第44話

 戦いの火蓋を切って落としたのは、楓だった。

 地を蹴る。爆発するような足音を一瞬で置き去りにして、魔王へと突進する。

 アビスロードは、まさか魔法を使えるとわかったおかげで、身体まで軽くなったというわけではないだろう。

 しかし余裕を抱くことで、冷静な判断力を取り戻してはいたかもしれない。

 身を低くした楓の足刀を、半身を引くことで通り過ぎさせる。続けざま、避けられた足刀を軸へと変えた頭部への回し蹴りは、上体を仰け反らせることで回避した。

 体勢の戻りきらない楓の腹に、拳を放つ。楓はそれを叩き落としたが、同時にアビスロードは、上体を戻す反動を利用して体当たりを仕掛けていた。

 自分よりも一回り以上もある巨体の突進を避けられず、楓は弾き飛ばされた。床を転がり、受身を取って立ち上がる。しかしその間にも、アビスロードは既に側面へと回り込んでいた。そして両手を広げ、掴みかかる。

 楓は身をひねり、逃れようとしたが僅かに遅く、肩を取られることになった。そのまま引きずり倒されて、魔王が上から覆い被さる。

「肉弾戦でも私の勝利だ!」

 根に持って勝ち誇り、もがく楓の力を無視して押さえ込む。振り上げたのは巨大な拳。それを楓の整った顔に叩き付けようとして――

 その鼻の先を、鉄パイプが掠めていった。

「ぬお!? なんだ!」

 思わず喫驚して、アビスロードが飛び退く。発射地点を探ると、工場の窓際。そこにいたのは千聡だった。投棄され、錆び付いた工具をいくつも持ちながら。

「か弱い女の子を押し倒して、馬乗りになるなんて、最低よ!」

 適当に叫びながら、千聡はその工具を次々に投げつけていった。

 ボルト、ドライバー、ペンチ――

「な、なんだ、その無駄に誤解を生む言い方は! って、ちょっと待て、その抵抗はいくらなんでも酷いだろ! もうちょっと格好良くやれ!」

 冷や汗など垂らして、魔王はそれをなんとか回避していくが、それでもそれこそ魔法のように、千聡は休まず次々と武器を放る。

 スパナ、カッター、ハンマー、ゴミ袋――

 と、最後のゴミ袋だけは避けきれず、顔にぼすんっと命中した。その拍子に袋が破け、空の弁当箱やら酒のカップやらが散乱する。どれもかなり古いものに違いない。一瞬で、魔王の顔が異臭にまみれた。

「お前ら……」

 彼はどうやら怒ったらしい。それは予定通りのことだった。

 しかしその気迫と、何をやろうとしているのかを察し、千聡は舌打ちした。怒らせるつもりではあったが、これでは予定と違う。

 投擲の手を止めるが、遅い。

「いい加減にしろおおおお!」

 魔王を中心に、凄まじい突風が逆巻いた。竜巻のようにうねり、ゴミと一緒に千聡の身体を吹き飛ばす。

「きゃあああ!」

 悲鳴を上げながら、千聡は背中に、どんっと強い衝撃が走るのを感じた。近くにあった機械の残骸にでもぶつかったのだろう。

 一瞬、意識が白むのを覚悟するが――思ったよりも、その衝撃波柔らかいものだった。

 見てみれば、後ろにはいつの間にか楓がいた。千聡を抱きかかえるような格好で、どうやら吹き飛ばされる直前に背中を守ってくれたらしい。そして千聡に代わり、気を失っているようだった。

 アビスロードもその光景を認識したのだろう。勝ち誇る哄笑を上げ始めた。

「ふはははは! どれほど茶化した攻撃をしようとも、もはや無駄だ。私は真面目で強力な魔法を使えるのだからな!」

「逆に――」

 千聡は、それでも節々の痛む身体を引き起こして呟いた。

「魔法がなければ、茶化した攻撃も耐えられないってことよね?」

「……なんだと?」

 ぴくりと、アビスロードの眉が吊り上がる。先ほど以上に怒りを滲ませる。

 それでも千聡は全く怯まず、むしろ不敵に笑ってみせた。

「魔王が人間相手に魔法を使って、よくそんな勝ち誇れるわよね。兎を狩るのに戦車を持ち出して喜ぶ軍人がいるかしら」

「貴様…」

 異世界の魔王に戦車などわからないだろうが、何を言いたいのかは理解したのだろう。アビスロードはギリッと歯を擦らせると――しかし、ふんっと鼻から息を抜いた。

「そんな見え透いた挑発に、乗ると思ったか? 人間の浅知恵などお見通しだ」

 魔王が腕を突き出す。その手には、一瞬で激しい炎の玉が生まれた。数メートル以上は離れているというのに、熱波を感じてしまいそうな紅蓮。

 千聡はそれを網膜に映し、歯噛みした。背後には楓がいるので、逃げることもできない。

「仕方ない――今よ、達真!」

「任せろ!」

 呼び声に応え、達真が姿を現したのは、魔王の背後だった。機械の残骸の陰から飛び出し、不意打ちを仕掛ける!

 アビスロードは喫驚したらしい。目を見開いて振り返り、鉄パイプを手にした少年の姿を見つけたことだろう。

 しかし、焦ったわけではなかった。

「愚かな! 不意打ちなら、私が魔法を放った後にするんだったな!」

 腕に灯したままの炎。魔王はその狙いを千聡から、達真へと切り替えて放り投げた。

 大気を焼き、熱風を撒き散らしながら人間を襲う火球。

 達真はそれを避けようともせず、真っ直ぐ向かっていき――

 しかし命中する直前。炎は一瞬にして消え去った。

「な……!?」

 驚愕したのは魔王。当然、達真は燃えてなどいない。そのまま鉄パイプを振りかぶって、

「どりゃああああああ!」

 がぎんっと床を叩く。アビスロードは辛うじて飛び退き、逃れていた。

「貴様、何をした!」

「さあな。お前が今度こそ、弱体化したんじゃねえのか?」

 不敵に言い、達真が駆ける。

 アビスロードは再び迎撃のために魔法を放った。今度は迸る雷光である。数条の光の帯が、絡み合うように達真の元へ殺到し……

 しかしやはり、命中する直前に消滅する。

 そしてそれを通り過ぎて、鉄パイプが舞い踊る。先端が、魔王の鼻先を掠めた。

「くぅっ、ふざけた真似を……! ならばいいだろう。貴様らの望み通り、私が直接叩きのめしてくれる!」

 空振りに終わった怒りをさらに燃え上がらせ、アビスロードは破れかぶれに吼え猛った。

「だが、それも一瞬のことだ! 私に拮抗しようとするベルト人間は既に下した! 世界を違えぬ勇者など、恐るるに足らん!」

 突進してくる達真に対し、アビスロードは身体を開き、肉弾戦の姿勢を取る。

 直後――

「そりゃよかった」

 達真はなぜか、その場で急に足を止めた。魔王との距離は三メートルほど。どんな武器を振り回したところで、とても届く距離ではないが、

「忘れるなよ、魔王」

 構わず、達真は野球のバッターのように、鉄パイプを思いきり振り回した。

「俺の力は、異世界には届くんだ!」

 魔王と勇者の間。そこにはもちろん何もない。虚空に埋まる隙間の世界が広がるだけ。

 しかしスイングが最高速度に達した時、そのの真芯に確かな感触があった。

 間違いなくそれは、そこにある。何もないはずの空間に、それはあったのだ。

 だからこそ達真は、何もないそれを――いや、今まさに口を開けた世界の扉を。

 つまりは憎き妖精を、全力で打ち飛ばした。

「最終奥義、妖精撲殺クラッシャー!」

 光弾が。

 異世界から、その扉ごとを埋め尽くす光が放たれて――

 それは魔王の姿を呑み込むと、空の彼方へ飛んでいった。

 遥か高く。晴天の澄み渡る空の上。

 卑怯な、という魔王の断末魔の叫びを連れて、その中で光が弾けた時、

「卑怯? 違うな。これが俺の……成長の証だ」

 達真の呟きと共に。

 残ったのは、目を回して落ちてくる妖精だけだった。

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