第二章 対抗ノ力

第10話 生きて帰る手段

 僕達は、ただ普通の人間で、普通に生きていた。

 たわいもない日常……その中で僕達は人生を送り、そして変わる事なく続くと思っていた。それは僕以外の人々も思っていたはずだ。


 だがある日、日常は崩れ去った。異界から現れたとされる怪獣による蹂躙……まるで死が形になったような瞬間は、僕ら人間に戦慄の悲鳴を与える。

 僕達は怪獣達の世界に取り残された。助けも来ないこの状況の中、これからどうなってしまうのかと思っていた。


 しかしそこに現れたのが、少女の姿を取った白銀の龍。龍は何としてでも生き残ろうと、僕に力を与えたのだ。

 怪獣を操る力。それは敵の怪獣を倒す手段でもあり、生きて帰る手段でもある。


 だからこそ、僕はこれを使う。何としてでも、灯達と一緒に生きる為に……。




 ===




 雨が干上がっている。嵐の如き暴風も止んでいるが、未だ厚い雲に覆われており、地上を闇へと包み込んでいる。

 

 渋谷にはあらゆる店が立ち並ぶ商店街――百軒店ひゃっけんだながある。喫茶やレストランなどのフードショップ……かつて人がいたのなら、この区域は繁盛していた事だろう。


 だが人はいない。この渋谷に謎の怪獣が現れ、店員達や通う人々が退避せざるを得ない状態となったのだ。どの店のシャッターが閉められ、まさに閑古鳥が鳴く有様である。

 その商店街に響き渡るのは、風の儚い音。何もない場所故に、今まで小さかった音がよく聞こえてくる。


 そして、激しい音も。


 ――オオオオオオオオオオンン!!


 商店街に轟く雄叫び。それはこの街に姿を現した、巨大な獣による物。

 名は餓蛇。武者の出で立ちをした怪獣が、頭部の尻尾をしならせながら突き出している。その鋭い先端が向かう先は、街の中を駆けまわる醜悪な怪物。


 ――ア゛アアアアア!!


 人間が変じたとされる小型怪物。その内一体が、尻尾によって串刺しにされる。

 大量の血しぶきが飛び散る中、他の三体が怪獣へと向かった。しかし彼らは気付く事はない。怪物から引き抜かれた尻尾が向かっているのを。


 尻尾が三体もろとも捕縛し、巻き付ける。脱出しようと抗う化け物達だったが、尻尾が殺意の絞殺をする。

 醜い音と共に、異形の姿が潰れる。動かなくなり、悲鳴すら上げなくなった怪物の下からは、大量の血が溢れ出ていた。


「……これが……こいつの力……」


 商店街の中に立つ、数人の人間――それはすなわち黒木一馬達。

 迫り来た怪物を一掃する為、一馬は餓蛇という怪獣の力を操っていた。するとどうだ、今まで脅威だった彼らを、すぐに倒す事が出来たのである。


 違和感が一馬へと襲い掛かる。自分が怪獣を操っているという事実が受け止められず、ただただ愕然とするしかない。


「黒木君、その……副作用とか大丈夫なの?」


 そんな彼に、灯が尋ねてきた。

 呆然から正気を取り戻し、自分の頭を触れる一馬。そこには先程襲い掛かった、頭痛の類は見当たらない。


「……とりあえず大丈夫かも。それまでに怪獣を倒す事には越した事ないけど……」

「……ならいいけど……無茶しないでよ……」

「……ああ。ところで……本当にここにいるんだな、皇軌?」

 

 一馬が振り向く先には、赤い服を着た少女。

 いや、正確には少女に変化した怪獣か。しかし一馬の言葉に対して頷く様は、まさに人間の少女その物である。


鎌角レンカク。その存在がここにいる。間違いないよ」

「鎌角……変わった名前だな」


 名前からは怪獣の外見などは把握出来ない。一体どういった奴なのかは、この目で確かめなければならない。

 しかしこの少女は敵の位置を知る事が出来るらしいようだ。人智を超えた存在故、そういった感知能力があると言う事か。


「周りに気を付けて。あいつらはどこにでも現れる」

「うん、分かってる」


 辺りを警戒しながら、この百軒店を進み続ける。

 先程の怪物による喧騒は消え、辺りに漂う静寂感。この時に怪獣の足音位なら聞こえそうだが、それが全く耳に届かないのだ。


 そもそも、その姿が影も形も見当たらない。三十メートルものの巨体があるのだから、鳴き声なり破壊音なり……そういった違和感を発してもいいはずである。


 一体どこにいるのか。一馬は皇軌へと尋ねようとした時、

 

「……!?」


 地面が揺れたように感じる。いや、確実に揺れているという事が、今やっと分かった。

 足元がふらつく程の地響きが、一馬達へと襲い掛かる。一馬達が倒れそうになりながら耐える中、皇軌は至って平然としている。

 まるで地響きの影響を受けていないかのように立っている彼女。その繊細な顔に、三日月如き笑みが浮かばれる。


「来た……」


 その言葉が一馬達には聞こえなかった。地響きと同時に、コンクリート道路が割れていくのだから。

 彼らの目の前で、亀裂が蜘蛛の巣のように広がっていく。屹立する道路が一馬達に襲い、それで今まで黙っていた大久保をこけさせる。


 亀裂から遠ざかる一馬達。直後として亀裂が入った道路が盛り上がり、そして周りへと飛び散っていく。




 ――ア゛アアア……ア゛アアアアア……。




 破壊音と共に何かが響く。自然現象の音でも、人の声でもない。

 

 おぞましい獣の唸り声と言うべきか。それは亀裂の中央から発せられており、そこから巨大な何かがうずくまっている。


「さ、下がって!!」


 辻森の叫びに、ひとまず地割れから離れる一馬達。対し皇軌は逃げようとも隠れようともせず、目の前の異変を見守っている。

 一馬達が十分な距離を取った中、巨大な何かが砂まみれのまま姿を現す。そして一馬達に与えるのは、圧倒的な存在に対する畏怖。


「……あれは……」


 この世の存在と思えない、人智を超えた異形だった。

 頭部は馬か牛の骨に酷似しており、黒い窪みには瞳如き赤い光が放たれている。側面から牛のような二本角を生やしているが、それは鎌のように湾曲して鋭い印象を与えた。

 巨大な体は黒い装甲で覆われており、その下から四本生えた大木如き太い脚。さらに後部には二本の暗い緑をした尻尾があり、先端には鋭い槍状突起。


 生物のようで生物とは違う。機械のようで機械とは違う。有機質と無機質を併せ持った、人々の常識では計り知れない超存在。


 あれこそが皇軌が言っていた鎌角。そう確信した一馬であり、さらに尻尾からある事を連想する。


「……ニュースで出てた奴だ……」


 スーパーでニュースを見た時、怪獣同士――少なくとも皇軌と餓蛇ではない――の戦いが繰り広げられていた。

 あの時にうっすらと見えた長い尻尾。それが今いる怪獣と酷似しており、それにより同一個体であると悟らせる。


 それによく見れば、鎌角には大量の傷が残されている。ぱっくり空いた亀裂から、血のように噴出する黒い炎。十中八九、その敵怪獣のせいで出来た物で間違いないと思われる。


 ――グオオオオオオオオオオオオオオンンン!!


 咆哮が高まる。思わず耳を塞ぐ一馬達。

 咆哮が見えない力となって、店のガラスを例外なく粉砕させてしまう。辺り一面は瞬く間に、ガラスによる粉雪で満開の光景となってしまった。


 その中で、皇軌は立ち止まっているだけ。その怪獣よりも小さいのに、まるで臆する事なく見上げている。


「おい、何をしている!?」


 皇軌に叫んでも、彼女は微動だにしない。

 それどころか、鎌角が気付いたかのように鎌首をもたげる。黒い眼孔から放たれる赤い光が、まっすぐ怪獣の化身を見つめている。


 何を思っているのだろうか、さらに皇軌へと顔を近づける怪獣。対し、目の前の少女の声が聞こえてくる。


「会いたかったよ……」


 ――ア゛アアア……ア゛オオオオオオオンン!!


 言葉を境に、敵意の咆哮が轟く。

 馬の骸骨を思わせる頭部が、その剝き出しの顎を大きく開いていく。口内には刃のような鋭い牙があるが、反して舌も喉が見当たらない。

 怪獣達に捕食の必要がない事を示唆しており、牙の生えた口は敵を食らいつく為の武器としての証。何物も砕いてしまう武器が、小さい少女へと近付き、 

 

 喰らってしまった。


「……っ!!」


 思わず目を背けてしまう。女性陣から声にもならない悲鳴が上がる。

 だが鎌角がいるが故に、一馬は視線をすぐに戻す。そこにいたのは皇軌を嚙み砕いた鎌角……





 ではなく、白い腕に掴まれた敵怪獣だった。


「なっ!?」


 何と目を背けた隙に、皇軌が怪獣の姿に変わっていたのだ。

 しかもどういう事だろうか。さっきまでは喰われたはずなのに、いざ目線を向けるとこのような光景になっている。まるで前後のシーンが嚙み合っていないような違和感が起きているのだ。


 人智を及ばない事でもあったのだろうか。そう考える暇はなく、鎌角を尻尾で払う皇軌。

 悲鳴の最中さなか、その身体は商店街の上へと吹っ飛び、落下する。潰れていく家、四散する木片、響き渡る轟音。


 しかしその瓦礫の中から、突如として伸びていく長い尻尾。


 蛇のようにぬたくりながら迫る尻尾に、皇軌は赤い粒子を放出しつつ舞うように回避。しかし直後に出てきたもう一本が、彼女の右肩を突き刺して吹っ飛ばす。

 悲鳴を上げながら錐もみになる皇軌。そんな彼女が宙で体勢を立て直すが、喰らった肩から赤い粒子がばら撒かれている。まるでそれは鮮血のように……。



 しかし木片を被った鎌角が起き上がり、猛牛の如き突進を。道路を踏みしめる巨大な脚。それが道路に足跡を作り、さらに振動を震わす。

 ある建物が突進によって倒壊し、一馬以外の一同を縮みこませる。一馬はただ、荒ぶる獣を見つめるしかない。


 現実のように思えないと。


「お、おい、黒木! 早く怪獣を!! このままじゃあ巻き込まれるぞ!!」


 男子生徒の声が、彼を正気に戻す。

 そうだ。ここで黙って見ている訳に行かない。今すぐにでもこの敵怪獣を葬らなければ。


 皇軌との目的に付き合う為、そして灯達を守る為に。


 ――オ゛オオオオオオオオオオオオオンン!!


 商店街の上空を駆ける、巨大な獣。

 皇軌との戦いに敗れ、一馬の操り人形となった餓蛇。それが四つの赤い瞳で、まっすぐ敵怪獣を睨みつける。


 一馬の思念に従い、頭部の尻尾を振り回す餓蛇。それに気付いた鎌角が振り返るも時既に遅し――尻尾に叩き付けられ、建物へと倒れる。

 崩れていく建物の中で悶える鎌角に、餓蛇はさらに三本爪の間から炎の剣を放出。刺突しようと迫った時、口を開けながら起き上がる鎌角。


 鋭い牙が、炎の剣を持った右腕へと襲い掛かる。噛み砕く音が聞こえ、右腕から白い炎が漏れ出してしまう。

 何とか払い除けようと振るうが、顎の力が強いのか離れない。例え別の建物に叩き付けても結果は同じ。


 歯ぎしりする思いを、一馬は覚える。このままでは右腕は引き剥がされ、戦力は大幅ダウンしてしまう。

 しかしその時、鎌角の頬に迫り来る何らかの鞭。それが槍の如く頬を突き刺し、腕から離れさせる。


 鞭状物体が向かった先を見る一馬。そこにいたのは、やはりと言うべきか皇軌だった。


「……ふん……」


 皇軌が一馬へと見つめている。まるで助けてやったぞと言わんばかりに。

 気持ちのいいものではないが、そのおかげで攻撃から脱する事が出来た。内心感謝しつつも、倒れている鎌角へと餓蛇を向かわせる。


 ――グオオオオオオオオオオオンン!!

 

 鎌角の頬から黒い炎が迸る。痛みという概念があるかどうか不明だが、攻撃された憎しみが伝わってくる。

 蛇如き二本の尻尾を、餓蛇へと振るっていく。それらを回避しながら接近し、そして操っている一馬を驚愕させる。


「凄い……あいつ動きがいい!」


 一馬の考えている事が、すぐに餓蛇へとダイレクトに伝わっていく。回避しろと思考したら回避し、攻撃したら攻撃し、意思がなき死体当然の怪獣は、人間である一馬の思い通りに動く。


 これなら行ける。一馬は迫り来る二本の尻尾に対して、餓蛇へと命じる。「あの尻尾を斬れ」と。

 その考え通り、餓蛇は両腕から炎の剣を放出――尻尾を切断した。断面から例の如く炎を吹かし、地に落ちる尻尾は、意思があるかのように独りでに動く。


 怒り狂っているだろうか。鎌角が咆哮を上げながら迫ってくる。その大きな口を開けながら、餓蛇を噛み砕こうとしながら。

 しかし黙って噛み付かれる一馬ではない。餓蛇の右腕を突き出し、その口へと突っ込ませる。


 刹那、火球の一撃。口内から白い炎が噴き上がり、身体を破裂させる敵。


 白と黒の炎が同時に噴出する、異様なコントラスト。身体や顔が歪み、原型をなくしたそれは、ゆっくりと道路へとひざまずく。

 それ以上、動く事はしなかった。


「……やったか……」


 政宏が口にする。しかし一馬は答えず、確認しようと鎌角の姿を見る。

 倒れているその怪獣は、例え餓蛇が小突いても動く事はなし。それは攻撃によって死に絶えているとほぼ同義。


 安堵の息を、一馬は吐く。自分の手で怪獣を操り、その怪獣を倒す……普通ではあり得ない事だが、どうやら無事に倒す事が出来たようだ。

 ふと、視線が皇軌へと振り向く。白亜の怪獣は、無言で一馬を見つめている。


 相変わらず何を考えているのか、知る事は出来ない。


「……終わったんだね……」

「……ああ……」


 灯の言う通り、怪獣との戦いは一旦終わった。 

 しかしまだ安心は出来ない。未だ怪獣がいると思われ、その彼らも倒さなければならない。それでこの渋谷を脱出する。 

 そう決意した一馬が、皇軌へと向かおうと先に足を動かそうとした。だがその時、身体が不意に引っ張られてしまう。


 何者かに、捕まれてしまったのだ。

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