第6話 白銀のショートヘアをした少女

 新しい青春の始まりとは、こういう事を言うのだろうか。

 黒木一馬は腐れ縁の政宏と共に、埼玉の公立高校へと進学。新しい母校、新しい学生達、新しい予感。大人しい性格である一馬も、このスタートには胸を躍らすものだった。


 入学式や教師との出会いを経て、ようやく始まる部活勧誘会。陸上部に野球部、サッカー部、パソコン部、漫画部、様々な部活を目にした新入生達が、自身が望む部活へと足を踏み入れる。

 政宏はパソコン部に入ったのに対し、一馬は剣道部を選ぶのだった。彼は元々中学でも竹刀を振るっていたし、わざわざ別の部にする理由も見当たらない。

 

 剣道部がある格技場へと足を運んでいく。果たしてどんな場所なのか、どんな先輩方がいるのか、今でも動悸が早まってしまう。

 

「あれ、もしかしてあなたも剣道部?」

「ん?」

 

 出入口に入った時、もう既に先客がそこにいた。

 茶髪のセミロングが特徴的な、活発な印象を与える少女。確か同じクラスだった子だと、一馬は記憶している。


「確か君は……えっと……」

「家城灯。確か黒木一馬君だよね? 黒木君も剣道をするんだ」

「まぁな。中学も同じようにやってたし、今更変える理由もないって思ってさ」

「なるほどねぇ。私は逆に剣道が大好きなんだ。大きくなったら剣道場を開いたりとか……なんて!」

「ふーん、そうなんだ」


 穏やかな笑みが、一馬の表情に浮かんでいく。

 彼女の笑顔がとても眩しい。あまり女性に耐性のない一馬にとっては、その仕草はとても卑怯に等しかった。

 そんな彼女と友達となって、平穏な日々を送る一馬。彼女と過ごせる事は悪くなく、続いて欲しいとも思っている。


 

 しかしそんな日々が、巨大な影によって塗り潰されて……。




 ===




「……何だ……」


 楽しい瞬間が終わった時になる悲しさ。一馬が、そんな表情をしながら目を覚ます。

 過去の夢を見ていたような気がした。それが不意に遮られ、広がるのは灰色の天井。それはここが無人のデパートだと物語っている。


 今、一馬達は非日常の中にいる。怪獣が暴れまわっているという、おぞましい非日常に。


 一馬は睡眠をする為、服売り場から持ってきた服を身体に纏っている。普通の布団はないので断念はしたが、それでも十分な暖かさを持っている。

 なのだが、あまり疲れを取れていない。ほんのわずかな時間に寝たという感触……それだけしかない。


 ――ブブブブブ……。


「……!」


 急にポケットの中から振動。

 おもむろに手を突っ込んでみれば、中から出たのはスマートフォンだ。その画面には『母親』という文字。

 遂に繋がったようだ。一馬は躊躇する間もなく、その電話に応じるのだった。


「母さん……ああ、心配かけてごめん……。今、僕達はデパートの中に……うん、そう……避難している時に襲われて。

 大丈夫。怪我もないし、そろそろ救助隊も来ると思うから。ちゃんと生きて帰るって……じゃあ、充電がもったいないから……うん、うん、ごめん」


 母親からの心配の声を受け止め、そして通話を切る。

 怪獣という前代未聞の災厄に、両親は身を案じているのだ。しかも避難していない事を知って泣きそうな様子であり、一馬の心はさらに痛み出す。


 子供が死んだら悲しむのはいつだって親だ。だからこそ、生きてここから脱出しなければならない。


「んん……」


 隣の呻き声に、一馬が急いで振り向く。

 いたのは服をくるんでいる灯だが、様子がおかしい。額から汗を流し、苦痛の表情を浮かばせている。


「……家城……家城!」

「………………ハァ!! ……ハァ……夢……」


 まるで窒息から解放されたような、息の荒立て方。

 目を覚ました灯が咄嗟に周囲を見渡し、安堵の息を吐く。


「……よかった……何ともない……」

「一体どうしたんだ? 悪い夢でも見たのか?」

「……分かんない……でも……身体を八つ裂きにされるような……殺されるような感じを思えて……」

「……八つ裂き……」


 やはり悪夢を見ていたようだ。いったいどういった物なのか分からないが、余程おぞましい目に遭った事だろう。

 十中八九、怪獣災害の影響だ。あの出来事を遭遇した時に起こる恐怖と不安……それが夢となって現れたに違いない。


 悪夢を見た灯が、不安に満ちた表情を浮かんでいく。日頃している笑顔とは、至って真逆の表情。

 

「……心配するな。所詮は悪夢は悪夢だよ……それにまだ僕達がいる……」

「……ならないで……」

「ん?」


 小声を言う灯だが、小さ過ぎて一馬の耳に入らなかった。

 直後、灯が一馬へと振り向いていった。まるでそれは、母親に縋るような子供のような表情で。


「あんな目に遭うのはもういや……だから……いなくならないで……お願い……」

「……何言っているんだよ」


 答えはもう分かっている。

 不安に満ちた彼女なんてらしくない。彼女にはもっと笑みを出して欲しい。


 こんな災厄の中でも、それが一番欲しかった。


「僕は死ぬ気はない。君と一緒に……この街から脱出してみせる……」

「……黒木君……」


 不安から変わっていく、ほんの少々の微笑み。

 そうだ。その笑みがいいのだ。灯には、あの暗い表情は似合わない。


「ああ……イチャイチャしている所を悪いんだけど……」

「!? 何だ、政宏か……」


 いきなり声を掛けられたので、思わず驚いてしまう。

 ただいたのが呆れた表情をしている政宏だと知り、安堵する一馬。


「何だってのはないだろう。それよりも嵐とか火事が止んだみたいだから、そろそろ様子見すっぞ」

「……そうだな、外に救助隊がいるかもしれないし……」


 昨日は嵐の影響で、救助も難航していた事だろう。だが朝となれば話は別――町の至る所に彼らがいてもおかしくない。

 一馬は一旦灯の方へと向く。同時に辻森達が目を覚めるのを見て、灯へと伝える。


「では行ってくる。その前に何か腹ごしらえをした方がいいな。ここなら缶詰とかあるだろうし」

「……ごめん、お腹が空いていない……」

「それでも食べた方がいい。昨日なんて食べてないし……じゃあ行ってくる」


 政宏と共に、デパートの外へと向かう。

 疲労の影響で重くなった身体を動かし、外へと吸い込まれるように歩く一馬。だがその歩きが、ふいに止まってしまう。


「黒木君、権藤君、気を付けてね」

「……ああ」


 背後からの灯の言葉。一馬は振り返り、軽い微笑みを見せた。

 やがて灯達から離れ、外へと足を踏み入れる。広がっているのは、快晴の空に包まれた街……ではない。


 空が厚い雲に覆われている。太陽の光が全く差し込まず、夜と大差ない暗さになっている。さらに周りの建物には亀裂が入っており、いつか崩れるではないだろうかという不安を募らせる。

 災厄に見舞われた街。一馬達は慎重にその中へと歩いていく。今ここにいるだろう、救助隊に出会う為に。


「……怪獣の鳴き声が聞こえないな」

「確かに……」


 街の中を歩いている時に違和感を感じる。こうなった原因である、怪獣の声が全く聞こえないのだ。

 どこかに行ってしまったのか、それとも寝ているのか。しかも声が聞こえないというのは、どこから現れるのかも分からないという不安を形成させていく。


 ただ、あの怪獣達が人間を積極的に狙わない事を、一馬は知っている。どの個体もその巨大さと人知を超えた能力の余波で、人を巻き込んでいる。だからこそ、落ち着いて対処すればきっと逃げられるはず。

 それよりも気がかりなのは、救助隊が一人も見当たらない事だ。そろそろこの街に駆けつけると思っていたのだが……。


「……!」


 道路の隅に、何かがうずくまっている。

 よく見ると人……中年の男性だった。人目憚らず体育座りをし、サラリーマンを思わせる背広は所々黒焦げている。

 それに、何かを呟いている。


「こんなの現実じゃない……こんなの現実じゃない……こんなの現実じゃない……こんなの現実じゃない……こんなの現実じゃない……現実じゃない……」

「……行くぞ……」

「ああ……」


 話しかけても無意味であろう。政宏に言われた通り、男性から離れる。

 あの男性もまた、一馬達と同じくおぞましい目に遭った事だろう。日常が一瞬で崩壊し、災厄のど真ん中に立ってしまった孤独感。そして目の前の事象を信じたくないという、狂気を思わせる現実逃避。

 

 ああいう風になりたくない。早く救助隊と合流したい。この街から出たい。


 一馬はその思いで、虚無の街へと声を荒げた。


「誰かいませんかぁ!! いたら返事してください!!」

「……救助隊の人いますか!! こっちです!!」


 政宏も同じように、声を尽くす限りに叫んだ。

 だが返ってくるのは、この街がもたらす無音だけ。人の声など全く聞こえやしなかった。


「……二手に分かれようぜ。俺はあっちに行くから、お前はその道路の方を……」

「ああ、後でここで落ち合おう」


 二手に分かれる方法に出る。一馬は政宏と別方向の道路へと走っていく。

 やがて見えてくる、瓦礫に埋もれた道路。歩く分には支障はなく、その岩の上を跨ぎ、辺りを見渡す。


 やはり人の姿は見当たらない。となると、自分達は発見されず見捨てられたというのか?


 ありえない話だとは思っている。だが心身共に疲労している故か、一馬はふとそう思ってしまう。

 もしそれは本当だしたらどうするべきか。あいにくスマートフォンで連絡しようとするも、やはり連絡は付けられない。

 焦りが生じてしまう。一馬は必死に周りを見渡し、救助隊の姿を捜そうとする。


 視界の隅に、が映ってもやめなかった。


「……はっ?」


 一瞬、何かが見えたのだ。すぐにその何かへと振り向く一馬。

 しかしいなかった。あるのは瓦礫だけで、そこには見えたはずの存在がいない。


 姿はハッキリしていた。あの姿は人間その物……赤い洋服を纏って、白銀のショートヘアをした少女。

 この被災地には場違いで、美しさを具現化したような……そんな姿。しかしここにいないという事は、やはり幻の類だっただろうか?


「……そういえばあの時も……疲れているのかな……」


 昨日の嵐でも、同じような少女を見たのを覚えている。

 この怪獣災害の影響で、相当精神が参っている事だろう。そう判断し、一旦首を振っていく。


 これで参った精神を刺激させれば……。


「アアアア!! アアア!!」

「!」


 声が聞こえてきた。それも必死な悲鳴。

 目の前の十字路からであり、その場所を覗いてみる。するとオレンジ色の服を纏った二人の男性が走っているのが、この目で確かめる事が出来た。


 救助隊だ――着ている服から判断した一馬だったが、声を掛ける事は出来なかった。どう見ても彼らは、何かに怯えているように走っている。


 そして、


「ヒイイイ!! 来るなあああああ!! アアアアアアアアアア!!」


 疑問は、思考停止へと変わってしまう。


 一人の救助隊員に降ってくる影。それが隊員に伸し掛かり、覆い被さる。

 影は等身大の人型だった。だが人間よりも四肢が長く、先端にある爪は長い。身体中に覆われているのは灰色の甲殻であり、頭部は見当たらない。その代わりに、胸辺りに六つ並んだ青く光る複眼が並んでいる。

 異形という言葉に相応しい存在。その異形に覆い被されながらも、悲鳴を上げながらもがく隊員。


 もう一人の救助隊員は、助からないと悟ったのか置いて逃げようとした。しかしもう一体現れてしまい、やはり押さえ付けられてしまう。

 

「嫌だぁ!! やめてくれぇ!! あぐ……アア……アアア……」


 その時、異形の身体から噴出する黒い煙。その中から伸ばされた腕が、力尽きるように地面に果てる。

 するとどういう事だろうか。腕の皮膚が波打っていき、硬質化していく。たちまち異形のそれと同じような甲殻を持って……。


 ――逃げなければ。


 何が起こったのかは分からない。だが一馬の生存本能が、その場にいてはならないと警告していた。

 幸い、異形の怪物は気付いていない。すぐにきびすを返し、政宏との合流地点へと戻る。


 早くこの事を伝えなければ、早くここから脱出しなければ!


「か、一馬ぁ!!」


 合流地点に着いた時だった。ちょうど政宏の姿が見えてくる。

 声を出すな、化け物に感付かれる……一馬はそう伝えようと思った。しかし声が喉につっかえてしまう。



 政宏の背後から迫ってくる、二体の怪物を見て……。

 

 ――ア゛アアアアアアアアアアアア!!


「来るなぁ!! くそぉ!!」


 まるで人の悲鳴のような奇声。政宏の叫び。

 一馬は焦った。焦りながらも、辺りに何かないかと探す。そして見つけたのは、瓦礫の中に顔を出す細長い鉄筋。


 一馬はそれを掴んだ。幸いにも瓦礫……ビルの壁面だった物から折れており、長さも申し分ない。

 一心不乱に政宏へと走った。彼を通り過ぎ、一体の怪物へと目掛けて振るう。


「うおおおおおおおお!!」


 剣道で鍛えた腕力、鉄筋の重量。その二つの力が、怪物の脇腹に食い込んで吹っ飛ばす。

 甲殻の割れ目から赤い鮮血を流し、瓦礫に叩き付けられる怪物。その直後、もう一体が迫ってくるのを一馬は把握する。


 迫りくる怪物に対して、面打ちの要領で振るう。見事に頭部に直撃し、甲殻を潰されながら倒れ込んだ。

 二体とも、痙攣はしているが動く気配がない。呆然としている政宏へと怒鳴る一馬。


「おい、政宏!! 早く行くぞ!!」

「お、おう!!」


 血濡れの鉄筋を持ちながら、政宏と共にデパートへと戻る。

 早く逃げなければ――それしか考えられなかった一馬だが、この時彼はおろか政宏も気付いていない。




 道路の隅で二人を見つめる、白い少女の姿を。

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