第25話

 逃げ延びて、どうにか足を止めたのは、自宅周辺の通学路まで来た頃だった。

 本当ならまだ逃げたいくらいの気持ちだったのだが、それは意味がないことと、体力の限界であること、さらにもう一つ――呼び止められたために、止まらざるを得なかった。

「何してるのよ、達真?」

「ち、千聡か……」

 私服姿の幼馴染を見つけて、達真はその場にへなへなと座り込んだ。

「知り合いか?」

「この人は?」

 千聡と楓、ふたりが同時に互いを見つけ、指差しあって聞いてくる。

 息が合ってるなと言う余力もなく、達真はしばしそれを無視して息を整えることにした。

 その間に、楓は勝手にこれまでの経緯を話したらしい。一部、やはり妖精の話を理解していないような部分もあったが、それに関しては千聡が理解しているので問題なかった。むしろ楓の誤解を正しながら、ふたりはしばらくしてお互いを理解し合ったようだった。

 その頃にはどうにか達真も落ち着いて、話に加わる。というより、楓の方から話しかけてきた。

「どうして逃げたんだ。敵が目の前にいたというのに」

「まだわかってないのかよ!?」

「いや、わかっている。あの太った男は敵ではなかったようだな」

「ようだなというか校長なんだが……」

「しかし魔王は、そこにいたはずだ。オレがあれを殴打している間に、もう一度攻撃すればよかっただろう」

「殴打するのが大問題なんだよっ!」

 やはりいまいちわかっていないらしい。

 と、今度は千聡が話しかけてくる。

 裾を引っ張り、楓から引き剥がしながら、ひそひそと。

「ねえ達真……この人、大丈夫なの?」

「聞くな。俺だってそう思えていないんだ」

 げんなりと言葉を返す。

 が、千聡の心配は、達真の思うものとは僅かに違ったらしい。首を横に振ると、なおさら口を寄せて言ってくる。

「そうじゃなくて。なんだか……何かを隠しているような気がするっていうか、裏があるように思えるっていうか」

「裏?」

 言われてちらりと、楓の方を見やる。彼は腕を組み、春の風を浴びながら、ヒーローめいた堂々たるポーズで学校の方角を見据えていた。

「何かを隠すような奴なら、もう少し利口なんじゃないか?」

「それはそうなんだけど。だからこそおかしいっていうか……」

 上手く言葉にできないのか、千聡は曖昧に言うと顎に手を当てて考え込んでしまった。

 達真はもう一度、楓を眺めてみるが……彼はポーズを変えただけで、やはり風を浴びながら悠然と立っている。

 その姿はどう見ても、ただヒーローの真似をしたがる”痛い人”でしかないが。

「……あれ?」

 そんな時。ふと、達真は全く別のことに気が付いた。そしてぐるりと周囲を見回してみて、再確認する――

「妖精はどこに行ったんだ?」

 いつもならばうるさく飛び回り、魔王退治が失敗したことでねちねちと嫌味を言ってきそうなものだったが、思えばその厄介な声が聞こえなかった。

 まあそれ自体はいいことだが、全く姿が見えないというのは奇妙だった。

「ひょっとして……魔王に捕まった?」

「な――」

 千聡の言葉に、思わず息を呑む。

 それは考えられないことでもなかった。

 彼女は異世界の様子を見るために、そこへ顔を出さなければならないのだから。うっかり鉢合わせて捕らえられる、という可能性は低くない。

 魔王なのだから、扉を開けなくなるような、特殊な檻か何かを作れるかもしれない。

 そしてもしもそうだったら、彼女の身はどうなるのか――これは想像するまでもないし、想像したくないことだ。

 もっとも、地球にはなんの影響もないことではあるが……

「今すぐ助けに行くべきだ」

 達真の肩を掴み、言ってきたのは楓だった。

「オレにとっては出会ったばかりの相手だ。しかしお前にとっては違うだろう? だったら……それを見捨てることを、オレは許さない」

「いや……そんな急に格好良いっぽく言われても困るんだが」

 真っ直ぐに見つめられて、達真は困窮に頬をかいた。

 無論、いくら悪辣で傲慢で卑劣で愚劣で悪魔的な、もういっそのことあいつが魔王でいいんじゃないか、そうでなくても魔王の手下くらいの可能性は多いにあるという性質だったとしても、放っておくというのは……

「……放っておいてもいいのかもな」

「確かにそうね」

 横で千聡が頷いてくるが。

「…………」

 楓が無言で、静かな怒りや失望の感情を発してくるのを感じ、達真は慌てて「冗談だ」と手を振った。

「とはいえ、助ける手段はないんだよなぁ。どこに敵がいるのかもわからないし」

「魔王の城ならわかっている。つまり校舎の各所でお前の技を撃ちまくれば、いつかは必ず助けられるはずだ」

「人生が酷く終わりかける上に、妖精が巻き込まれるような……いや、でも待てよ?」

 達真は、はたと考え方を変えた。

 逆に言えば、人生が終わりかけなければ、それも有りなのではないか?

 妖精をいい感じに焦がしながら、魔王も撃滅する。まさしく最高の選択肢ではないか?

「そうと決まれば早速、人生が終わりかけない作戦を!」

「大変です勇者様ー!」

 目を輝かせた瞬間。せっかくならあまり聞きたくなかった声が突如として響いた。その直後、達真は頭に鈍痛を覚える。

 げいんっと後頭部を蹴り付けれたのだ。

 「誰だ!」とは言わないし、「何しやがる!」と言うこともできなかったが、ともかく振り向くとそこにはやはり――妖精がいた。ふわふわと軽薄に浮いて、なぜか焦った顔を見せている。

 誰も、「どうしたんだ?」と聞く暇もなかった。彼女は珍しくも大慌てで言ってきた。

「大変ですよ勇者様! 今、怯える魔王の顔を確認しに行ってたんですけど、あとついでにその時の似顔絵を描いて国中に配ってやろうかとも思ってたんですけど」

「やっぱり魔王と一緒に殲滅しておけばよかった気がする」

 思わず口走ってしまうが、彼女はやはりそれも無視した。

 そんなことよりも声を荒げ、言うのだ。

「魔王が、いなくなってるんです!」

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