2 - Pacific Rim League: West America

2-1 Long Beach: Airport

 瞼を開けると志部谷が肩を揺らしていた。まだ完全に覚醒していない意識の中コルネアを起動すると、時刻の横にPDTの三文字が加わっており、自分が今太平洋夏時間を採用している地域にいることを薄々と理解しつつあった。

 そういうわけでロングビーチへと到着したわけだが、海外へ来たという認識はあまり感じなかった。コルネアが周りに溢れる英単語英文を上から日本語へと置き換えてくれるし、空港の至る所に未だ配置されたオートロイドが発する英語もすべてコルネアのリアルタイム翻訳ソフトウェアが、発話元の声質に近い流暢な日本語音声に変換してくれる。都市は眼球に貼り付けた膜一つで日本にもなるしフランスにもなるしアラブにもなるというわけだ。

 この翻訳機構が完成してからというもの、世界中の外国語教育はほぼ消滅したといっていい。はるか昔の省庁や大企業に勤める人間は英語が必須であったというが、そんなものを現代で採用してしまったら中央省庁から人がいなくなるだろう。

「思っていたほど大きくはないですね」と周囲を見渡す。

「ここは国内線専用だからな。それにこの辺の人間は空港と言ったらロサンゼルスを使っていたはずだ」

 ルーラーから降りると激しい熱波が全身を襲った。少し遠くに見える気温を示すオーグレイヤは102という数字を示しており、コルネアが摂氏温度を上書きする。

「39度ですか。日本より暑いですね」志部谷は背広を脱いでいた。

 白いターミナルが一棟と、滑走路が数本。停まっている航空機のほぼすべてが西米軍所有のもので、そこら中を軍人と軍用オートロイドが闊歩しているという点を除けば日本の地方空港とそう変わらない景色がそこには広がっていた。

 ターミナル内部はロスから逃れてきた市民たちで溢れている。オーグレイヤのブロードキャストを眺める老夫婦、志部谷の持っていたものと同じゲーム機で遊んでいる若者集団、布団に包まって事態の収束を待ち望む一家など、ロビーは日常生活の坩堝と化していた。

「中東や東アメリカの難民キャンプみたいだな」

「市民たちが難民なら、そこら中の布団の埃は除染ナノマシンってところか?」

 志部谷の発言に追随するように、ブロードキャストがロサンゼルス市民の難民化を訴えている。先ほどの老夫婦は何回も聞いたという風な表情を浮かべている。

 ニューヨークとワシントンが地図から消滅し、ミシシッピ川の向こう側が混沌に飲み込まれてから、ロサンゼルス――西アメリカ連邦共和国の首都と定められている――は東海岸から脱出する人々を吸いに吸い上げ、今や都市圏人口が四千万を超える肥大都市ファットシティへと成長した。ここにパルスボムを投下したとなると、その後の展開は想像に難くない。まさしく第三次大戦の再現そのものだ。

 オートロイドを用いた農業、すなわち全自律機械化農場オートメーションファームのシステムが確立されて以降、農村部は無人化を余儀なくされ、それに比例するかのように大都市はさらに都市化。このことがパルスボムの効果を余計に引き上げてしまった結果、今回の顛末を導いたらしい。

 文明化によって引き起こされた悲劇。どれだけ時代が進もうが進歩と犠牲はずっとトレードオフらしい。アインシュタインが自身の発見した技術が町を二つ消す羽目になるとは想像もしなかったように。アラブ人がソーシャルネットを通して成し遂げた革命が今も続いている混乱を招くとは一切考えなかったように。

「これからロス入りでしたっけ。会議だけならVRセッションで済ませれば良いのに」

「オーストラリアやらシンガポールやら色んなところから人が集まっているんだ。一回くらい直接顔を合わせたほうがやりやすいだろう」

「そういうものなんですかね」

「それに今回集まるのは環太連だけじゃない。ユーロのエストニア電子軍もいるしUGLOの役員も呼ばれている」

「世府ぐるみの総力戦って様相ですね。もし今回の事件に犯人と呼べる奴がいたら髪の毛一本すら残らなそうだ」

「にしてもまたユーロが介入するのか。流石世界の盟主様と言ったところかね」

 僕は滑走路に停まっているユーロ軍の無人機UAVを見つめる。かつてのアメリカが担っていた世界の警察枠は、今はユーロという欧州に君臨する世府が代わりを務めている。統一政府の議席半分もこのユーロが占めているので、国際政治はいつもこの世府が主導だ。

 分与主義という思想を世界で最初に掲げた世府くに。厳密に言えばユーロ=エストニアがこの社会体制を確立し、それに触発された周囲の行政府が便乗したことに端を発したわけだが、この体制は世界に爆発的に広まった。ただ耳当たりの良かっただけではない。この体制を受け入れられるだけの土俵が世界の各地で既に構築されつつあったためだ。

 具体的にどういうことかというと、犠牲者の八割が核の撃ち合いによって生じた第三次大戦が終結してから戦前の右翼的ナショナリズムが嘘のように消え去り、人類の破滅から逃れるため、民族言語宗教の境を越えた共同体の必要性を訴える新地球主義ネオグローバリズムが人々に急速に浸透し、続々と世府グローバメントが誕生した時期と、エストニアのとある人工知能工学者が発明した自律業務支援機オートメーションアンドロイドの実用・量産化時期とが奇跡的に一致したのだ。

 どちらか一方が欠けてしまえば成立しない社会。人類は三回もの過ちを経てようやく恒久の安寧を手に入れた。はずだった。

「いきなり現れた脅威に過剰な防衛反応をしないと心が落ち着かないんだろう。統一政府ちゅうおうの上層は三次大戦を経験してる老体ばかりだからなおさらだ」

「もう面倒事はごめんだって気持ちはひしひしと伝わってきますよ」志部谷が周囲の軍人たちを見ながら呟いた。「そこの装甲車でいいんですか?」

「ああ、ちょっとだけ待っててくれ」

 嶋村はコルネアのコントローラを操作する。装甲車の運転手と思しき人物に自分たちの身分証明を送信しているのだろう。

「はじめまして、日本の方々。科学技術省の人たちは優秀で勤勉であると聞いています。期待していますよ」

 コルネアが運転手の英語を無難な日本語会話に変換する。優秀と言ってもらえるのはありがたいが勤勉であるという点については疑問が残る。

「これから戒厳令下のロサンゼルスへ入ります。皆さんの武装をこちらで用意していますので、移動中に身に付けていただくようお願いしますよ」

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