第一章 来タル災厄

第1話 なんて事のない一日

 空が曇っている。快晴とは違い、人々の気分を向上させない妙な天気だ。


 一人の人間がそんな曇りを見つめていた。長くも短くもない黒髪を蓄え、引き締まった身体付きに反して温厚そうな顔立ちをした少年。そんな彼が曇りを見てふと思う。


 もし太陽さえあれば、いい一日だったのに……。


「……木君……黒木君、どうしたの?」

「ん? ああ、ちょっと空を見ててな……」


 隣から声がする。掛けられた少年がハッとし、曇り空から振り向いていく。

 一人の少女がそこに立っていた。艶やかな茶髪のセミロングをしており、人懐っこそうな童顔が特徴的。黒を基調とした洋服姿が、これまた似合っていた。


 彼女の名は家城灯やしろあかり。彼女に対して、黒木一馬くろきかずまが空へと指差した。


「ほらさ、空がどんよりしているじゃん。こういう時に晴れだったなって思ってさ……」

「ああ、分かるかも。こういうのを乗る時って、晴れの方が気分が湧くんだよねぇ」


 灯が目にするのは、空を覆い尽くす程のジェットコースターだ。複雑に入り組んでおり、レールの上を駆け巡るジェットコースターから人々の悲鳴が上がっている。


 ここは東京都渋谷区に存在する遊園地『プレザント・フォレスト』。『愉快な森』を意味するそれは三ヶ月前──2017年の春頃にオープンし、今は地元や遠くの地から来た来客で埋め尽くされている。


 一馬達は埼玉からここまでやって来たのである。高校二年の間で行われている、遠足の一環として。

 この遊園地の中を三~四人のグループで回り、あらゆるアトラクションを楽しむ。故に一馬達だけではなく、私服を着た他の高校生もチラホラ見受けられる。


「しっかし目の前で見るとでかいなぁ……」


 一馬達に、圧倒されたような声が聞こえてきた。

 振り向くと、そこにボサボサした茶髪の少年が立っている。平凡な容姿の一馬に比べれば、幾分か顔が整っている。

 権藤政宏ごんどうまさひろ。一馬の腐れ縁であり、このグループの一人でもある。そんな彼に、灯が悪戯的なニヤケ顔をするのだった。


「あれ? もしかして怖くなってきた?」

「そらぁ怖いわな。勢いを来ちゃったけど、本当はこういうのを駄目なのよね。

 家城は大丈夫なの?」

「まぁ、実はちょっと怖くなってきたかも。でも黒木君達と一緒なら大丈夫かな……なんて!」


 灯の顔に浮かんでいく、溢れんばかりの笑み。

 明るい笑顔が彼女の取り柄であり、そんないい所は一馬はおろかクラスの生徒も知っている。一馬はその笑顔を見て、釣られるようにフッと笑んだ。


「全く本当に……っと、そろそろ僕達の番だ。これが終わったら戻るからな」

「はーい」


 昼の一時になったら、遊園地の門前に集合する事になっている。灯の返事の後、三人は従業員の指示に従ってジェットコースターへと乗り込んだ。




 ===




 やがて遊園地から出発する全クラス。長い道路を渡った後、着いた先は山手線の駅である。

 昼時にも関わらず、駅には多数の人達が行き来していた。通勤ラッシュではないので、恐らくは出張とかそういった事情で、駅を利用していると思われる。

 その線路前に並び立つ一馬達のクラス。およそ六十人近くの、個性的で活気に溢れている生徒達。


「えー、これから学校に帰り、その後に解散だ。もうすぐ電車が来るので、それまで静かに待っている事」


 生徒達の前で説明するのは、一人の男性教師だ。

 一馬のとは別クラスの担任である。体育を教えているだけあって、身体つきがよく身長も高い。声もこの人混みの中でも良く響く。


 が、一馬にとってはどうでもいい事。こういった人混みの中で待つのは苦しい物であり、早く電車が来ないかと思ってしまう。


「それで香澄どうだった? あたしはお化け屋敷が好きだったけど」

「やっぱ観覧車が面白かったかな。遊園地を一望出来た時は感動しちゃった」

「ああ、分かる!!」


 周りに比べて浮いたお淑やか声。おもむろに声がした方へと振り向く一馬。

 そこには二~三人の女子生徒が集まっている。そして彼が目にしているのは、その中に混じっている一人の少女。


 村雲香澄むらくもかすみ。長い黒髪をし、端正な顔つきをした清楚な姿が、生徒の中で一段と輝いている。

 一馬達にとっては高嶺の花と同時に、あまり関わりを持たない人物。会話した事もないし、これまで同じクラスにもなった事もない。


 ふと、香澄が急に振り向く。思わず驚く一馬だが、すぐにそっぽを向いていく彼女。

 嫌っているのだろうか? 避けているとしか思えない行動に、かすかな怪訝を持ってしまう。


「どうした?」

「ん? ああ、何でもない。」


 政宏に問われたので、とっさに首を振る。そして大した事ないだろうと自己完結もした。

 さて、ここから学校に戻る事になっている。そうしたら家に帰り、やり忘れた道具の手入れをしなければならない。


 なんて事のない一日である。このまま普通に、何事もなく終わるはずだ。




「……ん?」


 ――ただ、違和感が感じる。

 

 一馬の耳元に、微かな音がした。風船が破裂したような、甲高くて一瞬に終わってしまう音。

 不思議に思いながらも、音がした方向を見る。あるのは天井から見切れたどんよりとした曇り空。だがよく見ると、雲の中から光が点滅しているように見えた。


 雷か? 一馬がそう思った時、急に体が動いてしまった。


「うおっ!」

「わっ、つよっ!」

「何っ!?」


 緩やかだった風が、急に強くなったのだ。他の生徒達も達磨のように転がりそうになってしまう。

 だがおかしい、強風は起こらないとニュースで言っていたはず。それともニュース側がミスでもしたのだろうか?


 たわいもない推測をする一馬だったが、次第に風の勢いが増す一方。線路を覆う天井が震え、近くの自動販売機にゴミが当たって鈍い音を出す。

 まるで台風……いや、それ以上の威力だ。


「先生、ここにいたら……!!」

「そうだな……よし、中に入ろう!!」


 ある生徒の発言がきっかけで、全生徒が線路から離れる。

 いつしか他の人達も、風に巻き込まれまいと駅の中へと避難した。たちまち中は立ち往生する人々で溢れ返り、窓から見える暴風の光景を不安な面相で見守っていく。


 一馬もまた例外ではなかった。荒れ狂う風、聞く者を不安に誘う轟音……こんな現象に立ち寄ったのは、実に生まれて初めてである。


『強風が……している為……緊急停止いたします。しばらく……』


 アナウンスの声が聞こえるも、風の影響でほとんど聞こえない。その一方でますます強くなっていく暴風。

 窓から薄い看板が飛ばされていくのが見える。もしあの場に立っていたらと、いつしか一馬に早い動悸を与えてしまう。


 とても正常ではない。はやく終わってくれと願うばかり……だが、


「おおお……おいおい!! マジかよ!!」


 生徒の叫びが、状況をよく表している。

 窓に見えてくる、人よりも大きい物体。それは急速に向かい、そして窓を粉砕する。


 窓を割る時に起きる、綺麗な破壊音。人々から響き渡る悲鳴。誰しも我先へと逃げ惑い、容赦なく突っ込んでいく物体。

 遠くの方にいた一馬達は、ただ地面に付いて頭を抱えるだけだった。目をつぶって怯える中、聞いた事もないような轟音が聞こえてくる。


 音が聞こえなくなった時、一馬はゆっくりと振り返った。


「……うわぁ……」


 それしか言いようがなかった。

 駅内に突っ込んできた物体――その正体は黒いバイクであり、タイルの壁にめり込んでいる。

 床にはバイクが擦っただろう跡、そして散らばっているガラス片。次第に湧き上がる、人々のざわめき。


「何これ……」という声。「怖い……」という恐怖。中には呑気にスマートフォンで写真を撮る者がおり、一言で言い表せない感情のせめぎ合いを作り出す。


 そんな光景を、一馬は呆然と見つめていた。だが不意にある事を思い出し、隣へと向き直す。

 すぐに見つかった、灯の無事な姿。頭を抱えた状態からゆっくり起き上がる様子に、一馬に安堵を与える。


「大丈夫か、二人とも」

「う、うん……大丈夫……」

「ああ、何とか……」








 灯に続いて政宏が返事した、その刹那。


 目を焼き付かんばかりの光が、駅内に点滅していく。そして聞こえてくる破裂のような音。

 これはまさか……。一馬が見上げると、光を点滅させる曇り空が見える。


 あの時の異変が、暴風と共に増大化しているのだ。


「な、何なのよぉ!!」


 灯や人々の恐怖に怯える悲鳴。何も対処する事が出来ない混乱。現実だと思いたくない叫び。


 誰もがただ地べたに這って震えていた。こんな人智の超えた光景などあってはならない。早く終わってくれ――人間達が思っているのは、そんな儚い願い。

 

「……? 止んだ?」


 目をつぶっていた一馬が気付く。音と光が消えたのを。

 恐る恐る目を開けると、上空のあの光が消え、暴風も止んでいた。残すのは、目茶目茶に荒らされた駅の中。

 一馬は窓から街の様子を見ようと、ゆっくりと立ち上がろうとした。それは他の生徒も同じか、スマホ片手に辺りを見回そうとする。

 



 ――そして、一馬は目撃した。



 

 窓から見える上空に、一つの巨大な物体。

 そう遠くにはなく、なおかつ地上に向かって落下していく。一馬が分かる限り、それは黒くて……をしている。


 あれは何だと考える暇はなかった。何故なら既に、物体が地上へと落下したのだから。


 その瞬間、一馬の視界は反転した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る