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第40話

■7

 魔王の召喚――

 その言葉に、達真たちはぞっとして振り向いた。

 思わず竦み上がるような、低く邪悪に満ちた声の聞こえてきた方向。千聡たちが駆けてきた方向だ。

 そこにいたのは、まさしく邪悪そのものだった。

 黒いマントに黒い王衣、嫌味で皮肉げで悪辣に吊り上がった顔付きをして、頭にはねじれた獣の角を生やした男……

「うわ、古い」

 達真は思わず口走っていた。

「誰だ今古いとか言った奴!」

「勇者様です」

 怒る魔王の言葉に、即答したのは妖精だった。ついでに指まで差してくる。

「お前やっぱり悪魔だな!?」

「ほほう、お前が勇者か」

 魔王はこちらを見据えると、改めるように声音を低くした。酷く顔色が悪く見える、魔物の肌。そこに浮かんだ怒りの形相を不敵に歪めて。

「このアビスロード様をここまで追い詰めたことには敬意を表してやろう」

「誰だ、アビスロードって?」

 初めて聞く言葉に、きょとんとする。答えてきたのは妖精である。

「魔王の名前です。言ってませんでしたっけ?」

「初めて聞いた。しかし名前もなんとなく古臭いな」

 達真の感想に、続いたのは千聡と楓。

「まあ魔王なんて、言っちゃえば年寄りだしね」

「ジェネレーションギャップというやつか」

「よしわかった、今すぐ全員殺してやる」

 魔王アビスロードはそう言うと、いかにも戦闘態勢のように片腕を前に突き出してきた。

「あぁっ、魔王が長大な前口上なしに攻撃しようと!」

「悪の首領は戦いの前に、正義の使者と問答をするべきだ」

「私が調べた限り、魔王っていうのは無駄に寛大じゃないといけないはずよ」

「ええい、鬱陶しい! 魔王を前にそのような不遜で無礼な態度を取ればどうなるか、思い知らせてくれるわ!」

 アビスロードは突き出した腕に力を込め始めた。

 魔法を放とうとしたのかもしれない。吐き出される声は意味不明の、しかし激しい圧力を感じる呪文だった。どのような魔法を使うつもりかなどわからないが、その威圧感から、恐るべき破壊的なものであることは容易に想像できる。

 それには流石に、今まで軽口を叩いていた達真たちも焦りの表情を見せた。

 発される迫力を受けて、いまさらに感じさせられたのだろう。そう――これは命を賭けた戦いである。

「……いや、待てよ?」

 しかし達真はふと、首を傾げた。

 「異世界に逃げればいいんだ!」などと閃いて、千聡たちに卑怯だぞと止められている妖精の方を向き、尋ねる。

「なあ妖精。俺は地球ではなんの特殊な力もないけど、世界を超えた時にだけ、力が発揮されるんだよな?」

「え? えぇまあ、そうですね。勇者様は同じ世界に対してはなんの影響力も持たない、つまり表面上は完全な無能で役立たずの、生きていても死んでいても変わらない人です」

 急いた様子で言ってくる仔細は無視することにして、続ける。

「つまり――逆に魔王も、こっちに出てきたら無力なんじゃないか?」

「な、なんだと?」

 達真の推測に、アビスロードは攻撃態勢のまま、思わず動揺した声を上げてきた。

 一方、達真の横で、画期的な閃きを聞いたような顔をして頷いたのは、楓。

「そうか。つまりオレが倒した魔物も、そうやって弱体化されていたというわけか。道理で魔法も何も使わなかった」

「確かに……もしも達真の力がそれと同じものだとしたら、逆だって同じことが起きても不思議じゃないわよね」

 千聡も妖精の頭を掴む手を、自分の顎へと入れ替えて、「なるほど」と唸っている。

 妖精はというと、彼女も納得したのか異世界に逃げることはやめて、「流石、卑怯な攻撃に関してはベテランですね!」と達真を褒め称え始めていた。

「た、確かに、私は今まで妖精の扉を通じてしか、こちらの世界に干渉していなかった」

 そしてとうとう魔王までもが納得した様子で呟き、腕を下ろした。俯くように自分の身体を見下ろして、

「言われてみればなんとなく、こちらに来てから身体が重いような……」

「ふふふ、やっぱりな」

 ニヤリと、達真は笑った。

「これで、俺たちとお前の力は五分五分……いや、むしろこっちが有利だ!」

「でも勇者様だってへっぽこなんだから、勝てないんじゃないですか?」

「俺がへっぽこかどうかはさておき、勝てるぞ。なぜなら――」

 達真は自信満々で胸を張った。

 そして……隣を指差す!

「楓、頼む!」

「任せろ」

「うわ、ずるっ!」

 批難して来たのは千聡だった。が、達真は堂々と言う。

「ずるくない! なぜなら、今までよりはマシだからだ!」

「そりゃそうだけど」

「というわけで楓。あいつは明らかに悪だ。しかも悪の首領だ。全力で倒してやってくれ」

 一歩前に進み出た楓に、後ろから告げる。彼女は不敵な横顔を返しながら頷いた。

「わかっている。悪の存在は、オレが許さん」

「く、くそ、こうなったら私もやってやる! 魔王が魔法だけだと思うな!」

 楓が駆ける。同時にアビスロードもマントを脱ぎ捨て、地を蹴った。

 互いの距離が急速に縮まると、その体格差が強調される。当然だが、楓の方が明らかに劣っている。アビスロードは楓よりも頭一つか、二つ分ほど大きかった。体格も、筋骨隆々とまではいかないが、戦闘的なものに見える。それは彼の言った言葉が伊達ではないことを証明していたかもしれない。

 最初に仕掛けたのは、アビスロードの方。

 楓の攻撃範囲に入る直前、顔面に向けて、打って即座に引くという素早い拳を放ってくる。楓はそれをほんの僅かな首の動きだけで避けると、魔王を自分の射程圏内に収める。

 が、彼女が腕を突き出したのは魔王の身体に向けてではなく、下に向けてだった。

 そこには、アビスロードが放ってきた拳があった。牽制を避けさせ、カウンターを仕掛けてきたところで狙い打とうとしていたのだろう。楓はそれを察し、迎撃したのだ。

 すくい上げようとしていた腕を払い除けられ、魔王は驚愕しながら体勢を崩した。慌てて飛び退くが――

 楓はこれも読んでいたらしい。後退するのと同じ速度で、彼女も前に踏み出していた。

「っ……!」

 アビスロードが声無き悲鳴を上げたのがわかる。

 次の瞬間――どだん! と木板を踏み付けるような音が響き、魔王の身体が吹っ飛んだ。

 校庭の土の上を数度転がり、砂煙をあげて、止まる。ひっくり返った状態でなかったのは偶然か、魔王の意地か。それでも彼は膝を付いた格好で、砂土まみれの顔を上げた。息も荒く、言ってくる。

「くう……弱体化した身体のせいで、人間ごときに遅れを取るとはな。万全ならば決してこのようなことはないのだが、弱体化というのはこれほど恐ろしいものか。弱体化してしまっているせいで」

 声音を低く、苦々しくしているが、果てしなく言い訳がましい物言いではあった。

 とはいえそれには触れずにやり、達真が前に進み出る。

「思い知ったか? だったら選ぶといい。この場で楓に倒されるか、それとも異世界で俺に倒されるかを!」

「なんか格好良いっぽく言ってるけど、どっちも自分は安全なのよね」

「最初の頃は卑怯だとか嫌がってたのに、すっかり板についてきましたねー」

 後ろからの声は、無視する。

 ついでに、いつの間にか戻ってきている野次馬たちが、周囲から歓声やら煽りやらを飛ばしてくるが、それも無視した。

 すると続けて聞こえてきたのは横から。楓が、達真を背に隠すようにしながら言うのだ。

「選ぶ必要などない。悪はオレが討つ――覚悟はいいか?」

 告げて、構える。

 見下ろされた魔王は、それに焦燥と恐怖を抱き、顔を引きつらせたようだった。

「こうなれば……もはや奥の手を出すしかない、か。人間如きに使うのは、はばかられるが……こうまで弱体化してしまったのでは、仕方あるまい」

 呟きながら、悔しげに強張る。尖った爪を持つ指が、ざりっと校庭の土を引っかいた。

 奥の手――その言葉に、楓も飛び出しかけた足を止めて、相手の動きを観察する。何をしてくるのか、警戒して防御的に身を屈めて。

 直後。

「食らえ! 奥義、サンドロードサミング!」

 アビスロードが腕を振るうと、ばさっと砂を撒かれたような音が響き、砂を撒かれたように視界が塞がれた!

 さらに口の中には砂のような味が広がり、思わず閉じた瞼や、目を守るために上げた腕に、砂が付着する。

「ただの砂かけでしょっ!」

 叫んだのは千聡だった。

 反論するような声は、アビスロードだろう。

「これは自然界の力を活用して相手を一時的に行動不能にさせ、その隙に打開策を得ようとする実に巧妙かつ高尚な――」

 声と共に、達真と楓が目を開けた頃には、魔王の姿はかなり遠くなっていた。恐ろしく逃げ足が速い。

「くそ、卑怯な! 追いかけるぞ!」

「悪は一度逃げると相場が決まっている。しかし必ず、正義が追いつき討ち果たすものだ」

 ふたりは共に駆け出し、その後ろでは「魔物とは追いかけっこする決まりでもあるのかしら……」と呟きながら、千聡も続いた。

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