第24話

 暗闇は暗闇のまま。光は差さない。邪悪がそれを遠ざけている。

 問題は、それが間もなく崩壊するであるという事実だった。

「…………」

 沈黙を発する。

 それはどこまでも沈黙だった。応えるものはいない。

 小さな闇はいなかった。暗闇には邪悪だけが潜む。しかし――

 もはや関係のないことだ。邪悪は笑い出した。

「く、くく……やはり、か」

 確信を得た。これほど愉悦なことはない。

「やはりそうだったのだな! これで全ては解き明かされた、勝利の鍵を手に入れた!」

 邪悪は立ち上がる。暗闇が崩壊しようとする瞬間であっても、もはや構うことはない。

 あるいは差し込む光こそが、邪悪の光明かもしれないとすら思える。

「見ていろ、間もなくだ。間もなく思い知らせてやる! 己がどれほど卑劣で卑怯な行いをしてきたか!」

 闇を下ろす幕が消え、全ての姿が露になる。

 邪悪は――魔王はその中で、勝ち鬨の哄笑を続けていた。


 全ての四天王を倒し、結界を破ることに成功した勇者だが、姿を現した魔王城の畏怖は、そんな勇者ですら震え上がらせるものであった。

 しかし、勇者はそこで新たな力――つまり頼もしい仲間を手に入れる。

 悪を許さぬ二つの正義。それをも許さぬ一つの悪。

 今、戦いは遂に最終局面を迎えようとしていた!

「……なんだそのナレーションは」

 ひとりで盛り上がる妖精に、達真は静かに半眼を向けた。

「そしてふたりの勇者はとうとう、魔王が待つ扉を開けようと!」

「もういいから!」

 なおも叫ぶ妖精を掴み取り、口を塞ぐ。それがもごもご言っている間に、達真は改めて――実際に目の前に見える扉を見上げた。

 そして、そこに記されたプレートの文字を読み上げる。

「校長室……」

 どうやら魔王が隠れ潜んでいたのは、達真たちの通う市立木香高校だったらしい。もちろん実際には校舎内ではなく、異世界での同じ座標、という意味だ。おかげで達真は一度帰宅し、わざわざ制服に着替えさせられたわけだが。

「この扉の先に魔王がいるのです!」

「校長がいるよ!」

 一瞬だけ異世界に逃げたのか、妖精はいつの間にか手をすり抜けて宙を舞っていた。

 そして今度は達真を無視し、隣に立つ楓の方へと降りていく――結局、彼には全ての事情を話すことになり、その上でやはり仲間としてついてくると言われたのだが。

「というわけで、がんばって倒しましょう」

「なるほど。校長が魔王だったのか」

「お前なんにも理解してないな!?」

 抗議と失望の意味を込めて叫ぶが、楓は全く無視した。妖精も同じく「さっさと行ってください」と急かしてくる。

 それでも渋ると「じゃあこっちの楓さんに先に入ってもらいます」などと脅され、従う他になくなってしまう。彼を先行させたら、本気で校長を殴りかねない。

 仕方なく達真は、校長室の扉を開けた。ノックはしない。そーっと薄く引き開けて、目だけを覗かせる――

「あれ?」

 しかしそこに、校長の姿はなかった。

 拍子抜けして中に入るが、誰もいない。

 妖精と楓も後についてきて、ふたりは共に残念がったが。

「あ、でも魔王はいるみたいですよ」

 異世界の扉に頭を突っ込んだ妖精が言ってくる。とりあえず、廃工場のような心配は要らないらしい。ならば本当に、さっさと済ませた方がいいだろう。

 よく考えれば、ここで魔王を倒せば全てが終わり、妖精とも別れ、また日常が戻ってくることになるのだが……そんな感慨など感じている暇はない。

「よし、それじゃあいくぞ」

 達真は、こっそりと持ち込んだ木剣を構えた。妖精が示す魔王の居場所は、どうやら校長の机と同じ場所らしいので、そこから一歩だけ後ろに下がって。

 一応、魔王は相手だということで、相応の必殺技を思い出す。

 それももちろん、千聡が考えた技なのだが。

「奥義――」

 刹那、達真の周囲に暴風が吹き荒れる。

 それは紛れもなく、錯覚だった。

 しかしそれでも達真は確かに風を感じていた。いや、単純な”風”と呼ばれるものではない。それは大気の流れであり、力の流れだった。

 周囲に散らばる数多のエネルギーを、自分の身体に吸収させる。そうしたイメージがはっきりと浮かび、風は起こらずとも、その気配だけは確かに感じ取っていた。暴風が渦巻き、それが自分の体内に収束していく。

 標的は、一点。眼前に存在する魔王。それ以外の場所に力を放つ必要はない。全てを、その一点にだけ流し込む!

「神魔絶唱塵!」

 音はない。風もない。静寂として、しかし狙った一点だけを消滅させる――

 はずだったのだが。

「あの、勇者様……届いてませんけど」

「へ?」

 渦から顔を出した妖精がバツ悪そうに言ってくる。

「勇者様の一歩くらい後ろで何か起きたみたいですけど、魔王には何も起きていません。気付いてすらいないみたいです」

「なんで後ろに出てるんだ!?」

「勇者様の奥義は尻から出るんじゃないですか?」

「ンなわけあるか!」

 実際にはそんなわけあるかどうかも不明なのだが、全力で否定する。

「くそ、けど気付いてないならもう一発撃つだけだ! 後ろに出るんだから、今度は反対側を向いて……」

 と、今まで背を向けていた扉の方に振り向いた瞬間。

 ガチャリとそれが引き開けられて、茶色いスーツを着た、老年を思わせる恰幅のいい男が入ってきた。

 太い黒縁眼鏡をかけたその顔に、達真は当然だが見覚えがあった――校長だ。

「……何をしているんだね、キミは?」

「あ、えぇと……」

 咄嗟のことで、木剣を隠すこともできず硬直してしまう。誤魔化す言葉も思い浮かばず、助けを求める視線を這わせると――それを察してか、楓が進み出た。

「校長退治はオレに任せろ。一撃で仕留めてみせる」

「って待てえええええ!」

 全く躊躇なく殴りかかろうとしていたのを、達真は必死で取り押さえた。飛びかかり、押し倒す。その拍子にふたりで重なってごろごろと転がってしまうが、校長は咄嗟に横へ逃げていたおかげでぶつかることはなかった。

 喫驚し、混乱する校長の横を通り過ぎて、開けっ放しだった扉から廊下へと転がり出る。

「何を――」

 と言ってきたのは楓だったか校長だったか。あるいは同時に、違う意図で言ってきたのかもしれない。しかしいずれも無視して、達真は即座に立ち上がると楓の腕を掴み取り、全力で引きずるように駆け出す。

「なんでもありません気のせいです失礼しましたー!」

 早口でそうまくし立てる頃には、既に校長室からは遠ざかっていた。

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