第13話 阿鼻叫喚の地獄
「……うっ……」
視界がほとんど霞んでいる。ほとんど見えない中、ただ声だけが聞こえてくる。
これは自分の声だと知った時、一馬はすぐに視界を取り戻そうと、顔を振り動かす。そうして目に入ってきたのは、自分達がいるヘリの中。
所々火花が散り、血濡れの赤いランプが点滅している。そして一馬の他にも、自衛隊員や避難民が倒れている。
灯達も例外ではない。
「家城……!」
近くに倒れている灯へと近付く。その身体を両手で抱えた時、彼の動きが止まってしまった。
周りから手を引き裂くような、鈍くおぞましい音が聞こえてくる。一馬が顔を上げた時、何とヘリの装甲が紙のように引き裂かれてしまう。
その音と共に、自衛隊員達が目を覚ます。
「……!? くそっ!!」
引き裂かれた装甲から見える外の風景。そして中に入ろうともがくのは、忌まわしき人型生物。
自衛隊員が手にしている
今の一馬達はまさに、箱に入っている食べ物のような有様だ。
「ギャアアアアアア!! 嫌だあああああああ!!」
背後からの声に、一馬がハッとして振り返る。
何と大久保が壁に押さえ付けられていた。いや、壁の奥にいる怪物に右腕を引っ張られ、外へと引きずり出されそうになっている。
一馬や自衛隊員が駆け付け、振り回している左腕を掴んで引っ張る。しかし怪物の方が力強く、中々離れる事はない。
ますます大久保の身体が引きずられてしまう。乱暴に引き裂かれた装甲の間へと入り、傷付いていく彼の身体。
「嫌だぁ!! 助け……アアアアアアアア!!」
救出は叶わなかった。吸引されるが如く、外へと消えてしまう大久保。
彼のうめき声が消え、思わず目を逸らしてしまう一馬。しかし彼の死を悔いる暇は、この状況が許してはくれなかった。
視線の中にある窓。その奥にある外では、何と自衛隊と怪物達の抗争が始まっているのだ。
銃撃を浴びせられ、血しぶきを上げる怪物。対し数体の同族で押し寄せ、隊員へと伸し掛かってしまう。
怪物から発せられる黒い霧が、あの時と同じように隊員の身体を異形に変えてしまう。そうする事で怪物の数が段々増してしまう。
地獄としか言いようがなかった。なおヘリの中も自衛隊員や避難民が外へと連れ出され、さらには抵抗される者は長い爪で刺殺されてしまう。まさしくそこは、阿鼻叫喚の地獄。
一馬ら人類に逃げ道などなかったのだ。
「皆さん、中央に集まって下さい!! 我々がお守り……」
最後まで言う前に、何と女性隊員の身体が浮く。
頭上を突き破った怪物が引き寄せているからだ。悲鳴を上げながら、姿が見えなくなってしまう隊員。それと引き換えに、一馬の前に落ちてくる奇妙な物体。
「ヒィ!?」
灯がゾッとするのも無理はない。落ちてきたのは、引きちぎられた自衛隊員の右腕だったのだから。
断面から新鮮な赤い血を垂れ流し、手には血染めの小銃が握られている。おぞましい光景に一馬すら戸惑うのだが、その感情を味わう前に襲い掛かる怪物。
その時だった。背後から何かが前に出てくる。人の腕などではなく立派な人間――その者が地面に落ちた小銃を握り締め、発砲する。
無数の弾丸を喰らい、ミンチをなり果てる目の前の怪物。その過程を見つめていた一馬に、それがゆっくりと倒れる瞬間までも目撃させる。
そして彼の視線が、発砲をした人物へと。
「辻森先生!?」
何と自身の教師、辻森だった。小銃を両手で構える姿は、まるで元々から銃に扱い慣れていると言わんばかりの物だった。
一馬はおろか灯達も唖然としてしまう。しかし辻森は周りの目を気にせず、一馬へと振り向く。
「何で先生が!?」」
「今それどころではありません!! なるべく私の後ろにいて下さい!! 早く!!」
怪物へとしきりに発砲する辻森は、生徒を守ろうとする姿が垣間見える。
だが彼女の意思とは正反対に、四方八方から怪物が迫り来ていた。例え辻森に任しても死から逃れる事はない。
――迷っている暇はなかった。一馬は
「皆、なんか武器を取れ!!」
「……うん!!」
返事するなり、倒れている隊員から拳銃を取り出す灯。それを撃とうとするも何故か出来ない。それは辻森が安全装置を教えた事で、何とか出来るのだった。
政宏もまた然り。外から迫ってくる怪物へと蹴りを入れ、発砲。発砲。発砲。しかし執着し過ぎたか、背後の存在へと気付かず。
「グアア!?」
その身体が怪物が覆い被さり、もつれ合う。
政宏が抵抗しても、それは引きはがされる事はなかった。このままでは彼もまた怪物にされてしまう――一馬は一心不乱に小銃を向けた。
トリガーを躊躇なく押さえ付け、放たれる無数の弾丸。
弾丸の一つ一つが、怪物の無機質な甲殻へと埋め込まれる。一つ、三つ、九つ、三十……無数の弾痕が生じ、甲殻の原型をなくしてしまう。
やがてそれはただの肉塊へとなり果ててしまった。それが倒れる頃には、政広の服が血液まみれになってしまった。
「大丈夫か、政宏!!」
「ああ!! わりぃ。一馬!!」
とは言ってもまたこのような目に遭うのかも分からない。
それにヘリの装甲が段々崩れ、もはや原型を留めなくなってしまっている。そのせいか、怪物達の侵入スピードも速まっている。
ここにいるべきではない。一馬はある切れ目にいる怪物へと発砲し、呼び掛ける。
「皆、一旦外だ!! 外に出るぞ!!」
先に外へと出る。予想通り怪物が現れるも、そこに蹴りを入れる一馬。
吹っ飛ばされる異形へと、無我夢中でアサルトライフルを乱射。もはや彼を支配しているのは、怪物への殺意と自身の生存本能。
怪獣に脅迫されているという事実はあっても、この街から脱出出来ないと分かっても、彼はその執念を忘れてはない。
――ア゛アアアアアアアアアアア!!
それでも四方から迫ってくる怪物達。奇声を上げながら向かう様は血に飢えた猛獣のようで、灯に恐怖の形相が浮かび上がる。
だが一馬は、不意に口角を上げるのだった。
「来た……!」
――その言葉と共に、地面が抉られる。
そこにいた怪物達が地面と共に吹っ飛ばされ、四散されてしまう。そうして地面は一馬達を守るように周りに発生させ、敵を一掃させる。
謎の現象が終わった直後、地面には巨大な白い槍状物体が刺されていた。物体の根元まで辿っていけば、あるのは視界を覆い尽くすような巨大な人型。
一馬によって使役される命なき存在――餓蛇。
「……間に合った……!」
一馬達の前にそびえ立つ巨大な獣。白い槍状物体はその頭部から生えた物であり、一馬の意思に沿って地面から抜き取られる。
かつてこれは、人間側に災厄をもたらした怪獣だった。それなのに今はこの窮地から救ってくる存在であり、その姿を見た灯達に少しの安堵がもたらされる。
これでなら、周りにいる怪物も。
「……やれ……!!」
――オ゛オオオオオオオオオオオオンン!!
一馬の意思に従い、右腕の三本爪を展開される。
まず狙い先は正面にいる怪物の群れ。今なお迫ってくる脅威に照準を捉え、白き火球の一発。
火球が群れに襲い掛かり、飲み込む。悲鳴すらかき消させ、肉片一つ残さずに蒸発させていった。
起こる爆発。同時に爆風が襲うも、屈む灯達と違って正面を見据える一馬。そんな彼が次の獲物を発見させ、餓蛇をそこへと向かわせる。
怪物達が餓蛇を視認した時、あろう事か悲鳴を上げて逃げ出そうとする。いくら凶暴な怪物でも、人智を超えた存在には敵わない証か。
逃がしてはならない。その衝動が一馬を突き動かし、餓蛇に戦闘意思を与える。
その砲台如き左腕を大きく振るい、地面ごと吹き飛ばす。さらに頭部の尻尾を振るい、一体ずつ串刺し。刺して、刺して、刺して、刺して、最後には鞭のように薙ぎ払い。
怪獣にその力を振るわすと、被害を増大化させてしまう。なるべく被害を考慮した結果の攻撃であり、その結果として怪物達の数が減っていく。
そして、逃げようとする一体に最後の一撃。
――ア゛アアアアアアアアアアア!!
聞こえてくる悲鳴もろとも、白い尻尾で叩き潰す。
虚空へと響き渡る、地面の叩き付ける轟音。それが徐々に消えた時、獣の唸り声がこの公園からなくなったのを、一馬は知った。
安堵の息を吐き、小銃を握った両腕が垂れ下がる。そのまま地面にへたり込みそうになるも、彼は灯達を一応の確認をした。
いるのは灯、政宏、そして辻森。後二人の生徒がいたはずだが、怪物に襲われたのかそれともはぐれたのか、今となっては分からない。
避難民も同じだった。あれだけの数がいたのに、一瞬にしてその姿が消えてしまったのだ。彼らの末路がどうなったのか――言わなくても分かってしまう。
「……!」
その時、周りに自衛隊員が集まるのが見えてきた。
反応は様々だった。敵を倒してくれた怪獣への怪訝な表情、殲滅対象故に小銃を向ける者も存在し、混沌な雰囲気を醸し出している。
もう隠し立ては出来ないだろう。一馬は真実を、本当の事を彼らに託す。
「皆さん、落ち着いて下さい!! この怪獣は一応味方です!! 皆さんには決して危害を加えません!!」
「………………」
予想通りである。彼らは決して一馬の言葉を信じない。
小銃を向ける手をやめず、緊張状態を決して崩さない。彼らはきっとこう思っている事だろう――『この少年は何を言っている』のかと。
怪獣は人類への災厄であり、味方になってくれるなど
それを分かっているからこそ、一馬はこれ以上言うつもりはなかった。このまま餓蛇を連れてどこかに行こう――そう思ってさえいた。
――キュウオオオオオオオオン!!
獣の悲鳴を、この耳で聞くまでは。
「……!?」
空から聞こえ、その発生源を振り向く人間達。
そして彼らは目撃する。空を覆う雲を突っ切って、落下していく巨大な物体を。その物体が何と、怪獣の姿を取った皇軌だというのを。
皇軌がこちらへと降ってくるのを、一馬達がハッキリと捉える。そして脳に伝達される『すぐに逃げないと潰される』という危険信号。
危険信号は全員に感じただろう。人間達が蜘蛛の子を散らすように逃げ、そして芝生へと叩き付けられる皇軌。
轟音を上げ、地面を抉り、破損したヘリコプターすら潰す。辺りには土埃が舞い、皇軌の白い装甲に汚れさせてしまう。
あらゆる音が徐々に止み、生まれる静寂。その中で、皇軌の姿を見つめていくしかない一馬達。
一馬は思う。この状態は、誰かにやられたのだろうかと。
「……皇……」
話しかけようと思った。だがその時、それは遮られてしまった。
――殺気とも言うべきだろうか。禍々しい何かが、一馬の身に降り注ぐ感覚を覚える。
どこから来たのか、それは明白。皇軌が降って来た空からであり、一馬や灯達が一斉に振り向いた。
すると、雲に穴が開いた。
穴の中心から巨大な影が降り注ぎ、垂直に地上へと落下する。そのまま激突でもするかと思えば、何とトンボの如く中に停止したのだ。
そのおかげで把握出来る、影の正体。一馬はその姿を見て、愕然とする。
「……何だあれは……?」
宙に留まっている異形の姿。それは人型をしている皇軌と餓蛇とは、まるで異なっていた。
血のような真紅の身体から、蛇のような頭部が生えている。それは身体とは違って灰色をしており、頭頂部には青い単眼。そしてその頭部は
身体の側面には巨大な真紅の翼。下には棘が生えた黒い尻尾。その姿は、一馬に中生代の翼竜を彷彿とさせていった。
――キュルルルルルルルルル!!
それは鳴いた。まるで鳥のさえずりのようで、甲高い。
そして異形の姿とのギャップを感じさせ、あまりにも不気味な物だった。
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