第15話 生きる事への実感が、今いるのだから

「しまっ……!!」


 皇軌達へと放たれた複数のミサイル。その一つがこちらへと向かって来る瞬間が、一馬達の目に飛び込んでくる。

 このまま着弾すれば爆発に巻き込まれるだろう。その先に待っているのは避けられぬ『死』。


 決してそうはさせない。一馬は餓蛇を操り、頭部尻尾を繰り出す。


 着弾するのが先か、尻尾が止めてくれるのか先か。コンマ一秒すら許せない瞬間は、やがて一馬の視界がスローモーションになって……。

 頭部尻尾がミサイルへと伸びていった。破壊か、それとも失敗か――結果は、失敗。


 運悪く掠めるだけに留まり、軌道を変えただけだった。


 失敗した――急いで一馬は灯達を連れ出そうとした。流れ弾がこちらへと来る前に、灯達を守る為に。

 黒いミサイルが刻々と迫ってくる。焦りを与える間はなく、逃げる間も与えられない一馬達。


 そしてその付近へと、災厄が降り掛かった。


「うわあああああああああぁぁ!!」


 とてつもない熱気が身体中に蝕んでいく。衝撃波が身体を吹っ飛ばせていく。

 一馬は、自身が浮いているのがよく分かった。目の前の光景が歪んでいき、なおかつ反転してしまう。

 身体が叩き付けられるのも感じた。やっと世界の反転が終わった時、自分の身体が芝生に転がっているのが分かった。


 あの時の衝撃が、今でも感触として残っている。鞭打たれたような痛みが発する身体のまま、顔を上げていく一馬。

 彼は呆然としてしまう。その目の前に、巨大な爆発跡が広がっているのだから。

 芝生だった場所は灰になっており、立ち込める黒い煙。もう少しで距離がずれていたら、もし餓蛇が止めていなかったら、今頃どうなっていたか。

 悪寒が走る思いだった。しかし、そんな事をしている場合ではない。


「……大丈夫か、皆!?」


 すぐに辺りを見回す。そこには、一馬と同じように政宏達も倒れていた。

 だが無事だったようだ。痛みながらもゆっくりと起き上がる彼らが目に入って、一瞬安堵をする一馬。しかし、すぐに気づいた事がある。


 灯が、大切な友達が見えない。


「家城……? やし……」


  政宏達とは別の方向へと振り向く。そして動いていた彼のかぶりが、ピタリと止まってしまった。

 彼のすぐ近くに、一人の少女が倒れている。それが灯だと分かり――そして呻いているのも分かってしまった。


「うっ……く……」


 左腕が、健康的な肌が、おぞましい火傷に覆われている。

 血が垂れ流れ出しており、皮膚が皮膚でなくなっていた。何とも直視し難い醜い物であり、一馬は呆然とするしかない。

 現実と思いたくなかった。灯が……元気な彼女がこんな重傷を負う事など……。


「大丈夫か!! 家城! 家城!!」

 

 彼女の身体を抱きかかえ、何度も声を掛ける。

 しかし返事を待たずして、耳に届いていく獣の咆哮。振り向く先にあったのは、皇軌へと襲い掛かろうとする双魔の姿だった。


 両腕から光弾を放ちながらの肉薄。その攻撃が皇軌へと襲い掛かった時、彼女が長い尻尾を鞭のように振るっていった。

 尻尾で光弾を跳ね返し、防御する。弾かれた光弾は明後日の方向に飛んでいき、遠くのビルを破壊――聞こえてくる爆発音。


 双魔が接近した時、細長い身体を一旦上昇させる。双魔が敵意に満ちた目つきで見上げたその時、彼女の周囲に赤い光が纏った。

 やがて光は体全体を包み込み、その姿を消えさせる程に輝いていく。その姿はあたかも、龍の姿をした光。そしてその光が原因だろうか、金切り音が聞こえて徐々に響き渡る。


 空気が震えるのを感じる。地面が隆起する感覚を覚える。灯を抱えたまま感じた一馬の視界で、光の龍が双魔へと向かった。

 ジグザグ移動し、軌跡を残す様は巨大な雷の如し。双魔が何とか回避しようと主翼を羽ばたかせたが、刹那してその身体半分が切り裂かれた。


 回避しようとした時には、皇軌が通過したのだから。


 ――…………オオオオオオオオオオオンン!!


 双魔は最初、何が起こったのか分かったのだろうか。呆然としたと思えば、身体の半分が潰れる姿を見て、ただ叫ぶ。

 そして皮肉にも、その叫びが思考停止していた一馬を正気に戻す。見ている場合ではない――彼は餓蛇の右腕に思念を送り、そして発現させる。


 爪の間から溢れ出る、炎の剣を。


 ――オオオアアアアアアアア!!


 万物を切り裂く剣を、餓蛇は振り抜いた。

 そのままでは距離が離れているので双魔に当たる事は出来ない。しかしその時、炎の剣のリーチが長くなり、双魔へと届く程になる。


 痛みに悶える双魔に、回避出来る隙などなかった。炎の剣に対して何も出来ず、迫り来るのを見届けるしかない最期。

 その剣が遂に、異形の身体を切り裂いた。火花と血の代わりである煙が混ざり合い、装甲の破片を飛び散らせる。完全に身体が泣き別れにされた時、その二つの身体だった物が地面に倒れていった。

 

 やはり地面を震わせ、土煙を起こしていく。


 ――ア゛……ア゛アア……。


 新たに発現した頭部と、脚代わりだった双頭の頭部。その三つから発せられる、断末魔の呻き声。

 やがてその声が消え失せ、頭部すら力尽きる。人間を怪物にさせたおぞましき怪獣は、今ここで沈黙される事となった。

 呆然と、その最期を見届けた政広と辻森。しかし二人は、その敵怪獣の敗北に喜ぶ事が出来なかった。


「大丈夫か! 返事してくれ!! 家城! 家城ぉ!!」


 呻いている灯へと、必死に問い掛ける少年。

 しかし灯は返事をせず、ただ顔をしかめるだけ。意識はあるのかどうかすら分からない状態。


 誰もがその様子を見守るしかない。政宏達の顔に浮かんでいくのは、静かな焦燥感。

 その中で少女の姿を取った皇軌は、ただ怪訝に見つめるだけだった……。




 ===




 先程までの自衛隊によって溢れていた前線基地が、自衛隊員と怪物の死体で覆い尽くされたおぞましい場所になっている。

 腕を引き裂かれた自衛隊員。肉片となった怪物。怪物へとなりかけた自衛隊員。死体の山によって形成されたその場所に、『地獄』という形容以外表現できる物はあるだろうか。


 いずれにせよ、ここはもう先程のような安全な場所ではない。一馬達は残っている武器や弾薬、そして消毒薬を――無断ながらも――回収。なるべく安静が出来る場所へと移動するのだった。


 疲労した脚に鞭打って、ただひたすら歩いて歩いて……。そうして目の前に一つのビルがそびえ立つの発見し、その中でひとまず休憩する事となった。


 広いエントランスホールに、来客用と思われるソファー。まず重傷を負っている灯をソファーに寝かせ、自分の上着を被せる一馬。


「…………」


 一馬の目線にあるのは、灯の左腕。

 先程、応急処置を施していたので、その腕には包帯が巻かれている。しかし止血が未だ止まっていないのか、白い包帯から滲み出る赤い血。それが一馬の口を強く噛み締める。


 何とか彼女を綺麗な姿で脱出させたかった。そう思った一馬なのに最悪の形になってしまい、灯に掛けられる言葉が出ない。


「……私が……もっと早くミサイルに気付いていれば……」


 一馬の背後から言葉が掛けられる。辻森の物だった。

 彼女は手で顔を覆っている。それは生徒を助ける事が出来なかった悔やみ。その重圧が彼女へと襲い掛かり、静かに涙を流す。

 政広がそんな彼女を見て、何も言えなかった。口元を噛み締め、気絶している灯を見守っている。


「……辻森先生、ちょっと奥に行ってきます……」

 

 腰を付いていた一馬が、幽霊の如く立ち上がる。

 辻森の返事を待たず、奥の通路へと向かう。足取りがおぼつかない姿が、彼を見る人間に痛ましさを感じさせてしまう。


 いたたまれない気持ちになってしまったのだ。灯に掛ける言葉が見当たらず、どうする事も出来ないもどかしさ。

 そもそも自分がいけないのだ。あの時、ちゃんとミサイルを防いでいれば……灯は怪我などはせず、五体満足のままでいられたはず……。


 そんな思いが頭の中で回り、歩きが乏しくなってしまう。しかしそれが、不意に止まってしまった。




「ありがとう……双魔を倒してくれて」




 横から掛けられた声によって。嬉しそうな言動によって。

 瞳だけ振り向かせると、少女へ化身した皇軌が立っている。それも一馬とは違い、微笑んだ表情で。


「………………」


 一馬は何も返事をしない。ただ呆然の瞳を向けるだけ。

 彼に襲い掛かるのは、妙な違和感だ。皇軌のたった一言がそうさせ、思考停止してしまう。


 違和感、違和感、違和感……その違和感の意味を、灯への罪悪感に蝕まれた脳裏で考える。


「……どうしたの?」

「…………」

 

 思わず瞳を皇軌へと逸らし、このエントランスホールから姿を消していく。重く感じた足を一歩一歩前に出して、ようやく着いた場所が静寂を増した長い通路。


「……そうか……そういう事か……」


 一馬は、違和感の意味をやっと理解した。いや、理解してしまったと言うべきか。

 壁に寄り掛かった途端、笑みが零れてしまう。それは皇軌が浮かべた物とは違った、自嘲が含んだ哀れな笑み。

 今考えている事が本当だとするなら、自分はとんだ道化である。その道化のせいで、灯にあんな目に遭わせてしまったというのか。

 

 ……僕は馬鹿だ。


 脳裏に浮かび上がるのは、自分への貶し。

 こんな事にならなければ、灯があんな目に遭う事はなかった。もっと早く脱出を促せばよかった。


 憎い、憎い、憎い、憎、憎い……自分が憎くて、憎悪し過ぎてたまらない。

 こんな事で自分の身が壊れれば、どれ程……




 「黒木君……?」 




 ――声が聞こえてきた。聞き慣れて、懐かしさも覚える少女の声。

 うつむいていた頭を咄嗟に上げ、その姿を確認する。そして立っている人物へと、その名を語り掛ける。


「……家城……」


 負傷した左腕を、右腕で抑える灯。

 その左腕のせいだろうか、足取りがおぼつかない物になっている。表情もどこか険しく、苦痛に耐えているのがよく分かる。

 やはり痛むだろうその姿……まじまじと見ると、自身を追い詰めたくなるのを感じてしまう。しかし一馬はそれを口にはせず、努めて温厚に振る舞った。


「……まだ痛むか?」

「……うん、ちょっとね。でも……指の感覚がないんだ……」

「…………」


 ――指の感覚がない。


 心臓に刃物が突き立てられる感覚を、一馬は覚えるのだった。

 固まってしまう彼をよそに、同じように壁に寄り掛かる灯。一息を吐くも話しかける事はせず、またもや生まれる沈黙。


 その間に一馬は考えていた。指が動かないという事は物が持てない可能性がある。運動などにも支障がきたすだろう。

 だとするならば……


「剣道……やれないのかもしれないのか?」

「……そうなるかもね」

「…………」


 彼女は剣道が好きだと、初めて会う時に語った。剣道場もいつか開いてみたいとも言っていた。

 それなのに、夢が崩れる事となってしまうのか。この災害……怪獣達のつまらない争いで、夢が消えてしまうのか。

 

 何でこうなってしまったのか。なぜ彼女がこんな目に遭ってしまわなければならないのか。いや、考える必要がない。


「……ごめん……ごめんな……」 


 自分のせい。まごう事なき自分のせいだ。

 己への呪いが決定的になる。これ程、呪わしいと思った事は今までなかった程に。


「ごめん……本当にごめん……ごめん……」


 手で顔を覆い尽くし、ただ謝罪の言葉しか出ない。

 それ以外に方法などなかった。壊れたテープのように謝り続けていく内に、目元が熱くなるのを感じてしまう。


 灯にどう顔向けすればいいのか、全く分からなかった。








「……君」

「…………えっ?」


 名前を呼ばれた。それも苗字ではなく、下の名前で。

 戸惑って顔を上げる一馬。そこに待っていたのは、こちらへと向かってくる灯の姿。


 ――抱擁された。自身よりも小さい身体ながらも、精一杯抱き締める彼女。その柔らかさが、呆然とする一馬へと届いていく。

 

「私ね、一馬君さえいればそれで十分なんだよ?」


 一体何が起きたのか分からないまま、思わず立ち尽くしてしまう。

 そんな一馬へと、灯は優しく語り掛ける。


「あなたさえいるんだったら、剣道がやれなくても別にいい。あくまで趣味だし、他の事に変われる事だって出来るし……」

「…………」

「今こうして生きている。生きていればいい事だってあるし、現に『一馬君』という『いい事』が目の前にあるんだもん。




 だから……泣かないで……私はちゃんとここにいるんだから……」


 その言葉を最後に、彼女が顔を上げる。

 そこにあったのは、屈託のない笑顔。いつもしている表情が、今一馬の目の前に、この地獄の中に存在している。


 生きてればいい事だってある。彼女の言った事は本当だったのだ。灯のとっての『いい事』が一馬であるように、一馬の『いい事』が目の前に存在している。

 そんな事が分かってしまうと、泣いているのが馬鹿らしく感じてしまった。生きる事への実感が、今いるのだから……。


「…………」


 一馬もまた、灯を優しく抱き絞める。

 生きている象徴を絶やしたくない。その想いを胸に、彼女の温もりを味わう。味わって味わって……


 そして、決意が芽生えた。


「……灯、僕は決めたよ……」


 最愛の彼女に、どうしても聞いて欲しい。

 自分の胸から顔を上げ、その真意を聞こうとする灯。その時、耳に何らかの音が聞こえて……。




 ===




 一馬達のいる高層ビル。その屋上に、一人の少女が立っている。

 彼女が妖しい金色の瞳で、はるか遠くの方を見つめていた。西にあるビル街――そこには微かに響き渡る音と、微かに光る閃光が見受けられる。


 あそこで何が起こっているのか、皇軌は何となく分かった。


「後一体……」


 あそこに、敵が感じられる。

 それもこの地における最後の敵だ。その個体と戦って勝てば、皇軌は生き残る事が出来る。

 後はどうにかして元の世界に帰るだけ。激しい戦いが予想されるのだが、こちらには戦ってくれるがいる。心配なんてないはず。


「……待っててね、凱虞ガイグ


 最後の敵の名前を、小さい唇から明かす。

 彼女にあるのは、ただ生きたいという生存本能だけ……。

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