第41話

 敗走の王を追いかけ、追撃を加える。

 アビスロードは確かに速かったが、地の利は達真たちにあった。進行方向を予測し、追いつくことは容易だったし、二手に分かれて先回りし、進行を制限するのも難しくない。

 そうして追いつけば楓が後ろから飛び蹴りを放ち、達真が落ちている枝や石を投げつける。どれも直撃しなかったのは、魔王の意地だろうか。

 それでも何度か足をもつれさせて転がり、アビスロードはボロボロになりながら、ある場所に追い込まれていった。

 やがて――止まる。

 そこは住宅街から少し外れた脇道の先。車が一台通れるかどうかという細道である。

 ただし、それ以上の先に、道はない。

 左右と前方を高い石塀に囲まれた、袋小路だ。そして後方は、

「ふふふ……追い詰めたぞ、魔王」

「悪もこれまでのようだな」

 達真と楓が並んで立ち、退路を完全に封じていた。

 アビスロードは最後に達真が投げたゴミ箱の蓋を頭に受けて、転んだところである。そのため二度ほど前転して、肘を付いた格好のまま振り向いてきた。

 息が上がっているのか言い返してはこないが、それに近い口惜しさと絶望とに、ただでさえ悪く見える顔色をさらに蒼白に染めている。

 目には怒りを宿しているが、それが己の最期を察したためであることは明白だった。

「なんかもうむしろこっちが悪っていうか、いっそいじめみたいに見えるんだけど」

 追いついてきた千聡が言うが、達真は無視した。楓の方は「悪の首領は往々にしてそうした最期を迎えるものだ」と反論していたが。

「くそ、弱体化さえ……弱体化さえしていなければ」

 アビスロードはほとんど泣き声で、そう繰り返した。しかしそれも、やはり最期を察しているがゆえだろう。

 滅びゆく悪が己の無力を嘆くことを止めようとするのは、それこそ悪かもしれない。言わせておけばいい。口惜しみながら滅びるというのも宿命だろう。

 達真は哀れみすら覚えて、低く笑った。

「意外に呆気ない――いや、所詮はこんなもんか。愚かな魔王よ。勇者に逆らおうなどと」

「完全に魔王側の台詞じゃないのよっ」

「ノリノリですねー、勇者様」

 千聡と一緒にいた妖精まで何か言ってくるが、やはり無視する。それよりも達真は、ビシッと魔王を指差した。

「さあ、終わらせるんだ、楓!」

「承知した、我が主よ」

「楓まで!?」

 ともあれ楓が前へと進み出る。アビスロードはその分、這うように後退したが、すぐに背後の壁にぶつかった。

「くそ……来るな、来るなあ!」

 もう逃げられない。その絶望の中で、魔王は繰り返し叫び続けていた。無論、それで楓が止まるはずもない。一歩、また一歩と近付くたび、絶望の悲鳴が大きくなっていく。

「弱体化さえなければ……魔法さえ使えれば、お前たちなど!」

 なんとか楓を止めようとしたのか。威嚇のために、アビスロードが腕を突き出す。しかし当然、楓はさらに一歩近付いた。あと数歩。それを遮るものは何もない。

「くそ、クソ! 私は、魔法を使えるんだあああああ!」

 魔王は闇雲に叫び声を上げた。絶望し、失望し、錯乱して、他にすがるものも失ったのだろう。彼はとうとう無駄なあがきを発したのだ。

「うおおおおおお! 蹴散らせ! 風魔法、アビスストーム!」

 瞬間――

 爆発のような轟音が響き渡った。

 誰か、魔王以外の誰かが悲鳴を上げたかもしれない。しかしそれは聞き取れなかった。誰しもが、誰しもの声を聞き取れなくなるほど、暴風が吹き荒れたのだ。

「のおおあああ!?」

 魔王の腕から放たれた横向きの竜巻が、狭い細道を埋め尽くすように荒れ狂う。近くに落ちていたゴミ袋や、先ほど放り投げられた蓋はもちろん、人間――つまりは達真たちまでもが、小石でも投げるように道の向こうへ飛ばされていく。

 細道をめちゃくちゃに荒れ果てさせ、というより逆に塵一つ残らないほど掃除して……ようやく突風が収まる。

 最も近くに着地したのは楓だったが、それでも魔王から数メートル以上は離されていた。

 最も遠くに飛んだのは妖精だろう。彼女はなぜか上に飛ばされ、電柱の足場ボルトに巻きついて目を回していた。その電柱の根元に必死にしがみついているのが、顔面にゴミ袋を貼り付けた達真だった。腰には千聡がくっ付いている。

「は……は、はは、ははは……!」

 笑い出したのは唯一動いていない、魔王。

 彼は最初、自分でも何が起きたのか理解できていない様子で、きょとんとしたままただ状況に笑っていた。しかし次第に理解が追いつくと、それを勝ち誇った哄笑に変える。

「ははは、ふははははは! 使える、私は魔法が使えるぞおおおお!」

「ば、馬鹿な! こんな、魔王如きがどうしてこれほどの力を……!」

 ゴミ袋を剥がしながら驚愕に叫ぶ、達真。後ろから、まだ貼り付いたままの千聡が「また台詞が悪役になってるわよ」と指摘してくるが、そんなことは気にしていられなかった。

 それよりも驚愕であり、脅威だった。魔王はこの窮地において、力を取り戻したというのか――そんな都合の良いことがあってたまるかと、達真は自分を棚に上げて罵ったが。

「ハッ、そうか!」

 とアビスロードが何かに気付いた。

「私は無能な勇者と違って元々力を持っている! つまり世界を超えなくとも魔法が使えるということだ!」

「な……なにいい!? なんて卑怯な!」

「至極真っ当だと思うけど」

 千聡の指摘は、またしても無視。それよりも一大事なのだ。

 なにしろ、魔法が使えるということは――

「つまり弱体化していないのに、肉弾戦でオレに負けたということか」

「…………」

 楓に言われ、アビスロードはびくりと動きを止めたが……

「に、肉弾戦など、私の領分ではない! つまり負けても悔しくないのだ!」

 言い訳すると立ち上がり、再び腕を突き出してくる。

「そう――これこそが私の真価だ!」

 瞬間。巻き起こった爆発に、今度は達真たちが一斉に逃げ出した。

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