擬人化短編小説コンテスト 投稿作

朝焼けのフー

 午前4時。

 世界は未だ太陽を我が身に迎え入れておらず、空気に紅がほんのりと残るその時間に、彼の1日は始まります。

 365日、彼はそこに配属された25年前から、1日も休まずに出勤しています。


「よう、おはよう」

「おはようございます」


 挨拶の後、彼の直ぐ傍の分野を担当している同僚が暇潰しに声を掛けてきました。


「しっかし、やってらんねーよな。この仕事。皆が寝てる時間から出勤して……休みも無しに、深夜までせっせとせっせと」

 同僚はいつも朝一に愚痴を溢します。彼はそれに応えるでもなく仕事の準備を始めるのです。

「相変わらず無口だねぇ。お前さんは……まぁいいや。じゃっ今日も息を合わせていくかね」


 ようやっと人々が夢の世界から戻ってくる頃――彼らのお仕事は始まるのです。




『朝焼けのフー』          STORY BY ジョセフ武園





「かー、今の女見たか⁉ ちょーっとタイミング悪く色が変わったからって、俺を睨んできやがった‼ てめぇーの都合でこちとらの仕事に文句垂れやがって‼ あーやってらんねー‼ 」

 同僚はいつも仕事で嫌な事があるとすぐさま愚痴を溢します。


「気のせいですよ」

 パッ。


「だろうな。だろうけどよ、こっちは現に睨まれてんからな。ぜってぇ、あの女睨んでたからな? 」

 パッ。


 彼の言った通り、彼らの仕事をしている横を人々は無関心に通り過ぎます。そう、それは――まさに彼らが見えていないかの様でした。

 でも、彼も同僚もその事を当然の様に受け入れています。

 何故ならば、この職場に就いてもう25年。彼も同僚も互いにしか会話をした事しかないからです。ただし例外を除いて――


「おはよう、フー」

 その『例外』は、朝8時を過ぎた頃、いつもやって来ます。

 近隣の小学校の制服スモックに、少し汚れた赤いランドセル。その容姿とは裏腹にソバージュがかったセミロングの茶色い髪が、その幼さと真逆の印象を見る者に与えます。

「今日も、相変わらずの仏頂面で突っ立てるのね? 」

 彼女は、彼に馴れ馴れしくそう語り掛けます。

 暫く、2人に沈黙の空気が流れました。やがて、彼女は微笑み浮かべて彼を見上げます。

「はい。もう学校行くから。よろしく」

パッ。


 その小さな背中を眺めながら、同僚がお道化る様に軽口を叩きます。

「ひゃ~、モテるね~、いいねいいねぇ」

 相手が遥かに小さく幼い、幼気いたいけな少女だと解っていての、この言葉はただただ意地悪な気持ちなのでしょうね。

 例外――何故か理由は解りませんが、子どもの中で時々彼らの存在に気付く子がいる事を知りました。とりわけ、先の彼女ははっきりと彼を捉え、毎朝決まった時間に声を掛けてきてくれます。

 それは、簡単な挨拶、学校の話、何でもない話が多かったのですが――時には、彼女自身の事を話してくれる事もありました。


 彼女の名前は『ナギサ』

 学年とクラスは4年2組。かかりは、ほけんかかり。

 好きな食べ物はみかんゼリー、嫌いな食べ物は、ぬた。

 最近ハマっているのはプリクラ集め。


 本当、なんの変哲もない普通の少女です。ただ、1つだけ、彼女は彼に自分の秘密を話してくれました。



 その事を彼女が話してくれたのは。2人が何気ない挨拶を交わした幾度目かのある日の事。




「ねぇ、お兄さん。何でいつもそんな顔でそこに立ってるの? 」

 ミンミンとけたたましいセミの鳴声と、地面を揺らめかす陽炎で目に映るセカイの殆どが埋め尽くされた気温38℃の景色。それに似つかわしくない、羽根の様な軽い声。

 彼が声の先を見ると、真っ白なワンピースに麦わら帽子を被った彼女が居ました。

「また、来たのか。さっさと向こうに渡らんと、変わるぞ」

 彼の愛想のない返事に、彼女は「にー」と歯を見せて笑顔を見せます。

「今日はお兄さんとお話に来たのよ」


 パッ。


「随分と事を言う」

 その返事に、きょとんとした表情を浮かべた後、彼女は「きゃはは」と、彼の腰を叩きながら大喜びで笑います。

「えー、なにー? お兄さん、何か期待したのー? 」

 彼は、思わず溜息を吐きました。

「おい、子ども。僕らは仕事中で忙しいんだ。邪魔をするな」

 その言葉に、先の先まで「キャッキャ」と喜んでいた彼女は今度は頬を膨らませます。

「何よ。あたしには『ナギサ』って、名前があるんですからね‼ 子どもだなんて、単語で呼ばないでよ‼ 」

 彼は、困った様な表情で天を仰ぎました。少し離れた場所で同僚が得も言えぬ嬉しそうな顔で笑いを堪えています。


「オーライ……わかったよ。ナギサちゃん。もう一度言う。僕達は仕事中なんだ。いい子はお家に帰って、冷たいジュースでも飲んで。熱中症を予防しなさい」

 ですが、ナギサから返事は有りません。不思議になって彼は様子を伺います。それに気付いた彼女は、伏せていた目をあげて、また「にー」と八重歯を見せて笑うのです。


「あたし、おうちないの。お父さんは産まれた時から居なくて、ママも、小学校に上がる時にあたしを置いて、出て行っちゃった。だから、今は施設に居るの」


 十分に加熱したフライパンの様な熱さの空間に、氷の様な冷たさが一瞬走ったのは、きっと気のせいではないでしょう。


「……要らない事を言ったな。ごめん。でも、こんな何もない所で、僕に声なんか掛けても何も楽しくないだろ? 」

 流石の彼も少し己の発言に罪悪感を持ったようです。困った様にナギサを見つめてそう言いました。すると。


「ねぇ、お兄さん。何て名前なの? 」


「え⁉ 」考えるよりも先に、彼と同僚はそう言って唐突に放たれたその無垢な尋ね言葉を迎えました。

 そして、答えようのない回答を、僅かな沈黙を以て2人は返答とします。

「そっか……やっぱりお兄さん、なんだね? 」

 それに、何か納得した様に、ナギサは瞳で相槌を打ちました。


「大丈夫だよ。じゃあ、あたしが名前を付けてあげる」

 更に続く、予期せぬ言葉に彼も同僚も、驚きが止まりません。

「フー。お兄さん、今度からそう名乗りなよ」


「フー? 」

 オウム返しのそれに、三度目の笑顔を見せ、ナギサは言いました。

「そう。オシャレでしょ? フランス語で、お兄さんのお仕事の事をそう言うのよ」


 パッ。


「じゃあねっ」

 そう言い残すと、彼女は足早に立ち去ってしまいます。


「やれやれ、俺達に名前か……」

「彼女が名付けたのは、僕に――ですけどね」

 少しだけ、彼のの心に、今までにない感覚が芽生えたのも。

 きっと――気のせいではないのでしょうね。


 ですが、そんな何気ない逢瀬が続いたある日。ナギサが姿を見せませんでした。


「どうしたんだろうな」

 同僚は、少し真剣な口調でそう呟きます。ですが、フーから返事は有りません。

「おい? 」心配そうに同僚が大きな声を出し、ようやっとフーは振り向きました。

「なんです? 別に珍しい事じゃないじゃないですか。いつも、向こうが一方的に現れて、話をしていくだけだし。寧ろ、今まで来てたのが不思議な事ですよ」


 確かにその通りかもしれません。

 ですが、それを一番信じたくなかったのも、また……


「お疲れさん、お先に」

 長い勤務が終る、草木も眠る丑三つ時。

 先に帰った同僚の後に続こうと、フーが準備をしていた時です。

 それは、確かに見えました。

 遠く離れた場所から、とぼとぼとこちらに向かってくる小さな人影。


「こんばんわ、フー」

 流石のフーも驚きを隠し得ません。

「こんな時間に、一人で外をうろつくなんて、何を考えている? 」

 言ってから、フー自身が驚きます。

 その言葉に怒りの感情が籠っていたからです。

 ナギサも流石に、身を一瞬たじろがせますが……そこは、彼女です。

「ま、そんなに怒んないでよ……ちょっと、話――聞いてよ? ね? 」

 チカチカ。


「実は、昨日ね? 施設にお母さんが来たの」

 フーの足元で小さな身体を、もっと小さく畳み折っている小さな彼女がそう呟きます。

「へへ……4年ぶりかな? 向かい合ってもさ……最初、誰だか分かんなかったんだよ? ウケるよね? 」

 そう言って笑う彼女の顔を、フーは知っています。あの時のそれと一緒だったからです。何も言わずにただ話を聞くフーの顔を見ると、ナギサは意を決したように言いました。

「再婚するんだってさ。それで、相手にあたしを引き取りたいって、言ってんだって‼ 」

 そこで、一度話を区切ったのはその最大の原因を口にするのを躊躇ったからです。そこまで彼女に――ナギサにとってそれは大きな事でした。


「そしたら、OKしたから……あたしを迎えに来たんだって‼ すごいよね‼ 大人ってそんなに勝手に、子どもの人生決めるんだね⁉ 」

 フーは、そういきり立つナギサを何も言わず、優しく見つめます。

 そうして、彼女が落ち着くまで静かに見守り続けるのです。


「ごめんね、フー。こんな事、急に話されても迷惑だよね? 」

 フーは、しゃくる小さな肩にそっと手を置きます。

「迷惑……ではない」

 そして、振り向くナギサに続けます。

「しかし、もう今日はとても遅い。これくらいにして、君の帰る所へ戻りなさい。家路に着くまで、少しだけだが、僕も協力しよう」


パパッ。


「わぁ……」

 そう、ナギサが息を漏らすのも無理はありません。

 季節は真夏の深夜。なのに、辺りはまるでクリスマスの様に華やかに様々な光で照らされました。まるで魔法――奇跡の様なその光景に、ナギサはその小さな宝石の様な双瞳を輝かせます。

「さ、ゆっくりしている暇はないぞ。誰かにこれを見られたら大変だ。急いで帰りなさい。足元に重々気を付けるんだぞ? 」


「ありがとう、フー」


 フーは、小さくなるその背中を見えなくなるまでずっと見守り続けました。

 

 その翌日の事でした。

「おう、フー、今日は何だか機嫌がいいな」

 同僚がそんな事を投げかけます。

「普段通りですよ」

 ぽつ。


「ん? 」

 ふいに、言葉の間を伝ったそれを見上げた時でした。

 ザーーーーーーー


「降って来たな」

 同僚の言葉に「ええ」とだけフーは小さく呟きます。

 夏の雨はとても激しく、煩い。フー達の仕事が特に重要になる時と言えるでしょう。

 そんな大切な時でした。

 遠くから幾つかの足音が雨の音に負けぬようこちらに近付いてきます。

「お願い‼ フー‼ ‼ 」

 その騒音の先頭に居たのは見慣れた少女でした。


「おい……」

 そのただ事ではない状況にフーと同僚は目を合わせ、そして小さく頷きました。

 パッ。

「⁉ ――なんでっ⁉ フー‼ 」

 思わぬその状況に狼狽し、ナギサは足を止めて呆然とフーを見上げます。

「ナギサ――一体、何をしているんだい? 」

 その言葉もよそに、ナギサは焦る様に振り返ります。

「追って来ている人は、皆大人だね? そうして、雨にびしゃびしゃになってるのに、傘もささずに駆けている女性……あの人は君の母親じゃあないのかい? 」

 そして、構わず向こうへと向かおうとする彼女を引き留めました。


「君達、人間をずっと見ていた。毎日。毎日。

 朝からイライラしながら仕事に向かうサラリーマン。

 必死で二人の子どもを自転車に乗せて向かうお母さん。

 ゲームの発売日に心を躍らせる少年達。

 夜に、その逢瀬を心待ちにする恋人達


 ……

 羨ましかった。心底……君達人間が。

 を文字通り『通過』していく君達人間が。

 ……僕達は違う。

 僕達は存在の場所いばしょ

 でも、君は……君達人間は。

 ではない――で存在している。

 この世界に存在するずっと前から――君の運命は存在やくそくされていたし存在されるんだ。


 そう……まさに今、この時も。

 君は人として、それに立ち向かわなければいけない。

 いつでも逃げ出せるだからこそ。

 僕は、君を――今ここで通さない。

 何故なら、君はそれに立ち向かう強さと、優しさを持っている事を僕が知っているからだ。


 ナギサ、ありがとう。君とお話をしている間、僕はまるで人生を味わっていた。

 フーという人生を味わっていた。決して与えられる筈のない僕が」


 二人の瞳が交さなり合った時、景色が再び時をその身に宿します。


 そう――いま魔法が、解けたのです。



「渚‼ 」

 追って来た女性が彼女に、もう見てられないくらいのグチャグチャな……必死な形相で叫びます。

 それを、俯いたまま振り向き――彼女は正面に捉えました。

 やがて……

 その小さな身体は、まるで元あった場所に戻る様に……飛び込んでいきました。

「ずっと……‼

 ずっと、待ってた‼

 迎えに来てくれる日を……‼

 ずっと、待ってた‼

 お母さん‼ 」


 一つになった、二人は。

 きっと、もうどんな事があっても離れ離れにはならないでしょう。

 フーは、そう思いました。


 そして、ナギサがこの地を去ってまもなく、同僚が役所に連れていかれました。

「気にするな。あの娘、よかったな、お母さんといっしょになれて」

 ナギサを引き留める為に使った方法――その責任が同僚に向かったのです。

 

 新しく来た同僚は、フーよりも無口で。唯々己の職務を全うする者でした。


 そうして、幾つも幾つも季節が移り変わりました。

 フーは、そこに立ち続けます。

 そこで、ずっと彼らを見守るのです。


 それは――雪がひらひらと舞い落ちる季節でした。

 幾度目の冬でしょう? 雪が降ると、以前の同僚はまるで人間の様に、はしゃいでいました。

 そんな事を思っていると遥か遠い記憶から、見覚えのある少女がこちらに駆けて来ているではありませんか。


 ――似ている。

 彼は、そう思いました。そして、それが誰に似ているのか、思い出そうとした時でした。


 その少女が、まっすぐこちらに向かってきます。

 ――しまった。


 一瞬の気の迷いでした。しかし、それは彼らの仕事では致命的な失敗です。


「パッパー‼ 」

 けたたましい乗用車のクラクションが少女に向けて放たれます。

 その少女がの面影を見せたからでしょうか?

 いいえ、きっとそれは違います。


 それは、きっと彼の――

 フーの心が――

 そう望んだからなのです。



「ガッシャーーーーーーーーン」




「おいおい、こんな事あるのかよ」

「被害が最小で、本当に良かったですよ」

 ピカピカと、赤い光を反射させる乗用車に乗っていたお巡りさんがそう言うと、フーを見下ろします。

「だな。人の上に落ちて来てたら、死人が出ても不思議じゃない」

 そう言うと、コツン。と足で彼を小突きました。


が突然、根から倒れるなんて前代未聞だ。こりゃ、ぶつかった車の持ち主と役所さん、揉めるぞー」

 そう言うと、ケラケラと笑いだしました。



 ―――――

「倒れた信号機は、40年以上前からあそこで使用されており

 内部の機械的にももう寿命だったと――見解を……

 今後の対策としては、年に一度耐久性のテストも……」


 そのテレビ会見を眺めながら、この町の町長さんは大きな溜息を吐きました。

「ん、予算再見積もりで……古い信号機は全部交換で……」

 そして、近くに居た女性秘書にそう言い付けた。その時でした。


「町長‼ 」

 勢いよく開けられた扉から、スーツ姿の男性が飛び込んできました。

「何事か? 」

 息も整わず何かを伝えようと彼は、持っていた紙束を机に叩きつけました。

「なんぞ? 」

 そして、何度も何度も唾を飲み込み、ようやっと彼はその言葉を言ったのです。


「嘆願書です――

 町の住民達……いえ……かつて、この町に住んでいた者達からも

 あの、信号機を――撤去しないでくれ――と‼ 」




 ※※※


 ある、小さな小さなどこかの町の、小学校の傍の小さな丘。

 その信号機の傍らに、子どもだけその姿を見る事が出来る妖精が居るそうです。

 それは、人の男性によく似た外見で

 とても不愛想で、とても無口ですが。


 遅刻しそうな子どもを見ると――信号を青に変えてくれる

 そんな優しい信号機の妖精が――居るそうです。

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ジョセフの短編集 ジョセフ武園 @joseph-takezono

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