第13話 女の子へのダイエット
――ギイイイイ……。
若菜ちゃんが吐血したその直後、後ろのほうから扉が開く音が聞こえた。
振り向いて見てみると、出入り口の中央で、サングラスを掛けたオバチャンがねっとりとこちらを見ている。
(だ、だれ……?)
青い制服を着ているので看守さんには違いないが、口周りのお化粧が厚く、帽子とサングラスもあってその表情はわからない。他の看守さんよりも恰幅が良く、明らかにベテランな雰囲気をまとっている。独房を担当する刑務官だろうか。
「受刑番号29番。貴様もお手洗いにいくか? どうするんだ?」
距離も詰めずにオバチャンが問いかけた。
女の子が血を吐いているにもかかわらず、その対応はかなり冷たい。
「こ、こんなの大したケガじゃねぇ! いちいち俺にかまうんじゃねぇよ!」
当の本人も慣れっこなのか、かなり強気な返答だ。
口に付いた血を手で拭い去り、なおもメロンパンにかじりついている。
しかし、
――クギュウウウウッ!
「くっ!? 腹が、悲鳴を……!?」
咥えていたパンをテーブルに落とし、若菜ちゃんは脇腹をおさえた。
なのらちゃんが盛った毒――水に仕込んだ唾液がかなり効いているようだ。
「お手洗いにいくか? それとも独房へ戻るか? どうするんだ?」
態度を強めるオバチャン。
「だまれ! 俺に話しかけるんじゃねぇ!」
お手洗いでのタイムロスを嫌ってか、若菜ちゃんは食事を続行した。
だけどその勢いは、まるで飛ぶ鳥を落とされたかのように衰えている。
「まだだ……! まだ舞える……!」
「あきらめろのら!」
メロンパンを頬張ったなのらちゃんが、その勢いに終止符を打った。
「エリカせんぱいを
そう言ってなのらちゃんは、エリカ先輩が残した空き袋に、自分の空き袋をずっしりと重ねた。あたしの数えていた限りでは、その合計は――40枚。
「素真穂ちゃん! 素真穂ちゃんのぶんも、一緒に重ねるんだのら!」
「うん!」
あたしの手持ちは14枚だ。
これを合わせれば、若菜ちゃんの記録――54個に、ちょうど並ぶ。
あたしがそれを重ねた瞬間、後ろのほうから声が届いた。
「……な、奈野原……! 早川……!」
はっとして振り返ると、涙ぐんだエリカ先輩の姿があった。
出入り口の端っこで、扉の柱に手を掛けて立っている。
「エリカ先輩!」「エリカせんぱい!」
先輩は、自らの体調不良を乗り越え、お手洗いから復帰してきたのだ。
「かっ、果報者……! 私は、果報者だよ……!」
先輩はそんなことを言いながら、あたしたちのテーブルに駆け寄った。
道中にハンカチで涙を拭い去り、キリっとした顔で若菜ちゃんの隣へ座る。
「フフ……ここからは私も加勢する! ――牛文字 若菜、大人しく諦めたまえ!」
「くっ……! てめぇら……!」
台詞を決められた若菜ちゃんは、怯むようにお腹をおさえた。
多勢に無勢。作業時間はまだ残っているけれど、いまの若菜ちゃんがメロンパンを入れる隙間は、もうきっと残っていない。
「ボクたちの勝ちだ!」
そしてなのらちゃんは、手持ちのメロンパンを口の中へと放り込んだ。
あたしたちの食べた数が、若菜ちゃんのそれを上回った瞬間である。
「……クックックッ。強いな、お前ら……」
対する若菜ちゃんは、最後まで不敵な笑みを浮かべていた。
やがて、その巨体を、床へと崩していく。
「……もう、お腹いっぱいだ。俺の、負けだよ――――」
――がたっ!
舞い上がった大量の空き袋が、シーツのように覆いかぶさった。
「わ、若菜ちゃんっ……!」
あたしは思わず、その身体へと膝を倒した。
若菜ちゃんは敵だけど、目の前で倒れた人を放っておくわけにはいかない。
彼女はズルもせず、たった一人であたしたち三人と正々堂々戦った。最初はすごく意地悪もされたけど、もうそんなことはどうでもいい。
「だ、大丈夫ですか?」
「……気にするな。ただの
若菜ちゃんはそう言って天井を仰いでいる。
やや涼し気な顔をしているので、そこまで心配する必要はなさそうだ。
「担架ッー! 担架ッー!」
周りの看守さんたちも、なにやらばたばたと手配を進めている。
「……早川……素真穂……とか言ったな」
「は、はい……」
「……俺が負けたら『お前らの言うことをなんでも聞く』と言ったが、残念ながらこの有様だ。しばらくは独房から一歩も動けないだろう」
「…………」
「――だが安心しろ。ちゃんと約束は守る」
あたしの目を見て若菜ちゃんは言った。
「何か困ったことがあったら俺の
(わ、若菜ちゃん……)
あたしはふわっと笑顔を返した
若菜ちゃんもあたしと同じ囚われの身――「だつごく」に対する価値観もきっと同じなんだ。エリカ先輩の話によると、あたしたちの誰かが抜ければ、この刑務所はなくなって、みんな抜け出すことができる。あたしたちが窮地に陥ったとき、彼女はきっと助けてくれる――そういう話であれば、心強くて、とても頼もしい。
そうか。あたしたちは、仲間なんだ。
「……たくあん取ろうとしてごめんな」
(……え?)
「実は俺……
若菜ちゃんが急に語りだした。
「も、もしかして、だからあんなに
「ああ。たくあんは、糖質制限中の俺にとっては何よりの宝だからな。……
そう言って若菜ちゃんは目を伏せた。
なんだかよくわからないが、彼女にとっても苦しい戦いだったようだ。
やがて、敗北を味わったのか、若菜ちゃんは最後にこう言い残した。
「これからは真面目にダイエットに取り組んで、また一から〝女〟をやり直してみるよ。お前みたいな優しさがあれば、俺――いや、アタシもまた、ちゃんと社会に溶け込んでいけるのかもな――」
「若菜ちゃん……」
ちょっと女の子らしい素顔を見れたのも束の間で、その身体は、集まってきた看守さんたちの手によって担架に乗せられていく。
「こいつを独房に戻しておけ」
「はっ! ただいま」
後ろで見ていたオバチャンが、看守さんたちに指示を飛ばした。そのまま全員で固まり、担架の若菜ちゃんと共に出口へ向かっている。
その隙にあたしは、エリカ先輩にこそっと聞いてみた。
(エリカ先輩! あのオバチャン、誰ですか?)
すると先輩が、鬼気迫る顔であたしに答える。
(あの人は、この『しらゆり刑務所』を統括する刑務所長――通称〝バビロン〟だ)
「ば、ばびろん!?」
「ば、ばかっ! 大きな声を出すな! 詳しくはまたあとで教えるから! 今は気にするなって!」
わりと大声で先輩に怒られながら、あたしは口を塞がれた。
☆登場人物ファイル⑦
刑務所長『バビロン』(58)
担当:全エリア
――ばたばたばたっ。
看守さんたちは、せかせかと担架の移動に精を出している。
周りの受刑者のざわつきもあり、幸い今の会話は聞かれていなかったようなので、とりあえず真顔でごかますことにする。
「――――」
「――――」
「――――」
担架で運ばれる若菜ちゃんを、あたしたち三人は静かに見送った。
隣の二人も、まるで戦友を讃えるかのような眼差しを送っている。
「…………」
視線に気づいた若菜ちゃんが、こっそりと笑顔を返した。
それは挑発的な笑みではなく、とっても優しい顔だった。
「クックック……楽しかったぜ」
去り際の言葉は相変わらずで、やはり女の子らしくはなかった。
だけどあたしは、そんな彼女に、ちょっときゅんとしてしまうのであった。
《『げきとう! フードファイト!』編・完》
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