第37話

 スライムは、再び屋根の上に飛び乗ろうという気はないようだった。屋根にも敵が来ると理解したためか、単に面倒だからかはわからない。

 いずれにせよスライムは地上を走りながら、やっていることは変わらなかった。むしろ明確になったとも言える。

 雨に濡れる道を飛び跳ねるように駆け、屋根の吹き飛んでいない建物を見つけては水の大砲を発射する。地面からなのでほとんど壁ごと粉砕する形になり、被害はさらに大きなものとなっていた。衝撃で倒壊した建物もあり、人的被害も少なからずだろう。

 しかし地上を走る以上、屋根の上よりは組し易い。

 少なくとも、道を塞ぐことは容易だった。魔物が侵攻する通りの分かれ道全てに、兵士を配置してしまえばいいのだから。

 そして最も分かれ道の少ない通りで、それは実際に行われた。

 いくつもの角を折れ、背後に兵士たちが見えなくなった頃、魔物はいい気になって近くの民家を破壊し始めたのだが――

「そこまでだ!」

 最初の砲撃を確認した直後、先回りしていた隊長たちが、道の正面から顔を見せた。

「観念しろ、魔物め!」

 さらに背後からは、別働隊の兵士。近くの脇道でも兵士が入り込んでおり、槍を魔物へと突きつけた。

「…………」

 スライムは声がなく、表情もないが、首だけをぐるりと一回転させ、眼窩のある顔の正面を兵士たちに向けた。

 兵士はやはりその奇怪な動きを気味悪がってたじろぐが、隊長だけは構わず言う。

「逃げ場はない。言っておくが、我々は既にお前を消滅させる秘策を手にした。せめて無駄な抵抗はしないことだな」

 説得は当然だが、無駄なことだ。スライムは口も鼻もない、表情がないはずの顔を、しかし明確にぐにゃりと歪めた。

 そしてやはり、攻撃ではなく逃亡を始める。それも屋根の上ではなく、たった今破壊した家屋の中だ。

 屋根が吹き飛び、壁も半ばまで崩れ去った家は、当然だが外と同じく土砂降りの雨が容赦なく床を叩いている。

 人の姿はない。ただの板張りの床に、ひっくり返った棚、横倒しになったテーブルと椅子が壁際に転がっている。一瞬前までは乾燥していた家具が今や水浸しで、床もちょっとした水溜りめいている。

「…………」

 スライムはやはり、表情を歪めた。それは満足感のものか――

「待て! 逃げ場はないと言ったはずだ!」

 追いかけてきたのは、隊長。スライムが空けた穴の前に整列し、追い詰めたことを強調しているのだろう。

 民家は当然通路ではないため、屋根が崩れても奥には通り抜けられない。

 ただ、スライムはそんなことを承知していたように、両腕を広げた。すると降りしきる雨が急に向きを変え、スライムの身体へと殺到し始める。

「まずい、くるぞ!」

 退避の号令。それと同時に、スライムは隊長たちに向かって、水の大砲を解き放った。

 ずがんっ! と、発射された水は真っ直ぐに壁の穴を通り抜け、退避した隊長たちを横切り、通りの向かいの建物を破壊する。

 スライムはやはり、それを見て満足そうに、ゆっくりと背筋を伸ばした。破壊された建物が土砂降りの雨に浸水されている。

 悠然とした足取りで、魔物はそちらへ歩いていこうとして、直後。

「言ったでしょ、逃げ場はないって!」

 勝ち誇った声を上げたのは、千聡だった。

 横倒しのテーブルの陰から飛び出し、手にした大きな革袋を――振り向きかけたスライムに頭から被せる!

 ずぼっという音がしたのかしないのか。いずれにせよ突然の攻撃に、流石の魔物も動揺したのかもしれない。千聡がそのまま突き飛ばすと、全身を革袋にすっぽりと包まれた格好で、あっさりと転倒してくれた。

 その隙に、駆け寄った兵士が袋の口を固く縛る。さらにその上から別のシートを被せ、縛り上げて……

 スライムの入った巨大な袋ができあがった時、千聡は手をはたいて息をついた。

「これで……私たちの勝利ね!」

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