第7話 異形同士の戦い

 厚い雲の中から、雨が振り出した。水浸しをもたらさんばかりの量が、この渋谷を覆い尽くす。

 一気に雨水に包まれる道路。雨によって弾ける水溜まり。そこに人の足が踏み抜き、水溜まりを拡散させていく。

 

 その人間──一馬達が目の前のデパートへと吸い込まれるように走っていた。やがて中に入ると見えてくる、床に座った家城灯達。


「黒木君、権藤君、どうしたの?」


 怪訝な表情をする灯。それもそのはず、ずぶ濡れの一馬達から焦りが感じられるのだから。

 一馬は説明をしようとした。しかし全力での疾走により、上手く声が出ない。

 

「……説明……後……早くここから……逃げるぞ……」

「何言っているの! 今、雨降っているじゃない! それにここにいたいと言ったのは自分じゃない!!」


 反論するのは、このデパートに隠れたいと意見していた女子生徒だ。

 一馬は言い返そうとした。何故ここから離れなければならないのか、外で何があったのか。しかし、それを口にする事は出来なかった。


 ――ア゛アアアアアアア!!


 外から獣の雄たけびを聞いてしまったのだから。


「……えっ? 何だ今の……?」

「くそっ……! 早く……こっちだ!!」


 唖然した表情を見せる大久保。そんな彼をよそに、息を切らす政宏が灯達を連れて行かせる。

 一馬も血濡れの鉄筋を手に、彼らの後を付いて行く。異形の怪物が襲い掛かった時の為に、鉄筋は捨てる訳にはいかない。


 食品棚の中を駆け抜ける一同。刹那、背後から聞こえてくるガラスの割れた音。

 全員の顔が一斉に振り返っていく。そして一馬は悟る……奴らが入ってきたと。


「皆、隠れろ……!」


 足音が近付いてくる。一馬は咄嗟に叫びつつ、灯を物置の陰に押し込む。

 政宏も辻森達と共に、近くの棚に隠れる。同時に止まっていく足音……しきりに鳴っていく獣の唸り声。


 あの怪物達だ。怪物が、獲物である一馬達を捜している。


 言葉を発したら見つかってしまう。息を吐く音でさえも。一馬は息を殺し、灯の口元を手で覆う。

 手に伝わってくる灯の荒い息。彼女を見ると、とてつもない恐怖からか目を見開きにし、身体を震わせている。


 ――何とか彼女を守りたい。


 同じ恐怖を感じながらも、一馬は一心に思った。決して彼女を……皆を死なせたくない……。


 



 ――ガン!!


「っ……!!」


 音が発せられた。それは向かいの食品棚であり、そこにいる女子生徒からである。

 彼女の近くに落ちている水の入ったペットボトル。それはつまり、移動でもしようとして引っかかった――悪運。


 ――ア゛アアアアアアア!!


「ギャアアアアア!! 来ないでえええ!! 来ないでえええええええ!!」


 音を聞き逃すはずがなかった。女子生徒へと襲い掛かる、二体の人型怪物。

 女子生徒がペットボトルを投げ、逃げ惑う。しかしペットボトルでも追撃は止まる事はなく、虚しく覆い被せられてしまった。


 甲高い断末魔が、一馬達の耳に届く。怪物に覆い被せられても暴れ回る姿が、彼らの目に入ってくる。

 

 一馬は呆然と見つめるしかなかった。目の前の光景に圧倒されると同時に、助けに行ったら巻き込まれる可能性を覚えたのだから。

 そして圧倒から解放された彼に、デパートに響かんばかりの叫びをさせる。


「皆、逃げろぉ!! 早く!!」


 女子生徒を囮にするしかなかった。もう助ける事は出来ない。

 辻森達を先に行かせ、灯を連れて、疲れた足を強引に動かす。さっきまでの疲労がまだ回復していないのに、まるで誰かに操られたかのように走る事が出来る。

 

 このまま足を止めたら……一馬はそれしか考えられなかった。


「黒木君!!」


 前にいる辻森が、突如として振り返る。

 一馬は背後から気配を感じた。振り返ると、一体の怪物が細長い脚を使って向かってくるのが分かった。


 奇声を上げ、跳躍する異形。視界に不意に感じられる、スローモーションの感覚。

 この一瞬の間で、灯を一旦離す一馬。『生き残りたい』……生への本能のままに、鉄筋を握り締める。


「ハアアアアアア!!」


 重い鉄の棒を、怪物に目掛けて振り下ろした。

 鉄筋から零れる新鮮な血液。振り下ろしにより、それをまき散らした貧弱な武器が、怪物の頭部を叩き割った。


 甲殻の間から漏れ出す、脳漿のうしょうを思わせる透明な体液。断末魔を上げる間もなく、怪物は地面へと倒れ込む。

 鉄筋を引き抜く際に、鈍い音がしたのを一馬は聞き覚える。さっきにも同じ事が言えるのだが、自分は怪物を殺してしまったのだ。


 それが不思議な感覚を思わせる。これが本当に現実だろうか?


 だが考えに浸っている場合ではなかった。後から同族二体が一馬へと迫ってくる。

 その一体を見て、一馬は唖然をするしかなった。身体中に纏った、強い力で破れたような服。甲殻の至る所から見える、人間の皮膚。


 服は原型を留めていないが、それでも覚えていない訳がない。


「そんな……」


 あの服を着ている個体は、先程の女子生徒だ。怪物に襲われた者は、同じような姿にされてしまう。つまり襲われたら一巻の終わり。

 あの怪物に追いつかれてはならない。一馬は一心不乱に走り出し、政宏達と合流しようとする。今、その彼らがある場所から手を振っているのが見えた。


 バックルームのドアの前である。一馬は身体を飛び込ませ、滑るようにドアを通過した。


「押さえろ!!」


 ドアを閉める政宏と大久保。一馬もまた手伝おうと押さえた直後、襲い掛かる衝撃。

 怪物どもがドアをこじ開けようとしている。吹っ飛ばされそうになりながらも、異形を中へと入らせないあがく一馬達。


 彼らを支配しているのは、『開けてたまるか』という必死の強迫観念。その思いは灯達も同じか、どこからか重そうな機材を持ってきて、ドアの前に置いていく。

 大量の機材が置かれた事で、怪物が容易に開けれられなくなる。一馬達が手を放しても、ドアが揺れ動くだけで破られる事はなかった。


「こういう場所は職員用の出入り口があるはずです!! 早く行きましょう!!」

「何で分かるんですか!?」

「大学生の時にデパートでバイトしたので!!」


 男子生徒にそう答える辻森。彼女の後を必死に付いていくと、確かにその出入り口が見えてくる。

 扉を全力で開けると、見えてくる外の光景。そして――立ち止まってしまう一馬達。


「……嘘……」


 灯の口から出る、絶望の言葉。

 安全だと思われた外が、多数の陰に埋め尽くされている。虚ろな幽霊のように彷徨い、人と思えない姿をした異形……今まで追われていた、怪物達の群れだった。


 奇声を上げる者、自傷行為の如く頭を地面に叩き付けている者、下半身が人間の足になっている者。それらはまだ一馬達に気付かず、街の中を意味もない徘徊をしているのだ。


 立ち止まるしかなかった。一馬達は息を殺し、ただ怪物達を見ているしかない。動いてしまったら気付かれるという不安が、彼らに募っていく。

 どうすればいいのか。どうしたいいのか……このままでは灯達が殺されてしまう。何としてでも回避したいと、一馬は考えた。


 考えて考えて考えて考えて……必死に考えて……。一瞬、自分が囮になればと思ってしまう。しかしそんな事をして、灯達が賛同するはずがない。

 なら何もないのか。このままこの怪物に襲われる運命が待っているのだろうか。そんな運命に遭うのだろうか。


「……?」


 しかし絶望が、疑念に変わった。

 突如として、何の前触れもなく、怪物達に何かが降り注いでいく。血のように赤く、雪のような細かい粒子……この世の物と思えない、未知の現象。

 覚えていた。一馬はあの粒子を覚えている。あれは正しく、街から避難する時に降り注いだ物と同一。


 その粒子に対して空を見上げる怪物達。一馬達もまた同じように見上げ、そして発見する。

 赤い光を差し込まれてる雲を。雲の中に巨大な影が漂っているのを。



 ――キュウウウオオオオオオオオオオンンンン!!!



 女性的な、鈴の音のように美しい咆哮。

 あの雲から響き渡ったその刹那、そこから放たれる一筋の光。赤い粒子を束ねたようなビーム状の光――一馬がそう認識した時には、地面へと……怪物達へと着弾していった。


「キャアアアアアア!!」


 衝撃が一馬達に襲い、灯の悲鳴が上がる。

 身体を屈ませ、吹っ飛ばされまいと耐える。やがて衝撃が弱まった時、一馬が真っ先に顔を上げるのだった。


 先程と一変している、目の前の光景。地面にはあの閃光によって出来ただろうクレーター、その周囲には亀裂が生じており、またビルは窓が割られている。

 クレーターの周りには、あの怪物が倒れていた。どの個体も絶命したのか、一切動く意思を見せない。


「……俺達を……助けた……?」

「…………」


 政宏の疑問に答える事は出来なかった。一馬はただ、閃光が舞い降りた頭上を見上げる。

 やはりそこには巨大な影。厚い雲で蠢くそれは、まるで一馬達を見下ろしているかのようである。









 その奥に、視線を感じた。

 

「……!!? アグウウ!?」


 脳に走る激痛。突然の抉りが、一馬へと襲ってくる。

 何故こうなったと考える気力などなかった。ただただその激痛に翻弄され、身体をぐらつかせる。

 

 灯達が心配しないはずがなかった。彼の容態に危険を感じ、寄り添う灯。


「どうしたの黒木君!? どこか痛いの!? ねぇ!?」

「……違う……そんなん……じゃない……」


 激痛は、今までに起こった心身異常が原因なんかではない。

 何で分かったのか一馬自身も知らない。しかし、それでも感じる。


「……あの中から……あの中に……僕をかき乱す奴が……」


 そうとしか思いたかった。そうでありたいと思っていた。

 激痛を引き起こったのは、雲の中に視線を感じた直後。まるでによって、頭の中を覗かれている気分を思わせる。


 灯達が赤い光を見つめた。だがその視線の主は現れる事はなく、ただ雲の中で蠢くだけ。

 まるで、何かを待っているかのように……。


 ――オオオオオオオオオオオオオオンン!!


 不意に聞こえる雄たけび。しかもそれは雲の中の何かではない。

 それは背後から聞こえた。激痛のままに振り返る一馬……そして彼らは目撃する。


 建物の上の浮遊する、巨大な異形を。


「あいつ、昨日の奴か!!」


 大久保の言葉を借りるなら、昨日現れた個体……武者を思わせる人型怪獣だった。

 巨体が蛇の如く、体をくねらせ飛行をしている。その際に脚がビルに当たり、瓦礫を生み出した。


 巻き込まれる恐れがある。一同はすぐに怪獣のそばから離れていく。激痛に抑える一馬も例外ではなく。

 出来るだけ遠く……しかし不意に襲ってきた猛烈な痛みが、一馬の足を崩れさせる。


「大丈夫!? 黒木君!?」


 灯が声を掛けた。その直後、轟音が発する。

 激痛に苛まれながら見上げる一馬。今、人型怪獣が爪の間から白い火球を放っていたのだ。

 白い火球がまっすぐに赤い光へと向かい、着弾する。光と炎が交錯し、激しくも幻想的な光景を作り出す。


 手応えがあったのかどうか分からない。悔しさをにじみ出た唸り声を上げ、赤い光へと向かう人型怪獣。その時に、爪の間から白い炎が噴き出し、あたかもバーナーのように。

 炎の剣と呼べる武器を担いで、人型怪獣は吠える。そこにいる何かへと攻撃しようとする為に。



 だがその時、怪獣が呻き声を上げた。



 雲から伸びてきた、白い鞭状の物体。鋭い一撃が怪獣を叩き付け、ビルへと吹っ飛ばしていく。

 壁面に叩き付けられる怪獣。周りから瓦礫と砂塵が舞い、その姿を見えなくさせてしまう。さらに聞こえてくるおぞましい悲鳴。


 だがすぐに、一馬達が怪獣から赤い光へと振り向く。あそこから伸びている触手状の何かがどうしても気になってしまうのだ。


 その瞬間、彼らの前でそれは動き出す。


「……あれは……」


 雲の中から、さながら降臨するかのように。

 そこから現れる巨大な――獣。それは龍にも似た頭部を持ち、瞳は金色に光るダイヤモンドのような質感をしている。身体中が光に反射する白銀の装甲に覆われており、鋭い爪が生えた手足を持っていた。

 先程の鞭状物体は、この獣の長い尻尾だった。さらに背中や腰から突起物を生やし、腰のそれはあたかかも女性のドレスのよう。

 身体中の至る所には、赤く明滅する結晶体。そして突起物からは、赤い粒子が咲き乱れるように噴き出ていた。


「……綺麗……」


 この状況なのに、辻森の口から言葉から零れる。

 しかしその姿は、一馬でさえも美しいと感じてしまった。そして確信する――あれが怪物達を一掃した者だと。

 一馬に襲い掛かった視線の主だと。


 ――キュオオオオオオオオオオオオオンン!!


 この場に響き渡る、白き龍の咆哮。

 同時にビルから立ち上がり、龍へと向かう怪獣。今ここに始まろうとしているのだ……異形同士の戦いを。

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