第20話 はんげき

『ぴっぴー! Aチーム、一点です!』

 コート脇の中央で、審判役の女の子が大きな声を出した。

 その隣にあるカレンダーのようなスコアボードも、めくられて『0-1』になっている。


『きゃー!』『いえーい!』『やったー!』

 遥か前方、ハーフラインの向こうでは、相手チームの女の子たちが手を叩き合って喜んでいる。試合展開は杏里ちゃんの完全な一人プレイだったが、点さえ入ればそれでいいようだ。



「犬山さん!」

 一方であたしは、ゴール前に立ちすくむ犬山さんのもとへと駆け寄った。

 あれほどたくさんのシュートを身に受けていたので心配である。

「大丈夫ですか?」

 

「ああ、身体は問題ない。しかし、点を取られてしまった……申し訳ない」

 犬山さんは無事だったようだが、後ろめたそうに目を伏せている。


「犬山さんのせいじゃないです! あたしがちゃんとディフェンスをやらなかったから……」


「君のせいじゃないよ早川さん! 今回の失点に関しては全て私に責任が……がはあっ!?」


「犬山さん!?」

 犬山さんがお腹をおさえて膝をついた。

 やはり杏里ちゃんから受けたダメージが蓄積しているようだ。


「だ、大丈夫だ。問題ない。そろそろ試合が再開する――君も早く守備位置に戻るんだ……」

「で、でも……!」


「ヒャアッーーーーハッハッハッハッハア!! ざまあねえな犬山っーーーー!」

 その様子を見ていたであろう杏里ちゃんが、あたしの背後で高笑いを始めた。

 振り向いてその顔を覗くと、憎らしい目をしてこちらを見下している。


「…………」

 その姿を見て、あたしは確信した。


 さっきのはわざとだ。この子はわざとやったんだ。

 すんなりとゴールを決める技術テクニックがあるにもかかわらず、わざとゴールの真正面――犬山さんに向かって何度もシュートを打ったんだ。


 犬山さんが手を使えないのを知っていて、それを逆手に取って、この子は、犬山さんの心と体をもてあそんだんだ!


(ぎゅっ)

 気がつくとあたしは、歯を食いしばり、こぶしを握りしめていた。


「ああ~?」

 そんなあたしを目にした杏里ちゃんが、ゆっくりと顔を近付けてくる。

「なんだよその顔? なんか文句あんのかよ素真穂ちゃん」


「杏理ちゃん……! あたしはあなたを、許さない……!」


 あたしは言った。

 目を逸らさずに、言いました。


「クックックックック……」

 すると彼女は、また笑いました。

「ヒャアッーーーーハッハッハッハッハア! やってみろよ弱小女はやかわアッ! ちんちくりんのくせに調子乗ってんじゃねーぞお? ああーん?」


「あなたは人の痛みがわからないんですか!?」


「ああ、わからねぇなあ! だから刑務所ここにいるんじゃねぇか!」


「杏里ちゃん!! あなたって人は……!」

「なんだあ? やんのかこらあ? おおーん?」

 

 あたしと杏里ちゃんは、顔を近付けて睨み合った。

 禍々しい笑顔が目の前にありながら、あたしは不思議と怖くはなかった。

 いや、いつもは怖いはずなのに、今は不思議と落ち着いている。

「――――」

「――――」

 刑務所に来る前までは、絶対にこんなことはできなかった。

 こんなに怒りをあらわにするのは初めてだ。

 あたしは自分の感情を、ちゃんと表に出せている。


 あたしがこんなに正直になれたのも、あの二人に出会って、学んだからだ。

 そう。あたしがこんなに強くなれているのは、きっとエリカ先輩となのらちゃんのおかげ――――


(……って、あれ?)

 ふと辺りを見回すと、そこにいると思っていた二人はいつの間にかゴール前から消えていた。


(あ、いた)

 二人は遥か前方――コートの中央に立っていた。足元にはボールをもっている。

 あたしがごちゃごちゃしているあいだに、ハーフラインへと戻っていたようだ。


「キミ! 早く試合を再開させたまえ!」

「ボクたちは準備おーけーなのら!」

 そう言って審判の子に訴えかけている。どうやら、杏里ちゃんが陣地に戻らないうちに攻撃を仕掛けてしまおうという作戦のようだ。


(…………)

 やっぱり二人は、いつでも前向きだ。

 さすがである。


『Hチームのボールから試合を再開しまーす! はい! よーい、すたーと!』

 審判役の女の子が右手を挙げた。試合が再開される。

 一点を失ったのはたしかだけど、今度はあたしたちが攻める番だ。


「チッ……アタシまだ戻ってねぇぞ……」

 目の前にいる杏里ちゃんも、コートの中央に目を逸らしていた。

 若干ふてくされながらも、ゆっくりと視線をこちらに戻す。

「まあいいや。ここで待つか。どうせすぐにボールがくるし」

 そのまま腕を組んであたしに睨みを利かせ続けた。

 杏里ちゃんは陣地に戻らず守備につかないようだ。


 本来のサッカーだったらおそらくルール違反なんだろうけど、審判役の子は気付いてないのか、それを注意する素振りがない。

 ボールの主導権はいま、あたしたちのチームにある。

 守備が一人少ないのは、こちらにとって間違いなくチャンスだ。


「よし! いくぞ奈野原!」

「はいなのら!」

 二人が攻撃を開始した。二度目のキックオフである。

 先輩が転がしたボールを受け、なのらちゃんが勢いよくドリブルを始める。

「なのらあああ~!」


「ああああああ~!」

 その横に広がったエリカ先輩が、お嬢様ダッシュで追走している。

 そのまま二人は、ぐんぐんと相手の陣地へと攻め込んでいく――。

 

「ぱす!」「ぱす!」


「ぱす!」「ぱす!」


 つい先程まで悲鳴を上げて尻もちをついていた先輩と、ただ単に叫びながら突っ込んでいただけのなのらちゃんが、見事なパスワークでボールを繋いでいる。

 どうやらあの二人、攻めに関してはめっぽう得意なようだ。

 ――これはいけるかもしれない。


『させないよ!』

「うわああああああ!?」「なのらああああああ!?」


 ……と思ったの束の間、やっぱりすぐに相手の子にボールを取られてしまった。

 エリカ先輩は尻もちをつき、なのらちゃんは横っ跳びしながら転んでいる。

 その間から出てきた、ボールを奪った女の子が、そのままこちらに向かって走り込んできている。


「麻里子! ボールをよこせ!」

 それに気付いた杏里ちゃんが、手を挙げながら中央へと駆け出した。


『オッケー!』

 麻里子ちゃんと呼ばれたその子が、こちらへ大きくボールを蹴りあげた。


 飛ばされたボールは、あたしの所にまでくるような勢いを見せたが、その途中に入り込んできた杏里ちゃんの見事な胸使いによって塞き止められてしまった。


 あまりにも俊敏なそれらの動きに、あたしはどうすることも出来なかった。

 あたしたちのボールの主導権は、あっさりと相手に奪われてしまったのだ。

 

「それじゃあ、たっぷりと攻めさせてもらうぜぇ……素真穂ちゃんよお!」

 こちらへ振り返った杏里ちゃんが、あたしに獰猛な笑顔を見せた。

 まるでこちらのコート全てを見渡すかのように、瞳の黒を大きくしている。


(ごくり……)

 そのゴールまでの短い道のりを阻むのは、初心者のあたしと、心身ともに傷ついた犬山さん――たったの二枚のみである。

 激戦を覚悟したあたしは、とりあえずつばを飲み込むのであった。

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