第8話 残飯処理

『受刑番号49番! 食事中に席を立つな!』


 看守さんの注意を受け、あたしはゆっくり席に座った。

 だけど視線は、正面のドレッドヘアーから、いちミリたりとも外さない。


 対する若菜ちゃんも、まるで舐め回すかのようにあたしを見ていた。

「……お前、なかなか美味うまそうな目をしているな。――気に入ったぜ」

 好戦的なあたしの態度が効いたのか、若菜ちゃんはそう言うと、自分のたくあんをかじってこう言った。

「おい新人、俺と勝負をしろ。それで手を打ってやる」


「しょうぶ?」


「ああ。今日の刑務作業で、より多くの成果を出したほうが勝ちだ。文句ないだろ?」


(え……?)


「いいだろう! それでキミの気が済むのなら、受けてたとうじゃないか!」

 あたしの代わりにエリカ先輩が答えた。


「やってやるのらあっ!」

 なのらちゃんも乗り気のようだ。


 ……なんだか大変なことになってしまった。

 だけど、勢いよく啖呵を切った手前、後ろ向きなことは言えない。

 殴り合いの喧嘩じゃないだけ、あたしはほっとした。


「よくがんばったな、早川。ここからは三人で力を合わせて戦おう」

 エリカ先輩があたしの肩に手をやった。真っすぐな瞳で見つめてくる。


「素真穂ちゃん! よく言ったのら! かっこよかったのら!」

 なのらちゃんも顔を寄せてきた。あたしの行動を讃えてくれている。

 どうやら、思い切ってみて正解だったようだ。


「決まりだな。ただし俺が勝ったら、今日からお前らのオカズを全て貰う。それでいいな?」


 相手がむちゃくちゃな条件を出してきた。

 正直、オカズだけならなんとか我慢でき……って、負けたときのことを考えてどうするあたし。戦う決心をした以上、この人には絶対に勝たなくては。


「私たちが勝ったらどうする?」

 鋭い視線でエリカ先輩が聞いた。


「ああん? そんときゃ何でも言うことを聞いてやるよ。まあ、お前らが俺に勝つなんてありえない――なんてったって、今日の刑務は『残飯処理』だからな」

 若菜ちゃんが笑顔を漏らした。


「ざ、ざんぱんしょり!?」

 なにやら耳慣れない単語が飛び出してきた。

 そういえば、今の今まで刑務作業の内容を聞かされていない。


「そう、水曜日の刑務は『残飯処理』だ」

 エリカ先輩があたしに言った。

「なるほどな……だから今日は朝寝坊をせずに出てきたってわけか」

 相手を見ながら呟いている。


「あのう……『残飯処理』って、なんですか?」


「ん? ああ。外界シャバで余った食材を、私たち受刑者が食べるという刑務作業だよ」

 よくわからないその一言を皮切りに、エリカ先輩は語り始めた。

「説明させてもらうよ。しらゆり刑務所・刑務作業その①『残飯処理』とは、レストランなどで売れ残った在庫、市場ではじかれた肉や魚、果ては食品開発企業の失敗作など、『流通の機会を失った食物を私たちが食べる』という社会的業務だ。本来はゴミとして処理される食物を私たちの活動エネルギーに変換するというエコロジーな目的のほか、食べ物のありがたみを知るという食育の要素も含まれている。残飯と言えど、誰かの食べ残しとかではないから衛生面は問題ない。ただし、どんなメニューでも食べなきゃならないから思っている以上に過酷な作業なのだよ」

 ……エリカ先輩は、また饒舌になってしまっていた。

 もちろんよくわからなかったので、改めて聞いてみる。

「ええっと……つまり、どういうことですか?」


「つまるところ、ただの大食い競争さ」

 そう言って華麗に指をはじいた。


(な、なるほど……)

 ようやく理解するあたし。


「でも、大食い対決なんて、あたし、勝てる自信が……」

 自信がない。

 なにせ相手は、あたしの倍以上の体格を持っている。

 はっきり言って、この戦いに最初から勝ち目はないだろう。


「もちろん三対一でいいぜ」

 すると相手が、ハンディキャップを付けてきた。

「俺とお前らでは階級たいじゅうが違う。三人まとめてかかってこいよ」

 自信たっぷりに若菜ちゃんが言った。

 そういうことなら、まだなんとかなりそうではあるが……。


「つまり、今日だされるメニューをより多く食べたほうが勝ちってことだな?」

 エリカ先輩が聞いた。


「ああ。お前ら三人分の総量と、俺一人分の量を競う。ルールはそれだけだ。場所はあとで指定する」

 答えた若菜ちゃんは、目線を切って自分の食事を始めた。

 どうやら話がまとまったようだ。


(…………)

 だけど相手は、焼き肉店を7件も赤字に追い込んだフードファイター。

 はたして、あたしたちがその差を埋めることはできるのだろうか……。


「そう不安そうな顔をするな、早川」

 エリカ先輩があたしの肩をぽんと叩いた。

「幸い、私のお腹にはまだ充分に余裕がある。作業のこともあって、水曜日の朝食メニューは軽めに設定されているからね」


「まだまだぜんぜんいけるのら!」

 朝食を平らげたなのらちゃんも、まだお腹が減っているようだ。


「早川、キミも少しは食べておいたほうがいい。『残飯処理』のメニューは何が出てくるかわからない。キミが苦手な食べ物だった場合は、私と奈野原が全力でサポートするよ」


「は、はい……! ありがとうございます!」


 言われたあたしは、ようやく目の前の食事に手を付けた。

 ごはんの上にたくあんを乗せ、まずは一口食べてみる。


「うう……お、おいしい……!」

 昨日のお昼以来の食事。涙が出るほど元気が出てくる。

 お箸を持つ手が止まらない。あじの開きも皮ごとぱくり。

 味噌汁すすって、お茶を飲む。

「ぱくぱくっ! ごくごくっ!」

 見る見るうちにごはんがなくなる。あっという間にオカズが消える。

 今の腹ペコなあたしなら、何がこようともペロリといけそうだ。

 白いごはんが勇気に変わる――なんだか勝てそうな気がしてきました。

 


※※※



『ごちそうさまでしたあー!』


 ちょうどごはんを食べ終わると、食堂に再び合唱が響いた。

 後ろの女の子たちが席を立ってお盆を片付け始めている。


『AM9:00より刑務作業を開始する! 朝食を終えた者は作業室へ移動っ! もじもじする者は、今のうちにお手洗いなどを済ませておけ!』


 看守さんの号令とともに、奥にある大きな扉が開かれた。

 どうやらあそこがあたしたちの戦場――「刑務作業室」のようだ。


 ――がたっ!


「俺が指定するリングは、一番後ろの右端の作業テーブルだ。必ず最後に入室しろよ」


 正面にいる若菜ちゃんが、そう言って席を立った。

 お盆も片付けずにトイレのほうへと向かっている。


(ふう……)

 嵐の去ったあたしたちのテーブルには、一時の平和が訪れた。


「あのう……さっきはありがとうございました!」


 後ろにいた松野さんが、あたしに話しかけてきた。

 さっきまでわるかった顔色が、すっかり明るくなっている。


「早川さん、お礼にこれ、食べてください!」


 あたしに差し出されたのは、先程まで渦中にあった「たくあん」の小鉢であった。

 ……なぜかまだ中身が生存している。


「わたし、本当にお漬け物が苦手なんです。すみません……」


(え……?)


「牛文字さんとの勝負、無理だけはしないでくださいね。わたし、応援してますから!」


「ま、松野さん……!」

 あたしは、松野さんの小さな手をぎゅっと握った。

 か弱い受刑者のためにも、必ず勝たなくては……!



「ずずずず……」

 エリカ先輩はお茶をすすり、厨房前の行列を窺っている。

 若菜ちゃんに指定されたリング――作業室の最後列に着くために、席を立つタイミングを見計らっているようだ。


「――――」

 なのらちゃんも、テーブルの上で両手を組み、なにやら集中力を高めている。

 静かに押し黙ってはいるが、その風貌はやる気満点だ。


『ぐう……』

 あたしのお腹にも、まだまだ隙間があるようだ。

 いただいた「たくあん」をちょびっとかじり、来るべき戦いに備える。

 所内の平和を守るためにも、負けられないあたしたちなのであった。


 ……どうしてこんなことに?

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