第12話 仕込み唾液~なのら、怒りの毒素~

「受刑番号48番ッ!!」

 エリカ先輩の緊急事態を受け、担当である看守のお姉さん――有亜堂刑務官がどこからともなく駆け付けてきた。

「大丈夫か! しっかりしろ!」

 お姉さんは手際よく先輩を抱き上げ、その脇の下へ身体を潜らせた。

 先輩の顔色は青ざめているが、意識ははっきりしているようだ。

「……わ、私にかまうな……! わ、私はまだ……た、戦えるっ!」


「黙れ48番! きさまは生きて罪を償う必要がある! よってここで死ぬということは許されない! 私がお手洗いで介抱をしてやるから大人しく私に身を委ねていろ! いいな!? わかったな!?」

 お姉さんが厳しい口調で先輩の意志を砕いた。

 残念ながら、事実上のドクターストップである。


「くっ……ここまでか……」

 エリカ先輩は肩を担がれ、悔しそうな表情をしている。

「す、すまないみんな……。私は一旦、ここで離脱する……」


「エリカ先輩! あたしたちは大丈夫です! いまは身体を休めてください!」

 大きな声であたしは伝えた。

 先輩のぶんまで、あたしたち二人が頑張ります!


「エリアエンアイッ! オアッー、オアッー!」

 なのらちゃんも何かを伝えたがってはいるが、口の中がメロンパンで満たされているので言葉になっていない。ちょっとタイミングがわるかったようだ。


「48番の面倒は私が引き受ける! きさまらは作業を続行しろ!」

 お姉さんが代わりに返した。


「あ、あとで必ず戻ってくる! だから、絶対に諦めるな!」

 先輩も迫真の表情であたしたちに告げながら、お手洗いへと担がれて行った。


 ――バタン。



「…………」「…………」

 残されたあたしとなのらちゃんは、互いに顔を見合わせた。

 あたしたち二人がやるべきことは、『食べること』ただ一択――この勝負に勝つことが、身を挺して戦ったエリカ先輩への最大のマナーであり、ギフトとなる――そのことをわかっているがゆえに、言葉を交わす必要はなかった。


「クックック……お仲間が一人消えちまったようだが、そんなんで大丈夫か?」

 軽々しくパンをつまみながら、若菜ちゃんが挑発してきた。

 テーブルの脇には50枚ほどだろうか、大量の空き袋が重ねられている。


「あたしたちは、負けないもん!」

 あたしは言い返し、再びメロンパンをかじり始めた。

 これ以上リードを許すわけにはいかない。はやく追いつかなくては。


(ぱくっ!)


 ……ま、不味まずい。

 少し間をあけたせいか、舌が完全に飽きてしまっている。

 このメロンパン、やっぱり甘すぎる。ただひたすらに甘いだけで、味に〝深み〟とゆうものがまったく感じられない。

「う、うえっ」

 ……あたしも吐きそうになってしまった。

 言わずもがなお腹もぱんぱんだ。頭もちょっとくらくらしてきた。


「クックック……その様子じゃあ、先は短そうだな」

 隣では若菜ちゃんが皮肉を続けている。

「もう諦めたらどうだ? お前らに勝ち目はないぜ」


「そ、そんなことないもん……!」

 目を伏せながらもあたしは言った。

 あたしの空き袋は14枚、なのらちゃんは18枚、二人合わせて32枚。

 エリカ先輩のぶんも合わせれば、まだまだ十分に追いつけるはず――


「肝心のお嬢様が残した空き袋は、たったの6枚じゃねぇか」


(う……)

 痛いところをつかれた。


「チームに一人でも〝お荷物〟がいれば、〝たった一人〟にも勝てやしねぇんだよ。さっさと諦めろ。三人仲良くトイレに籠っていちゃいちゃしてろや」


(そ、そんな言いかた……!)


 ――若菜ちゃんがとんでもない暴言わるぐちを吐いた、そのときだった。


「おい、もういっぺん言ってみろのら」


「ああん?」


「もういっぺん言ってみろっつってんだのら」

 左隣にいるなのらちゃんが、すくっと真顔で立ち上がった。


「――何遍でも言ってやるよ。『ガキはトイレに籠っていちゃいちゃしてろ』これで満足か?」


じゃないのら」


「ああん?」


「その前のら」


「……『さっさと諦めろ』か?」


じゃねーのら。のら。早く言えのら」


 なのらちゃんの表情が、次第に鬼神の如く迫力を増していく――

 対する若菜ちゃんは、ついにその答えを口にした。


「……『チームに一人でもお荷物――」


「エリカせんぱいはお荷物じゃねえのらあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」


 なのらちゃんが激昂した。瞬時に部屋中の視線が集まる。

 エリカ先輩に対する侮辱――その言葉はなのらちゃんの逆鱗に触れていた。

「絶対に許さんのらああああああっ!!」

 大きな口を開けて憤ったなのらちゃんは、そのまま相手につかみかかるかと思いきや、その両手をメロンパンのほうへと伸ばし、一心不乱にその口へ運びだした。

『じゅ、受刑番号――』

 思わず注意に入ろうとした看守さんたちも、その作業スピードに圧倒されて踏み止まった。

「ばくばくばくばくばく!」

 勢い余った怒りの矛先は、ちゃんと課題であるメロンパンへと向けられている――対象は非常に荒ぶってはいるものの、我を失ってはいないと判断されたようだ。

「がぶがぶがぶがぶがぶ!」

 なのらちゃんは両手にメロンパンを持ち、まるで二刀流の剣を振り回すかのように次々とパンを噛みちぎっている。そのペースと迫力は凄まじく、周りの空気と他の人間の全てを置き去りにしている。


「クックックックッ……ファッーハッハッハ! なんだなんだ面白いガキじゃねぇか! おかげで久々に楽しめそうだぜええええっ!」


 唯一その勢いに共感を示したのは、あたしの右隣に座る若菜ちゃんであった。

 若菜ちゃんも、なのらちゃんに負けじと次々に袋を噛みちぎって応戦に臨んだ。

 二人は互いに見つめ合い、縦横無尽にメロンパンを頬張り合っている。


(ひいいいいいいっ!)

 あたしはただ、その二人の間で身を丸めるほかなかった。

 二人のハートには完全に火が点いている。もはやあたしが言葉を挟む隙間はない。


「ぐびぐびぐびっ! ぐびぐびぐびっ!」

 水、ラッパ飲み。

 なのらちゃんがピッチャーの注ぎ口とディープな口づけを交わしている。さっきまではちゃんとピッチャーから口を離して注いでいたのに、もうそんなことはどうでもよくなっているようだ。

「ごっくんごっくんごっくんごっくん!」

 なのらちゃんは相手を凝視しながら暴飲を続けている。

 それに感化されたのか、若菜ちゃんがガリガリと喉を掻き出した。

「カッハアッ! こっちまで喉が熱くなってきやがった! てめぇ、いつまで飲んでやがるんだよ、さっさと俺にも水をよこしやがれええええっー!」

 ピッチャーを横取りした若菜ちゃんも、そのままその注ぎ口に唇を重ねた。

 収容期間の長さからか、女の子同士の間接キッスには抵抗がないようだ。

「ぷはあああああっ!」


「ニヤリ」

 その姿を見たなのらちゃんが、突然うすら笑いを浮かべた。


「ああん?」

 その姿を見た若菜ちゃんも、困惑の表情を浮かべる。

 次の瞬間――


「――かっはあああっ!?」

 ここまで平然とメロンパンを食べていた若菜ちゃんが、いきなり口から水を噴き戻した。

「て、てめぇっ! この水に何か入れやがったな!?」


 その問いに対し、なのらちゃんは、してやったりな顔でこう言った。


「その水にはボクの唾液エキスを仕込ませてもらった――ただそれだけのことなのら」



(え、えきす……?)


 なんだかよくわからないが、おそらくその唾液はただの唾液だろう。

 なのらちゃんは元気で明るい女の子――身体の中身は至って健康なはずだ。


「ぐっ!? あっ!? ぐうっ!?」

 だけど若菜ちゃんは、まるで毒を盛られたように苦しみ出している。

 彼女の口や胃の中で、一体何が起こっているのかはあたしにはわからない。

 屈強な体格を誇る彼女が、たかが唾液で身体をくねらせる理由がまったくわからない。


「へへへ……」

 勝ち誇った顔をするなのらちゃん。


 混ざり合った二人の唾液の相性が、よほどに相容れなかったのか。

 もしかして何かの、化学反応が起きたのか。

 どちらにせよ、熱く燃え上がった二人の唾液の関係性を、あたしが解明する余地はない。

 ――だってそれは、二人だけの、秘密のやり取りなのだから。


「がっはあああああああ!?」


 若菜ちゃんが、口から少量の血を噴き出した。




☆ただいまの記録


 あたし:14個

 なのらちゃん:32個

 エリカ先輩:6個

(合計:52個)


 若菜ちゃん:54個

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