第21話 あたしVS杏里ちゃん

「いくぞ弱小女はやかわああああああっ!」


(びくっ!)

 ボールをもった杏里ちゃんが、こちらに向かって勢いよく走り始めた。

 その顔付きは先程とはまるで別人――いよいよ〝本気モード〟のようである。


「おらおらああああああっ! かかってこいやああああああ!」


 迫り来る相手は、名門女子サッカー部のレギュラー選手。

 対するあたしは、もじもじ系文学少女。


 ――勝てるだろうか?

 いや、勝つのである。


 ペンは剣よりも強し! 

 行け、早川素真穂! 16歳!


「あう……」

 そんな気持ちとは裏腹に、あたしの足は「がっくがく」になっていた。

 なんでこうなってしまうのだろう。気持ちは相手に向かっているのに、身体が相手から逃げている。

 どれだけ心を強く保っても、身体はいつだって正直だ。


「さっきまでの威勢はどうしたんだおらああああ!?」


(ひいいいいっ!?)

 あたしはその場から一歩も動けず、ただ全身を震わせた。

 怖い。ボールの奪い方がわからない。

 向かってくる相手は勢いを殺すことなく、まっすぐとゴールを目指している。

 ここであたしが止めなければ、また犬山さんに迷惑がかかってしまう。

 やばい。どうしよう。でも、足が動かない――。


「自分を信じるんだ! 早川さん!」

 背後から犬山さんの声が響いた。

「ディフェンダーで最も大事なのはテクニックじゃない! 相手の身体に立ち向かう勇気と、ボールを奪えるまで絶対にあきらめない根性だ!」


(ゆ、ゆうき……こんじょう……)

 あたしに足りない二大要素であった。


「いけ! 早川さん! 君なら出来る!」


(い、犬山さん……!)


『素真穂ちゃんがんばってええええ!』

『素真穂さーん! ファイトですー!』


(猫川さん……! 鳥井さん……!)

 ベンチからも声援が聞こえてきた。

 だめだ、もうやるしかない!

 素真穂、がんばります!


「うわあああああああああああっーーーーーーー!」


 あたしは突撃した。

 変な声を絞り出しながら、迫り来る杏里ちゃんの身体へと向かった。

 人間は必死になると、自然とこういう声が出るらしい。

 エリカ先輩となのらちゃん――二人がいつも叫んでいる理由が、今こんな時に分かった気がする。


「どけおらじゃまだああああああっ!!!!」


「いやああああんんっ!?」


 でもやっぱりあたしには、二人のような強さはないみたい。

 杏里ちゃんの強烈なタックルを受け、あたしの身体は遥か後ろに跳ね飛ばされた。

 景色がぐわりと舞い上がり、次の瞬間に強い衝撃。

 痛い。お尻が痛い。もういやだ。


「あきらめるな!!!! 立ち上がれ!!!!」

 すぐ後ろから大きな声。

 犬山さんが叫んでいる。

「相手の身体に向かっちゃだめだ! 相手のボールに向かうんだ!」


(相手の……ボールに……?)


『素真穂ちゃんがんばってええええええええっ!』

『素真穂さん! 負けないで! あきらめないで!』


 その瞬間、あたしは立ち上がり、再び杏里ちゃんへと向かっていた。

「うわああああああああああああああああああああああああああああっ!」


「何度やっても同じだぜ!? もう一度ぶっ飛ばしてやるよオオオオッ!」


 杏里ちゃんも大きな声を出しながら、あたしを迎え撃とうとしている。

 ――でも今度は、もうその顔も、その身体も見えません。

 相手が転がすボールだけを見て、あたしは相手に突っ込んだ。


 なるほど。

 身体や顔さえ見なければ、案外怖くはないものだ。


「てやああああああああああああああああああっ!!!!」


 あたしは、転がってきたボールに向かって、思いっきり右足を蹴り上げた。

 目を瞑り、それが遠くへ飛んでいくようにと想いを乗せて。

(二人まで届いて! あたしの気持ち!)

 

「な、何ィッ!?」


 ――べしっ!






「グワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」




 


 ……あたしが蹴り上げたボールは、杏里ちゃんの〝股間おまた〟に直撃し、天高く垂直に舞い上がった。


 ……つまりあたしは、やってしまったのである。


「ご、ご、ご、ごめんなさいっ! 杏里ちゃんっ!」

 謝って駆け寄ったときには、現場はすでに手遅れだった。


「あ、あん……! あん……! あんっ……! あん……! あん……! あんっ……!」


 ひっくり返った杏里ちゃんが、おまたをおさえて混乱状態に陥っている。

 わざとじゃないとはいえ、これは大ファウル……大変なことをしでかしてしまった。

 とりあえずあたしはコートの外に身体を向け、審判の声を待った。


『…………』


 審判役の女の子が、厳しい視線でこちらの状況を窺っている。

 緊迫した空気が場を包み、やがて、その判定が告げられた。


『ノーファウルです!』


(……え?)


『早川さんはボールを前に蹴っただけなので、ファウルじゃないです! それに、杏里ちゃんは今までみんなにひどいことばかりしてきました。だから、これで〝おあいこ〟です! 試合を続けてください!』


「あんっ……! ふざけんなあん……! そんな、馬鹿な話が……! あんっ……! あんっ……! あんっ……!」

 地面に這う杏里ちゃんが、おまたをおさえながら審判に抗議をおこなった。

 対する審判は、無慈悲にも首を横に振っている。

『認めません! 試合続行です!』


「あん……! なんでだよあん……! あんっ……! あんっ……! ああんっ……!」

 杏里ちゃんは抗議を続けたが、その声にはもう威圧感がない。おまたをおさえながら地面でもじもじしている。


『ノーファウルです! 試合を続けてください!』 

 対する審判の女の子は、あたしのほうを見てグーサインを送っている。

 なんだかよくわからないが、あたしはおとがめなしのようだ。


 唖然としていると、舞い上がっていたボールが、あたしの隣に落ちてくる。


「うおおおおおおおおおおおおっーーーー!」

 ゴールから飛び出してきた犬山さんが、それを勢いよく前のほうへと蹴り上げた。

 ボールは大きく弧を描き、相手のコートへ飛んで行く。

「よくやったぞ、早川さん! 君も敵陣へ向かうんだ!」


「え? で、でも……」


「気にするな! 鹿忍の面倒は私が見ておく!」

 澄んだ瞳で犬山さんは言った。

「君は勇気を出して相手に立ち向かい、ボールを前に蹴っただけだ! 君はゴールを守ったんだ! 堂々と胸を張っていい!」


「あたしが……守った?」


 そうか。

 あたしは杏里ちゃんに、ぶつかっていくことが出来たんだ。

 でもこれで終わらせるわけにはいかない。あとでもう一度謝らなくちゃ。


「今はただ前を向いて走り出せ! 奪われたものを取り返すんだ!」

 

「は、はいっ! わかりましたっ!」

 力強くそんなことを言われ、あたしはとにかく駆け出した。

 ボールが飛んでいく先の、二人の笑顔を追いながら。

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