第39話

 作戦は簡単なものだった。

 まずは魔物を、戦いやすい広場へと引きつける。そこで戦って、勝つ。たったそれだけ。

 楓はそう説明してきたわけだが。

 実際のところは当然、言うほど簡単でもなかった。ただし思うほど難しくもなかった。

 屋上から現れた魔物は黒い狼のような、長毛の超大型犬だった。大型犬をさらに大型にしたようなものである。ほとんど廊下を埋め尽くすほどだった。

 おかげで身動きは取り辛そうで、当初はそのまま攻撃すればいいのではないか、という案も出た。しかしそれは、背後に回っても後ろ脚で蹴り付けられたため、断念した。相手が動けなければ楽、というものでもないということだ。

 魔物は魔王から言い聞かされているのか、それとも気分の問題なのか、達真たちに狙いを定めていたらしい。餌で釣るまでもなく、というより達真自身が餌となって、校舎の外へと誘き出すことが可能だった。

 二度ほど背中に薄気味悪い唾液を浴びながら、それでもどうにか校庭に出る。

 自由に身動きの取れるような犬型の魔物は、開けた場所で見るとなおさら巨大に思えた。敵の顔を睨むには、見上げれなければならなかった。

 そんな巨大な猛獣と、校庭という広場で対峙し、戦って勝つ方法については、聞かなかったわけではない。楓はこう答えたのだ。

「攻撃して、倒す。倒せばきっと勝ちだ」

 それ以上は何も聞かないことにした。

 しかし実際のところ、楓にしてみればそれが全くの真理であり、事実だったのだろう。

 達真はそう思えた――正面から魔物を圧倒する、楓の姿を見て。

「はあッ!」

 裂帛の気合が、拳と共に魔物の顎に突き刺さる。

 深い体毛はその衝撃のいくらかを吸収したかもしれないが、無視することはできず、魔物はふらつくように後方へ飛び退いた。

 しかしそれを、楓が即座に追いかけて走る。

「キライダーチョップ!」

 着地する魔物の左前脚に向けて、水平に滑るような身体と同時に、その勢いごとチョップ、というより手刀を振り回す。魔物はそれを弾くために足を振り上げた。が、そのおかげで体勢が崩れ、右側の足だけで身体を支えることになる。

 一方で楓はその防御を予測していたのだろう。腕を払われた勢いに逆らわず、その場でくるりと身体を回転させると、今度は身体を支える右前脚に向けて足刀を放った。

「ツライダーシュート!」

 どすっと鈍い音が響き、魔物は大きく右へ身体を傾けさせた。咆哮をあげたのは、痛みによる悲鳴だったかもしれない。

 しかし楓はまだ止まらなかった。傾ぐ身体のさらに奥、腹の下まで潜り込むと、また拳を突き上げる。

「カライダースクリュー!」

 スクリュー要素は、身体をねじったことだろうかと、達真はなんとなしに考えた。校庭の真ん中で魔物の巨体を横倒しにさせる、人間離れした楓の姿を、そこから少し離れたサッカーゴールの横で見守りながら。

「もう、魔王もあいつに倒してもらえばいいんじゃないか……?」

 そんなことまで考えたりもする。

 楓はそんな達真の思いを知ってか知らずか、ヒライダーライドオンという謎の技名を叫びながら、起き上がりかけた魔物の背中に飛び乗り、そこからさらに飛び上がると高高度からの飛び蹴りによって、頭を踏み抜いた。

「イライダーキック!」

 ずどむっ! と爆発のような音と衝撃が響き渡り、砂煙が上がる。

 その結末は見ずともわかったが、春の風が砂煙を消し去ると、そこには想像した通りの光景が広がっていた。

 腕を組んで悠然と風を浴びる楓の下に、顎をべったりと地面に着け、白目を剥いた魔物の姿。その猛獣は、べたりと押し潰された格好のまま、完全に動かなくなっていた。

 校舎の窓や、達真よりもさらに遠巻きに見ていた野次馬たちが、一斉に感嘆の声を上げる。誰からともなく拍手まで起こり始める始末だった。

 そんな中で動くのは恥ずかしかったが、達真は楓の方へと歩み寄っていった。どう声をかけていいかわからないので、とりあえず「お疲れ」と適当に労って。

「お前が人間だって自信が薄れてくるな」

「悪を討つのはいつだって人間だ」

 軽口を返すような調子で、楓。もっとも達真は半分ほど本気だったが。

「とはいえ、オレも拍子抜けだ。あれだけ凶暴なのだから、口から炎を吐いたり、尻尾をハンマーのように振り回したりするのかと思っていたが」

 確かに、最初に感じた威圧感のわりには、あっさりと倒せたものだと思う。特殊な攻撃も見られなかった。

「そういうことをする前に、お前が倒しちゃったんじゃないか?」

 なにしろ楓の力は、何度見ても人間離れしていた。そうした賞賛を送ると彼女は「そうかもしれないがな」と微笑した。

「しかし人間離れの度合いで言えば、達真の方がよほどだろう? なにしろ勇者の肩書きを得て、魔物の四天王を駆逐してきたんだ」

「ちっとも自覚できないんだけどな」

「自覚なんて気の持ちようだ。例えば、とてもではないが常人には恥ずかしくてできないことを行えば、その者は往々にして勇者と呼ばれる」

「そんな勇者の自覚はいらねえ!」

 楓は笑いながら、冗談だと言ってきたが。

 その頃には歓声も落ち着いて、外に出ていた野次馬たちも引き返し始める。代わりに教師が何人か、校舎から出てくるのが見えた。事後処理でもしてくれるのかもしれない。何をどう処理するのかはわからないが――

「達真ー!」

 と、そこに。別の方向――校門の方から、声が響いた。

 千聡だ。

 さらに、もはやこんな状況では隠れる気もないのか、肩の上には妖精が飛んでいる。

 ふたりは、というより千聡は慌てた様子で駆け寄ってくると、達真の前でがっくりと項垂れた。息が切れたためだろう。膝に手を付き、ぜえはあと荒く呼吸を繰り返している。

「どうしたんだ?」

「わ、わかったのよ……魔物が出現する原因」

 切れ切れの声で、彼女はそう言ってきた。

 といっても原因といえば、魔王が異世界の扉を開けるようになったからに他ならないだろうが――彼女はその思考を読み、否定するように、首を何度か横に振った。

 そして顔を上げると、動かない魔物に対して勝ち誇っている妖精を指差して、

「魔物の出現は、妖精のせいなのよ!」

「わたしですか!?」

 意表を突かれたように、妖精は思わず振り向いた。

 そして抗議のために慌てて近付いてくる。が、その間に千聡は、「どういうことだ?」と首を傾げる達真に向けてまくし立ててきた。

「あっちの魔物を見て、わかったわ。やっぱり魔力っていうのは、少なくとも世界中で共通のものじゃなくて、個人に依存しているのよ。妖精が達真を見つけたって話から推測した通り、きっと固有の波長みたいなものがある。それが本当にデータベース化されているとは言わないけど、魔王くらいになればそれを記憶することも、記録することも、そしてそれを辿ることだってできるはずよ」

「えぇと……」

 既にさっぱりわからず、達真は混乱して頬をかいた。しかし千聡は構わずに続ける。

「魔王は妖精の魔力の波長を記憶か、記録して、それを辿っていたのよ。そして妖精が異世界の扉を開くのを感知すると同時に、そこへ様々なものを送り込んだ」

「うわ、なんかストーカーみたいですね」

 目の前までやって来た妖精が、嫌そうに言う。既に抗議の雰囲気ではなくなっていた。というより、千聡は当てこすりや八つ当たりのために言ったのではなかったらしい。妖精の言葉にも頷くと、

「実際、似たようなものよ。それで最初に送り込んだのはきっと、魔法。あの爆発や突風なんかの怪奇現象は、それでしょうね。そして次に、魔物を送り込んだ。だから異変はこのタイミングだったし、達真の周りにしかなかったのよ」

「そうやってこっちを征服しようとしてきたのか」

 理屈はともかくとして、達真もその頃になるとようやく話に入れるようになった。

 つまり魔王は、異世界の征服を諦めるか、先延ばしにして、まずは地球を魔物で埋め尽くそうというのだろう。

 異世界から唐突に送られ続ける魔物。それは確かに脅威に違いない。

 だが――千聡はそうした達真の推測に、首を横に振った。

「私は、真の目的は少し違うと思っているわ」

「違う?」

「ええ。今までのはたぶん……いわば実験だったのよ。妖精の扉を利用して、最も重要なものを送り込むための、ね」

「最も重要なもの? それって……」

 聞き返しながら、しかし達真も薄々感付いていた。千聡の推測、そして魔王の思惑――

 そして、「それは」と千聡が口を開いた時。

「そう。それこそ最大の報復――」

 声を遮るように、あるいは継ぐように、別の声が割って入った。

「つまりは、魔王の召喚だ」

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