあるのが何なのか、一馬達は薄々感じている。


「……駅か」


 遊園地で楽しんだ後、一馬達は駅で帰ろうとしていた。

 その時に起こったのが、謎の物体による地震。そこから怪獣達が一斉に出現し、この一帯が彼らの戦場へと変わってしまったのだ。

 言うなれば全ての始まりとも言える。その場所に最後の一体が待っているとは、一体何の因果か。


「遠いな……じゃあ、車なんかを……」

「……まだ戦うんですか……」

「……!」


 その時、一馬へと問い掛ける言葉。

 一馬が振り向けば、辻森がこちらへと見つめていたのだ。堪えている表情をしており、手も強く握っている。

 

 ……辻森の考えている事は、一馬にもよく分かっていた。彼女は、生徒が危険な目に遭うのをこれ以上許さないのである。

 決定的にさせたのが灯の負傷だ。一馬が同じような目に……いや、それ以上の悍ましい事になるのを、辻森は危惧している。


 それを分かっているからこそ、一馬は引かない。


「……分かって下さい。敵怪獣は残り一体……そうすれば全ては終わるんです……」

「でも……!」

「先生!!」


 一馬の声がエントランスホールに響き渡る。

 辻森も、政宏も、彼の覇気に圧倒されていく。


「怪獣を倒さない以上、僕達に被害が被る事だってある。灯の負傷以上の事が起きるかもしれない!!

 だからお願いします!! 駅まで……車なんかで連れてって下さい!!」

「…………」


 もうこれ以上、被害を少なくする為に。

 怪獣を倒すという事は、そういう事にも繋がる。それを知らない辻森ではないはず。


 一馬はうつむく教師を、強い瞳で見つめる。その瞳の中で、彼女はコクリと頷いた。


「……そう……ですね……分かりました……」

「……すいません……皆、行こう……」

「…………」


 灯も政宏も返事をしない。しかしその足が、ビルの出入り口へと吸い込まれるように進んでいく。

 皆して外へと足を運んだ。やがてビルの中から人間がいなくなろうとした時、不意に立ち止まる一人の人間。


 一馬であり、その頭だけを皇軌へと振り返させる。


「……どうしたの?」


 突然の事に、皇軌は戸惑っている事だろう。

 対し強い眼差しで、ただ彼女を見つめる一馬。その間に言葉はなく、あるのは隙をも許さぬ視線の交錯だけ。


「……いや……」


 交錯をやめたのは他ならぬ一馬。彼は何でもないとばかりに首を振り、灯達の後を追う。

 だが実際は違った。彼は皇軌に対して思う事があったのである。しかし明かしても意味がないと悟り、今の行動に移している。


 彼は走りながらも決めたのだ。この意志を明かすのは、最後の怪獣を倒した時だと……。

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