第7話 もめごと
「いただきますなのらー!」
右隣にいるなのらちゃんが、勢いよくごはんを掻き込み始めた。
恐い人が目の前にいるこの状況にも一切の動揺を見せないようだ。
「そうだな。とりあえず食べよう」
左にいるエリカ先輩も、淡々と味噌汁をすすっている。
二人にとっては日常茶飯事なのか、いたって冷静だ。
『わいわい……がやがや……』
すぐ後ろの卓からも、なんだか楽しそうな会話が聞こえる。
食堂内はわきあいあいとした雰囲気に包まれ、看守さんたちも厨房のおばちゃんたちと談笑を始めている――食事中の監視はすこぶる甘いようだ。
(うう……)
肝心のあたしは、わりばしを割ったはいいものの、そこからまったく進まない。
だって、向かいに座っている牛文字さんが、あたしのことをじっーと見ているからだ。
「てめぇ……みねぇ顔だな。新人か?」
牛文字さんが身を乗り出して聞いてきた。
身長差も相まって、かなり物々しい角度だ。
「は、はい……そうです……」
ぼそっと答えるあたし。
「へえ、そうなんだ」
牛文字さんは相槌を打つと、にやりと笑ってあたしに牙を向いてきた。
「おい新人、その「たくあん」、こっちによこせや」
「え……? た、たくあん……ですか?」
(気にするな早川。彼女の言うことは無視をして箸を動かしたまえ)
すかさずエリカ先輩が小声で対処法を教えてくれた。
……しかし、相手には丸聞こえのようである。
「クク……悪いなお嬢ちゃん。あいにく今日の俺は、特に腹が減っているんだ」
牛文字さんがいかつい笑顔で威嚇してきた。頬は上がっているものの、物凄い目力だ。しかも、まさかの「
「なあ、いいじゃねぇか。そのたくあん、こっちによこせよ」
「い……い……い……」
いくらたくあんと言えど、腹ペコのあたしにとっては貴重な食糧だ。
ここは思い切って「嫌です!」と断りたいが、恐ろしさから口に出せずにいた。
「なあ、いいじゃねぇか? なあ? なあ?」
「い……! い……! い……!」
「キミ、やめないか! 早川が嫌がっているじゃないか!」
そんなあたしを見兼ねて、エリカ先輩が仲裁に入ってくれた。
しかし相手は、まったく怯んでくれない。
「嫌じゃないよなあ? お前、たくあん苦手だろ? 俺が食べてやるよ」
めちゃくちゃだ。たくあんが苦手だなんて一言も言っていない。
むしろあたしは、たくあんが大好きだ。
そのことを主張しなくては、相手は諦めてはくれないだろう。
自分の気持ちを、ちゃんと相手に伝えなくては。
「あ、あたしは……た、たくあんのことが……す、す、す……」
ううっ。
なぜ、「好きです」の一言が言えないのだろうか。
きっと怖いからだ。好きだと言ってしまったら、この人に歯向かうことになるからだ。
たくあんは、ごはんと一緒に食べると美味しい――だからあたしは、たくあんのことが好き――なぜ、そんな簡単なことを、あたしは口に出せないの?
「た、たくあん……す、す、す……」
「ああ~ん? 聞こえねぇなあ! もじもじしてねぇで、さっさとたくあんを全部よこせやああああっ!」
牛文字さんが腕を伸ばしてきた。もうだめだ。
「キミ、やめないか!!」
その刹那、エリカ先輩が席を立った。
強く伸ばされた細い腕が、あたしの身体を熱く遮る。
「これ以上早川をいじめるな!!」
(え、えりかせんぱい……!)
しかし、その行動もむなしく、厨房のほうから怒号が飛んでくる。
「受刑番号48番! 食事中に席を立つな! 『トイレに行きたい場合はまず手を上げろ』とさんざん言ってあるだろう!」
「くっ! すみません、何でもないです!」
あたふたと席に着くエリカ先輩。
「くそっ! なんで私が怒られなければならないんだ!」
エリカ先輩は相手を睨みながらわりばしを折った。
完全にあたしのせいで迷惑をかけてしまっている。ごめんなさい、エリカ先輩……。
「クク……まあいいだろう」
叱責を受けた先輩に満足したのか、牛文字さんはあたしから目線を外した。
「だったらそっちのちっこいの、てめぇの「たくあん」をよこせや」
しかし今度は、なのらちゃんが絡まれてしまった。
どどどどうしよう。
「あげないのら!」
だけどなのらちゃんは、自分のたくあんの全てを、がぶっと口に放り込んだ。
「ああん?」
「これはボクのたくあんなのら! 絶対にあげないのらアッ!」
ボリボリと咀嚼音を鳴らし、あろうことか牛文字さんに歯向かっている。
「てめぇ……誰に口を聞いてんのかわかってんのか?」
「なんだのらあ? やるのかのらあ?」
売り言葉に買い言葉。
顔にごはん粒をつけながらも、なのらちゃんが怒りを表す。
あたしよりも小さいのに、なんて勇敢なんだろうか……。
「やめておけ奈野原! キミも独房に連れていかれるぞ!」
「ずずずずずっ!」
なのらちゃんは怒りを鎮めるかの如く味噌汁をすすった。
そのまま睨みを利かせて相手への牽制を続けている。
ここまでうまく立ち回れるなんて、すごい……。
「たくあんをよこせ!」
「嫌のら!」
朝食開始からたったの数分――あたしたちのテーブルは、一触即発状態に陥った。
(あのう……そろそろ看守さんを呼んだほうが……)
あたしは小声でエリカ先輩に提案するが、静かに首を横に振られる。
(残念ながら、ここ『しらゆり刑務所』では「受刑者間のオカズの譲渡」は禁止されていない……)
(え……そうなんですか?)
(ああ。看守たちは飽くまでも「騒ぎを起こすな!」と言うだけで、私たちの揉め事には積極的に介入してこない。看守に助けを求めたところで、私たちが懲罰を受ける可能性まである。これは、私たちだけで解決しなければならない問題だ)
(そ、そんな……)
「たくあんをよこせ!」
「嫌のら!」
「たくあんをよこせ!」
「嫌のら!」
「たくあんをよこせ!」
「嫌だっつってんだろうがのらああああっ!」
「だったらもういい! おい、松野! てめぇのたくあんをこっちの卓に持ってこい!」
(……!)
牛文字さんが大声を上げると、あたしの後ろにある座椅子が「びくっ」と反応を示した。
振り向くと、真後ろに座っていた女の子の背中が震えている。
とうとうあたしたち以外の人にまで被害が及んでしまったようだ。
顔色のわるいその子が、たくあんの入った小鉢をあたしに向けてくる。
「これを、彼女に渡してください……」
「松野さん! キミが無理をする必要はない! そのたくあんはキミが食べたまえ!」
すかさずエリカ先輩が止めに入った。
「宝条院さん、いいんです。わたし、たくあん苦手なんです……」
松野さんは言った。
松野さんが本当にたくあんを苦手なのかは、あたしにはわからない。
もしかすると、本当に苦手なのかもしれない。
だけどあたしは、いてもたってもいられなくなった。
なんだか自分を見ているような、そんな気がしたからだ。
「だめだよ松野さん……!」
気が付くとあたしは、声を出していた。
「は、はやかわ……さん……?」
あたしは身を乗り出し、牛文字さんと松野さんの間を強く遮った。
そして、正面のドレッドヘアーに向かって、溜め込んでいた疑問をはっきりとぶつける。
「なんであなたは、そんなにたくあんを欲しがるんですか!?」
質問を受けたドレッドヘアーは、笑いながら答えた。
「クックック……俺は漬け物が大好きなんだ。食いたいものは、どんな手を使ってでも口に入れる――それがこの俺『牛文字 若菜』の
牛文字さん――若菜ちゃんが言っていることは、さっきからめちゃくちゃだ。
こんなにも自分の欲求に素直になれるなんて、ちょっと羨ましいとも思う。
だけど、そんな
「若菜ちゃんっ……! あたしはあなたを、許さないっ……!」
気が付くとあたしは、立ち上がっていた。
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