第9話 敵か、味方か……

 雨は今なお降り注いでいる。視界を遮る程の大量の雨が、崩壊された街へと降り注いだ。

 先程、この渋谷では壮絶な戦いが繰り広げていた。人智を超えた獣同士の熾烈な戦い……しかし今はその激しい音は消え去り、雨水の儚い音だけがこの街に響き渡る。


 この雨の中、一馬達はあるコンビニエンスストアの中に入っていた。全員、外に長い事いた為にずぶ濡れになっており、早い事服を乾かそうと考えたのだ。

 そこで目を付けたのがこのコンビニである。ここにはシャツ程度なら売っており、サイズを確かめてから着る事となった。

 だが肝心のズボンはない。仕方なくズボンはそのままになってしまったが、やはり足だけが冷たく感じてしまう。


「悪い、一馬。温度もうちょっと上げてくれねぇか」

「ああ……」


 食品棚から失敬したおにぎりを食べながら、政宏が一馬へと頼み込む。

 壁にある温度設定機に手を掛け、温度を若干上げる一馬。これでコンビニ内が少し蒸れるのだが、風邪を引くよりかはマシと思われる。


 それよりも視線が、隅にいる大久保へと振り向いてしまう。

 彼は体育座りをしながら頭を伏せていた。服を着替えていない為に雫が滴るが、それを気にする素振りを見せない。


 あの発狂の叫びの後、こうして抜け殻のような状態になっているのだ。


「……あいつ、大丈夫だろうか……」

「ほっとけ、別に死んでいる訳じゃないし……。それよりも、何で自衛隊が来ないんだよ……」


 男子生徒の口から疑問の言葉が出た。

 それには、一馬も一理あると思っている。もうそろそろ自衛隊が出動してもいい頃合いだし、怪獣と戦ってもいいはずである。

 その情報を調べたいのだが、スマートフォンは電池の消費を考えて無暗に扱わないようにしている。テレビも近くにないので見る事も出来やしない。


「……多分、俺達みたいな人がいるからなんだろう」

「……僕達?」


 政宏の推測が、一馬達にさらに疑問を与える。

 二人の視線が集まる中、彼は理由を語った。


「もし避難が完了していたら、地上とか空から思う存分攻撃出来ると思うんだ。だけどまだ街には俺達みたいな救助者が残っている。おいそれと攻撃出来る訳にはいかないんだよ。それに……」

「それに……?」

「自衛隊を出す為にも色々な手続きがあるんだよ。そして自衛隊を出動させる事に否定的な人だっている。そのせいで出動が遅れたりしているんじゃねぇか?

 まぁ、後は嵐とか雨とかの影響もなくはないだろうけど……」

「……なるほどな」


 様々な理由が、自衛隊の動きを鈍らせているようだ。

 そう思うと、未だここにいる自分達が情けなく思ってしまう。自分達がいるせいで怪獣に攻撃出来ない……これでは本末転倒である。

 しかしこの街から離れる訳にはいかない。というよりは離れられない。何故なら、一馬達の近くで一人の少女がいるのだから。

 

 赤い服を纏い、白銀のショートを蓄えた美しき少女。誰もが魅了する程の妖艶さを持つが、一馬を始めとした一同は警戒の色を隠さない。

 この少女の正体は怪獣なのだ。目的は不明ながらも敵怪獣と戦い、その勝利を願っている。その為には一馬に怪獣操作の術を与え、協力を要請している。


 相手は人智を超えた存在――歯向かう余地はない。今、彼女は無表情のままに窓の外を見つめているが、その胸の中で何を考えているのか把握出来ない。

 いや、怪獣だから考えが分からなくて当たり前なのかもしれない。人智を超えた存在の全てを、人間が知る事など出来やしないのだから。


「……なぁ……」

「ん?」


 窓を見つめていた少女が、一馬の一声に振り向く。

 怪訝に見る彼女に対して、一馬はつい言葉を考えてしまう。声を掛けたのいいが、どんな話をするべきか……少し迷った彼は、今までの疑問を尋ねる事にした。


「率直に聞きたいんだ……。君達は……一体何なんだ?」


 怪獣の正体。それが一番知りたい疑問だ。

 脱出の手がかりになるとは思えないが、それでも怪獣の事が知りたい。知識を求める人間らしい行動が、怪獣である彼女へと問い掛ける。


「……私は皇軌オウキ。今、あなたが使役しているのは餓蛇ガジャ

「! 名前があったのか……」


 意外な事である。まさか怪獣達に固有名があるとは。

 てっきり名無しかと思いきや、嬉しい誤算もあったりする。これなら名前を呼ぶ際に色々と助かる。


「じゃあ……皇軌、君達の正体は何なんだ? どこから来たんだ?」

「……自分達がどういった存在なのかなんて意識した事がない。ただ、私達はここを知らない」

「ここ……?」

「私達の世界はこんなんじゃなかった。もっと力と力がせめぎ合う世界だったの」

「……となると……やっぱり別世界からか……」

 

 何となく予想していた事が、どうやら当たったようだ。

 別世界とは、すなわち『異界』の事。異界があるという話なんて信じたくはないが、現に信じきれない存在がいるので、その事実を受け止めなければならないだろう。

 それに異界の住人説が本当なら、どこからともなく現れたのも頷く。それに怪獣達の姿は前に政宏が言ったように、自然を思わせる綺麗な物――生物兵器のような醜くさは感じられず、それが先の説をさらに裏付ける。


 とんでもない存在と協力体制になったものだ――そう一馬は苦く感じるも、さらに質問を続ける。


「じゃあ君達は何で争っているんだ? 縄張り争いか? それとも誰かに言われたりとかしているのか?」

「……分からない」


 皇軌は静かに首を振る。それも残念そうに。


「何で戦う事になっているのか、私達にも分からない。だけどそうしなければならないと思っている」

「……分からない……か」


 理由もなしに繰り広げる戦い。見た限り捕食目的でもない上に、わざわざ自分達にとっての別世界で縄張り争いする必然も感じられない。本当に目的なき戦いだというのを、一馬達は理解せざるを得ない。

 何かしら理由があるという人間の考えは、通用しないのかもしれない。彼女の言葉が本当ならば、怪獣達は異界の怪物――正真正銘の『神』であり、人間などの生物の枠をはるかに超えている。


 こうして対等なコミュニケーションが取っているのが、奇跡とも言ってもいいだろう。


「お待たせ、黒木君」

「ん? ああ、家城……」


 そんな一馬達に声が掛けられる。着替えをしていた灯に女子生徒、そして担任の辻森だ。

 彼女達はこのコンビニから拝借した白いシャツを着ている。よく見ると何回も重ね着をしており、身体が冷えるのを防いでいる。

 

 灯の姿を見て、思わず一馬は思い出してしまう。ここに来た時に全員が、雨によってずぶ濡れになっていた事――そんな時に見てしまった、灯の透けた服。

 ほんの少し見えた肌が綺麗で、今でも思い出すと頬が赤くなってしまう。しかし非常事態でそんな考えをしている自分が、もっと情けなく思う。


 それよりも話はまだ終わっていないのだ。特に怪獣の化身たる少女に関しては。


「さっきの要求……正直戸惑っているよ。だけど、そうだからと言って拒否権はないんだよな……」

「…………」

「……ならば……付き合ってるよ……」


 ――空気が変わった。一馬の発言がそうさせてしまう。

 灯達の目が見開き、一馬という一点へと視線を突き刺す。その中で声を掛けたのが、担任である辻森であった。


「黒木さん、何もあなたが……!」

「もうこうなった以上、受け入れるしかないんですよ。それに、上手く行けば街の被害が減るかもしれない……僕達が生還する確率だって上がるんです」

「……っ」


 一馬はこう思っている。積極的に怪獣を操り、敵を倒せば、これ以上の被害を少なく出来ると。

 未だ自衛隊の状態が不明な今、怪獣達の被害が増えるばかり。そうなったら今度の標的は他の街……最悪の場合、一馬の住む街という可能性だってある。


 それに障害を倒し、生きて帰れる事だって出来る。皇軌は意図していないだろうが、一馬にとっては一石二鳥とも言えるのだ。


「……先生……」


 辻森へと、ゆっくりと振り向く一馬。

 彼の目が、教師から決して離そうとしない。それ程に強い眼光が、見られている本人を立ち尽くす。


「僕が守りますから、その間に家城達を連れて早く脱出して下さい。僕と彼女が近くにいると、皆に迷惑を掛けてしまう」


 今の自分は皇軌の協力者である。恐らく怪獣を倒すまでは、その呪縛から解放される事はない。

 その間、灯達が無事である保証はないのだ。だからこそ彼女達には離れてもらう必要がある。


 皆が……灯が酷い目に遭うのは、もう懲り懲りなのだから……。




「……私は……残るよ」

「!?」


 その時だった。灯が口にする、思いがけない返答。

 一馬は驚愕の想いで彼女を見る。彼女もまた、一馬という一点を見つめてきた。


「家城……それは……」

「これはね、私のわがままなの……」


 灯の薄い唇が、きつく嚙み締められる。

 辛く思っているような……それでも耐えているような表情が、可愛らしい顔に浮かべられたのだ。


「正直怖いと思っているよ……? だって怪獣達のど真ん中にいるし……いつ死ぬのかも分からない。早くここから逃げたいと思っているよ」

「…………」

「でもね……最も怖いのは、黒木君と離れ離れになる事だよ。友達がここに残ると言うのなら……私は拒否されても付いて行くよ」

「……家城……」


 なんて返せばいいのか、言葉が見つからない。

 突き放して追い出すべきか。それとも受けいるべきか。脳裏で浮かび上がる二択が、一馬を翻弄させていく。


「……俺も残る……」

「! 権藤君……」


 今度名乗り出たのは、親友である政宏だった。

 微笑みながら、呆然とする一馬の肩を叩く。その姿には、彼らしい気さくさがあったのだ。


「お前がいない世の中なんて考えられんわ。嫌だと言われても付いて行くからな。

 なっ、家城?」

「……うん。だから……私達を残らせて……お願い」


 小柄な頭を、灯が深々と下げる。

 一馬は考えた。二人の親友からお願いされ、そして自分の判断が二人の運命を変わる。そう思うと頭の中から熱が帯びるようになってしまう。


 ……決まった。決まってしまったのが、正しいのかもしれない。


「……分かった。ただしこれだけは約束してくれ。

『絶対にお互いに生き残る』……絶対だからな……」

「……うん」


 灯の返事。政宏もまた頷く。

 彼女達の意志を確認して、一馬の決意が高まる想いだった。その想いのまま、断固とした表情のまま、皇軌へと振り向く。


「これで決まりだな……よろしく頼むぞ……皇軌」

「……そのようだね。……ありがとう……」

「……!」


 一馬にとっては突然の事だった。今まで無表情だった皇軌が、屈託のない微笑みを見せたのだから。

 怪獣がそんな表情するとは思わず、またその笑みは……美しかった。警戒心は緩んでないが、思わず一馬はそっぽを向いてしまう。


 本当に彼女は一体何なのだろうか。敵か、味方か……今の一馬でも、何も分からなかったのだ……。


 

 

 ===




 この場所は、かつて地下鉄だっただろうか。

 薄暗い闇に浮かぶ線路。その上には電車が停車しており、誰も乗っていないのか一切動く事はない。

 乗客専用のあらゆる店舗も、改札口も健在である。ただ人はおらず、そしてこれからも来る事はないだろう。


 一部が崩落しているのだから。


 ある場所が吹き抜けになっているかのように、穴がぽっかり開いていた。その周囲には崩落の証である瓦礫が散乱し、今でも天井からそれが落ちる音が聞こえてくる。

 崩落箇所は地上に通じており、雲に覆われた空が確認出来る。そこから降り注いでいく大雨。それがこの地下鉄内に水浸しにさせる。


「……大丈夫だよ。あなたはこの戦いに勝てる……絶対に……」


 声が聞こえてくる。雨の音で掻き消えそうな、繊細な女性の声。

 その声の主は、この地下鉄内に潜んでいた。頭上からの雨が身体を濡らせるが、それを彼女は気にしていない。


「だってあなたはこんなにも素晴らしいんだもん……それにもしもの事があったら、私も一緒に戦うしね」


 気にしていないというよりは、恍惚に溺れて気付いていないと言うべきか。

 蕩けたような表情を浮かべ、妖しい言葉を綴る。悩ましい印象はあるも、どこか得体の知れない。


「……ありがとう……そう言ってくれて……。私も……あなたも愛している……」

 

 微笑み、そして柔らかい唇をゆっくりと前に突き出す。

 到達した場所は虚空……ではなく、無機質な何かだった。漆黒に覆われた、装甲にも似た物。そこへとキスを与え、ゆっくりと舐めていく。


 


 そんな彼女は、その装甲に似たの上に乗っていたのだ。

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