第19話 ペナルティ・エリア

 ペナルティエリアの中で見つめ合う二人。

 なんだか気まずい空気の流れる中、ボールをもった杏里ちゃんが犬山さんに話しかけた。


「犬山ァ……おまえわかってんだろうなあ? サッカーは「手」を使ったら反則なんだぜ? それがサッカーのルールだかんなあ?」


「わかっているよ……もう二度と同じ過ちは犯さない」


 その会話の内容は、意味不明だった。

 だって犬山さんのポジションはゴールキーパーだ。ゴールキーパーは手を使っても反則にはならない――そんなこと、ど素人のあたしにだってわかることだ。

 杏里ちゃんは何が言いたいのだろうか。


 不思議に思っていると、隣にいるエリカ先輩がゆっくりと口を開いた。

「犬山さんは、サッカーのルール違反――「ハンド」の罪を犯して刑務所ここへやって来たんだ」


「……はんど?」


「ああ。現代のサッカーの公式試合では、ルールを犯してレッドカードをもらうと、そのまま警察に連行される仕組みになっている。たとえアマチュアでもね」


「ええ!? そうなんですか!?」

 あたしは仰天したが、エリカ先輩は冷静に話を進めた。

「ああ。ちなみにサッカーだけじゃない。スポーツの公式試合におけるルール違反行為はすべて逮捕につながる世の中になっている……。そのおかげで健全なプレイヤーは増えたが、『小学生の将来なりたいものランキング』からは野球選手やサッカー選手が見並ランクダウンしているのが昨今のスポーツ業界の惨状だ」


「そ、そんなに厳しい世界だったなんて……」

 スポーツの世界も年々ルールが厳しくなっているらしい。運動部の人たちがいつも必死な顔をしている理由がわかった気がする。


「彼女たちはいわば、その世界の犠牲者さ――」

 先輩はゴールのほうを見つめながら、二人の関係を語り始めた。

現役シャバ時代、強豪女子サッカークラブのDFディフェンダーを務めていた犬山さんは、全国大会の決勝で鹿忍のチームと対戦し、彼女との接触中に「ハンド」を犯して送検された……おそらくボールを止めるのに必死だったのだろう……そう語ってくれたよ、食事の時間にね」


「い、犬山さんにそんな壮絶な過去が……」


「それ以来、犬山さんにとってサッカーはトラウマなんだ」

 先輩は一瞬悲しい目をしたが、その表情までもは曇らなかった。

「だけど彼女は、過去のトラウマを払拭するため、今回のスターティングメンバーに自ら志願してきたんだ。もちろん承諾したさ。その決意を私が止める権利はないからね」


「そうだったんですか……」

 犬山さんがそんな想いでこの試合に参加しているなんて知らなかった。

 なんて勇気のある人なんだろう。自分の辛い過去と向き合いながら、彼女は今、グラウンドに立っているんだ。

「……でも彼女は今、ゴールキーパーですよね?」


「ああ。それは私が指定した。ゴールキーパーであれば、ペナルティエリア内に限り、手を使っても「ハンド」にはならない――リハビリを行うには最適のポジションだからね」

 先輩もいろいろと考えながら采配をおこなっていたようだ。

「私も馬鹿じゃないんでね。実績はもちろん、見た目や性格も考慮したうえでみんなのポジションを組んでいる。なかでも犬山さんの身体能力の高さは折り紙付きだ。たとえ専門外のポジションであっても私たちの誰よりも実力を発揮してくれるだろう。そのこともあって彼女を一番重要なポジションであるゴールキーパーに選任したのだよ。どんなに一方的な展開になろうとも、点さえ取られなければ負けることはないからな」

 ……さすがはキャプテンというか、エリカ先輩は相変わらず饒舌だった。

 先ほど悲鳴を上げて尻もちをついていた姿は、幻だったのだろうか。


☆登場人物ファイル⑨

 受刑番号9:犬山いぬやま怜央れお(18)

 罪状:『ハンド』



「いくぞ犬山アアアアアアアッ!!」


(びくっ!)

 雄たけびに驚いて我に返ると、杏理ちゃんが助走の段階に入っていた。

 あたしたちのゴールの前――ペナルティエリアの中で、ついにその攻防が始まってしまったようだ。


「でやあああああああああああっ!」

 助走をつけた杏理ちゃんが、振りかぶった右足で力強いシュートを放った。

 勢いよく飛ばされたボールは、しっかりとポストの枠内を捉えている。


「――――」

 しかし、ボールは真正面――犬山さんの目の前だ。

 あの位置、しかも経験豊富な彼女であれば、そのまま両手で受け止めるだけで簡単に対処できるはず――


身体ライフで受ける!」


(えっ?)

 だけど犬山さんは、手を使わずに身体でボールを跳ね返した。

 跳ね返ったボールが、再び杏理ちゃんの足元へと転がっていく。


「へぇ~やるじゃん。だが、いつまでもつかな?」

 ボールを迎えた杏里ちゃんは、そのまま再びシュートを撃った。

「ほらよっ! おかわりだ!」


「なんのこれしきっ!」

 シュートを食らった犬山さんが、またしても身体で跳ね返す。

 ボールは再び杏里ちゃんの足元に転がり、またしてもシュートが放たれる――

「おらおらあっ!」

「ぐああああっ!」

「そらそらあっ!」

「がああああっ!」

 なんとあろうことか、その繰り返しだった。

 犬山さんは意地でもその手を使おうとしていない。


「ま、まずい! このままだと彼女が危ない! みんなゴール前へ急ごう!」

 慌てたエリカ先輩が、ペナルティエリアに向かって駆け出した。

「は、はい!」「なのらっ!」

 とにかくあたしたちも、ばたばたとその後を追う。


「み、みんな……!」

 犬山さんがこちらに気付いた。

 何本ものシュートを受けながら、必死にゴールを守り続けている。


「犬山さん! ゴールキーパーは手を使っても反則にはならない! 思う存分にその両手を使ってくれたまえ!」

 エリカ先輩が大声で叫んだ。


「分かってはいる……! 分かってはいるが……!」

 犬山さんはお顔をしかめて歯を食いしばっている。

 もしかして、ハンドで逮捕されたときの光景が頭を過っているのだろうか――手を使いたくても使うことができないのかもしれない。


「おらおらあっ! どうしたあ犬山ァ!? 手も使わずにアタシのシュートを止められるとでも思ってんのかー? あー?」

 かまうことなく杏理ちゃんは、次々と力強いシュートを放った。

 ボールはすべて真正面――犬山さんの身体へ向かっている。


「だああああああああああああああああああああっーーーー!」

 対する犬山さんは、そのすべてのシュートを身体ひとつで跳ね返している。

 幾度もゴールは守られているが、ボールの主導権はずっと杏里ちゃんのままだ。

 これ以上続けてしまえば、犬山さんの身体がもたない――


「犬山さんっ!」

 見ていられなくなったあたしたちは、ラインの内側――ペナルティエリアの中へと踏み込もうとした。


 だけどその行為を遮ったのは、当の本人である犬山さんの手のひらだった。

「こっちへくるな! これは私自身の問題だ! みんなは危ないから離れていろ!」


「で、でも……!!」


 鋭い目つきで杏里ちゃんが言った。

「ここはアタシと犬山だけの領域だ! 部外者へたくそはあっちで仲良くお喋りでも続けてな!」


「なっ!? きさまああああっ!」

 侮辱を受けたエリカ先輩が怒りを露わにした。

「なのらああああああああああああああああっ!!」

 なのらちゃんも同調し、ためらうことなくラインを踏み越える。

「行け! 奈野原! やってしまえ!」

「了解なのらあああああああああああっ!」

 力強い指揮を受けたなのらちゃんが、身体を丸めて杏里ちゃんへと突っ込んだ。


「じゃまだ、どいてろ」

 対する杏里ちゃんは、冷徹な表情で軽やかにそれをかわした。

 なのらちゃんは勢い余ってそのまま転んでしまう。

「ぬわああああああっ!?」


「奈野原さんっ!」

 それを受け、隙をつくように犬山さんが前に出た。

「うおおおおおおっーーーー!」

 ポストから離れ、足で杏里ちゃんのボールを奪おうとしている。


「させねぇよ?」

 しかしそれに対し、杏里ちゃんはボールを器用に浮かせてシュートを放った。


「くっ!? しまった……!」

 ふわりと宙に浮いたボールは、犬山さんの頭を乗り越え、大した勢いもなくそのままゴールへ入ってしまった。 


 その瞬間――


「うわあああああああああああああああああああああっ!?」

 髪の毛をかきむしるエリカ先輩。

「なのらああああああああああああああああああああっ!?」

 地面を叩きつけるなのらちゃん。

 

 ネットを揺らして跳ね返ったボールも、なんだか気まずそうにあたしの足元へと転がってくる。


 ――コロコロ……。


 あたしたちのチームは、一点を失ってしまったのだ。

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