第2話 この現実からの拒絶のままに
暗い闇が広がっている。何も見えない。
一体どうなってしまったのだろうか、そしてここはどこなのか。何も分からない、何も知れない。
「……黒……黒木……黒木君!!」
呼んでいる声がする。この声は聞き覚えがある。
声に導かれるように、闇が真っ二つに切り裂かれていく。その間から見えてくる光と、自分がいる場所。
「……家城……」
視界を覆い尽すのは、親友である家城灯だった。
愛らしい姿には怪我などの異常は見当たらない。代わりに煤か土か何かで服や肌が汚れきっており、どこかみずほらしい印象を与えてしまう。
そもそも何で汚れているのだろうか? そう疑問を思うも、一馬は家城の背後を見る。
「…………」
愕然としてしまう。現実と思いたくなかった。何故なら、駅内が無数のひび割れで覆われているのだから。
天井から瓦礫が崩落し、窓が全部割れている。ある場所では外へと筒抜けになっており、寒い風を寂しく吹かしている。
周りには、灯と同じように煤だらけの生徒と大人達がいる。ゆっくりと起き上がって惨状を見渡す者、未だ気絶しているのか横たわっている者達。そうした人々が、この異様な光景を呆然と見渡すのだった。
「み、皆さん大丈夫ですか!!」
集団の中で、一人の女性が声を張り上げた。
茶髪のショートボブに童顔、そして童顔にあまり似合っていない黒いスーツ姿。一馬のクラス担任である
彼女の呼びかけに、何人かが返事をした。そして起き上がった政宏も返事するのを見て、一馬は安堵を覚える。
「……嘘……香澄がいない!! いないよ!!」
しかし、女子生徒の叫びが困惑を生み出していく。
その言葉を聞いて、一馬は香澄がいただろう場所へと振り向く。そこにいるのは不安な面相をしている女友達だけ。すぐに周りを見渡すも、彼女の姿が見当たらない。
もしかすると彼女は……。
「先生!! 香澄が!! 香澄がぁ!!」
「……よし、先生が捜してくる!! 辻森先生方、生徒達を頼みます!!」
「あっ、はい!!」
香澄を捜そうと、体育教師が瓦礫の中を歩き出す。残るのは辻森などの三人の先生や、一馬ら生徒達。
一馬は言われた通りに待つ事にした。あまり動いても意味がないし、香澄の事なら教師が何とかしてくれる。そう思いながら、立ち上がって窓を眺めていく。
どうやら長い時間気絶していたらしく、空は夕日になっている。だがそんな事よりも、脳裏に思い浮かべられたのは『非日常』という文字。
ビルが傾いている。窓は全部割れており、ひび割れた地面に散乱していた。綺麗に並んだ樹木はなぎ倒され、木の葉が風に舞っている。
どうしてこうなってしまったのか。そう考えるしかない一馬だったが、不意に駅の真下に何かがあるのを知る。
道路に開いた巨大な穴。まるで何かがそこに落下したような跡。
落下……巨大な物体……人型……。徐々に一馬に気絶する前の記憶が……。
「そこ! どこ行くんですか!! 動かないで下さい!!」
「俺達も捜すんだよ!! 村雲を放っておけねぇよ!!」
「ちょっとだけだからよ!!」
記憶から現実に戻される。見てみると、どうやら数人の男子生徒が勝手に動き出していたのだ。
十中八九、香澄と同クラスと思われる。そんな彼らの勝手な行動を機に、女子生徒や自分と同じクラスの人までその場を離れてしまう。
政宏も例外ではなかったようだ。ふらりと彼らの後を付いて行こうとする。
「おい、政宏」
「あっ、黒木君!」
政宏を追う一馬。一馬の後を追う灯。
結局、生徒達は移動する事になった。目指す先はさっきまでいた線路沿い。瓦礫をよけながら進んでいくと、先程とは違った全容が目に入る。
崩れた天井が線路を覆っていた。自動販売機までもが倒れ、中には瓦礫によって潰された物もある。
果てには、線路の上に倒れた電車の姿までもが……。
「電車が……」
「嘘だろ……?」
電車が倒れるなどあり得ない。あの暴風でそうなったのか、それとも一馬達を気絶させた衝撃が原因か。いずれにせよ酷い有様としか言えない。
香澄を捜そうとしていた男性教師も、電車を呆然と見つめている。だが不意に線路へと飛び降り、電車に近付いていく。
まるで何かに気付いたかのように……。
「……先生?」
「……電車の中に人がいる! ドアが開けられないようだ!!」
確かにドンドンと叩く音が聞こえてくる。人が乗っており、中から叩いているようだ。
教師が車輪を伝って、電車の上に登る。中の人達を助けようとドアを開ける姿――手伝った方がいいのではと、一馬にそう思わせる。
だから、政宏に声を掛けようと……
――ズゥン……。
声が、詰まってしまった。
「……何だ?」
一馬が、政宏が、灯が、人々が、一斉に表情を強張らせる。
床を揺らす程の振動に加え、微かに聞こえた鈍い音。いきなりの現象に、人々に「地震か?」と反射的に口にさせる。
――ズゥン……ズゥン……。
再び鳴り出した。しかし様子がおかしい事に、一馬は気付く。
「……何これ? 本当に地震?」
灯の言葉が、彼の代弁となる。
地震というのは、連続的に揺れ出す現象である。しかしこの現象は鳴り出しては収まり、鳴り出しては収まりと、規則的で奇妙な物になっていた。
本当に地震なのだろうか? 誰もがそんな疑問を抱き、本能的に上を見上げる。
「……地震にしては妙だ……」
一馬の口からも疑問が漏れる。
それは隣にいる政宏も同じなのか、微かに頷いたのだ。
「ああ……まるで……歩いている音だ……」
「……歩いている……?」
――ボオオオオオオオオオオオンンン!!
灯が口にした時だった。
一馬達の耳元に届く濁った轟音。床が震え、埃が立ち込め、しまいには天井から瓦礫が崩れていく。
まともに聞いたら鼓膜が破れかねない。一馬達が耳を塞いでいき、身体を縮み込ませる。
そんな時だった――線路が崩れ出したのだ。
高まっていく軋み。線路の骨やアスファルトが散乱し、一馬達へと向かって来る。
頭を抱えながら下がっていく彼らは、その目で確かめてしまう。線路の中央に穴が開いていくのを、男性教師と電車が奈落へと消えていくのを。
「ウワアアアアアア!!」
電車が起こす轟音の中で、教師の悲鳴が聞こえてくる。さらに一馬の目に映って来る、電車の中で助けを乞う人々。
泣き腫らし、割れない窓をしきりに叩く者達。しかし声が一馬達に届く事なく、奈落の底へと消えてしまう。
教師もまたいつの間にかいなくなってしまった。誰しも彼の名を呼ぶ事はなく、ただ呆然と見つめて……。
まさに非日常を象徴するような、陰惨で理不尽な現象。しかし何故か理不尽は終わりを見せない。
突如として奈落の底から、巻き上がる砂塵。辺りを土煙で覆っていく中、線路が盛り上がっていく。
そして土を被りながら現れる――巨大な何か。
「……………………」
一馬は言葉を失った。何を言えばいいのか、全く分からなかった。
何かは黒い物体に包まれている。その物体の表面が
物体から六本の棒状の物を生やしているのが見えた。鉤爪の付いた、虫を思わせる脚。それによって、この物体が身体だという事を一馬達は知る事となる。
これは昆虫に酷似した、巨大で巌の如き生物。その身体の埋め込まれているように、長大な三本角と鎧の甲冑を生物的にしたような顔が見える。
人間が石のようになってしまう程の巨大感。この世の存在と思えない異形感。目の前があってはならないという、一馬達の拒絶感。
それでも異形は、頭部から光る赤いスリットで見下ろしていった。
「……あああああああ……うわあああああああ!!」
「ギャアアアアアアアアアア!!!」
「アアアアアアア!! ウアアアアアアアアア!!」
駅中に響き渡る、人々の叫び。誰もが異形に恐れをなし、我先へと逃げ惑う。
その中に一馬達もいた。悲鳴は上げなかったが、恐怖のあまり走るスピードが速くなってしまう。足がもつれて転んでしまいかねない程に。
その最中、一馬は周りを見た。ちゃんと灯と政宏がいるのかどうかを確認すると、ちゃんと隣にいたので安心する。
しかし視線の中に、倒れ込んでいく人達が目に入った。それに転がって、他の人達が巻き込まれて……連鎖により、下敷きになってしまった人もいる。
ああなりたくなりたい。そもそもさっきの化け物に襲われたくない。そもそもあの化け物は何なんだ? これは現実なのか? 一体何が起こっている?
誰か答えてほしい。欲しいのに、聞こえてくるのは悲鳴だけ。
「塞がれている!!」
「別の道! 別の道!!」
「どけよぉ!! 邪魔だ!!」
出口に繋がっている道が、瓦礫によって塞がれていた。
別の道を探ろうと逃げ続ける人々。やがて他の道を発見し、そちらへとなだれ込んでいく。
一馬達もその後を追いかけようとして、しかし止まってしまった。
――ボオオオオオオオオオオオンンン!!
咆哮らしき音と共に、道が崩壊していったのだ。
吹き飛ばされる人、瓦礫に巻き込まれる人、落下していく人。そして道だった場所に現れる、巨大な異形の顔。
先程の昆虫を思わせる化け物だった。節足動物如き六本脚で掻き分け、外へと這い出そうとしている。
背後には瓦礫で塞がれた道、目の前には化け物がもがいている道。どこを行けばいいのか分からず、右往左往してしまう一馬達。
「皆さん! 瓦礫の中を進めます!! 早く早く!!」
背後に振り返ると、瓦礫の中を指し示す辻森の姿。
一馬達が駆け付けると、確かに瓦礫にトンネル状の道が出来ている。窮屈そうだが通れない訳ではない。
「家城、君が入れ!! 後から僕達も入る!!」
「う、うん……!」
不安ながらも、灯が瓦礫の中に突き進む。化け物による蹂躙の音が響き渡る中、瓦礫の奥から聞こえてくる灯の合図。
一馬と政宏がすぐに中へと滑り込んでいった。その時に他の人も気付いたのだろうか、彼らの背後から大勢の人が殺到する。自分が先だと争う声までも。
その間にも発せられる汽笛如き轟音。恐らくはあの化け物の鳴き声と思われるが、その音がまるで日常を崩壊へと導くようで、あまり聞きたくない。
彼らは走り出す。必死のままに、この現実からの拒絶のままに。そしてようやく着いた先は、常に求めていた駅の外。
だがそこに何故か土煙が蔓延している。咳き込みながらも進んでいく一馬達は、この駅からなるべく離れようとする。
「くそっ、どこに行けば!!」
一馬は焦った。ここは自分の知る事のない土地──どこに行けば最良なのか全く分からない。
だが聞こえてくる、一馬達を呼ぶ声。どうやら背後の方から辻森と数人の生徒達がやって来たようだ。
彼女達と合流する一馬達。途端、巨大な気配を感じ、横方向を向く一馬。
そこにはいるのは、昆虫のようなあの化け物。二本の脚を地面に立たせ、残り四本で地面を掻き分けている。
まるで何かを捜しているかのように。しかしその真意を探る余裕など一馬はなく、急いでそこから離れる。
やがて異形の姿は、土煙の中へと消えていくのだった……。
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